37.告白(前編)
……10月30日、木曜日。
この日付は、僕にとって……たぶん、一生忘れられない日だと思う。
……ザーーーーー
この日は、いつぞやのように雨が降りしきる日だった。教室の窓から外を見ると、朝の8時とは思えないほどに空は暗く、どんよりとしていた。
僕は頬杖をつきながら、その土砂降りを静かに眺めていた。
「………………」
視線を、窓の外から黒板の日付へと移す。黒板の端っこには白いチョークで、10月30日と書いてある。
うちのクラスは、2ヶ月に一度席替えがある。つまり、この席順なのも明日までなのだ。
僕は、まだ登校してきていない黒影さんの席へ目を向ける。空白の席に、黒影さんの輪郭が朧気に見えてくる。
『うちの学年の女子だったら、お前、誰が一番可愛いと思う?』
昨日、クラスメイトから問われた言葉が、脳内に響き渡る。
「………………」
分かりやすい可愛さを持っているのは、金森さんだろう。
明るくて元気で、気さくな人。ああいう人は分かりやすく可愛いなとボクも思う。
でも僕の胸には、ぎこちなく笑う黒影さんの姿が、ずっと残り続けている。
彼女がもし、いつまでも僕の隣で笑ってくれていたら、きっと嬉しいと思える。
だから、明日の席替えも、正直凄く……寂しく感じている。彼女が他の誰かの隣にいって、笑っていたとしたら……胸の奥がズキッと痛んでしまう。
そういう意味では、昨日クラスメイトたちに黒影さんが可愛いと思ってるのか?と指摘されたのは、間違いじゃない。
「………………」
だから……。
だから僕は、怒ってたのかな。
自分で言うのもなんだけど、僕はあまり怒るタイプの人間じゃない。そんな僕が、あんなに人を問い詰めるように怒るのは、珍しいなと思う。
こんなに怒ったのは、黒影さんのパンツを盗撮してた人を見つけた時以来だ。
黒影さんに嫌なことをしてくる人たちに対して、僕はいつも怒っている。
……そうか、それは、それはつまり……。
「……そういうこと、なのかも知れないなあ」
ザーーーーー……
僕の小さな呟きは、雨音の中に混じって、静かにかき消されていた。
ガタガタッ
ふと隣を見ると、黒影さんが席に座るところだった。
「おはよう、黒影さん」
いつものように、僕は彼女へ朝の挨拶をした。
「あ、う、うん、おはよう」
黒影さんもまた、いつものように挨拶を返してくれた。
「……?」
ただ、その時何か、妙な違和感を覚えた。彼女の姿を見た途端に、何かがいつもと違うと直感した。
その違和感の正体を探るために、僕はじっと彼女のことを観察してみた。
(……なんか、今日の黒影さん、いつもより顔が赤い気がする)
風邪を引いているんだろうか?もしかしたら熱っぽいのかも知れない。
「黒影さん、今日もしかして、具合悪い?」
「え?」
「いや、顔が赤いからさ、ちょっと心配になって」
「え、あ、赤かった……?そ、そっか。えーと、うん、大丈夫。熱は全然ないから」
「そう?」
「うん。心配かけてごめんね」
そうして、彼女は席について、筆記用具を出したり、ノートを出したりと、授業の準備をしていた。
まあ、彼女がそう言うなら心配ないかと考え直して、僕もまた、授業の準備を始めるのだった。
……キーンコーンカーンコーン
いつものように1日の授業が終わり、放課後を告げるチャイムが鳴った。
クラスメイトたちがぞろぞろと教室を出ていく中、僕と黒影さんだけは教室に残っていた。
それは、日直の仕事をするためだった。
黒板消しを掃除し、黒板の日付を変える。そして日誌を記入したら、先生のところへ持っていく。そういう仕事の流れだった。
「うっ、けほっけほ」
僕は黒板消しを2つ手に持ち、外で互いに叩いて汚れを落とした。空気に舞ったチョークの粉が煙たくて、僕は思わず咳き込んだ。
(さて、と。日付を変えなきゃ)
白のチョークを1本持ち、黒板の端に書かれている日付を書き変える。
(そう言えば、黒影さんと日直になったのは、これが二回目だったかな……)
前回は、僕がうっかり日直の仕事を忘れていて、彼女に全部仕事を代わりにしてもらっていた。
なんだかそれも懐かしいなと思い、僕はふふっと口角が上がった。
「………………」
仕事を終えた僕は、自分の席へと戻る。黒影さんは椅子に座って、日誌を黙々と書いていた。
隣から覗き込むと、もうあと少しで終わるところまで来ているのが伺えた。僕は何も言わずに、彼女が書き終えるのを待っていた。
「………………」
全て書き終えると、彼女はシャーペンを筆箱の中に戻した。
「もう、終わったかな?」
「あ、う、うん、終わったよ」
黒影さんはどこか緊張した声色で、僕にそう答えた。呼吸も浅く、「ふー……ふー……」と、口を少し尖らせて苦しそうにしていた。
そして、やはり朝方から変わりなく、彼女の顔は赤かった。
「……ねえ黒影さん、本当に大丈夫?」
「え?」
「いや、やっぱり顔赤いからさ。熱あるんじゃないかな?」
「………………」
「よかったら、一度保健室……は、ダメか。もうさすがに放課後だし、先生もいないよね。なら、病院に行った方が……」
「白坂、くん」
「ん?」
「今日……ちょっとだけ、時間、くれない、かな?」
「え?う、うん、いいけど……どんな用事かな?」
黒影さんはごくりと生唾を飲んで、がたりと席を立った。
「……えっと、あの、その……」
何やらもごもごと言いよどむ感じで、彼女はなかなか話そうとしてくれなかった。
寒い季節になってきたというのに、額には汗がびっしりついていて、それが頬へと一筋つたっていた。
ザーーーーー……
外の雨音が、教室の中を満たしていた。
黒影さんは震える手で、スカートの裾をぎゅっと掴んでいた。
「し、白坂、くん」
「う、うん。なにかな?」
彼女の緊張感に当てられて、僕も思わずどもってしまった。
「白坂くんって、つ、つつ、付き合ってる人……いる?」
「付き合ってる人?」
「う、うん……」
「えっと、いない、けど……」
な、なんでそんなこと、訊くんだろう。
も、もしかして、告白、とか?
