47.恋バナ
……気がつくと、もうすっかり日が暮れていた。
今日はとにかく、一日中遊んでいた。
ゲーセンの後はカラオケに、その後は服屋のウィンドウショッピングに。
時間を忘れるほど、楽しい一時を過ごすことができた。
白坂くんと一緒にいる時とはまた違った、胸がくすぐられるようなワクワクがあった。
「7時半か……。そろそろ解散しないとね」
西川さんがスマホで時刻を確認しながら、名残惜しそうに呟いた。
「えー!?やだよ凛ー!もうちょっと遊ぼーよー!どうせ明日も休みなんだしー!」
「ダメだよ千夏、もう暗くなっちゃってるし、早く帰らないと」
「ちぇ~、寂しいなあ~!もうちょっとダベりたいのにー!」
「まあまあ千夏さん、今日のところはここまでにしましょう。夜の駄弁りは、修学旅行にとっておきませんか?」
「ん、そっか!それもいいね!」
二階堂さんにあっさり言いくるめられていた千夏さんを見て、ボクは静かに苦笑した。
「それじゃ、みんな帰り気をつけてねー!修学旅行、めっちゃ楽しもーねー!」
最後はリーダーである千夏さんの言葉で、その日は締められた。
「じゃあ、みんなまたね」
各人それぞれの帰り方で、自分の家へと向かう。
西川さんは自転車で、二階堂さんと小岩瀬さんは電車で、千夏さんは徒歩で、そしてボクはバスで帰った。
「さっぽん!途中まで一緒に帰ろーよ!」
ボクが乗るバス停と、千夏さんの家へ向かうまでの道が同じだったので、ボクは千夏さんとともに二人では夜道を歩いていた。
「今日は楽しかったー!修学旅行、このメンバーにして正解だったー!」
千夏さんはスキップ気味に足を動かしながら、嬉しそうに頬を緩めていた。
「千夏さん、誘ってくれてありがとうございます。みなさんお優しくて、“私”も楽しかったです」
「うん!さっぽんも楽しんでくれたら、なによりだよ!」
「ふふふ、ありがとうございます」
「あっ、てかさーさっぽん、前から言おう言おうと思ってたんだけど、普通にタメ語で話そうよー!」
「タメ語、ですか?」
「うんうん!あーしとさっぽんの仲だしさー!ね?」
「……そ、そうですね。よし」
ボクはごくりと生唾を飲んで、「これでいい……かな?」と、初めて彼女に対してタメ語を使った。
千夏さんはぱあっ!と花が咲いたように明るく笑い、「うん!嬉しい!さっぽんをもっと近くに感じる!」と言って、ボクを抱き締めた。
「これからもよろしくね!さっぽん!」
「は……う、うん、こっちこそよろしくね、千夏さん」
「本当はみーちゃんにもタメ語になってほしーんだけど、みーちゃんのあれはみんなに対して敬語になるーってキャラみたいなんだよね~!」
「あー、確かに二階堂さんは、誰に対しても丁寧だもんね」
「まっ!あれはあれで、みーちゃんらしくていいよね!」
「うん、そうだね」
そう言って、ボクと千夏さんは互いに微笑みあった。
その日は、満月の夜だった。星がひとつも出ない代わりに、月だけがぽつんと、暗い空に浮かんでいた。
「ねーねー、さっぽん」
「うん?どうしたの?」
「明日の日曜日さ、予定ある?あーしと二人で遊ばない?」
「あー……ごめんね。明日はちょっと、外せない用事があって」
「そっか~、残念……。明日はどんなことするのー?」
「え、えーと……明日は……」
「……?」
「………………」
「……むっ!?もしかして、さっぽん!」
何かを勘づいた千夏さんは、夜目が光る獣のように、キラリと目を輝かせた。
「な、なに?」と狼狽えるボクに向かって、千夏さんははっきりとこう言った。
「もしかして、おデートでは!?さっぽん!」
「ぎくっ!な、なんで分かったの?」
「ふふふふー!なんとなーく、勘!」
「す、凄いなあ……。う、うん、千夏さんの推測通り、明日は彼氏と会う約束してて……」
「わー!いいないいな!楽しみだねー!ていうか、さっぽんって彼氏いたんだね!知らなかったー!」
「ご、ごめんね、話せてなくて」
「いいよいいよ!そういうのってデリカット?とかいうやつだし、無理して言わなくていいよー!」
「ふふふ、デリケートね、千夏さん」
「え、え、因みにさー!彼氏って誰なの!?同じクラスの人?それとも他校の人?」
