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堕とされた果実②


恋心を自覚した後の自分は非常に狡猾だった。



幼い果竪が何時ものように自分を見上げてくる。

手を差し出しその手を取った自分は果竪の目線に合わせて囁いた。




――果竪



――なあに?



――俺は果竪の事が好きだよ



――本当?!果竪も萩波の事が大好き!





その言葉に笑顔を浮かべながら内心落胆の溜息をつく。




果竪の好きは友達としての好き



異性の好きではない



まだ幼いから仕方ないが、だからといってこのままにはしておけない



この村に来て分かったが、果竪の事を気に入る少年は結構居たから……




だから――




――なら、果竪はずっと俺の傍に居なきゃならないね



――ずっと?



――そう、好きな人の傍にはずっと居なきゃならないんだ



――そうなの?



――だって果竪の父上と母上も一緒にいるだろう?



――うん!!おとうさんとおかあさんはなかよしなの



――そうだね……仲良しで愛し合ってるから傍に居るんだ



――あいしあうってなあに?



――好きの中でも一番好きな事だよ



――じゃあ、わたしは萩波のことあいしてるんだね!




果竪の言葉に笑みが浮かぶ。

きちんとした意味は分かっていない。でも果竪の口からその言葉が出てきた事に至福を感じる。



――そうだね、愛してるんだよ



――萩波は?



――俺も愛してるよ




幼い果竪にその言葉を囁く。

何度も何度も、この言葉が果竪を戒め絡め取るように。




――果竪は萩波をあいしてる!!



――うん、愛してる




そう、だから




――絶対に離れちゃ駄目なんだ





真っ黒な自分。

冷酷な心を持つ自分。物心ついた時には既に自分が見た目のような天使でも清らかでもなく、寧ろ狡猾で冷たく怜悧冷徹という冷酷な一面がある事を知っていた。



それでもあの村に居る時は優しい仮面を被ることが出来た。




――萩波、お母さんは元気かい?



――ほら、これ持ってっておあげ



――頑張り過ぎて無理すんじゃねぇぞ





優しい大人達に囲まれて暮らした幸せな日々




春には菜の花畑で花摘みをし、夏には近くの小川で魚釣りをした



秋には黄金色に輝く小麦畑の中を歩いた



そして――自分が初めて村に来た冬の季節は、村の子供達と一日中雪山を駆け回った




決してその手が離されないように果竪の手をしっかりと握りしめながら



けれど



後にその手は離される




迫り来る戦火から第二の故郷を守る為に離さざるをえなかった




――村を捨てる?



それは密かに呼ばれた村長によって伝えられた。

自分の他にも数人呼ばれ、彼らも一様に驚いていた。



――村長、何故?



――村人を守る為じゃ。戦火は少しずつこの村にも迫ってきてる



――だからと言って捨てて何処に行くんですか?確かに戦火は迫ってきてますが、この時代戦火が及んでいない場所などない。何処にも逃げ場なんて。



村人はそう多くはない。

けれど、全員が移動するとなれば大所帯になるだろうし、敵にとって格好の獲物となる。

それどころか夜盗や山賊なども自分達を狙うだろう。



――そうじゃ……逃げ場なんて何処にもなかろう。だが、ここに居ればそのうち皆殺しになる。



――村長



――既に近隣の村では幾つか村を捨てている。此処も……後保って4,5年じゃろう。




そう言った村長の悲しげな顔は今でも覚えて居る。

住んでいた村を捨てるのだ。悲しくないわけがない。


村長は優秀だった。

4,5年しか保たないと言っていたのを10年も保たせた。

一方、自分は10年以内に戻れなかった。



――けど、この村を捨てたくない



――そうだよ!!ここは俺達の故郷だっ!それをどうして……



他の青年達が言う。

小さいけれど、ここには優しい思い出が沢山詰まっている。

どこの村よりも素晴らしい、世界一の村だと皆が自負する。



だから守る為に村から姿を消すことにした。

此処に居ては村を守れない、村を守る為の力を手に入れる為には外でその力を手に入れるしかない。



敵が決して攻め入られないような、確固たる力を



その場に居る者達だけに伝えた。

彼らは自分達の胸にそれを仕舞い込んだ。



もし失敗した時に、自分がこの村出身だとばれないようにする為に。




――行くのかい?



