自由をかけた鬼ごっこ④
警備が緩んだ隙に、王宮から抜け出すことに成功した。
その成功が、果竪の中にもしかしたら逃げ切ることが出来るかもという思いを抱かせる。
しかし
世の中そんなに甘くはなかった。
雨の音に負けない大きな声が響いた。
「鬼ごっこは久しぶりだね~」
「朱詩っ」
王宮からいくばかも離れていない裏通りで、果竪は朱詩に前方をふさがれてしまった。
まずい
朱詩はまずい
茨戯より、よほどとんでもない相手だ。
「ボクが鬼だよ~」
「っ!!」
「すぐに捕まったら楽しくないからね~」
じりじりと果竪が後ろへと下がる。
朱詩の麗しい顔に浮かぶ楽しそうな笑みが濃さを増す。
「逃げ切れたら果竪の勝ち。何をしてもいいよ?それこそ、殺すつもりで来なきゃね」
「殺す?!そんな事出来る筈がないじゃない!!」
「出来ない?それって力の差から、それとも僕を思って?」
「どっちもよ!!」
そう叫ぶ果竪に朱詩は一瞬だけ悲しげに笑う。
「変わらないね、果竪は。優しい果竪、可愛い果竪。だから、あんな奴らに騙されるんだ」
「騙される?」
「そう。騙されて外に連れ出されて。それどころか蛍花まで連れてくし」
「蛍花……あの子は」
「人の奥さんを勝手に連れ去るなんて犯罪だよ」
「それは朱詩達の方じゃない!!あの子を強引に結婚させて……しかも、あの人には本命がいるじゃない!!本妻だって!」
「そんなの関係ないよ。本妻がいようと、本命がいようと蛍花はあいつに与えられたんだ」
「あの子は物じゃないのよ!!」
「物だよ。あいつに与えられた物」
後宮に収められる筈のところを、半ば強引に萩波から奪い取るほどあいつが欲した物。
馬鹿にするな、同情するぐらいならば後宮に入ると言われて逆上して強引な事までして手に入れた。
その後、色々あってようやく心が通いそうになったっけ、今度は本妻の存在がばれてしまった。
本妻だと思っていたのに、実は妾でしかなかった。
その事実は、蛍花をボロボロに打ち砕いた。
愛した相手だからこそ、余計に許せなかったのだろう。
だからといって、あいつが諦めるはずがない。
自分達が果竪を連れ戻したように、あいつは蛍花を捕らえて強引に閉じ込めるように囲った。
「それで、蛍花はどうする気?」
「え?」
「このまま逃げて蛍花を見捨てるの?」
「っ!!」
「可哀想な蛍花。大好きな人に見捨てられるなんて」
「あの子は必ず助け出すわ」
「どうやって?」
蛍花は果竪の逃亡を防止する人質でもある。
それゆえに、王宮ではなく別の場所に連れ去られていた。
あいつの屋敷に。
「何処にいるかも分からないのに?」
「探すわ。でも、その為にはここから逃げなきゃならないわ」
「逃げなくても、蛍花に会いたいなら会わせてあげるよ。果竪が素直におとなしく良い子にしてたらね……って、ごめん被るって感じだね」
自分を見つめる強い眼差しに、朱詩はため息をつく。
「昔はあんなに素直だったのに」
「悪かったわね」
「別に良いよ。どうせまたすぐに素直になるんだから。それじゃあ、鬼ごっこを始めるか」
「それ、本気なの?」
戸惑う果竪に朱詩はもちろん!と答える。
「ふふ、逃げ切れたら果竪の勝ち。でも逃げ切れなかったら果竪は王宮に戻る」
「嫌よ」
「あ、ボクが勝ったら何かご褒美貰おう~」
「聞けぇ!!」
「膝枕しながら子守歌がいいな。決定~」
「無視するなぁぁ!!」
果竪の絶叫もなんのその。
朱詩はとびっきりの笑顔を浮かべ、その言葉を紡ぐ。
「ゲームスタート」
再び、雨の中での鬼ごっこが始まった。
表通りには出られない。
人の多いところでは被害が出てしまう。
果竪は薄暗い裏通りを必死に逃げまわった。
「あははは!!そ~れ!!」
「きゃぁぁ!!」
朱詩の力は炎と水の二つ。
それでも、炎の方が強いらしく、水狼よりも炎で作られた炎狼の方が本物の獣に勝る俊敏さで果竪を追い詰める。
その動きは、バケツをひっくり返したような雨の中だとは思えない。
ましてや、相手の力の源は炎。
