55.修学旅行(5/6)
……自分のことを話すのが苦手なボクが、なぜ白坂くんとの馴れ初めを話すことに前向きなのか?
それは、みんなに白坂くんのことを自慢できるからに他ならない。
「それで“私”は、『どうしてそんなに、自分のことを気にかけるの?』って彼に訊いたんです。そしたら彼は、『そんなの当たり前だよ、友だちじゃないか』って」
「えー!やっば!さっぽんの彼氏めちゃイケメンじゃん!」
「凄く優しい方ですね。なんだか、彩月さんが羨ましくなってしまいます」
白坂くんの優しいエピソードはみんなにも刺さっているらしく、口々に「優しい」「羨ましい」という言葉を貰っていた。
ボクはその度に誇らしくなって、ますます、彼との関係を自慢したくなってしまう。
もしも自分の心の形を顔に投影できるとしたら、ボクの鼻は天狗のように高々と伸びていたことだろう。
「ねえねえ黒影、告白はどっちからしたの?」
「告白は、“私”の方からです」
「へー!あんた、意外と度胸あんだね」
「えへへ、そうですかね。でも、その……何て言うか」
ボクは染々と、白坂くんの顔を思い出しながら、はっきりとこう言った。
「彼以外は、考えられませんから」
……この時、なぜかみんな黙り込んでしまった。
目を大きく見開いて、じっとボクのことを見つめていた。
「え、えっと、みんな?」
「いやあ……何て言うか、さっぽんがまさか、そこまで言うとは思わなかったなって」
「そ、そうかな?」
「うん、こう、めっちゃ……女の子の顔してた」
「ええ?な、なんかその表現、恥ずかしいな」
「ねえねえさっぽん、いよいよさ、その彼ぴっぴの名前、教えてくれない?」
千夏さんがぐっと前のめりになって、眼をキラキラと輝かせていた。
「う、うん、もちろんいいよ」
「うわーー!ドキドキする!誰なんだろう!誰なんだろう!」
「えっとね、“私”がお付き合いしてるのは、同じクラスの──」
「ちょ、ちょっと待って!黒影さん!」
その時、西川さんから制止が入った。ボクはびっくりして、危うく舌を噛みかけた。
「もー!なんなの凛!?今いいとこなのに!」
「も、もうさ、止めにしない?」
「え?」
「その、ほら、名前まで聞くのはさ、さすがに踏み込みすぎっていうか、プライバシーっていうか……」
「ええ?でもさっぽんは全然話したがってるよ?ねえ、さっぽん?」
「はい、“私”は全然平気ですよ。ここのみなさんなら、他の人にはバラさないって信頼できますし」
「ほら、さっぽんもこう言ってるんだし、いいでしょ凛?」
「だけど……」
「大丈夫ですよ、西川さん。ほんとにほんとに大丈夫ですから」
「………………」
西川さんは、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、うつむいた。そして、小さく「分かった」とだけ呟いた。
なんで彼女がこんなにも、ボクの話を遮ろうとしたのか、この時には分からなかった。
もしかしたら、よくよく落ち着いて考えていれば、この時にピンと来て、白坂くんの名前を出すのを防げたかも知れない。
でもボクは、白坂くんという素敵な彼氏を自慢したい気持ちしかなかった。遮ろうとした西川さんのことを、少し疎ましく思ってしまったくらいだ。
だから、もう、どうしようもなく……取り返しがつかなかった。
「“私”が今お付き合いしてるのは、同じクラスの……」
「白坂 優樹くんという人です」
「……白、坂。ふーん、聞いたことあるような、ないような」
「ああ、白坂くんですね。図書委員で一緒だった時がありましたが、なるほど、彩月さんの彼氏さんだったんですね」
みんなの反応はそれぞれ違っていて、小岩瀬さんはおそらく白坂くんとは会ったことがないけど、二階堂さんはどうやら少しだけ面識があるみたいだった。
「えへへ、すみません、“私”ばっかり話してしまって」
「いえいえ、彩月さんのお話、とても面白かったですよ。お話くださって、ありがとうございます」
「えーと、それじゃあ千夏さん、最後は千夏さんの好きな人の話を……」
と、ボクは彼女へそう言いかけれど……その言葉を、最後まで告げることはできなかった。
千夏さんは、目を大きく見開いて、呆然としていた。
まるでそれは、信じられないものを見たかのような、聞きたくない話を聞いてしまったかのような……とにかく、プラスの意味での驚きではなさそうだった。
ボクはてっきり、千夏さんなら「えー!?優樹と付き合ってるんだー!知らなかったー!」みたいな反応が来るものだと……。
「……あの、さっぽん。今の話、本当なの?」
「え?」
「さっぽんが、優樹と付き合ってるって……」
「う、うん。そうだけど」
「………………」
ガバッ
千夏さんは、突然立ち上がった。
そして、凄い勢いで部屋を飛び出して行った。
「千夏!」
彼女をすぐに追いかけたのは、西川さんだった。
ボクはその時、何が起きたのか理解できず、ただ固まっている他なかった。
「な、なになに?千夏、どうしたの?」
小岩瀬さんも、ボクと同じように動揺しているらしく、困惑した声色で呟いていた。
「……あの、これは単なる予想なんですが」
あの穏和な二階堂さんが、いつもと違う固い声を出しながら、こう言った。
「千夏さんは、白坂くんのことが好きだったんじゃないでしょうか?」
「…………え?」
「それで、彩月さんがお付き合いされていると知って、動揺してしまったのではないかと……」
「………………」
ま、まさか。
まさか、そんな。
い、いや、あり得ないでしょ、さすがに。
ボクと千夏さんの好きな人が、一緒だなんて、そんな……。
「……ごめんなさい、小岩瀬さん、二階堂さん」
「え?」
「“私”、ちょっと行ってきます」
ボクもその場から立ち上がり、部屋から飛び出した。
月明かりだけが差し込む仄暗い廊下が、すっと真っ直ぐ続いていた。
(千夏さん……)
かつん、かつん、かつん
走ってしまうと廊下に音が響いて、巡回の先生に見つかってしまうので、あまり音を立てないように……小走りで彼女を探した。
「……す、う……」
「……う、うう……」
「ぐすっ、ぐすっ……」
それは、微かな泣き声だった。
耳を澄まさないと聞こえないくらい、それはとても小さかったけど……でも確かに、その声は耳に届いていた。
(これは、女子トイレの方……?)