「ご、ごめん、それはちょっと……ま、まだ恥ずかしくて」
「あ、そっかそっか!ごめんごめん!いやー!でもいいね!明日は彼ぴっぴと楽しんできてね!」
「うん、ありがと千夏さん」
ボクがそう言うと、彼女はにっこりと微笑んでくれた。
「よし!せっかくさっぽんが恋バナしてくれたから、あーしもしちゃおうかな!」
千夏さんは鼻息を荒くして、頬を赤らめていた。
「千夏さんの恋バナ?どういうこと?」
「えへへ、実はあーしね、最近好きな人がいるんだ!」
「え!?そうなの!?」
「うん!」
「ええ、それって誰……とは、聞かない方がいいよね」
「う、うん、ごめん!あーしもまだまだ、恥ずかしくて……」
もじもじと照れ臭そうに笑う彼女は、あまりにも可愛かった。ボクがもしも男の子だったら、一発で撃ち抜かれていたと思う。
いやしかし、あのモテモテの千夏さんに好きな人かあ。千夏さんが選ぶくらいだから、きっと凄い人に違いない。
「ウチの学校にいる人なんだ。去年、一緒のクラスだったの」
「へ~、そうなんだね!え、ごめん、もしよかったら……どうしてその人を好きになったか、訊いてもいい?」
「え?」
「いや、千夏さんほどの人がどういう人を好きになるのか、ちょっと知りたくて」
「えへへ、うん!いいよ!」
「なんか恋バナっぽくなってきな~!」と、千夏さんは声を弾ませながら、好きな人とのエピソードをぽつりぽつりと語り始めた。
「えっとね、その人は……どうしよっかな。とりまAくんにするね」
「うん」
「Aくんと初めてちゃんと話したのは、家庭科の調理実習だったのね?たまたま班が同じになって」
「なるほど」
「で、初対面の印象でも、『ああ、この人優しいなー』っていうのは思ってたわけ。あーし、料理めちゃ苦手だから、『わけわかんなーい!』ってなってたんだけど、その人は『こうしたらいいよ』って、優しく教えてくれてさ」
「うんうん」
「それで、ちょっと仲良くなって、たまに喋るくらいにはなったんだよね」
千夏さんの話に、ボクはじっと耳を傾けた。
友人の恋バナを聞くなんて、初めての経験だった。今まで読んだどんな恋愛漫画よりも、ドキドキさせられた。
「それでね、去年の冬頃だったんだけど、その時あーし……結構落ち込んでた時期だったんだよね」
「落ち込んでた?千夏さんが……?」
「うんうん。あーしさ、恋愛関係で揉めること多いんだよね。中学ん時から、なにかとそういうので悩んでたんだ」
「あ、そうだ。確かに言ってたね、友だちが密かに好きだった人と付き合って、それでトラブルになったとか」
「そうそう、高校に入ってからもそういうのがわりとあってさ。去年の時は、女子にめちゃ人気の日向先輩って人からコクられて、それでめっちゃ嫉妬されたんだよね」
「なるほど……」
「あーしはね、正直あんま日向先輩のこと好きじゃなかったから、フツーに断ったんだけど、それがよくなかったみたいで……。クラスの女子から『マジで千夏って調子乗ってるよね』みたいなことも言われてさ。それで、ちょっとみんなからハブられ気味になって」
「………………」
「あーあー、前はあんなに仲よかったのに、寂しいなあ……って落ち込んでた時に、Aくんが『最近元気ないけど、どうしたの?』って言ってくれて。それでいろいろ、話聞いてくれて」
「ああ、優しい人だね」
「でしょ?これだけでもね、あーしは充分嬉しかったんだ。でも、その時にね、そのAくんが言ってくれたことが、忘れられなくってね」
「どんなこと?」
「えへへ、えっとね?」
千夏さんは頬を赤く染めて、足元をぼんやり見つめながら、大事な宝箱を開けるように、ぽつりと言った。
「『千夏さんがなんで人気者なのか、よく分かるよ。君は、みんなのことが好きなんだね』って」
「………………」
「『君は理不尽な逆怨みをされても、誰のことも恨んでいない。むしろ、仲良くなれなくて寂しいと思っている。そういうところが、みんな眩しいんだ』『だから、千夏さんはそのまんまでいいと思う。君は、なにも悪くないよ』って、そう言ってもらえて」
「………………」
「それ聞いてさあ、なんかあーし……めっちゃ、ぼろぼろ泣いちゃって」
「え?ち、千夏さんが?」
「うん」