この雨の中、力の弱い神が作った炎狼であればあっと言う間に勢い負けして消滅してしまう。
にも関わらず、朱詩の炎狼達は自分達に降りつける雨を逆に蒸発させていた。
その蒸気が煙幕となり、果竪の逃亡を更に妨害する。
「あつっ!」
蒸気は高熱を帯び、近づくものを阻む。
ならばと蒸気のない方に進もうとすれば、炎狼達が先回りしている。
次第に果竪は逃げ場を失っていった。
「ほらほら、逃げないと追い込まれるよ!!」
言葉だけを聞けば、子供の残酷なまでの無邪気さが全面に押し出されたような口ぶりだった。
ただの探求心、好奇心だけで蝶の羽を一枚ずつむしり取る時に似ている。
しかし、その瞳は優しさが入り交じり、果竪を混乱させる。
と、炎狼が果竪の足下に滑りこむ。
バランスを崩し、炎狼の上に倒れ込んだ。
だが、いつもなら相手を焼き尽くす毛並みは果竪を優しく受け止める。
熱さも痛みもなく、寧ろ心地よいと思われるほどの毛並みが果竪の素肌の部分を撫でた。
「いいよ~、炎狼!よく果竪を守ったね~」
「守る?」
今の状況でこれほど滑稽な言葉はない。
何せ、朱詩は守るどころか自分を捕えようとしているのだ。
その為に、炎狼を作りだして襲わせている。
「ふざけないで!!」
そう叫ぶと、朱詩は心外だと言わんばかりに頭を横に振った。
「酷いな~、果竪は。そもそも果竪が逃げるから悪いんだろう?」
「逃げるって……当たり前じゃない!」
自分の意思も何もかも無視して逃げ出さないでいられるわけがない。
「仕方ないじゃん。安全な場所に置いておかなきゃ危険なんだから」
それは、茨戯の言葉と同じだった。
危険だから、盗られたら困るから自分達が安全だと思う場所に置いておく。
そこに果竪の意思なんて全くない。
それに苛立ちを覚えるも、同時に朱詩達をこんな風に狂わせたのは自分だという罪悪感に陥る。
調律師は神堕としとも呼ばれる
自分は神である朱詩達を堕としたのだ
ああ、もっと早く側を離れるべきだった
「朱詩、聞いて」
「何を?帰る気なら行動で示して?」
朱詩が優しく微笑みながら近づいてくる。
男にしては線の細い色白の肌に、絹糸のような薄い紅髪。
その見た目から儚く幼い印象を与えるが、内面は生気に満ち溢れた強い意志を持つ。
ふっくらとした濡れた紅唇がニッと笑みを形作る。
「ねぇ、良い子だから帰ろう?」
果竪は答えずに後ずさる。
「これ以上続けたら怪我しちゃうよ?ボクさ、果竪に怪我させたくないんだ。宰相達からも怪我はさせるなって言われてるんだよ?」
ならばこれ以上追わないで、と果竪は叫びたかった。
ふと、脚にふわりと撫でるような感触に振り返れば、炎狼が退路を塞ぐように体をすりつけている。
「ど、どけて!」
懇願するも、朱詩に忠実な炎狼達は果竪を逃がさないと言うように体を押しつけてくる。
まるで朱詩の方に向かわせるように、頭を、胴体を使って果竪を前へと押し出す。
と、一匹がグッと頭を果竪の膝裏へと押しつけた。
「きゃっ!」
バランスを崩し、果竪の体が前方へと傾く。
そのまま地面に倒れ込むと思ったが、感じたのは地面の固さではなく柔らかな感触だった。
「はい、お帰り~」
「っ!!」
慌てて朱詩の胸から逃げ出そうと手で突っぱねるが、予想外の強い力で引き寄せられる。
「朱詩、離して!」
「嫌だよ。ぜ~ったいに嫌~」
昔通りの間延びした口調。
にこにことした笑み。
でも、今の朱詩は完全に狂っている。
「はい、こうして捕まったんだから鬼ごっこは終わりだね~」
「勝手な事言わないで!!」
「あれ?まだ鬼ごっこしたい?」
キョトンと朱詩が首を傾げる。
男のくせに、思わず目を惹くような可愛らしさが酷くしゃくに障る。
「でもいったん終わり。またやりたいなら、帰ってからやろう~」
楽しみだな~と自分の耳元で囁く朱詩に、果竪は激しく身をよじった。
「無理だよ、逃げられないって」
それでも果竪は諦めなかった。
その思いが通じたのか、朱詩の手が果竪から離れる。
「あ」
と思った時には遅い。
