堕とされた果実③
『堕とされた果実③』
「村………」
呟く果竪に自分は何気なく問いかける。
後で思えばこの時の質問が全ての明暗を分けたのだと思う。
「村の話はまだ辛いですか?」
「う、ううん………うん、まだちょっとね」
その様子ではちょっとなんて話ではない。
必死に涙を我慢する姿に話題を誤った事を思い知る。
自分はその時既に母は居なかったが、それでも村の者達を喪った。
果竪は住む場所も家族も親しい人達も全て喪った。
まだ此処につれて来たばかりの頃は夜に何度か悲鳴を上げて飛び起きていた。
その後は泣き続けるという事を繰り返す。
それに周囲が心配している事が分かれば、声を押し殺して泣いた。
それが見てられなくて、最初の頃は自分が一緒に寝たりしていたが、そのうちに明燐が果竪と一緒に眠るようになった。
言うなれば明燐の役目を取られてしまったようなものだが、それでも男の自分が共に眠るよりはよっぽど果竪の負担は少ないだろうと納得させた。
村に攻め入ってきた者達は男。
村の女達を穢そうとし、死に追いやった者達も男。
果竪はしばらくの間、無意識に男というものを怖がっていた。
それでも最近はようやく慣れてきたのか仲間達には男女関係なくひっついたり抱きついたりするほどまで回復している。
おかげで明睡にはこのままじゃ女として危険だとまで心配されているが。
まあ自分としても他の男にくっつくのは面白くない。
「楽しかったよね」
「そうですね」
村に居た時の事を思い出し呟く果竪に微笑み同意する。
「私ね……小さい頃、大きくなってもずっと村で生活すると思ってたの。ずっとずっとこの小さな村で、自給自足してね……まあ、時には他の村にもちょっと行って……でも、後は村で過ごすんだって」
果竪がぽつりぽつりと呟く。
「大きな街や都の話とか聞いて、他の村ではそっちに憧れる若者も多いって聞いたし私も一度ぐらい行ってみたいと思った。でも、それだけだった」
「それだけあの村は素晴らしかったんですから当然です」
「うん……だから、こうして色々な場所を巡る生活を自分がするだなんて想像もしてなかった」
「……辛いですか?」
果竪がそんな生活をするようになったのは村がなくなった為。
自分達に連れられ、軍の進行と共に今まであちこちを渡り歩いてきた。
それまで見た事のなかった海も平原も見た。
それは村に居れば見る事の出来なかった光景、そして経験。
「辛くはないよ。色々な経験が出来たし、みんなも優しくて楽しかった。でも色々な場所知るほどに、ああ、私って田舎もんだな~って思うの」
「果竪……」
「あ、別にひがんでるとかそんなんじゃなくって!!ただの事実。だって村は本当に山深い所にあったじゃん!!で、村のみんなも全然読み書きとかも出来なくって」
「そんなものは練習すれば出来ます」
「そ、そうだけど……でも、他の街の人達とかは本当に凄くて……比べて私は野暮ったくて地味だし、全然可愛くないし、田舎娘だし」
「他は他。果竪は可愛いですよ」
「しゅ、萩波っ?!」
顔を真っ赤にする姿は可愛らしかった。
でも、ダマされない。
「果竪、何かあったんですか?」
「……………………別に」
「果竪、こっちを見て」
そう言うと強引に果竪を自分の方に向かせる。
「何か隠し事をしている事ぐらい分かるんですよ?」
「う~~」
「ほら、白状して下さい。また誰かに何か言われたんですか?」
果竪が自分を卑下するような事は他の者の前では滅多に言わない。
他の者達に馬鹿にされようと罵倒されようと、誹謗中傷されても絶対にめげたりしない。
けれど……時折こうして自分を卑下にする事がある。
それを見せるのは自分を含め、後は明燐の前ぐらいである。
それはつまり本当に心を許して貰っているという優越感に浸れるが、それと同じぐらい果竪を卑屈にさせる者に腹立たしさを覚える。
お前達に一体何が分かるのだと
だが、わざわざ果竪の魅力を伝える気はない
寧ろ死ぬまで知らずに冥界に旅だって欲しいとすら思っている
「あ…………うんと」
「ん?」
「………萩波はこの街にあとどれくらい滞在するの?」
「え?」
「また別の場所に行くんだよね?」
「果竪?」
「分かってる。萩波達は他のみんなの為にも早くこの混乱を収める為に頑張ってるんだもん……だから……」
「何が……あったんですか?」
果竪はしばらく口を開かなかった。
それでも根気よく待ち続けると、ようやく口を開く。
そこから出た言葉は全く予想していないものだった。
「私……この街に残る」
「え?」
「この街で……暮らしてく」
「か……じゅ?」
その言葉の意味を理解した時、足下がガラガラと崩れていくようだった。
「ご、ごめんなさいっ!!突然こんな事言って………我儘だって分かってる、でも」
「この生活が辛いんですか?」
「ち、違う」
「ならば誰か気にくわないものでも?」
「そんな人いるわけないよっ!!みんな優しいもん!明燐も明睡も茨戯も朱詩も他のみんなも全員大好き!!」
「では何故?どうして突然そんな事を言うんですか?」
「それは………」
言い淀む果竪に焦燥感と戸惑いが入り交じる。
何故?
