堕とされた果実⑤
空間を転移するのは久しぶりだった。
多大な負荷がかかるが、怒りに染まった思考はその負荷を認識しない。
まるで米俵でも担ぐように抱えていた果竪を寝台へと降ろす。
半ば放り投げる形となり、果竪の体はコロンと寝台の上を転がった。
それを見ながら寝台に腰を掛ける。
反対側は壁。果竪に逃げ場はない。
けれどそれでも逃げようとするから、寝台へと強引に鎮めてその上に馬乗りになる。
暴れる手足を押さえつけ、ようやく果竪は抵抗を止めた。
「ひっく……えぐ……」
「落ち着きましたか?」
「……っく」
「それで、どうしてあんな事になっていたんですか?」
過去を見たが、それでも分からない事があった。
それはいつどうやって果竪があの男に連れ込まれたかだ。
「教えて下さい」
「あの人は?」
「果竪、私が聞いている事に答えて下さい」
ギリリと抑え付ける手に力が増す。
果竪の口から悲鳴がほとばしる。
痛いのだろう――当たり前だ、痛くしているのだから。
「しゅ、萩波、ご、ごめ」
「ああ、悪い事をしたと思ってるんですか」
「し、心配かけて……でも、私、あれ望んで」
「黙りなさい」
「でも」
「黙りなさいと言っているんです」
ピシャリと言えば果竪は口をつぐむ。
代わりにボロボロと涙が零れおちる。
それからようやく果竪からあの部屋に行くまでの事を聞き出した。
自分が話をつけに行ってすぐに、宿泊していた宿の前で帰りを待っていた果竪の元にあの男は来たのだという。
おばさんの使いだと男は言った。
この前書いた書類で萩波とも話が付いたから、来て欲しいと。
それに果竪は付いていき、あの宿へと連れ込まれた。
溜息が零れた。
「言ったでしょう?知らない人に付いていっては駄目だと」
「で、でも」
「だからあんな目にあう」
可愛い果竪
素直な果竪
けれどその素直さが今は憎らしい
「私が来なかったらどうなっていたと思うんですか?」
「ど、どうにもならないもん」
「果竪?」
今、果竪は何と言ったのか?
どうにもならない?
そんな馬鹿な事がある筈がない
現に果竪は襲われかけていた
「だって、あれは私が望んだことだもの」
「果竪」
「どうして……どうして邪魔したの?」
果竪はキッと自分を睨む。
「あのままあの人の言う事を聞いていれば、みんな幸せになれたのにっ」
「果竪!!」
「それしか出来ないの!!私にはそれしかっ!」
「何を言うんですかっ」
「だってみんな不幸になるもん!!私がいるから、私のせいで……萩波だって他の人からの結婚話を断って悪い立場に立たされて」
「結婚話に関しては単純に相手を好ましく思えないので断っているんですよ」
「でも、その人達と結婚したら萩波はもっと楽になるよ!!軍も沢山支援されて、みんなもっと楽になる」
「それはどうでしょうか?」
寧ろ支援者達の好き放題に軍を利用されるかもしれない。
理想も夢も全てを握りつぶされて。
「きっと楽になるよっ」
「果竪……」
「子供扱いしないでっ」
聞き分けのない子を宥めるような自分の口調に果竪が怒鳴り散らす。
「子供を子供扱いして何が悪いんですか?」
「もう子供じゃないもんっ」
「子供ですよ」
「違う!!自分の事ぐらい自分で決められるっ」
「その結果がこれですか?」
「なんでそんな風に言うの?あの人はただ私の事を思って」
その言葉にカッとした。
「果竪の事を思ってする事が人身売買ですか?!」
「え?」
「あの男もおばさんも、貴方を売り飛ばそうとしていたんですよっ!!」
自分の言葉がどれほど果竪を傷つけるかだなんて構っていられない。
ただ苛立つ感情のままに全てをぶちまける。
信じていた人の本当の姿に果竪の瞳に宿る光が弱々しくなった。
「嘘……」
「嘘ではありませんよ」
「だって……おばさんは、私の事」
「甘い言葉を吐く者ほど信用なりませんよ」
