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42.初デート



……パッポ、パッポ、パッポ、パッポ……


スクランブル交差点の歩行者用信号が青になると、一定のリズムで不思議な音が鳴る。


僕はそれを耳にしながら、「武蔵ケ丘前」というバス停の椅子に座って、黒影さんを待っていた。


(今日が初デート……か)


そわそわする胸を押さえつつ、ボクはスマホで時間を確認した。


現在、午前10時53分。待ち合わせの時間は11時なので、まだ少し余裕がある。


僕はその隙間時間に、彼女とのLimeのやり取りを見返していた。


他愛ない会話なんだけど、それがすごく愛おしく感じる。何度見てもニヤニヤしてしまうし、胸がドキドキする。こういう時、しっかり僕も恋愛してるんだなって実感する。


「し、白坂、くん……」


僕は背後から、可愛い声で名前を呼ばれた。期待して顔を振り向かせると、そこにはやはり黒影さんが立っていた。


彼女のコーデは、意外にもピンクのワンピースだった。そして肩からは、小さな水色のポーチをかけていた。


「おお!黒影さん!」


僕は椅子から立ち上がって、彼女の隣に立った。


「し、白坂くん、遅くなってごめんね。こ、こんなに遠出するの久しぶりだったから、バ、バスを乗り間違えちゃって……」


「ええ?いやいや大丈夫だよ。充分待ち合わせ時間前だし」


「そ、そっか、よかった……」


「それにしても黒影さん、今日はピンクのワンピースなんだね!」


「あ、え、えっと、変、かな……?」


「いやいや、そんなことないよ!なんだか普段の印象とギャップがあって、可愛いね」


「え、えへへ、あ、ありがと……」


黒影さんは地面に目をやって、口許をもごもごさせながら赤面した。


正直言って、危なかった。周りに人がいなかったら、思わず彼女を抱き締めていたと思う。


(あ、そうだ)


その時、ふと昨日……黒影さんからLimeされた話を思い出していた。


「今日は、黒影さんが14時から急な用事ができちゃったんだよね?確か、塾の模擬テストだったかな?」


「う、うん、そうなの……。ごめんね、白坂くん。ダブルブッキングになっちゃって。本当なら別の日にずらせたらよかったんだけど……」


「そうだね、ボクも前もってチケット買っちゃってたし、ずらすのも難しかったもんね」


「ほ、ほんとにごめんね……」


「ううん、いいよいいよ。こういうこともあるさ。またいつか、1日中君と遊べる日があったら、僕は嬉しいな」


「うん、ボクもそうしたい」


「へへへ、ありがとう。よし、それじゃあ早速行こうか」


「うん」


そうして、僕たちの初デートが始まった。






……ショッピングモールの中にある映画館へとたどり着いた僕たちは、事前に買っておいたチケットを店員さんに渡して、席へと案内された。


仄暗いシアタールームの、中央の席に二人で並んで座った。


今回、黒影さんと二人で観るのは、『ピエロ・オブ・アーサー』という映画だった。


これはとあるヒーロー漫画に登場する悪役を主人公とした物語で、 最初は普通の人間だったはずが、厳しい人生の中でどんどんと心を病んでいき、最後には凶悪な悪役へと変貌するという、なかなかにディープなあらすじだった。


