43.14班
「……はあ」
模擬テストを終えて家へと帰りついた頃には、もうとっくに19時を過ぎていた。
家の中には誰もおらず、真っ暗な廊下が広がっていた。
部屋に荷物を置き、着替えを持ってお風呂場へ向かう。そして、冷えた身体を温めるために、シャワーを浴び始めた。
シャーーーーーー
頭上から降り注ぐお湯が、ボクの身体を濡らしていく。
(今日は、本当に楽しかったな)
白坂くんとの記念すべき初デート。一緒に観たあの映画は、きっと一生の思い出になる。
仄暗いシアタールームの中。視聴しながら頬張ったポップコーンの味。お昼に行ったレストランの内装。全て鮮明に思い出せる。
(模擬テストがなかったら、もっと一緒にいられたのに……)
あのまま、白坂くんともっともっと話していたかった。好きな話を好きなだけ、続けていたかった。
本当に、お母さんがあんな予定をいきなり入れたから……。
(い、いやいや、お母さんだって……ボクのことを思ってやってくれたことなんだから、感謝こそすれ、恨むだなんて御門違いなこと……)
ボクは目をぎゅっと瞑って、息を止め、シャワーに顔を当てた。
顔の肌全体に、シャワーが銃弾のように降り注ぐ。
「……はあっ!」
きゅっ
シャワーの蛇口を締めて、息を吐き出した。
ぽたぽたと、顎先からお湯が流れ落ちる。
「………………」
風呂場にある鏡は、ボクの顔が辛うじて確認できるくらいに、曇っていた。
その鏡に映る顔の上に、ボクは今日の映画で観た……ピエロの化粧を施した。
目の下には、逆三角のマークを。口元には大きく口角を上げた唇を。
不気味なまでにニッコリと笑うピエロを描いた。
『あなたねえ、お礼はちゃんと言わないとダメよ?』
『何かしてもらったら、ちゃんとお礼を言う。そんな当たり前のことができなくてどうするの』
「………………」
お母さんから言われた言葉が、脳裏に甦ってきた。
その時、ボクの右目の下にあった、逆三角形のマークの、ちょうど角の先から、滴が垂れてきた。
それがつう……と、鏡を真っ直ぐに滑っていった。
一滴の、涙のように。
……11月19日、水曜日。
この日、修学旅行の班が正式に決定された。
二年生は40人×4クラスで計160人おり、その中で5人組を作ることになっていた。
同じ学年の中であれば、クラス関係なく班を作ることができた。かく言うこのボクも、3組の千夏さんに誘われて、14班に参加させてもらった。
「はい!じゃああーしら14班は、このメンバーでいきま~す!」
千夏さんの声が、3組の教室に響き渡った。
机を五つ付き合わせて、14班のメンバーが揃っていた。
千夏さんと、西川さんと、ボク。そして、三つ編みおさげの人と、茶髪ボブの人の2人をあわせて、5人の班となった。後半の2人は、おそらく千夏さんのお友だちなんだと思う。
「ねえ、千夏」
彼女の隣に座る西川さんが声をかけた。
「お互いに初対面の人もいるし、軽く自己紹介した方がいいんじゃないの?」
「あれ?そーだっけ?」
「うん。黒影さんは、二階堂さんと小岩瀬さんの2人と面識なかったと思う。そうだよね?黒影さん」
「え?あ、はい……」
「ありゃ!そっかそっかー!」
千夏さんは、班員のみんなを一瞥した後、「そんじゃ、みんないちおー自己紹介お願い!」と言ってボクらに振った。
「それでは僭越ながら、私からさせていただきますね」
それを受けて、まずは三つ編みおさげの人から自己紹介を始めた。
彼女はとても上品な雰囲気で、背筋もピシッと伸びており、なんだかお嬢様を思わせる佇まいだった。
身長もすらりと高く、この班の中では最も長身だと思われる。傍目に観ても、おそらく170cm以上はあると思う。
「私の名前は、二階堂 美緒と申します。茶道部に所属しており、現在は部長を勤めております」
彼女はボクの方へ目を向けて、にこりと柔らかい微笑みを浮かべていた。
