19.ボクには似合わない
……期末テストが実施される間は、学校に拘束される時間が短い。
午前中の内にテストが2、3科目ほどあって、お昼前には下校となる。
もちろんそれは、ボクたち生徒がテスト勉強に集中できるように、こうした時間割りを組まれている。午後には帰って、早く勉強しなさいと、そういう意味だった。
「なあアキラー!今日俺んちでスパブラしようや!」
「いいな!じゃあ、飯どっかで買って行こうぜ!」
でも、不真面目な生徒からしたら、この時間割りは格好の遊び時間だった。テスト期間初日が終わって放課後になったばかりなのに、遊ぶ約束をしているクラスメイトたちの会話が耳に入ってくる。
こんなのボクからしたら、考えられないことだった。あんなに遊んでばっかりで、親から怒られないんだろうか……?
(えーと、明日は国語と英語と、それから理科か……。早く帰って勉強しないと)
ボクは鞄を背中に背負って、がやがやとざわつく廊下の隅っこで、身体を縮こませながら下駄箱へと向かっていた。
「おいアキラ!早く来いよ!」
「ちょい待てって!お前早いんだよ!」
ドンッ!!
例の不真面目なクラスメイトたちは、走り去ってボクを追い抜かす途中で、ボクの左肩に思い切りぶつかってきた。そのせいでボクは体勢がよろけて、尻餅をついてしまった。
「あたっ!うう……」
だけど、クラスメイトたちはボクの方へは一瞥もくれず、謝罪もなく、嵐のようにその場から慌ただしく離れていった。
「……はあ、もう」
ボクは、ああいうタイプの人が本当に苦手だ。粗暴で荒くて、不真面目で。ああいう性格だったら男女問わず苦手だけど、結構男子に多いタイプだと思う。
パッ、パッ
ボクは右手で、左の肩を払った。別に何か汚れていたわけじゃない。ただ……苦手な人と接触した時は、ボクはそうして触れたところを払うようにしていた。
「黒影さん」
「え?」
ふと見ると、ボクのすぐそばには、白坂くんが立っていた。
彼は心配そうに眉をひそめて、ボクの方へ右手を伸ばしていた。
「大丈夫?黒影さん。立てる?」
「う、うん」
ボクは彼から差し出された手を取って、腰を上げて立ち上がった。
「もしかして、体調悪い?熱とかある?」
「え?」
一瞬、どうしてそんなことを聞くのだろう?と思ったけれど、少し間を置いたらその意味が理解できた。
彼はボクが人にぶつかって、尻餅をついたところを見ていないのだろう。だから、具合が悪くてへたりこんだものと思っている。
「あ、いや、そういうのじゃないから……大丈夫だよ」
「そう?それならいいけど」
白坂くんはそう言いつつも、まだ不安そうな表情は消していなかった。
やっぱり、彼は優しいな。ボクのこといつも気にかけてくれて……。
「………………」
その時、ボクはまだ彼の手を握っていたことに気がついてしまった。
心臓が、バクッ!と揺れた。血の巡りが一気に加速して、全身が途端に熱くなった。
(し、白坂くんの、手!)
ボクはすぐに手を引いて、「ご、ごめん!」と謝った。
「え?なにが?」
でも白坂くんの方は、ボクが謝っている理由がよく分からず、きょとんとしていた。
本当なら、「ずっと手を握ってごめん」と言うべきなんだけど、そのことを口にするだけで、照れるというか、恥ずかしいというか……。
「い、いや、あの、心配かけて、ごめん……」
ようやく白坂くんに答えられたのは、当たり障りのない言葉だった。すると白坂くんは少しだけ頬を緩ませて「ああ、そんなこと」と言った。
「黒影さんが無事なら、とりあえずよかったよ」
「うん」
「それじゃあ、帰ろっか」
「うん」
そうしてボクたちは、いつの間にか一緒に帰る流れになっていた。
こういう風に、自然と一緒になる空気になるのが、まさしく友だちという感じがして、嬉しかった。
……その日の、夜8時半頃。ボクは家の近所にあるコンビニへ行った。
そこでメロンパンひとつと、無糖の炭酸水を買った。実はボクは、メロンパンが大好きだった。この前白坂くんに差し入れした時も、メロンパンを買っていたけど、あれはボクが好きな食べ物を、白坂くんにもあげたいと思ったからだった。
このメロンパンを食べながら、勉強に勤しむ。それがテスト期間中のボクの過ごし方だった。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ~」
背中越しに店員さんの声を聞きながら、ボクはビニール袋を手から下げて、店を出た。
今日は夜になると晴れていて、空には月が見えていた。
その周りに大きな雲が浮かんでいて、それが月を半分ほど隠してしまっていた。
「………………」
『大丈夫?黒影さん。立てる?』
……今日は、人生で初めて、他人と手を繋いでしまった。
いや、手を繋いだって言うのは大袈裟かも知れないけど……自分の手を握ってもらえたのは、初めてだった。
ボクは自分の右手を見つめながら、一人夜道を歩く。
もうこの時間になると、車はほとんど通っておらず、シーンとした道路が広がっているばかりだった。
信号機だけが変わらずに点滅していて、黒い空にぽつんと赤い光が浮かんでいた。
「………………」
……もしかして、と思う。
もしかしてボクは、白坂くんに対して、友だち“以上”の感情を持とうとしてるんじゃないだろうか。
白坂くんのことを、さらに特別に……感じようとしてるんじゃないだろうか。
だって、他の男子に身体を触れられたら、嫌になってしまうのに……白坂くんにはそれがない。
むしろ……。
「……いや、いやいやいや、待ってよボク。そんなのないない。そういうのは違うって」
ボクは自分へ言い聞かせるようにして、そう呟いた。
「ボクには、そういうの似合わない。そんな気持ち持ったって、無駄無駄。バカだなあボクは。ふふふ」
無理やり口許を緩ませて、自分のことを嘲笑する。そうして、強引に考えないようにする。
「白坂くんは、友だち。それだけで、十分だから……」
ボクは右手をぎゅっと握って、自分の胸に押し当てた。ドク、ドクと脈打つ心臓の振動が、手から伝わってきた。
月明かりはぼんやりとしていて、夜道を仄暗く照らしていた。