「初デートでこの映画を観るのって、僕たちなかなか癖強いね」


僕はそう言って、クスクスと笑った。すると彼女の方も、「確かにそうだね」と言って笑ってくれた。


「これを初デートで観るカップルなんて、ボクたち以外はいないだろうね」


「ほら、他の客席観てよ。僕ら以外、カップルっぽい人全然いないや」


「ほんとだね、そもそもデート向きじゃない映画なんだろうね」


「それがなんか、僕ららしくていいね」


「ふふふ、うん」


そんな会話をしている内に、うっすらとついていた間接照明が音もなく消えていった。


「あ、始まるね」


黒影さんが声のトーンを落として囁いた。


そうしていよいよ、映画の上映が始まった。





「………………」


僕は、映画の内容に、終始圧倒され続けていた。


膝の上に置いていた手から、汗がなくなることはなかった。


まず、主人公がえげつない。


緊張すると突然笑い出してしまう病と、幻覚を見る病の両方に犯されていて、それゆえに他人から気味悪がられる。


真面目に働こうとしても失敗し、いじめられ、蔑ろにされ、どんどん落ちていく。


そして、実の母にも愛されていなかったことを知った時、彼は絶望の頂点に立ち、ついに狂ってしまう。 親を殺し、自分をいじめた奴を殺し、暴動を起こす。


その時、彼は病からの笑いではなく、本当の笑顔を手にしていた。


エンドロールが流れる間、劇中で使われた哀しげな音楽が流れている。それがお腹の中にずっしりと響いて、ずーんと気持ちが暗くなる。


「………………」


でも、それと同時に、言い様のない高揚感も湧き出ていた。


熱い血潮が身体中を巡って、全身を熱くさせているのが、手に取るように感じられた。


この映画の主人公は、気に入らない全てを破壊して、何もかもぐちゃぐちゃにした。


それがまさしく、本当の自由を手にした瞬間だとも言えた。


法的にも倫理的にも、彼の行動は当然許されたものじゃない。だけど、何かそれだけでは裁き切れない……人間の破壊衝動そのものを刺激されるような、そんな映画だった。


(うーん、これは久々に凄い作品観たなあ)


エンドロールが全て終わるまで、僕は座席に深く腰かけて、未だ冷めない興奮を胸の内に宿していた。







……映画を観終えた僕たちは、ショッピングモール内にあるイタリアンレストランへ入った。


最初はフードコートに行こうとしてたのだが、黒影さんが「人が多すぎて怖い」と言っていたので、なるべく人の少ないレストランを選んだのだった。


「お待たせしました、ペペロンチーノとカルボナーラでございます」


店員さんが、僕の前にペペロンチーノを、彼女の前にカルボナーラを置いてくれた。 それを二人で食べながら、映画の感想を述べあった。


「いや~、重かった!僕も一応覚悟してたけど、あんなに重いとは正直思わなかったな~」


「うん、想像以上に追い詰められてたね。血が出たりとか、内蔵がどうとか、そういうグロさは少なかったけど、心に来る残酷さだったね」


「ねー!あれはトラウマになる人も少なからずいるだろうなあ~!」


「ボクは、あのシーンが一番怖かった。本当は、恋人が幻覚だったってとこ」


「あーあそこね!実は付き合ってたのが全部主人公の妄想で、本当はただの近くに住んでた人ってだけで……。あれもショックだったなあ」


「ほんと……。心の支えだった恋人が幻だなんて、絶対辛いと思う。だからボクも、もし白坂くんが幻だったらどうしようって、そんなこと考えちゃって……。すっごく恐くって……」