付き合ってる人の有無を問うってことは、そういうこと……かな?
(ど、どうしよう、僕も緊張してきたぞ……)
バクバクと、破裂せんばかりに心臓が脈打つ。身体中が火照って、制服が暑く感じる。
「あ、あの、白坂くん」
「は、はい」
「し、白坂くんは、えっちなこと、好き?」
「え?」
「お、女の子に、えっちなことしたいって、そ、そ、そういうの、思う?」
「………………」
黒影さんからの予想だにしない問いかけに、僕はついぽかんとしてしまった。
「えっちな、こと……?いや、まあ……そりゃ人並みにはあるよ、そういう欲求は」
「ほ、ほんと?ほんとにそう思う?」
食い気味にそう確認してくる黒影さんに気圧されながら、僕は「う、うん」と答えた。
正直、これを答えるのは照れ臭かったけど、こういう場面で嘘はつきたくないと思い、素直に自分の心境を語った。
「よ、よかった。じ、じゃあ……その……」
「………………」
「……白坂、くん」
黒影さんは今までよりもっと顔を赤くしていた。頬はもう茹でたこのようになっていて、耳まで赤く染まっていた。
黒影さんの手は、スカートの裾を掴んでいた。シワが寄るくらいにぎゅっと握り締めていて、それをゆっくりとまくり上げた。
「……!?」
彼女は、僕に向かって、自分のパンツを見せたのだった。
真っ白で無垢なパンツだった。特に施された模様もない、ただただ純白のパンツだった。
スカートはお腹の上くらいまでまくられていて、彼女のおへそがちらりと覗いていた。
「く、黒影さん!?な、なにしてるの!?」
僕は今一度辺りを見渡して、本当に僕らしかいないか確認した。そして、彼女にスカートを元に戻すよう懇願した。
「黒影さん!パンツが、み、見えちゃってるよ!ほら!スカート、下ろさないと……!」
「……興奮、する?」
「え……!?」
頬を真っ赤にした黒影さんは、上目遣いをしながら、僕のことをじっと見つめていた。
「白坂くんは、ボクのパンツで……興奮、できる?」
「な、黒影さん……なにを、言って……」
「ボクのこと、女の子として……見て、くれる?」
「………………」
「ダ、ダメ?ボクじゃ……女の子に、見れない……?」
彼女の声が、次第に弱々しくなっていった。黒影さんの持つ不安と緊張が、まるでさざ波のように僕へと伝わっていた。
「そ、そんなことないよ。僕は……黒影さんのこと、ちゃんと女の子として見てるよ」
僕がそう告げると、黒影さんは口角をひくひくと震わせながら上げていた。そして、漏れ出すように「よ、よかった……」と小さく呟いた。
「ね、ねえ、白坂くん……」
彼女はごくりと生唾を飲んでから、僕へこう言った。
「ボクの、身体、好きにして、いいよ……」
「え……?」
「ボ、ボクにいっぱい、えっちなこと、して、いいよ……」
「………………」
「ボ、ボクの身体なんか、他の女の子に比べたら、全然、魅力的じゃないけど、でも、その……し、白坂くん専用の、身体になるから。なんでも、言うこと、聞くから……」
「せ、専用って……」
「が、学校でもどこでも、白坂くんに求められたら、ちゃんと、応じるよ。好きなだけ、め、命令してくれて、構わないから……」
「待ってよ、僕は別にそんな……」
「ボ、ボクと付き合って欲しいなんて、そんな、おこがましいこと言わないから。つ、都合のいい奴隷にして、いいから」
「ちょ、ちょっと黒影さん、何を言ってるのさ。なんでそこまで僕に……」
「………………」
不意に、彼女の眼から、音もなく涙が流れた。
目の端からぽろぽろと溢れて、それが床に落ちていった。
「黒影……さん……?」
「ご、ごめんね、白坂くん……。迷惑、だよね。いきなりこんなこと、言われても……」
「い、いや……そんな……」
「でもね、ボク、もうこうするしかないんだ。白坂くんに振り向いてもらうには、こうするしか……」
「………………」
「ごめんね、本当にごめんね、白坂くん……」
──ボクなんかが、君のこと好きになって、ごめんね。
……ザーーーーー。
外では、雨が絶えず降り続いていた。 教室の中は、秋の肌寒い空気に満ちていた。
2025年10月30日の出来事だった。




