41.前日の憂い
……とある日の土曜日。
ボクは自分の部屋で、姿見を見ながら、明日のデートのためのファッションを試行錯誤していた。
自分の持っている服をクローゼットから引っ張り出して、ああでもないこうでもないとぶつぶつ言いながら、孤独なファッションショーを演じていた。
白坂くんからデートのお誘いを受けた時は、冗談じゃなく天にも昇る気持ちだったけれど、こういうファッションなんかの気遣いをしなきゃいけない現実をすぐに思い出して、今は心臓が破裂しそうなほどハラハラしていた。
「むーん……」
今手に持っているのは、ピンクのワンピース。これはボクが買ったものではなく、お母さんから貰ったものだった。
ボクが持っているものの中で、一番“女の子らしい服”だと思う。
「ううう、でもなんか……こういうの着ていくのは、ちょっと恥ずかしい……」
情けない独り言を漏らしながら、ボクは気に入らなかった服をクローゼットへなおす。
白坂くんから可愛いと思われたい気持ちは、当然ある。だけど、自分が女の子っぽい服が似合うかどうかは、また別問題だ。
(こ、こうなったら……無難にネットで検索してみよう)
「初デート 女子 服装」と検索して、オススメの服装を紹介するサイトを順繰り見て廻る。
(カジュアルなのがベターか……。う、うーん、でもそもそも何がカジュアルなのかもよく分かんない……)
参考として、イラストや写真が上がっていたりするけど、それもなんだか、ボクには合わない気がしてならない。だって、モデルになってる人が凄く綺麗だからその服も似合うわけで、ボクみたいなのが着たら途端にダサくなるんじゃないかと思って……。
(う、ううう、どうしよう……本格的に困った)
みんなはこういう時、一体どうやって勉強してるんだろう?ファッション雑誌とかを読んでいるんだろうか?それとも誰かに相談しているんだろうか?
(相談……)
この時、ふっと頭に浮かんだのは、千夏さんだった。
たくさんの人からモテてる彼女にかかれば、ファッションくらいお手の物なんじゃないだろうか。
(で、でも、今日は土曜日だし……せっかくの休日を、ボクのせいで潰しちゃうのも……)
ボクという人間は、とことん頼み事が下手なタイプだった。こういう時でさえ、アドバイスのひとつも求められない。
なんのかんのと理由をつけて、自分に不利なはずの、協力を仰がない方法を考えてしまうのだった。
(さすがに、明日あるデートのために協力して貰うのは忍びない……かな。うん、そうだね、止めておこう)
自分で不器用な人間だなと思う。こういう時、パッと素直に甘えられたらどんなにいいだろうと、そう思ってしまう。
(……結局、これが一番いいかな)
そうして手に取ったのは、黒いTシャツに白いチノパンという、物凄くシンプルな服だった。
これは昔からよく着ているもので、ボクのお気に入りの組み合わせだった。
こういうシンプルで色味のないものが、ボクにとっては一番着やすいし、背伸びしなくていい。中性的なテイストなのもボクの好みだった。
いかにも女の子らしくて可愛い……というものではないけど、自分が安心していられるものを着たい。
(ちょっと保守的過ぎるかも知れないけど……最初のデートだし、ここは安牌にしておこうかな)
とりあえず服の悩みが落ち着いたボクは、ほっと安堵のため息をついた。
心に余裕が出てくると、今度は明日を楽しむ気持ちが湧き出てくる。
(白坂くんとデート、白坂くんとデート……。えへへ……)
デートなんていう単語を口にできる日が来るなんて、夢にも思わなかった。
『可愛いなと思ったよ』
『黒影さんのそういうところ、僕、好きだよ』
「ううう~!白坂くん、ずるい~!」
白坂くんからの言葉が、何度も頭にリピートされる。その度に胸がドキドキして、いても立ってもいられなくなる。
(あー、白坂くん。早く会いたいなあ……)
コンコン
その時、不意に部屋の扉が叩かれた。
お母さんだ。
お母さんが今、そこにいる。
「彩月、入るわよ」
ドアノブを回して、お母さんは部屋へと入ってくる。ノックをして、ボクの返答がなくても、お母さんはお構い無しだ。
「……何をしてるの?彩月」
姿見の前で立つボクを見て、お母さんは顔をしかめた。
(ど、どうしよう……。お母さんには、絶対デートがあるなんて言えない……)
もしうっかり口を滑らせてしまったら、何を言われるか分からない。
「勉強もせず、遊んでばかりで」と、きっとそう怒られる……。
「あ、ああ……えーと……。ちょ、ちょっと、いらない服の整理を……」
ボクが無理繰りそう言うと、お母さんはボクの持っている黒いTシャツと白いチノパンを見て、「ああ、そうね」と呟いた。
「確かにそれは、もう着ないでしょうね」
「え?」
「そんな地味な服持ってたのね。それ、あなたが買ったの?」
「……うん」
「もう、しょうがないわね。服なんて、お母さんが買ってあげる。あなたセンスないんだから」
「………………」
「ピンクのワンピースは、昔あげたわよね?ああいうのにしておきなさい。せっかく女の子なんだから」
「………………」
ボクは、自分の持っているTシャツとチノパンを、くしゃっと強く握った。
そして、絞り出すような声で、「うん」と答えた。
「そうそう、彩月。これにね、申し込んでおいたから」
お母さんはそう言って、小さな冊子を手渡してきた。
受け取ってみると、それはとある塾のパンフレットだった。
『荒川塾にて、模擬テスト実施!今なら参加費無料!』
冊子の表紙に、でかでかとその文字が書かれていた。
「模擬……テスト」
「そう。明日の14時にあるから、遅刻しちゃダメよ」
「え!?あ、明日!?」
「ええ、そうよ」
「………………」
「模擬テストが無料で受けれるなんて、そんな機会滅多にないんだから。このチャンスを逃さないようにしなきゃね」
「………………」
「ちょっと彩月。あなた、その態度はなに?」
「え?」
「あなたねえ、お礼はちゃんと言わないとダメよ?」
「………………」
「何かしてもらったら、ちゃんとお礼を言う。そんな当たり前のことができなくてどうするの」
「………………」
この時の気持ちは、非常に言葉にしにくかった。
胸の内に黒いもやが渦巻いていて、ぼんやりと輪郭が掴めない。
ただひとつ言えるのは、そのもやは間違いなく「よくない感情」だということだった。
(……ダ、ダメだよ。お母さんは、ボクのことを思って……これを、申し込んでくれた……んだから)
そのもやを押さえ込むようにして、ボクはその言葉を何度も心の中で繰り返した。
お母さんは、ボクのためを思ってる。
ボクのためを思ってる。
ボクのためを思ってる。
ボクのためを……。
「……うん、ごめんね」
ボクは顔を上げて、囁くようにこう言った。
「ありがとう、お母さん」