「………………」
「なんかさあ、こう、自分のことを……ちゃんと好きになれる言葉をもらえた気がしたの。ぼんやりとさ、『自分っていいとこあるよね』とは思っても、なかなかそれを言葉にするのってムズカシーから」
「……うん」
「だから、ただ慰めるだけじゃなくて、あーしのいいところを改めて教えてくれたのが、その時のあーしにグサーッてきてさ。『あー!それ、めっちゃ言って欲しかったー!』ってなって」
「………………」
「それからさ、その人のこと気になっちゃって。もっと仲良くなりたいなあと思ってんだけど、ちょっと恥ずかしくて上手く話しかけられてないんよね~」
「えっ!?ち、千夏さんでも、恥ずかしくて声かけれないとかあるんですか?」
「そりゃあるよー!いや、フツーの男子だったらね、うぇーい!ってノリで合わせられるけどさ、Aくんってなんか妙に大人びてて落ち着いてるから、あんまそういうノリでいくのもちょっと子どもっぽいかな~って」
「むーん、なるほど……」
最初千夏さんに会った時は、ギャルギャルしくて明るくて、ボクなんかとは住む世界が違う人だって思ってたけど……。
仲良くなればなるほど、彼女もまたいろいろ悩んだり、苦しんだりすることもあるんだなって思えてくる。
誰一人として、辛い思いをしてない人間なんて、いないんだ。
「……きっと」
「うん?」
「きっと、上手くいくよ。千夏さんの恋は」
「えへへ、そうかな?」
「うん。ボク、応援してる」
ボクはにっこりと微笑みながら、千夏さんのことを見つめた。
すると彼女も、「ありがと、さっぽん」と言って、柔らかく笑ってくれた。
「……あれ?」
そんな彼女の笑顔は、唐突に変わった。何かに気がついて、それに疑問を持ったような、そんな気付きの表情だった。
「どうしたの?千夏さん」
「さっぽん、もしかしてさっき、ボクって言った?」
「……!」
ボクは思わず、顔が強張ってしまった。
そうだ、本当だ。確かにボクって言ってしまった。
千夏さんから指摘されなければ、たぶんそのまま気がつかなかっただろう。
「あれ?ごめん、さっぽんっていつもなんて言ってたっけ?私?」
「あー……えーと、ごめん、実は本当は、私じゃなくてボクって使うんだ」
ここで嘘をついてもしょうがないと考えたボクは、さらっと本当は「ボク」を使うことを話した。
前に白坂くんに嘘をついて、思い切り恥ずかしい目にあったから、あんなことになるくらいなら、初めから正直に言っておこう。
「へーーー!さっぽんって、実はボクっ子なんだー!」
「ほ、他の人には言わないでね。ボクって使うとバカにしてくる人とかもいて、嫌だったんだ」
「え~、ヤな人いるもんだね~!うん!分かった!他の人には言わない!」
「うん、ありがとう。そうしてもらうと、ボクも助かる」
「うーん!なんか不思議っていうか、新鮮ー!さっぽんがもっと可愛くなった気がするー!」
「ええ?そ、そんな、可愛くだなんて」
「可愛いよー!なんか違うもん!」
「そ、そうかな?」
千夏さんから褒められて、ボクはなんだか照れてしまった。
「あっ!ねえねえ、さっぽんがボクって使ってるのは、さっぽんの彼ぴっぴも知ってるの?」
「ああ、うん。知ってるよ」
「そっかー!うーん!ますます気になってきたー!さっぽんの彼ぴっぴー!」
「ボクも千夏さんの好きな人が誰か、凄く気になるよ」
「あっ!じゃあさ、修学旅行でさ、お互いに発表し合わない?」
「修学旅行で?」
「ほら、夜寝る時にさ、みんなで恋バナとかするじゃん?そん時にさ、あーしらの好きな人の名前、言っちゃおうよ!」
「み、みんなの前で!?緊張するなあ……」
「でも、めっちゃ思い出にならない!?」
「……うん、それは確かに、そうだね」
「あ、もしかして、うちのメンバーで、あんまり言いたくない人いる?もしいたら、全然無理しなくていいからね?」
「ああ、ううん。そんなことないよ。むしろ、今日のメンバーだったなら、ボクも言いたい……かな」
「よかった!じゃあ、二人で一緒に発表しようね!」
「うん!」
「修学旅行、楽しみだね!」
「そうだね!」
そうして、ボクたちは笑い合いながら、静かな夜道を歩いていった。