何故そんな事を言い出すのだ?!
わけが分からなかった
だが、少しして突然ハッとひらめく
「誰かが何か言ったんですか?」
「あ………」
「そうなんですね?誰です?」
「ち、違う」
「違わないっ!!」
自分の怒鳴り声に果竪がビクリと体を震わせる。
怯えた様子にハッとし自分を抑え付ける。
「果竪、教えて下さい」
「違うの……」
「違う?」
「た、確かに突然言った形になったけど……でも、ずっと考えてたの」
「………………………」
「私は……すんごい田舎の出身で、武術も術も満足に出来なければ読み書きも満足に出来なくて……」
「読み書きは今練習してるでしょう?武術や術も練習すればいい。いや、必ずしも武術や術ず出来る必要はありません」
「そんなこと無い。だって、私がお世話になってる所は軍で、その軍は戦いをするわ。戦いには武術や術の腕前が必要になるし、勉強だって出来なきゃならない。でも、私はそのどれも駄目だもの」
「何も戦場に立って戦うだけが全てじゃないですよ。後方支援も大切な事です。果竪は皆のために料理をしたり繕い物をしたりしてくれるではないですか」
「そんなこと、他のみんなだって出来る。みんな本当に凄いもの」
「それは果竪の考えすぎですよ」
「考え過ぎなんかじゃない……どんなに頑張っても私には追いつけない」
確かに、軍の者達は皆優れてはいるだろう。
文武、芸事、政治、そして家事手伝いまで。
けれどあいつらには決定的に欠けているものがある。
それを果竪は持っている。
いや、それ以前に果竪がこの街に残るだなんて認められない。
だって――ずっと傍に居ると約束したではないか!!
「果竪……果竪が自分をどう思っているのかは果竪にしか分かりません。ですが、私達は果竪の事が必要です。ずっと一緒にいて欲しいです」
「萩波……ありがとう、凄く嬉しい。でも……」
「それとも戦いが恐いですか?」
もしやそれもあるのだろうか?
いや、あるだろう。
敵との戦いはそれこそ殺し合いである。
相手は自分達を殺そうと来るし、自分達も相手を殺しに行く。
返り血を大量に浴びたまま帰還した時には、幼少組が気絶したぐらいだ。
ああ、でも果竪だけはしっかりと自分達を見ていた。
目を逸らすこと無く
「違う、違うの」
「言って下さい。何が不満なのかを」
なおすから
気にくわないものがあるのなら努力するから
だから傍に居て
「駄目なの、一緒にいられないの」
「果竪」
「だ、大丈夫だよ!!この街に残っても施設とかに行くわけじゃない!養女にって話があるの」
「え?」
「わ、私の事凄く気に入ってくれて!!お、お仕事とか手伝ったから……それで、私が孤児だって知ったその人達が私の事を養女にって……」
「養女……」
「そこの家ね、子供が居ないの!!だからきっと実の娘のように可愛がってくれる!!凄くいい人達だし!!それにそれに、その家は伝統工芸をやってて跡継ぎが居なかったらそれが絶えちゃうの!!それってもの凄い損失だよね!!絶対に許されない事だよっ」
果竪が矢継ぎ早に言う理由に吐き気がした。
伝統工芸?そんなもの絶えるならば絶えればいい
跡継ぎがいない?だからと言って何故果竪に目を付ける?
別の何処かの娘でも勝手に跡継ぎにすればいい
けれど、そんな苛立ちはまだまだ生ぬるかった事を、果竪の次の言葉で思い知った。
自分を
奈落の底へと叩き落す言葉
「あ、でも女の人は伝統工芸継げなくて、だから――養女になって年頃になったら婿養子を取らなきゃならなくて……その……その家のおばさんの甥っ子と婚約する事になるんだけど……」
婚約?
「あ、する事っていうのはおかしいのか。もう婚約届けに記入しちゃったし」
記入?
婚約届け?
それはつまり
「記入……したんですか?本当に?」
「う、うん。養女の件は手続きとかが面倒だからすぐ出来ないけど、先にこっちは書けるから名前を書いてって……」
萩波?と果竪が自分を呼ぶ声が聞こえた。
だが、果竪の顔は見えない。
怒りで目の前が真っ赤に染まる。
果竪が別の男と婚約
そして年頃になれば結婚する
果竪が
果竪が傍から居なくなるっ!!しかも他の男のものになるっ!!
