44.遊びの約束
「……へえ~、それは楽しそうなメンバーだね」
白坂くんはにこにこと微笑みながら、ボクの隣を歩いていた。
朝の7時50分頃。ボクは彼とともに通学路を歩いていた。
こういう時、白坂くんはいつも車道側を歩いてくれる。このちょっとしたところが、本当に本当に好きで、ずっと離れられなくなる。
「修学旅行、楽しめそうだね。僕も嬉しいよ」
「うん、そうだね、あの人たちなら……ボクも楽しめるかも」
「ふふふ、そっかそっか」
白坂くんは、やけに弾んだ声でそう言ってくれた。
「白坂くんの方は、どんなメンバーだったの?」
「ああ、僕の方はね、昔からの友だちと組んだよ」
「昔からの?」
「そうそう、小学生の時から一緒の人たちがいてさ」
「へ~、それっていわゆる幼馴染みってやつだよね?」
「あー、まあそうなるのかな?」
「いいなあ、ボクも幼馴染みとか憧れるなあ」
「はははは」
そうして他愛もない話をしながら、ボクたちは学校へと向かっていく。
朝の爽やかな空気が、ボクたち二人を包んでいた。
何度も通った通学路のはずなのに、今までとまるで世界が違っていた。
元気に学校へと走っていく小学生に、ボランティアで交通整理をしているおじいさん。あくびを噛み締めてバスを待つOLに、イヤホンをして音楽を聞く大学生。
様々な人たちが、ふと見れば周りにたくさんいる。そしてその人たちも……ボクと同じように、恋をしているのかも知れない。
そう思うと、なんだかあたたかい気持ちに包まれた。
今まではそんなこと想像しなかったのに、恋を経験すると、そんな視点を持つようになるんだ。
「あ、そうだ黒影さん。今度の日曜日、予定ある?」
「日曜日?特に予定はないけど……」
「ほんと?じゃあ、よかったらウチ来ない?」
「えっ!?」
ま、まさか、朝からそんなお誘いをされるとは思わなかった。
い、いきなりおうちデートだなんて、ハードルが高すぎる……。
で、でも、ボクも白坂くんとそういうことしたい気持ちは当然あるし、こ、恋人だったら……あ、当たり前、だよね。
「じゃ、じゃあ、えっと……おうち、行ってもいい?」
「うん!もちろん!」
「あ、あの、白坂くん」
「うん?」
「え、えっと、白坂くんは、凄く誠実で、優しい人だって分かってるから、もちろん、大丈夫だと思うけど……」
「???うん」
「あ、あの、えっと……」
ボクは震える声で、ぽつりと言った。
「ひ、避妊は……してくれると、嬉しい、かな」
「……ひにん?ひにんってなに?」
「ええ!?そ、それは……その、ほら、あ、赤ちゃんができないようにするために……」
「………………」
「………………」
「……あっ、あー!?そ、そういうことね!避妊ね!は、はははは!」
白坂くんはトマトのように顔を真っ赤にして、声を上げて笑った。
「え、えーとね、勘違いさせてごめん、黒影さん。そういうお誘いってわけじゃなくて……一緒にアニメを観たかったんだ」
「え?」
「ほら、黒影さんの好きなダーク・ブルーが、ついにアニメ化されたじゃない?それを録画しておいてるから、一緒に観たいなと……」
「……あ、あ、ああ、そ、そ、そういうこと!は、は、ははは!」
ボクもまた、白坂くんに負けないくらい顔を赤くして、裏返った声で笑った。
「そ、そうだ!アニメ、一緒に、ね!み、観たかったんだ!そ、そうそう!そうだね!白坂くん!」
「う、うんうん!はははは!」
「………………」
「………………」
「……えっと、なんかごめんね、白坂くん」
「い、いやいや、大丈夫だよ」
ボクと白坂くんは、お互いに苦笑を見合わせていた。
そうこうしている内に、ボクたちは学校へたどり着いた。
下駄箱で靴を履き替えて、廊下に足を踏み出す。
「うん?」
その時、ボクは千夏さんの後ろ姿を発見した。
「千夏さん」
ボクは彼女に、後ろから声をかけた。千夏さんはくるりとこちらに振り返ると、「あっ!さっぽーん!」と、太陽のような笑顔を見せてくれた。
「千夏さん、おはようございます」
「うん!おはよー!あ、ねえねえさっぽん。今度の土曜日の、14班の集まりのことなんだけどー」
「はい」
14班の集まりというのは、修学旅行の14班のメンバーで、ショッピングモールに行って遊ぶ計画だった。