「ははは!可愛いなあ黒影さんは。大丈夫だよ!僕はちゃんと現実だから」


「え、えへへ、ありがと……」


黒影さんはめちゃくちゃ照れながら、もじもじと肩をすくめていた。


「し、白坂くんは、印象に残ったシーンとかある?」


「僕はそうだなあ、憧れのコメディアンを銃で殺したところかなあ」


「あ、あそこ凄いよね!ボクもいいなと思った!いよいよ覚醒したんだなって!」


「うんうん、そうそう!ついに振り切った感があったよね」


「うん!もう全部壊していく感じだったよね!」


黒影さんは眼をキラキラさせて、小さな子どもがはいしゃいでいる時のような声色をしていた。


「黒影さんは、一番印象に残った のはどこだった?」


「え、えーとね、そうだなあ。いろいろ印象に残ってるけど……」


黒影さんは「うーん」としばらく悩み続けていたけど、最後にはぽつりと、「母親を……殺したところかも」と、小さな声で呟いた。


「あー!あそこもショッキングだったね~!僕も結構怖かったよ!」


「………………」


「まあでも、あのお母さんは結構な毒親だったし、殺したくなる気持ちも分かるもんね。それもなかなか危うい感覚だよね~」


「………………」


「……?黒影さん、大丈夫?」


「え?」


「どうかした?具合でも悪い?」


「あ、いやいや!全然全然……大丈夫だよ」


黒影さんは固い笑顔を浮かべながら、カルボナーラに一口手をつけた。


「いやー、それにしても、みんなが初デートで観る映画に選ばないわけだよ。これは重いもん」


「ふふふ、そうだね。ボクたちみたいに、ああいう作品が好きなカップルじゃないと難しいだろうね」


「うんうん、面白かったのは間違いないもんね!俳優さんの演技も凄かったし、何よりキャラクターが強烈に印象に残ったなあ~」


「ね!ボクもだよ!完全に“ピエロ”になった途端に、ボク、すごくカッコよく感じちゃった!い、いろんなこと吹っ切れた感じで、堂々としてて……!」


「分かる分かる!ずーっと背中を丸めて歩いてたのに、ピエロになった瞬間めちゃくちゃピシッとしたスーツ着て、タバコふかしてて、すごいギャップだったよね」


「そ、そう!ボクも、あんな風になりたいなって……そう思っちゃった。あんな風に……堂々と生きたいなって」


「うんうん!」


僕は頷きながら、フォークにペペロンチーノを巻き付けて、ぱくっと口に運んだ。


悪役なのは間違いないけど、ある種の芯が通ったキャラクターは、人を殺すような悪役だろうと魅力的に映ってしまう。


その危うさを観るのも、今回の作品の醍醐味なんだろうな。改めて非常に面白い映画だと思う。


「……あ、あの、白坂くん、違うからね?」


僕が映画の魅力についてじっと考え込んでいたところに、黒影さんがなぜかそう告げてきた。


僕は彼女の言葉の意図が解らず、「どうしたの?」と訊いてみると、彼女は慌てた子犬のような顔で、必死にこんな弁明をした。


「あ、あんな風になりたいって、その、悪役になりたいわけじゃ、ないよ?その、じ、自信を持ちたいなってだけで……」


「ははは、大丈夫だよ。僕もちゃんと分かってる」


「そ、それと……カ、カッコいいっていうのも、に、二次元の中っていうか、作品の中だけの話で、い、一番カッコいいって思ってるのは、し、し、白坂……くん、だからね?」


「え?」


「ボ、ボクの中の、一番は……ぜ、絶対白坂くんだから。絶対絶対、死ぬまで変わらないから。もし……不安にさせちゃってたら、ごめんね……」


黒影さんは顔を真っ赤にしながら、上目遣いで僕にそう言ってきた。額にはたくさん汗をかいていて、唇はぶるぶると震えている。


「も、もし不安にさせちゃったなら、あ、あの映画はもう、二度と観ない……!お、同じキャラが出てくる作品も、同じ俳優さんが出る映画も、全部観ないから……」


「そ、そんな大袈裟な。大丈夫だよ、そこまでしなくても」


「そ、そう?」


「うん、ありがと黒影さん。大丈夫、ちゃんと分かってるつもりだから。黒影さんの気持ちは」


「ほ、本当?」


「うん、もちろん」


僕がそう言うと、彼女はようやく安心したように微笑んでくれた。 僕はそんな彼女が可愛いらしくて、ついこっちも微笑んでしまった。


「あっ!?も、もうこんな時間!」


黒影さんはお店にある壁掛け時計に目をやって、叫びながら立ち上がった。


時刻は既に、13時25分をさしていた。


「し、白坂くんごめん!ボク、ちょっと……もう行くね!」


「うんうん、分かった。気をつけてね」


黒影さんは僕と会話しながら、バタバタと荷物をまとめて、もうお店を出られる状態にしていた。


そして、最後の最後、彼女は去り際に……僕へこう言った。


「今日は、あの、本当にありがとう。デートに……誘ってくれて。一緒に映画観れて、楽しかった」


「うん、僕の方こそ、一緒にいれて楽しかったよ。また遊ぼうね、黒影さん」


「うん、絶対……また、一緒に!」


そうして、彼女はボクに手を振って、そのまま店を後にした。


遠退いていく黒影さんの背中を、僕はいつまでも見つめていた。







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