「今回、千夏さんからお誘いを受けて、この14班に入らせていただきました。この修学旅行で、初めてお会いする方とも、仲良くなれればいいなと思っております。どうぞ、よろしくお願いいたします」
そうして、二階堂さんはぺこりと、お手本のように綺麗なお辞儀をした。パチパチパチという拍手とともに、「みーちゃん、ありがとー!」という千夏さんの声が響いた。
二階堂さんは隣の茶髪ボブの人へ顔を向けて、「次、瑠花さん、お願いしますね」と告げた。
「え?あー、分かった」
茶髪ボブの人は、照れ臭そうに右の頬をかりかりと掻きながら、ボクのことを一瞬だけちらりと見た。
この方は、二階堂さんとは真逆で、背がとても小さかった。失礼な話だけど、小学生が高校の制服を着ていると言われても、驚きはしないと思う。
ただそれゆえか、とても幼げな顔立ちをしていて、それが可愛らしい妹を見ているかのような錯覚を覚えた。
「えーと、ウチの名前は小岩瀬 瑠花。ラグビー部のマネージャーやってます。修学旅行は、とりあえず……よろしく」
なんだか淡白な感じに終わりそうだった自己紹介の途中で、千夏さんが野次を入れた。
「えー!?“るう”、もー自己紹介終わりー!?」
「そんなこと言われても、別にこれ以上話すことないし」
「せっかくだから、好きなことの話とかしてよー!ほら、るうってぬいぐるみ作るの得意じゃん!」
「ちょっ!?や、止めてよバカ!そういうことを大声で言うなっての!」
小岩瀬さんは顔を真っ赤にして、千夏さんに怒鳴っていた。
ボクがきょとんとしていると、いつの間にか二階堂さんが隣に来てくれて、「瑠花さんはこういうのが得意なんです」と、スマホの中にある写真を見せてくれた。
そこに写っていたのは、可愛らしい白色のティディベアだった。
「こういうものを作るのが、瑠花さんの趣味なんですよ」
「ちょっ!?美緒!なんで勝手に見せるの!」
「だって、せっかく素敵な趣味をお持ちなんですから、自己紹介の時に喋らなきゃもったいないですよ~」
「も、もう!余計なお節介だっての!」
二階堂さんと小岩瀬さんが争っている中、ボクは小岩瀬さんに「これ、本当に手作りされたんですか?」と、そう問いかけてみた。
「そ、そうだけど?なに?嘘だって思ってんの?」
「あ、いや、そうじゃなくて……。す、凄いです、こんなに丁寧に……。ボ……“私”、最初売り物なのかな?って思ったくらいで……」
「む……」
「ボクは、手先が不器用で、こんなの作れる気がしないです。だから、ホントに凄いなって思って……」
「………………」
小岩瀬さんは口先を尖らせて、視線を横に切ってから、「ふん、別に無理して褒めなくていいし」と呟いた。
「あー!るうってばまたツンデレしてるー!るうはホント可愛いなー!」
「ちょ!うるさい千夏!ウチはツンデレじゃないし!」
小岩瀬さんは顔を真っ赤にして、千夏さんを睨んでいた。
「………………」
この14班のメンバーの顔を、改めて見渡してみた。
ああ、なんだか、いい人たちだ。
この人たちなら、ボクも……楽しい修学旅行が送れるかも知れない。
少しでもそう思えるだけで、今までのボクが救われた気がした。
どこの班にも入れてもらえず、互いにボクを押し付けあっていた……中学生の時のトラウマが、ぼんやりと目蓋に浮かんできた。
『ねえ、そっちの班でどうにかしてよ。私らんところはもう人数オーバーなんだから』
『無茶言わないでよ。ウチのとこだって、入る予定の人決まってるし』
「………………」
「それじゃあ黒影さん、自己紹介をお願いしていいかな?」
西川さんから声をかけられて、ボクはハッとした。
班のみんなが、ボクのことをじっと見つめていた。
ボクはその視線に少し怯えながらも、ぽつりぽつりと、こう言った。
「“私”の名前は、黒影 彩月です。好きなことは……漫画を読むことです。修学旅行は、ど、どうぞ、よろしく……お願いいたします」