千夏さんの「修学旅行前にも思い出たくさんつくろー!」という一声で、今度の土曜日に集まることになったのだ。
「さっぽんは、モールまでどうやって来るー?電車ー?」
「えーと、“私”はバスですね」
「あ、ほんと?じゃあ、集合場所って駅じゃなくて、モールに直接集合した方がいいかな?」
「そうですね、そうしてもらえると助かります」
「おっけー!じゃあモールに11時集合ね!」
「マジ楽しみー!」と言いながら、千夏さんは小さく跳び跳ねていた。
「やあ、おはよう金森さん」
「あっ!優樹もおはよー!」
「今のは、今度の修学旅行メンバーで遊びに行く話かな?」
「え!?なんで優樹分かったの!?超能力!?」
「ああいや、黒影さんと金森さんが一緒の班になったって話を、今しがた聞いてたからさ」
「あーね!そうそう!あーしとさっぽんは、一緒の班なんだよねー!」
金森さんは嬉しそうにはにかみながら、ボクを背後から抱き締めた。
「むっ!くんくん、さっぽんいい匂いする~!シャンプーなに使ってるのー?」
「ちょ、ちょっと千夏さん、恥ずかしいですから、頭を嗅がないでください」
「えー?こんな良い匂いなんだから、嗅がなきゃもったいないってー!」
「もう!千夏さんってば!」
「きゃはははは!さっぽんが怒ったー!」
千夏さんの甲高い笑い声が、廊下にわんわんと響き渡った。
「千夏ー!なにしてんのー!?一時間目体育だから、早く着替えないとやばいよー!」
その時、通りすがりの女の子が、千夏さんへそう告げた。おそらく、千夏さんと同じクラスの人なんだろう。
彼女は「あっ!?そうだっけ!?やばー!」と言いながら、ボクから離れた。
「そんじゃ、ごめーん!2人ともまたねー!」
千夏さんはボクと白坂くんに手を振って、そのまま颯爽といなくなった。
「もう、千夏さんは相変わらず慌ただしいなあ」
「……ふふふ、そうだね」
白坂くんは、なぜかボクの方を見つめながら微笑んでいた。
それは、いつもと種類の違う眼差しだった。
どう種類が違うのか言語化するのが難しいけど……例えて言うなら、愛おしい彼女を見る彼氏ではなく、妹を見守る兄のような雰囲気だった。
「どうして白坂くん、そんなにニコニコしてるの?」
ボクがそう訊くと、「ええ?いやあ、つい嬉しくて」と言いながら、後頭部を掻いていた。
「ほら、黒影さんは……前に『自分には友だちがいない』って言ってたじゃない?。特に金森さんとは、少しギクシャクしてた時もあったし」
「う、うん」
「でも今は、すっかり友だちだ。君の方から、彼女へ声をかけるほどに」
「………………」
「僕はそれが、本当に嬉しくてね」
白坂くんは、春風のように優しい声色で、そう呟いた。
「そ、そんな、なんか、恥ずかしい……」
「ははは、黒影さん可愛いね」
「も、もう……」
白坂くんはいつも、これでもかってくらいに褒めてくれるし、可愛いって言ってくれる。ボクのことを肯定してくれる。
ボクは、彼がいてくれたからこそ、こうして友だちもできたし……自分のことをそこまで嫌いにならずに済んでる。
白坂くんがいなかったら、とっくの昔に死んでてもおかしくない。彼に出会えたお陰で、ボクは生きていられるんだ。
「いやーでも、うんうん、本当によかった。なんだか自分のことのように嬉しいよ」
「も、もう、白坂くんたら、また“お兄ちゃんの眼”してる」
「お兄ちゃんの眼?」
「うん。なんか、妹を見守るお兄ちゃんみたいな、そんな雰囲気あるよ」
「!」
ボクの言葉を受けて、白坂くんはハッとした表情をした。
そして、視線を下に向けて……じっと、何かを考え込んでいた。
「……?白坂くん?」
こんな顔をする彼を見るのは、初めてだった。なんだか妙に苦しそうで、辛いことを思い出しているようだった。
「……あの、し、白坂くん。どうしたの?」
「ん……ああ、いや、何でもないよ」
「ほ、ほんと?」
「うん、大丈夫」
白坂くんはまたいつものように、優しい笑顔を浮かべていた。
でも、それがいつもより寂しそうに見えるのは、ボクの勘違いだったんだろうか。
この時の白坂くんの心境は、今のボクにはまだ理解できなかった。




