39.二人だけ
……黒影さんと付き合うようになってから、僕の生活は激変した。
僕たちは、学校では付き合っていることを隠している。これは黒影さんからの要望で、「公にするのが恥ずかしいから」とのこと。だから僕も誰にも言わず、仲の良い友だちにもそのことは教えなかった。
学校にいる間は、僕と黒影さんはあくまで友だち。必要以上にベタベタしない。それが二人の間にできたルールだった。
でも正直、そんなルールを作る間でもなく、僕たちはお互い初めての恋人だということもあって、公にイチャつく勇気なんてとてもなかった。
むしろ、変に人目を気にしてしまって、廊下で黒影さんとすれ違ったりしても、ちょっと挨拶を交わす程度で、今までのように談笑できなかった。
でも、それでもやっぱり、目が合うと嬉しくなるし、黒影さんの方も顔をぽっと赤らめて、照れ臭そうにうつむいている。そんな時、ああ、僕たちは付き合っているんだなと、そう思う。
そして、みんなの目が無くなる放課後の時間になったら、もうこっちのものだ。一緒に並んで通学路を歩き、1日我慢してた分の会話が飛び交う。
「白坂くん、ボクこの前全部読んだよ。バカボンド」
「え!?ほんと!?どこで読んだの!?」
その日も、僕は黒影さんとともに、放課後の二人だけの時間を満喫していた。もちろん僕が道路側で、彼女が歩道側だ。
僕の押している自転車から、チリチリチリというチェーンの音が小さく聞こえてくる。
「たまたま県立図書館に全巻置いててさ。凄いね、あの漫画。ほんと面白かった」
「面白いよねー!ボクもあの漫画凄い好きでさー!」
「うんうん、ほんと。話ももちろん面白いんだけど、絵が凄いな~ってなったよ」
「ねー!躍動感ハンパないよね!」
「そうそう。髪の毛とかも、なんか実写以上に動いてた」
「黒影さんは、キャラクターだと誰が好きとかある?」
「えーとね、ボクは伝七朗が一番お気にいりかな。真面目で剣に真っ直ぐで、一番共感できたかも」
「吉岡 伝七朗いいよね!僕も好きだ!あと個人的には、巨運も好きだったな~」
「あー、小次朗と斬り合った人だよね?」
「そうそう、抱き合う代わりに斬るんだな──のシーンが凄い好きでさ!剣士たちの格好よさが、あそこに全部詰まってる気がしたよ!」
「うんうん、分かる。ボクも鳥肌がぶわっ!てなった」
話す内容は、友だちだった頃とあまり変わらない。ただ、関係性が変わっただけで、なんだか前以上に楽しく感じられる。
「恋は魔法」なんていう台詞は、漫画にも歌にも出てくるけど、それは間違いじゃないんだなと思った。
彼女の所作ひとつひとつが可愛らしく見えてくるし、近くにいるだけで嬉しくなる。
きっと心の奥底では、昔からそう思っていたんだろうけど、彼女が好きだと自覚することで、その感情がより顕在化された気がする。
ひゅうううう……
秋風が、僕たちの間を吹き抜けた。僕と黒影さんの髪が、それに煽られて揺れた。
穏やかで楽しい、二人だけの時間だった。
……ボクはきっと、生涯で最も幸せな瞬間を生きていると思った。
この世にたった一人、ボクのことを好きだと言ってくれる人がいる。ボクのことを必要だと言ってくれる人がいる。
この事実は、ボクの日常を……いや、ボクの人生そのものを大きく変える出来事だと思う。
(か、彼氏……。ボクに、か、彼氏が……できちゃった……)
告白したばかりの頃は、その事実に興奮して、夜も満足に眠れなかった。
「白坂くん」と呟くだけで、顔が真っ赤になり、「きゃー!」と一人で騒いでいた。
彼の姿を観るだけで嬉しくなるし、声を聴くだけで胸がときめく。
とにかくもう、何もかもが楽しかった。
『……あ、もしもし、黒影さん?こんばんは』
「う、うん、白坂くん、こんばんは」
付き合うようになってから、ボクたちは夜眠る前、電話をするようになった。
話す内容は本当に、いつものように他愛ない話だ。
「白坂くんってさ、小さい頃に将来の夢とかあった?」
『うん、あったよ。僕は宇宙飛行士になりたかった!』
「え!?凄いね、宇宙飛行士目指してたんだ」
『目指してたっていうか、憧れてただけだけどね。昔から宇宙に興味があって、小学生の時とかは、ずっと宇宙の図鑑を読み耽ってたよ』
「へ~、昔からなんだね」
『そうそう。未だにね、宇宙の果てってどうなってるのかなあ?って、そんな空想をしたりするよ』
今までと変わらない、好きなことを好きなだけ喋る、穏やかな会話。
彼と交わす会話の時間は、この世のなによりも貴重だった。本当に心安らげる瞬間だった。何時間喋っても全く疲れなかったし、何を話しても楽しかった。
大きな樹の根本に座って、木陰を涼んでいるような、そんな安らぎを覚えた。
『わっ、もう気がついたら夜中の一時過ぎだね』
「あ、本当だね」
『それじゃあ、さすがにそろそろ寝ようか。明日も学校だし』
「……うん、そうだね」
電話が終わってしまう時、ボクは本当に寂しくなってしまう。白坂くんもそれは同じみたいで、声のトーンが少し低かった。
『お休み、黒影さん。また明日』
「うん、また明日ね」
そして、本当にベタだけど、電話の終わりは二人同時に切るようにしている。
別に他意はないはずなんだけど、先に切られても、先に切っても、ちょっとだけ辛くなる。だから二人で一緒に切るのだった。
恋愛漫画なんかでそういう描写があるけど、本当にこんな風になるんだと思って、未だにちょっと感動している。
「………………」
そして、電話が終わった後、ボクは真っ暗な部屋の中で、スマホに入ってる白坂くんの写真を眺めている。
優しそうに笑う、白坂くんの横顔の写真だった。
これはボクの隠し撮りだった。写真をちょうだいと言うのが恥ずかしくて言い出せず、白坂くんと並んで歩いている時に、彼にばれないように撮ったのだった。
「白坂くん……」
ボクはスマホに写る白坂くんの頬に、ちゅっとキスをした。
「~~~~!!!」
足をバタバタさせて、ベッドの上で悶える。
そして、スマホをぎゅっと、大切に抱き締める。
ああ、こんなに満たされた気持ちになるのは、初めてだなあ。
明日の朝が怖くない。夜の闇が寂しくない。
早く学校に行って、彼に会いたい。白坂くんと笑いあって過ごしたい。
明日は体育があるけど、もうそんなの関係ない。白坂くんに会えない日がある方が、ずっと辛い。
そうだ、今度のお休みの日は、デートもしてみたいな。一緒に漫画を買ったり、映画みたりしたい。綺麗なイルミネーションを観たり、二人だけの道を歩きたい。
この時になって、ボクは初めて、自分が女の子でよかったなと思った。白坂くんとお付き合いできて、本当によかった。
早く、早く。
早く明日に、ならないかな。