それは自分が村を出てから人一倍身に染みて分かった事だ。
甘い言葉をかけられたらすぐにその裏を疑え。
それが自分が学んだ事の一つである。
「大抵甘い言葉を沢山吐く相手は探られたくない腹があるんですよ。良いことを言って相手を良いように利用する為の道具でしかない」
「それは……萩波もじゃない」
「え?」
「萩波だって、私に良いことしか言わないじゃないっ」
果竪の叫びに今度はこちらが言葉を失う番だった。
「大丈夫だから、何も問題ないからって……本当は問題沢山あるじゃんっ!!みんな凄く大変な立場に立たされてるじゃないっ!!なのに誰もそれを言わないで……私が子供だから?私が役に立たないから?!」
「果竪、それは違うっ」
「違わない!!どうして何も言ってくれないの?私が役立たずだからでしょう?頭も悪くて護身術も満足に出来ない、そのうえ力もすっごく弱い落ちこぼれだもの、私はっ!!」
果竪が泣きながら言う。
「何も出来ない、何の役にも立てない、それどころかみんなが戦っている時に私は安全なところで守られてるだけ!!ただの穀潰しじゃない!!おばさんの甥の人が言ってたとおり、私はみんなを不幸にするだけなのよっ」
そんな事ない
しかしその言葉は音となって出る事はなかった
果竪に何も伝えないのはその必要がないからだ
寧ろ、そんな雑音を果竪の耳には入れたくない
そう皆が考えるから、敢て誰も伝えない
過保護だと思うなら笑えばよかった
それに、果竪が役立たずだなんてとんでもない
軍の誰に聞いてもそう答えるだろう
だが、果竪だけはそれを信じてくれない
今回の件の発端となった領主やあの奴隷商人達だけではない
ずっと前から吹き込まれていた毒は強固に果竪の心にこびりつき、今も毒をまき散らしている。
本当はその事にはずっと前から気付いていた。
けれど、誰も何も言わなかった。
全ては卑怯な心から。
みんなが自分を役立たずだと思っている
だから誰も自分を必要としない
そう思わせて手を差し伸べる
そうすればきっとすぐに果竪は自分達の手を取ってくれる
その心を開いてくれる
何処か壊れた皆はそう思い、敢て吹き込まれる毒を見て見ぬふりしていた
あまりに酷い時だけ裏で始末する
けれど、今の果竪は自分達すらも拒絶していた
果竪に拒絶される
そんな事、冗談じゃない
「もうやだっ!やだやだっ!!」
「果竪、落ち着いてっ」
「みんなを不幸にする自分なんて大嫌い!こんな、こんな……何処かに行きたいっ」
「果竪!!」
一際暴れる果竪に戸惑いながらも宥めるように囁く。
「少し休みましょう。疲れてるだけですよ……休んで何処かに遊びに行きましょう、果竪。そうだ、この近くに綺麗な湖があるんですよ。そこで」
「みんなとは行かないっ」
「果竪?」
「一人で、一人で行くのっ!私は、一人で……一人で此処に残るっ」
「果竪、そんな事は許しませんよ!!」
「許さなくてもみんなとはもう行かない!!」
もう一緒に行かないと泣き続ける果竪に、自分の中の黒いものがどんどん体積を増していく。
やめてくれ、このまま膨らめば自分は
「果竪、すいません。怒りすぎました……恐い思いをしたのに配慮が足りませんでした」
どうにか宥めようとするが、その手も振り払われる。
まるで、傍に居るなと言うように。
そして
「私、何が何でも一人で此処に残るのっ!!出来ないと思ったら大間違いだもん!!誰が何と言おうとっ!!あの人が言ってた。自分が今からやる事さえすればそれが出来るって、だからそれをやれば――」
そしてまた他の男に
あの男にのしかかられている果竪の光景が蘇る。
また他の男に
服をはぎ取られ、その肌を晒す果竪の姿が脳裏を焼き尽くす。
もしあの時自分が間に合わなければ
果竪お前は今後も俺に同じ苦しみを、それ以上の苦しみを
ソノカラダヲアケワタソウトスルノカ?
