堕とされた果実①(大根)
考えた結果、活動報告で掲載していた分はそのままこちらに纏めて掲載しておきます。
「萩波?」
怯えた様子の果竪に自分は言う
大丈夫、何も恐くないですよ――と
宥めて微笑んで
けれど果竪は逃げようとする
どうして逃げるんです?
泣かないで
貴方が泣けば私も悲しい
どうか笑って
最初に出会った時のように
七つの年を迎えてしばらく経った頃だった。
夫を殺され、放たれた炎で焼け落ちる屋敷で生後半年の娘を喪った母。
それでも気丈に振舞いながら、幼い息子である自分を連れて逃げた。
けれど追っ手はしつこく自分達を狙い、いたぶるようにじわりじわりと追い詰める。
それでも一週間逃げ延びた。
けれど何処にも安息の地はなかった。
追っ手は徹底的に自分達を追い詰めたいのか、父の、母の親族すらも先に手を下し逃げ場を塞ぐ。
一番最初に惨殺されたのは母の実家。
血まみれになった両親と兄弟に呆然と座り込む母に自分はただ縋り付くしかなかった。
次に父の兄妹、そして近しい者達がその魔手にかかった。
何処にも逃げ場はない。
愛する者も、家族も居場所も、そして希望すらも奪われた自分達。
もはや此処までかと覚悟を決めたのは、深い深い森の中での事。
近くに水辺があるらしい。
水の流れる音だけが聞こえる深夜の森は酷く暗く、そして静まりかえっていた。
鳥の声も、虫の羽音もしない。深淵の闇で母は自分達の命の灯火を消す事にした。
もはや愛する父もいなければ、幼い妹もいない。
守ってくれた者達は既に追っ手達の手に掛かり、ただ二人だけが生き残った。
けれどそれももはや時間の問題。
追っ手の手は既にそこまで迫っている。
刃を鞘から抜く音が聞こえた。
見れば、夜の闇に煌めく銀の光。
母の美しい手には似合わない何の装飾もないそれは、ただ傷つける為だけに存在する。
「ごめんなさい……」
このまま追っ手の手に掛かるぐらいなら自分の手で。
そんな母の気持ちが痛いほど分った。
追っ手が来ればまず間違いなく自分は殺される。
しかし母の方はもっと酷い目に会うだろう。
美しくたおやかな母。
その美貌に目が眩んだ追っ手達によって慰みものにされる事は間違いない。
それか、父を殺した相手に献上され妾として屈辱の日々を送らせられる恐れもある。
あの男はまだ若く美しい母に懸想し、父のいない間に何度もちょっかいをかけてきた。
その可能性は充分といってもいい。
父を喪い娘も喪い、更には実の両親と兄弟も喪った母にこれ以上辛い目に会わせるわけにはいかない。
憎い男の息子の遺骸を見れば喜ぶだろうあいつも、自分が狙っていた女性が遺体となっていれば酷く悔しがるに違いない。
最後の最後で一矢を報わせられる。
けれど……それでも思う。
もし、自分に力があれば……。
自分に母を守る力があれば――
「大丈夫……一瞬の事だから」
それは嘘だ。
満足に刃を握った事のない母では苦しまずに一撃で死なせることは無理だ。
けれど、命を奪うしかない息子にせめて苦しみを与えないようにしようとする母の思いに、自分は静かに目を閉じた。
最後の母の思いだけは守ろうとして――
近くの茂みが揺れる音がした。
「っ?!」
ハッとして音のした方を向く。
母の美しい顔が恐怖に歪むのが見えたが、茂みから視線をずらせなかった。
恐怖が全身を駆け抜ける。
まさかもう追っ手が来たのか?