「萩波、勝手なことしてごめんなさい。でも、こうする方が良いっておばさんも」
「?!」
「ごめんなさい、不幸者で!!萩波は今まで沢山の事をしてくれたのに……私を拾って、あの地獄から救い出してくれたのに何も恩返しないままにこんな事言い出して」
「………そのおばさんが言ったんですか?」
「え?う、うん」
「そうですか……自分達の養女になった方がいいと、婚約した方がいいと」
自分の言葉に果竪が頷く。
にっこりと微笑めば、果竪はほっとしたように色々と話してくれた。
そのどれもが聞くに堪えないものばかり。
そのおばさんは狡猾だった。
自分達の跡継ぎを手に入れる為に果竪に目を付けるや否や、果竪にある事ない事を吹き込んでいる。
すなわち、田舎出身者の果竪が自分達と一緒に居るのは酷く肩身が狭いだろうと
読み書きすら満足に出来ない状態であれば軍では寧ろ厄介者になる
今は大丈夫に見えてもそれは自分達が我慢しているだけであって、そのうちきっと不幸になる
何の能力もない、地位も身分もないんだから軍に居ては駄目だ
この街に残り、自分達の養女となって暮らしていく事が幸せなのだと
そのおばさんは何度も何度も果竪に毒を吹き込んだ
柔らかく優しい毒を
気付かれないように少しずつ、それでいて確実に果竪が自分を厄介ものだと思い込ませて
優しく宥めながらも果竪を貶し、馬鹿にし、自分達の傍に居るのは相応しくないという
自分達が果竪を厄介者だと思っているのだと強く思わせて
そうして自分達の都合の良いように書類にサインをさせた
でも……それをそのまま許す筈もない
「果竪」
「な、なに?」
「一つ大切な事を忘れています」
「え?」
「一応、果竪の保護者は私です。そういう養女や婚約関係の書類にはまだ未成年の果竪の場合は保護者のサインが必要なんですよ」
「そ、そうなの?!」
「そうですよ」
それは本当だ。
但し、自分のサインでは無理だろうが。
自分もまだ未成年――16歳である。
だが法律を無視してるのは向こうも一緒だ。
こちらに何の話もなく、世間知らずな果竪を騙してサインさせた。
しかも保護者のサインが必要だという事を隠して。
ならば自分もそれ相応の手段を取らせてもらうまで
「じゃあ、萩波にも書いて貰わないと駄目って事なんだね?」
「そうですね」
書くつもりなどないですが
そんな書類、寧ろ燃やしてくれる
「とりあえず、その書類を見せて貰いましょう」
「え?」
「私のサインが必要だと言うならばどこを書けばいいのか見せて貰わなければ」
「そ、そうだね……あの、認めてくれたの?」
「まだ完全には」
「そ、そう……でも、少しは認めてくれたって事だよね?!」
「まあ、お話を聞けば果竪の事を本当に思ってくれているようですし……但し、色々とお話しなければ。突然の事ですからね」
「そ、そうだね……」
「せめて書類にサインする前に教えて貰いたかったですよ」
「ごめんなさい……すぐにサインしてって言われたし、みんなには内緒にしてねって……」
ああ、やはりそのおばさんは信用出来ない
「そうですか……でも、下手したら書類、全部書き直しの可能性もありますよ」
「えぇ?!せ、せっかく綺麗に名前を書けたのに」
「そうなんですか?」
「うん!!今までで一番綺麗に書けたよ」
笑顔の果竪を目にし、自分の力が危うく暴走しかける。
慌てて抑え付けるが窓硝子に罅が入った。
今までで一番きちんと書けたのが、他の男との婚約届け?
そのおばさんと、甥っ子に殺意を抱いたのは言うまでもない。
「毎日の練習の成果ですね。私みたいです」
「いいよ~」
そう言うと、果竪が紙とペンを探し始める。
「あ、これに書いて下さい」
さりげなく取り出した紙を果竪の前に出す。
「これ……なんか色々書いてある」
「いらない書類です。この枠の部分に名前を書いて下さい」
「え……でも」
「練習ですよ」
にっこりと微笑めば、果竪は少し戸惑いながらも自分を納得させるようにペンを手にとり言われたとおりそこに自分の名前を記載する。
「それで、こっちに拇印を押します」
自分の言うとおりに拇印を押させる――血判で。
「ありがとうございます。完璧ですよ。これで本番もばっちりですね」
嬉しそうに笑う果竪に微笑みながら、本番などない事を嘲笑う。
何故ならこれが本番。
この先、同じような書類を書くことは二度と無いだろう。
受取った書類に目を通す。
そこには果竪の名前と血判。その隣には自分の名前と血判がある。
前に騙して保護者欄にサインさせたうちの軍の成人組しかも夫婦の名前も記載されている。
いつか果竪に書いてもらおうと用意していたものだが、こうして役立つとは思わなかった
婚姻届
ああ、果竪が字を読めなくて良かった
きっと字が読めたら絶対に書かなかっただろうから
「おばさんは凄く優しい人なの!!」
「それは楽しみですね」
にっこりと微笑みながら心の中で吐き捨てる。
ならばそのまがい物の優しさの仮面を引っぺがしてみせよう
きっとさぞや愉快なものが見れるはず
そうして密かな決意を心に秘め、翌日自分はそのおばさんの元へと向かったのだった
ただ――
その時、自分は夢にも思っていなかった
まさか、その後にあんなものを見るなんてこれっぽっちも予想せずに
後悔した
もしあの時果竪を連れて行けば
いや、誰かに果竪を任していれば
自分は優しいままで居られただろう
せめて見かけだけでも優しい王子様のままで