38.告白(後編)
……好き。
好き、好き。
白坂くん、好き。
世界一好き。誰よりも好き。
いつだってボクの味方をしてくれる君のこと、気が狂うほどに好き……。
もう、この気持ちを抑えることができない。
胸の中に、留めておけない。
空気を入れすぎた風船のように、今にも心臓が破裂してしまいそうだった。
「ふー……ふー……」
スカートを持つ手が、小刻みに震えていた。真っ赤な顔も、火が出るくらいに熱かった。
興奮して、呼吸が激しく乱れた。涙も眼からぽろぽろ溢れて、止まらなかった。
白坂くんは目を心底驚いた顔で、ボクのことを見つめていた。
その目から逃げるように、ボクは顔をうつむかせた。
「………………」
しばらくの間、長い沈黙が流れていた。
ボクの心臓は、もう限界寸前だった。ドッドッドッと脈打つ鼓動が、身体全体を揺らしていた。きっとボクの身体に近づいたら、その鼓動の音が聞こえるんじゃないだろうか。
ああ、ああ、怖い。
失敗だっただろうか。
これは、またもや黒歴史だろうか。
バカにされて、笑われたら……どうしよう。
い、いや、白坂くんはそんな人じゃない。き、きっと、大丈夫……。
「きゃははははは!マジバカじゃん!ウケる~!」
その時、廊下の方からけたたましい笑い声が聞こえてきた。
心臓が、一瞬ピタリと止まった。誰かに胸をこじ開けられて、心臓を鷲掴みされて無理やり止められたような、そんな感覚だった。
ボクは足の裏に汗をかきながら、おそるおそる廊下の方へ目をやった。
そこには、誰もいなかった。ただ遠くの方で喋っていた人たちの会話が、ここまで反響して聞こえただけだった。
「………………」
「……黒影さん」
不意にボクは、白坂くんから名前を呼ばれた。緊張し過ぎたためか、「は、はい!」と意図せず声が大きくなってしまった。
「ごめん、あの、僕今……ちょっと混乱してて」
「………………」
「えっと、黒影さんは、僕のことが好き……ってことで、いいのかな?」
「………………」
ボクは静かに、こくんと頷いた。
ううう、な、なんか、改めて答えると、本当に恥ずかしい……。
「それで、えーと……黒影さんは、僕と付き合うのはおこがましいと思ったから、その……えー、えっちな役割を果たしたいという風に、思った……てことで、よかったかな?」
ボクは、再度頷いた。
「そっか、うん。聞き間違えじゃなかったか……」
白坂くんは頬を赤く染めて、しばらく天井を見上げていた。
ボクはそんな彼のことを、ただじっと見つめるしかなかった。
ザーーーーー……
ふと見ると、外は激しい土砂降りだった。
ごうごうと風も吹いていて、窓枠をカタカタと鳴らしていた。
いつからこんな土砂降りだったんだろう。教室に響くほど激しい音が鳴っているというのに、ボクは今の今まで気がつかなかった。
「……ふー」
白坂くんは小さく深呼吸した後、ボクの前まで歩いてくると、スカートを握るボクの手にそっと触れた。
「黒影さん、とりあえず一旦……スカート下ろそう?」
「え?」
「僕らはお互いにさ、混乱していると思う。だからちょっと……冷静にならないかい?」
「………………」
「無理をしなくていいんだ。だから、ほら……」
「……む、無理なんて」
「ん?」
「無理なんて、して、ないよ……」
「………………」
「し、白坂くんのためなら、ボクは、な、なんでも……」
「本当かい?黒影さん」
「………………」
「君の我慢強いところは、長所だと思う。でも、自分の身を滅ぼすほどの我慢は、する必要ないと思うな」
「………………」
「さ、今はとりあえず、スカートを下ろして?ね?」
「………………」
そこまで彼に言われてしまっては、ボクももう反論の余地がなかった。
ボクは唇を噛み締めて、ゆっくりとスカートを下ろした。
「……黒影さん」
「は、はい」
「………………」
「……?な、なに?白坂、くん」
「………………」
何が何やら、分からなかった。
白坂くんは何も言わずに、ただ真っ直ぐに、ボクを見ていた。
妙に潤んだその瞳は、ボクの心臓までも射貫いてくる。
(な、なに?どうしたんだろう……?)
ごくりと、固唾を飲んだ。背中にかいた冷や汗が、じっとりと制服を濡らした。
「……黒影さん」
白坂くんは、何かを決心したようだった。
いつになく真剣な表情で、固い石を吐き出すように、彼は言った。
「僕、君のことが、好きだ」
「………………」
「………………」
「……え?」
「………………」
「え?あ……え?し、白坂くん、何を、言って……」
「……も、もう一回、言うね」
「………………」
「僕はね、君が好きだよ。黒影さん」
「………………」
「だから、もうそんな風に自分を貶めることは止めて。僕は、ちゃんと君のことが……好きだから」
「………………」
……ボクは。
ボクは、固まってしまった。
置物のように、彫刻のように、その場にカチッと固まったまま、動けなくなってしまった。
言われた言葉の意味が、最初よく分からなかった。突然外国語で話しかけられたような、そんな錯覚を覚えた。
そして、後からやっと意味の理解が追い付いてきて……それでボクは、フリーズしてしまった。
まさか、え?信じられない。
僕が好きって言われるなんて、そんなこと、本当にあるの?
「………………」
ていうか、好きってそもそもなんだっけ?
えっちしたいって思うことだっけ?