ガシャンと刀が地面に落ちる音が聞こえた。
見れば、震える母が刀を取り落としてしまっていた。
早くしなければ追っ手が母を――そう思い落ちた刀を拾って握ったその時だ。
コロリ
正しくそんな感じで茂みから何かが転がり出てきた。
それが小さな女の子だと気付いたのは、暫くたった頃だった。
「…………あれぇ?」
間延びした声で呟くその生き物に母は驚きの余り涙をひっこめ、自分も呆然と見つめた。
ふっくらした白い頬に、サクランボの様な唇。
短い手足をちょこまかと動かし立ち上がったその少女は大きな瞳で此方を見上げてきた。
そして
夜の闇すらも消し去る太陽の花――向日葵の様な笑みを浮かべた。
それが
果竪だった
その日もいつも通りだった。
いつも通り、夜遅めに帰ってきた自分が果竪と一緒に食事し、今日一日何があったのかを自分の部屋で話をする。
時にはゲームをしながら、時には持って帰ってきた土産を交えて。
そう――まだ手を出すつもりなんてなかった
年頃と呼ばれるその時まで待つはずだった
けれどその一言が私の理性の箍を外す
「でね、明燐に言い寄る人を蹴り飛ばしてやったの!!」
「果竪は強いですね」
明燐はうちの軍に所属する少女であり、軍の軍師的地位にいる明睡の妹である。
果竪と同い年ながらも、傾国の美女すら裸足で逃げ出す妖艶で蠱惑的な曲線を描く肢体、艶麗さと清楚を併せ持つ絶世の美貌を持つ美少女である。
しかも非常に聡明で文武両道という将来有望の才媛として名高い。
また明燐は、軍の結成時からの古参のメンバーとして戦場では戦闘に立って戦い鞭を振るう姿は正しく戦女神――と敵軍及び他軍の者達から名高かった。
しかし……自軍からは女王様と呼ばれている。
それもそうだ。
身に纏う露出の激しい衣――それは肩は完全に露わとなり、胸元に関してはV字に切り裂さかれた切り込みはへそまで達している。
背中の部分などは完全に外気へとその白い肌を晒している。
しかもスカートは下着が見えるか見えないかの絶妙な長さ。
その服の素材に至っては黒い皮である。
妖しい光沢を放ち、柔らかくけれど水分をしっかりと弾くそれの素材は○○というプレイを好む者達の女王様が着こなす衣服と同じ素材なのは間違いない。
どう考えても子供が着る服ではない。
だが明燐の場合は別だ。
たわわな胸、折れそうなほどの細腰、すらりと伸びる手足、そして首から顔の花の顔と全身から匂い立つ色香によりその衣装は素晴らしく明燐に似合っていた。
寧ろ明燐が着る為にその衣装はこの世に生み出されてきたかのようだ。
そんな、セクシーさを発揮する代物を戦場で堂々と身に纏い戦う姿はどう見ても女王様。
しかも武器は鞭だし、靴もハイヒール。
性格も苛烈なのだからもう完璧女王様である。
しかし明燐の凄いところはそんな服を着ても下品には見えず、寧ろ清らかさと高貴さ漂い全身から気品が零れ落ちるように見えるから凄い。
やはり美少女はどんな服を着ても似合うという事か。
現在では一度戦場で明燐のその姿を見たいと思う敵軍の者達も多く、一目見るやいなや『女王様!!私を下僕にして下さい!!』と身を投げ出す者も多い。
だがちょっと待て
確かに色気過多だが明燐はまだ十二歳だ
その事で明睡に忠告すれば
『私の姫が望むなら万事オッケーです』
と笑顔で拒否られた
なので今ではもう自分も諦めている節があるが、はっきりいって自分のせいではない
そしてそんな明燐は自軍及び他軍にも信望者が多く存在した
その一人が暴走して明燐に言い寄ったのだと言い、果竪がその存在を蹴り飛ばしたという
「嫌だって言ってるのに凄く来るの」
「駄目ですねその男は。無理矢理は良くないですよ」
「うん!!みんな萩波みたいに紳士だったらいいのに」
「そんな事ないですよ」
紳士という言葉に苦笑する。
たぶん自分が一番紳士からはほど遠いだろう。
優しさも柔らかな物腰も全ては見せかけの偽物である。
本当の黒い心を隠す為の。
しかし果竪はぶんぶんと首を横に振る。
「そんな事あるよ!!萩波は優しいってみんな言ってるもん」
「そうですか?」
「うん、前に滞在していた貴族のお姫様や領主様のお姫様とか、街の人達とかみんな!」
「それは嬉しいですね」
そう言いつつも心の中で反吐が出た。
自分の見かけだけにダマされている者達の言葉ほど信用ならないものはない。
この黒い自分を見ればきっと皆逃げていく
誰も傍になんて居て欲しくない
そんなどす黒い自分――
――そばぁにいちぇ
それは何気なく脳裏に蘇ってきた。
顔をくしゃくしゃにしてそう泣く幼女。
『煩い!!さっさと消えろ!!どっかに行ってしまえ!!』
あの日、死ぬ覚悟をした自分と母の元に転がり出てきた幼女は嬉しそうに
自分達へと駆け寄ってきた。
それを激しく拒絶すれば、泣きながら自分達に抱きついた。
暗い森の中で迷って迷ってようやく出会った相手に縋り付くのは当然の事である。
けれど、その時に相手を思いやる余裕なんてなかった。
それぐらい荒んでいた自分の心。
だから何度も突き飛ばして蹴飛ばした。
――さみちいの
舌っ足らずな言葉で必死に言う
それすらも煩わしかった
『俺達に構うな!!助けなんて求めるな!!自分の事すら満足出来ないのにお前の事なんて助けられるはずがないだろう!!』
今思えば何故あそこまで腹立たしかったのか分からない。
けれどとにかく幼女を引きはがしたかった。
たぶん自分は気付いていたのだろう
早くしなければ
でなければ決めた覚悟は緩み、隠した心は見透かされる
全てを……あの幼女に気付かれてしまう――と
その予想は当たり、ほどなく幼女は自分を見て言った
――おにいちゃんたちもさびしいの?