アタエルノカ?!
自分の中で何かが壊れた音がした
それまで抑え付けていたものが一気にふくれ出す
それは全身を駆け巡り、心を浸食する
ああ果竪
君がいけないんだよ?
そんな事を言わなければまだまだ優しいままで居られたのに
果竪は自分から離れたい
自分達を不幸にしたくないから
でも果竪が傍に居なくなる事の方が不幸
幸せになるには果竪が傍に居なくてはならない
ねえ?果竪
お前は前に言ったよな?誰にでも幸せになれる権利があるって
ならば俺が幸せになるために協力してくれ
愛する人と共に生きる幸せを
愛する者が傍に居てくれる幸せを
俺が手に入れる為に
「萩波?」
怯える果竪の顔が見える。
ああ、怯えてるのか?
大丈夫、恐くないから
怯えた様子の果竪に自分は言う
「大丈夫、何も恐くないですよ」
宥めて微笑んで
けれど果竪は逃げようとする
「やだ、恐いっ!!やだぁぁっ」
「大丈夫、恐くないですから。それに果竪は大人なんでしょう?」
「おとな?」
ゆったりと笑い、果竪と視線をあわす。
「ええ、大人ですよ。そして大人にはしなければならない事があるんですよ」
「な、何を……」
「とっても大切な事です」
「や、やだっ」
「その言葉は聞きたくありません。あの男とはできるのでしょう?他の男とも出来るのでしょう?」
「しゅ、萩波?」
「男ならば誰でもいい。ならば私とも出来る筈」
「な、何?出来るって……」
「ああ、そうですね……果竪は分かりませんよね。分からないのに、出来ると言い、自分を大人だと言う。ふふ、子供だから見逃してあげたんですけどね」
「や、やめて……離してっ」
「もう遅いですよ。果竪、貴方が選んだんです」
「やだやだぁぁ!!」
「果竪、確かにあの男が言う方法は私達から離れる方法として有効ではありますよ」
果竪が暴れるのを止めて自分を凝視する。
「でも、所詮それは可能性の一つでしかなく、私達には通用しない方法です。何故なら、たとえそうなっても果竪は私達から離れられない」
「ど、どうして?」
「他の男のものになろうと関係ないからですよ――相手を殺して奪い返せばいい。ああ、運が良かったですね?もし本当にそうなってたら相手を殺してましたよ。勿論、この先も同じ。他の男とそんな事をすれば地の果てまでも追いかけて相手を殺します」
「や、やめて……なんでそんな……酷い事」
「それをさせるのは果竪です」
「私……」
「そう、果竪がそれをさせるんですよ……そんな酷い事を」
「私……のせい……」
そう、果竪が離れれば酷い事をする
だから離れないで
離れたら何をするか分からないから
「そしてもう一つ教えてあげます。あの男の言った方法にはもう一つ使い道があるんです」
「つ、つかい……みち?」
「そう。あの男の言った方法はどんな男とも出来る方法。つまり、私ともね」
「しゅ、萩波と?」
「ええ。そしてもし私と行った場合は……二度と離れられなくなるんですよ」
「っ?!」
「だって、これをするという事はその人のものになる。ほら、自分の名前を書いたものは自分のもの。ずっと持ち歩くのがこのご時世ですから」
明睡あたりが聞けばとんでもない乱暴な話だと言うかもしれない。
けど、構わない。
「これをすると言う事は、その男の人のものになる。だから、果竪は私のものになる。ずっと一緒に居るんです」
「一緒……やだ…」
「残念ですね、それは聞けないんですよ」
「やだやだ!!萩波、離してぇぇっ!!」
泣き叫ぶ果竪を抑え付け腕を万歳するようにベッドの柵に縛り付ける。
「ほどいて、やだ、やだよぉ!!」
「大丈夫、痛くしませんから。逆に暴れると痛いですよ」