いや、じゃなくて、好きってことだから……えーと……。
「……え?え、え、え!?う、うそ!?」
身体全部が一気に熱くなった。鏡を見ずとも、全身が真っ赤になっていることが容易に分かった。
「そ、そんな!ボ、ボボ、ボクのことを、し、し、白坂くんが好き、だなんて……!」
「………………」
白坂くんは、僕の慌てぶりを見て、少しだけクスッと笑った。そして、優しい声色で「うん、好きだよ」と言った。
うう!か、か、かっこいい……!眩しいくらいかっこいい!
そんな、まさかまさか、ボクがこんな人に好かれるなんて、そんな……!
「あ、あ、そ、それは、あの~、と、友だちとして、す、すす、好きって、こと~、かな!?」
「ううん、違うよ黒影さん。恋愛として、好きってことだよ」
「あ!あ、ああ、そ、そう、なんだね……」
「うん」
「………………」
「君は、自己肯定感が低い方だから、僕の言葉を信じにくいかも知れない。だけど、僕は本当に君が好きだよ」
「………………」
「だから黒影さん、もし君さえ良ければ……僕と、お付き合いしてほしい。僕はこれからも、君の隣にいたい」
「………………」
まさか、まさかそんな。
し、白坂くんから、告白されるなんて。
おかしい。何かがおかしい。こ、これ、本当に現実?ボクの頭がいよいよおかしくなって、夢でも見てるんじゃないだろうか。
「………………」
ボクは右手で、ほっぺたをつねってみた。ちゃんと痛かった。
「どうしたの?黒影さん」
怪訝な顔でそう尋ねてくる白坂くんに、ボクは「あ、えっと」と言って答えた。
「白坂くんが好きって言ってくれるなんて、おかしい。だから、ゆ、夢かなと思って、つねってみた……」
「………………」
白坂くんは一瞬きょとんとしていたけど、すぐに顔を綻ばせて「はははは!」と笑った。
「もう、黒影さんは、やっぱり可愛いね」
「え、ええ?」
困惑するボクのことを、白坂くんは優しい眼差しで見つめていた。
そして、右手の平をすっと前に出して、ボクに問うた。
「黒影さん、僕と……お付き合いしてくれますか?」
「………………」
その手をじっと見つめていたら、ようやく……ボクの心の中に、白坂くんの言葉が降りてきた。
好きだと言ってもらえたことを……受け止めることができた。
「……う、うう」
彼の手の平の上に、小さな雫がぽたりと落ちた。
ボクの涙だった。
「ボクでも……いいの?」
震える声で、ボクは訊いた。彼は黙って頷いた。
「本当に、本当に、こんなボクなこと、好きで、いてくれるの……?」
彼はまた、頷いた。
「ボクが、白坂くんの隣にいて、いいの……?」
白坂くんは、もう一度頷きながら答えた。
「君に、いてほしいんだ」
「………………」
ボクは、彼が差し出してくれた手の平の上に、自分の手を重ねた。
その瞬間、もうボクはいろいろ堪らなくなって、声を上げて泣いた。
教室の中に、嗚咽が響いた。さっきまで聞こえていた雨音は、その声にかき消されて、聞こえなくなってしまった。
「……さてと、来週から11月だな。それじゃあ、みんなお待ちかねの席替えをするぞ~」
10月31日、午後15時。
夕方のホームルームで、担任の深津先生が、教卓の前に立ち、ボクたちクラスメイトにそう告げた。
「もう席替えかー!はえーな~!」
「せんせー!俺一番後ろがいいっすー!」
「ぎゃはは!お前サボる気満々だろー!」
クラスメイトたちのはしゃぐ声が、教室の中を満たしていた。
「そんじゃ、一人ずつクジを引けー」
そうして毎回の如く、先生はボクたち生徒にくじを引かせて、席順を決めるのだった。
「よし、じゃあそのくじの席に移動しろ~」
クラスメイトたちは椅子から立って机を持ち、先生に言われたとおり、それぞれの場所へと移動した。
「……黒影さん」
その時、ボクは白坂くんから声をかけられた。
「……席どこだった?」
「……廊下側の、一番後ろの席」
「……そっか。じゃあ今回は離れちゃうね。僕は今度、先生のド真ん前なんだ。教卓の、一番前のところ」
「………………」
「三回連続も期待したけど……さすがに、それは無理だったか」
「……うん」
「まあでも、ね。また隣の席に、きっとなれるよね」
「うん」
ボクと白坂くんは、しばらくの間見つめあった。そして、お互いにふっと、少し寂しそうに笑った。
「それじゃあ、またね黒影さん」
「うん、またね白坂くん」
そうして、ボクたちは机を持ち、それぞれの場所へと別れて行った。
「ふう……」
重い机を運び終わったボクは、息を吐いて椅子に座った。
ガタッ、ガタガタ
ふと隣を見ると、そこにはクラスメイトの女の子がいた。その子が、新しい隣の席の子だった。
彼女は一瞬だけボクのことを一瞥すると、すぐに違う方へと視線を切り、前の席にいる女の子へ「やっほーリサちゃーん!」と話しかけていた。
まるでボクなんて、ここに存在していないかのように。
「………………」
でも、今のボクは、さほど苦しくなかった。いつもだったら辛くて堪らない場面だけど、でも今日は大丈夫。
「よし、みんな席の移動が終わったみたいだな?じゃあこれから2ヶ月は、この席順でやるぞ~」
新しい席順となったこの教室の中を、ボクは静かに眺めていた。
そして、先生のすぐ前にいる白坂くんの背中で、視線が止まった。
「………………」
しばらく見つめていると、彼は少しだけ、顔を後ろに向いてこっちを見てくれた。
すると彼は、にこっといつもの優しい笑顔を浮かべて、ボクに小さく手を振ってくれた。
ボクもそれに合わせて、小さく手を振り返した。
もう彼は隣の席じゃないけれど……。心は今も、隣にいてくれる。
ありがとう、白坂くん。
これからずっと、よろしくね。
大好き。