それでも果竪の両親にはばれた。

最後に果竪の顔を見に来た自分に感じるものがあったのだろう。



――無事に帰ってくるんだよ。此処も、君の故郷なんだからね。



みんな待ってるから



そう告げる果竪の両親に必ずこの村を守ろうと思った



何事もなければこの村に骨を埋める覚悟だった




――家族の仇を討とうなど思わぬ事。貴方は貴方自身の幸せを掴みなさい。



母は最後まで自分にそう言った。

自分から全てを奪った奴らへの憎悪は今だ無くならない。

殺してやりたいと、めちゃくちゃにしてやりたいと思う。

その為には何だってしてやる――そう心に抱き続けていた。


けれど、その憎悪への復讐だけに囚われず別の幸せの道を選ぶことを母は望んだ。

それを選ぶには酷く苦労した。

ともすれば憎しみに心を飲まれそうになった。

平和な田舎の村に居ながらも、常に文武共に鍛錬を欠かさなかったのもそれが原因かもしれない。



自身を磨くだけではなく、奴らを殺す為に武術を磨き学問を学ぶ。

それをただ自身を磨く為だけと自身を律するには自分を殺すしかない。

けれど、いつしかそれも苦もなく行えるようになった。

もともと自分を偽る事に優れていた事もあったかもしれない。



だが一番の理由は、自分に一生懸命に学問や武術を教えてくれる村人達を悲しませない為だ。



普通、田舎で満足に物資のない小さな村では満足な勉強は出来ない。

ましてや武術の鍛錬も出来やしない。


けれどそれとは裏腹に自分は学ぶ事では非常に恵まれていた。

村長をはじめ、村の老人達が良い教師となってくれたからだ。

皆、昔は都に居たらしく、村長は学者をしており、他の皆も何かしら一芸に秀でていた。

その上、村長は沢山の書物を地下室へと置いていた。

どれも珍しい書物。


それらを使って学び、また武術や術の使い方も何割かは老人達に、残りは自己流で学んだ。


それこそ、田舎の村とは思えないほどに恵まれた学びの環境。


とはいえ、はっきりいってそこまで勉強したのは自分ぐらいだろう。

村には確かに学ぶ為のものが多かったが、肝心の村の子供達の殆どは読み書きも満足に出来なかった。




この田舎の村では必要ない




そう言って笑う大人達。



でも、自分が学ぶ時には真摯に教えてくれた。



それはいつか自分が此処を離れるのだとまるで知っていたかのように



実際に村を離れて、村人達が自分に叩き込んでくれた学問、武術、礼儀作法及教養共にレベルも恐ろしいほどに高いものだった事が分かった




ならばせめてその力を村のために役立てたかった







最後に会った果竪は自分が村を離れる事など全く気付かないらしく、何時ものように駆け寄ってきた



――あのね、明日はみんなで魚釣りするのっ!!



それに自分が来るのだと信じて疑わないように




それから暫く話をした。

すると、父親が近隣の村から手に入れた本を差し出してきた。

それは、その本を読んでという意思表示。



最後になるからと読んだ本は、王子様が村娘を見初めて花嫁にする物語だった




――そうして二人はいつまでも幸せに暮らしました



――いいな~、私もそんな風に素敵な王子様が迎えに来て欲しいな



――王子様……果竪は王子様と結婚したいのか?



――うん!この物語の王子様みたいに強くて優しくて頼もしい人が良いな~!




物語の王子様は柔らかい物腰と優しく丁寧な口調をしていた



美しく上品で、それでいて文武にも秀でた女の子ならば誰もが夢見る理想の王子様




身分も地位も財力も全て揃っている王子――ああ、俺とは対照的だ




――私にもそういう人が現れるかなぁ~




そうか……果竪は物語の王子みたいなのが好きなのか



ならば、自分が物語の王子のようになったならば傍に居てくれるだろうか?




愛してくれるだろうか?




――明日も沢山遊ぼうね!!あ、畑仕事終ってからだけど




にこにこと自分を見上げる果竪にそっと微笑む。



明日の今頃にはもう此処にはいない。

どれだけの別れになるか分からない。



果竪は泣くだろうか?



もしかしたら、自分がいない間に村の男が果竪に言い寄るかも知れない。

所詮遠くにいる男よりも近くに居て優しくしてくれる相手の方が良いだろう。



ならば、例え別の男が言い寄っててもすぐに来てくれるように



自分が戻ってきたらすぐに傍に駆けて来てくれるように



自分は果竪の望むような存在になろう




柔らかい物腰と優しく丁寧な口調



美しく文武に秀で、身分も地位も財力も持ち合わせた誰もが理想とする王子様




離れるせめてものお詫びに、果竪の望む優しい王子様になろう





そして自分はその日の夜に村を出た



それから十年近く、自分は村を守る力を手に入れる為にかけずり回った




沢山の屈辱的な事があり、辛苦をなめさせられ、それでも必死にかけずり回った




それでもいつしか一軍を率いる身となり、そろそろ故郷に戻ろうかという時にその報せを聞いた





故郷は焼き払われ優しい人達は惨殺された



果竪唯一人残して



憎悪に染まる醜い自分



共に駆けつけた仲間達ですらその顔を恐怖に歪め悲鳴を上げた




――……てやる……して……コロシテヤルっ!!




溢れる殺意は口から憎悪の言葉として吐き出された。



誰も止められない、誰にも止めさせない



皆が自分の傍から離れる



ああそうだ



そんなもんだ



仲間だと言っても所詮自分のような化け物には誰も寄りつかない



故郷を守る為に駆け巡った日々にそれを思い知ったはず




自分は他の者達とは違う




化け物




『お前も俺達と同じだな』




忠誠を誓ったあの方達に言われた言葉




そう、私も



いや、俺も化け物




最後の身内である母を亡くし、村を無くした後はもう自分の傍に居てくれる者なんて




――泣かないで



――果竪?