――っ?!
――くるちいの?いたいの?
――煩いっ!!お前に何が分かるっ!!
その姿を見れば愛されて育ってきた事が分かる。
大切に大切に愛されて……。
いや、自分だって大切に愛されてきた。
まだ赤ん坊の妹と一緒に、両親に、家に仕える者達に愛されてきた。
けれどその全てはもうない。
全て奪われ、この世から消えてしまった。
自分には何も無い、母だけしかない
しかしその母も既に生きることに疲れている
自分も今後のことを思えば死ぬしかない
けれどこの少女は違う
両親が探しに来ればきっと温かい家へと戻るのだろう
嫉妬で目眩がした
自分は全て失うのにこの少女には帰る場所がある
寂しい?そんなのは一時の感情ではないか!!
自分はずっと寂しいんだ
もう何もないんだからっ!!
ずっと悲しくて寂しい
死ぬその時までっ!!
その真っ白な心をめちゃくちゃにしてやりたかった
そんな残忍な心の自分の顔は酷く醜かっただろう
けれど、そんな自分を見上げる少女から予想もしない言葉が出てきた
――ごめんなちゃぃ
――え?
――おにいちゃん、ごめんなちゃい
そう言って幼女はまた泣きだした。
母の分まで、泣けない自分の分まで泣くかのようにボロボロと涙をこぼした。
けれどそれ以上にその謝罪の言葉が気になった。
――何で謝るんだよ
どうしてか分からなかった。
寧ろこんな酷い事を言われて、憎むべきなのだ。
なのにどうして謝る?
――わがままいっちゃ
――は?
――おにいちゃんたちくるちいのに
――………………
――ごめんなちゃい、おにいちゃんたちもくるちいのにわたしだけないたもん
だからごめんなさい……そう言って幼女は泣いた。
そして泣いて泣いて――泣き疲れて幼女は眠った。
コロンと、その場に転がって。
呆れ果てて怒りも何もかもが吹っ飛んだ。
言いたいだけ言って泣くだけ泣いて眠ってしまう。
しかもこんな深い森の中で。このままにしておけば絶対に野生動物に喰われるに違いない。
そう考えたのは母も同じだった。
それまではらはらと涙を流していた母は幼女の傍に行き、その体を抱き締めた。
――母上?
――もう少し……せめて、この子の両親が迎えに来るまで
きっと母の中には喪った娘の事が思い出されていたのだろう。
愛しげに見つめながら幼女の髪をすく。
それをぼんやりと見つめ、そして二人に寄り添った。
気付けば夜空に星が瞬き、柔らかな光が目に染みた。
母がポツリと言った。
――このまま時が止まればいいのに
――母上?
――そうすればずっとこのままで居られる
星の光に照らされた母は泣きながら笑っていた
そして
――そうすれば、母様は萩波とずっと一緒に生きていられるのに
その時、初めて自分の目に涙が浮かび
声を上げて泣いた
本当は死にたくなかった
でも死ぬしかなかった
そうしなければ守れないから
全てを奪われた自分達に残された矜持
母は貞節も含め
自分は家の嫡男として
その誇りを守る為に
でも
本当は生きたかった
どんなに苦しくても辛くても
全てを奪われても
いや違う
全て奪われてない
だって自分達にはまだたった一人の肉親が残されているのだから
――さびちくないよ
幼女の寝言に母と二人でハッと幼女を見る。
――おにいちゃんたち……いっしょ……さびしくない
そう、寂しくない
母と一緒だから
それに今はもう一人いるから
幼女の温かい体温に何時しか母も自分も寝入ってしまった
深く
深く……
少しでもこの安息が続くように
目覚めた後の現実から遠のくように
それからどれほど時間が経ったか……
松明の光に飛び起きれば、そこには幼女の家族、そして村の者達が居た
――ありがとう、貴方達が助けてくれたんですね
優しい言葉、優しい眼差し
彼らは自分達を受け入れてくれた
体の傷を癒し、心の傷に寄り添った
山奥の隠れた、寂れた村ですまないと言いながら、何時までも好きなだけ居ていいと言って
追っ手が来ても彼らは自分達を決して売り渡さなかった
――君達はもううちの村の大切な一員だ。絶対に傷つけさせたりしない。
そしてその村が自分達親子にとっての第二の故郷となった
――もうさびちくないね!!
最初は上手く入れなかった村の輪に、強引に引っ張って行く幼女に煩わしさを覚えた時もあった。
けれど、いつも元気よくやって来ては笑顔を見せる彼女に
自分の手を引くその温かさに、次第に愛おしさを覚えていく
たぶん、自分の恋はその時から始まったのだ
まとめた方が読みやすいと思うので……。