痛いという言葉に果竪の動きは止まるが、すぐにまた暴れ出す。
だが、両手首を柵に縛り付けられ、自分に馬乗りになられている状態では逃げられはしない。
念のために外に音が漏れないように結界も張る。
既に夜は遅いが、他の者達が起き出してしまっては面倒になる。
服に手をかけ、一気に破り捨てようとした時だった。
「駄目、しちゃ駄目!!離れなきゃならないの!!じゃないと不幸になる、みんな死んじゃうっ!」
「だから、不幸になんて」
「もう大好きな人達に死んで欲しくないのっ!!」
果竪の叫びに凍り付く。
果竪が自分達から離れようとする理由
不幸になるから
死んで欲しくないから
そしてその先に繋がるのは――無くした家族や村の二の舞にしたくないから
「無くしたくないの……一緒に居たい、でもそれでみんなが苦しくなるぐらいならやだ……」
「果竪……」
「それに私と居ればみんなが汚くなる、ケガレルって言ってた」
それも、果竪を馬鹿にする者達が言った言葉だ。
自分達が綺麗?果竪といる事で穢れる?
寧ろその逆である。
でも、果竪は自分達と居ても穢れることはない。
綺麗なまま
それどころか自分達を綺麗にしてくれる
汚く汚れていく自分達を
だからみんなが果竪の傍に居付く
そう――果竪が傍に居てくれなければ自分達はどんどん穢れていく
「大丈夫、死にません。大切なものを残しては死なない」
「ひっく……死なない?」
「ええ、死にません。大切なものがあればあるほど。だから、その大切なものになって下さい」
「大切なもの?」
「たとえ死にかけても、根性で戻って来られるように、死神を殴り倒してでも帰って来られるぐらいに」
「無理、私、無理……だって私、離れなきゃ、だって私がみんなを」
「大丈夫、たとえそうでも変われるんですよ」
自分が優しい王子様を演じる事が出来たように
ボロボロと泣く果竪に優しく微笑みかける。
優しい果竪
素直な果竪
全てを喪い、泣く代わりに笑い、それでいて前よりも子供っぽくなった
それらは全て喪ったものから心を守る代償
けれどそれでも果竪は前を向き続ける
一生懸命に走り続け、更にその優しい心を磨いていく
自分達の側を離れると言ったのも全てその優しさゆえ
けれど今はその優しさが、素直さが酷く腹立たしい
無知が、無邪気さが時には人を傷つけるように
その優しさが自分達を傷つける
でも――手放せない
暗闇の中でただ一つ見つけた光だから
「萩波――んっ!」
深く口づける。
顎をとり、顔を固定しその口内を貪り尽くす。
怯え逃げようとする舌を絡め取り、丹念に愛撫する。
もうここで止めようとは思わない。
その全てを手に入れる。
他の者達には怒られるだろう
幼い果竪
まだ性欲のなんたるかも理解していない
でも、この先同じ事があるぐらいなら
だってきっと同じような事はあるから
だからその時に何か言われても、果竪が今回と同じように逃げようとしても逃げられないように
重たい枷を付けてしまおう
一つ目の枷は付けた
婚姻と言う名の枷
そして今、二つ目の枷をつける
枷は多ければ多いほど良い
その為には自分の子供だって利用する
今は無理でも、年頃になったその時に更に自分は枷をつけよう
どんな嵐でも落ちることなく成熟の時を待つ果実
それを今この手に堕とそう
その夜、一つの果実が堕とされる
その果実の名は果竪
まだ青く硬い、けれど豊潤な香を放つそれは罪深い一人の男の手に堕ちた
さしずめ、花盗人の果実版か?
いや違う
何故なら花盗人は綺麗に咲き誇る花を盗む
けれど自分はまだ蕾、熟れる前の果実をその手に堕としたのだから
萩波編はまだ続きます