かつん、かつん、かつん
「………………」
おそるおそる、ボクは女子トイレの中へ顔を覗かせた。
そこには、千夏さんと西川さんがいた。
千夏さんは洗面器の前で顔を覆って、肩を震わせながら泣いていた。
西川さんはそんな彼女の背中を、ずっと優しく擦っていた。
「………………」
ボクは、女子トイレに入ることができなかった。
かといって、このまま帰ることもできなかった。
トイレから少し離れた廊下の壁に背をもたれて、ただぼー……と、その場に佇むことしかできなかった。
上手く、頭が働かなかった。
いつも元気で、明るくて、天真爛漫な千夏さんの泣いているところを見たから、ショックを受けているのだろうか。
分からない。
分からない。
何も分かりたくなかった。
「……黒影さん」
ふと気がつくと、西川さんがすぐそばに立っていた。
なんだか罰の悪そうな表情を浮かべながら、ボクのことを見つめていた。
「あのね、黒影さん。落ち着いて聞いてほしいんだけど……」
「………………」
「実はね、千夏も白坂くんのことが……好きだったの」
「………………」
「それで、さっき黒影さんが白坂くんと付き合ってるって聞いて、びっくりしちゃったみたいで……」
「……そう、なんですね」
「………………」
「………………」
「……黒影、さん」
「………………」
「本当に、ごめんなさい」
西川さんは、ボクへ頭を下げた。
なんでボクへ謝るんだろう?と思っていると、その心を読んだかのように、彼女は少し顔を上げて、ぽつりぽつりと話し始めた。
「実は私、気づいてたんだ。黒影さんと千夏が、白坂くんのこと好きだって」
「……え?」
「千夏からは実際に相談を受けたこともあったし、黒影さんのことも……同じクラスだから、遠目から見て『たぶんそうなんだろうな』って、分かってたの」
「………………」
「だから、本当は……二人が仲良くならない方がいいんじゃないかって、ずっと心に引っ掛かってて。このままだと、今日みたいなことになるかもって」
「………………」
「でも、二人がどんどん仲良くなっていくのを……私、どうしても、止められ、なくて」
西川さんの声は、震えていた。
目の端に涙が溜まっていて、今にもそれが溢れ落ちそうだった。
(……西川さんが泣いてるの、初めて見た)
ボクの頭はどこか他人事のように、そんなことを考えていた。
「だからさっき、黒影さんが付き合ってる人がいるって聞いた時、これはまずいかもと思ったんだけど、でも……もしかしたら、千夏なら『えー!そうだったのー!?知らなかったー!』って、明るく受け止めてくれるかもって、そんな淡い期待もしてて」
「………………」
「でも、でも、そんなことなかった。千夏だって……辛くないわけなかったんだ」
「………………」
「私のせいで、二人のこと傷つけた。私だけが……二人の間を、取り持つことができたのに」
「………………」
「ごめんなさい、ごめんなさい、本当にごめんなさい……」
西川さんはそう言って、また頭を下げた。
両手でズボンをぎゅっと掴んで、それをぶるぶると震わせていた。
ボクは、彼女のことを恨むことも、かと言って哀れむこともしなかった。
すべてのことが映画の出来事のように、画面の向こう側みたいに感じられて、少しも実感がなかった。
ただ……。
ただ、胸にぽっかりと、穴が空いたような気がした。
そしてその穴は、一生埋まらないんだと直感していた。
「う、ううう……」
千夏さんの泣く声が、ぼんやりと耳に入ってくる。
窓の外には、真っ白な月がぽつんと浮かんでいた。
後書き
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