――泣かないで、萩波。私が傍に居るから




泣くのは果竪の方だ。

けれど果竪は自分を慰めようと必死に抱き締めた。




泣かないで、傍に居るから、ずっと居るから




そうだね……果竪……ずっと傍に居て




俺が……私が壊れないように




抱き締められ静まっていく心




あちこち欠けさせてしまった部分が少しずつ埋まっていくような気がした





傍に居て




離れないで




幼子のように果竪に言い続けた




果竪はきっと気付いていないだろう




自分に流し込まれている毒を




優しさと言う名の呪縛を




少しずつ少しずつ果竪を自分の傍から離れられないようにする



あの時離してしまった手はもう二度と離さない




だって自分は果竪を愛してるから




離れていた間、色んな事があった。

自分の意思とは裏腹に肉体関係を結ばされる事も多々あった。

相手の罠にかかり、権力の前に屈し、時には他人の命と引き替えに、仲間の無事と引き替えに意思を無視して強引にこの体は貪られ、弄ばれた。


普通なら死にたいほどの屈辱。

けれど自分は自分の容姿が利用出来ることに気付きほくそ笑む。

使えるものはなんだって使ってやる。村を、果竪の住うあの場所を守る為ならば。

身分も地位も財力も何も無い自分にあるのはこの容姿と才能だけ。

それらを存分に利用した。

女でなかった事が幸いだった。もし女なら妊娠の心配だってある。

男の場合は相手を妊娠させる可能性もあり、それを盾に取られる事もあるがその手の心配はなかった。



案外床上手でそういう方面にも才能を発揮し、しかも数をこなしてきたせいか、2,3年もしないうちに殆どの相手を陥落させられるようになった。

いや、そもそもどんなに相手に責め立てられても冷静さを失えなくなった。



冷え切った自分



むなしい行為



そうして抱いた女性の数も、抱かれた男の数も、抱いた男の数ももはや数え切れない。




そんな時に思い出したのは果竪の手の温かさ



日が経つにつれ募る思い



ああ、自分はやっぱり果竪の事を愛しているのだと分かった




幼い頃の恋に恋をするものではなく




真実、果竪を愛していたのだと




離れる事で、よりその思いは強まった






だから……







村に戻ったら果竪にきちんと結婚を申し込もうと思っていた




きちんと果竪の両親にも頭を下げて――




――うちの娘はお転婆すぎるからなぁ~~……嫁遅れたらどうしよう





そう言って苦笑していた果竪の父上に、自分が貰うから大丈夫ですって伝えて




そんな、何処にでもあるような願いはもう叶わない




でもこの願いだけは誰にも邪魔させない




ねえ?約束しましたよね?ずっと傍に居るって




幼い果竪




まだ年頃にはほど遠く恋心のなんたるかもきっと理解していないだろう



けれどそれも後少しのこと



傍から離さず、自分を頼るように仕向ける



それが同情でも友達の好きでも構わない



自分しか頼れないようにさせてしまえばきっと



果竪は自分の傍から離れない



それに果竪



私は君の為に王子様になったんだよ?



柔らかい物腰、優しく丁寧な口調



文武にも秀でるように努力し続け、あらゆる才能を開花させるべく今も努力している



地位も身分も財力も、まだまだだけど、それでもある程度は手に入れた



これからもっともっと優しい王子様になるから



だから果竪も私のものにならなきゃ駄目なんだよ?




だが同時に、ふっと自嘲の思いが込み上げる





自分は卑怯だと



自分の思いも告げず、周りの掘りから埋め立てるような行為を取る自分



果竪と共に居たいのなら自分の本心を伝えれば良いとも思うだろう



普通の男ならばそれを選ぶはず



けれど自分は恐いのだ



思いを伝えて、自分の本心を暴露して



もしそれで拒否されれば?



誰か別の男への恋慕が分かったら?




そうなれば自分はきっと狂う



だから言わない、聞かない、見ない



そしてつけ込むように確実に手に入れられる方法を取る



独りぼっちになった果竪を囲うように側に置いて、少しずつ毒をまわしていく



まるで麻薬のように、気付いた時にはもう後戻りできないように



全ての真実から覆い隠し、これから果竪の側に近づくだろう異性を排除する



そう――果竪が見るのは自分だけでいい



決められたレールの上を走り、自分の元に来させればいい



卑怯ものと罵られても構わない




それで果竪が手に入るならばそれでいい










「萩波?」


長い回想も果竪の呼掛けに終わりを迎える。



「果竪、どうかしましたか?」

「ぼんやりしていたからどうしたのかなって思って」

「ふふ、昔を思い出してました」

「昔?」

「村に住んでいた時の事ですよ」



村という単語に果竪の顔が曇るのを自分は見逃さなかった。


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