果竪は踵を返して走り出す。
「お転婆娘めぇ~~」
むぅ~~と頬を膨らませ、朱詩は冷たい眼差しで果竪を見たまま命じた。
「ボクの可愛い炎狼達、果竪を捕まえて。但し、怪我一つ追わせないようにね」
その言葉と共に、数匹の炎狼達が果竪の走り去った方へと走り出す。
それを見送った後、朱詩は近くの建物の壁を蹴り飛び上がる。
「よっと」
二階部分の屋根に着地すると、それ以上高い建物を探してその屋根へと上がった。
最終的に五階ほどの楼閣造りの塔の屋根の上に立つと、朱詩は地上を逃げる果竪を探す。
「凄い凄い!頑張って逃げるね~」
パチパチと拍手し、朱詩は果竪から目を離さなかった。
たとえ自分のところからでは、ごま粒ぐらいの大きさでしかなくても、朱詩は果竪を見誤ったりしない。
それに、炎狼もいる。
ひたすら裏通りを、人気のない道を選んで逃げていく果竪に、朱詩は哀れさを含んだ声で呟く。
「果竪に足りないのは、傲慢さだよ」
自分が逃げるためには、相手の事など気にしていられない。
自分さえ助かれば相手の事などどうでもいい。
そんな傲慢さが足りない。
これだけ追い詰められてもなお、民達を巻き込まないように逃げ続ける果竪。
そのせいで自分がどれほど追い込まれようと、決してその信念を曲げない。
けれどそれでは逃げ切れないだろう。
何故なら自分達はそんなに甘くはないからだ。
今はこうして泳がせているが、最終的には絶対に連れ戻す気でいる。
そんな自分達から、圧倒的に力の劣る果竪が逃げようとするならば、それこそ何を犠牲にしてでも逃げ延びる覚悟が必要だ。
なのに、生来の優しさが邪魔をして自ら逃げ場を狭めるばかりか、助けさえ求めない。
「可哀想な果竪」
愚かで可哀想で
けれど、それが自分達の愛した少女
あの地獄とも言える日々の中、自分達すらも見ているしかなく、助けなんてろくになかった。
それにも関わらず、果竪は変わらなかった。
いや、もっと強く優しく、誰よりも美しくなった。
美しく綺麗な心が更に磨かれていった。
それこそ、二度と手放せないと自分達が決心するほどに
自分のものは決して手放さない
自分達が果竪を手放すことは二度と無いだろう。
そう……もう二度と!!
「ふふ、逃げればいいよ。逃げて逃げて逃げまくって……そうして堕ちてくればいいよ」
もう逃げられないと観念するまで逃げればいい。
そうして自分達のところに堕ちてくればいいのだ。
「くく……あはははは!!」
果竪が自分達と一緒に居る。
ただそれだけなのに、震えるような歓喜はなんだ。
朱詩は体をくの字に曲げて笑い続けた。
果竪を連れ戻したら何をしよう?
膝枕をして子守歌を歌ってもらう
でもそれだけじゃなくて
ああ、一緒に大根作りするのもいいか
別に、萩波のように果竪を奪いたいのではない。
果竪は萩波のものだという事は分かりきっている。
だから、自分は歌を歌って貰ったり楽器を奏でて貰ったり、そんな事でいい。
果竪と居ると欠けてしまった部分が埋まっていく。
自分でさえこれなのだから、きっと萩波はもっと凄いのだろう。
自分よりも沢山欠けてて、残っている方が少ない国王様。
そんな化け物を果竪は埋めていくことが出来る。
果竪は枷
萩波の枷
でも、萩波に敵わなくても化け物の自分達の足りない部分も埋めてくれる。
「ず~と、一緒に居ようね~」
そうして果竪へと再び視線を向けようとした時だった。
視界の端に……不快なものが映る。
「……あれは」
見間違いかと思うものの、何度見てもそこにそれは居た。
「なんで……あいつが……っ!」
ハッと果竪の方を見て愕然とした。
不快なものと果竪が進む方向を見て血の気がひいていく。
このまま行けば、果竪はあの不快なものの前に出てしまう。
「あ……あ……あ……」
果竪が、不快なものが、それぞれが互いを目にすればどういう事になるのか
キットテヲトリアッテニゲテシマウ
朱詩は瞳を憎悪に染め、駆け出した。
塔の上から飛び降り、建ち並ぶ建物の屋根の上へと着地し走り出す。
「会わせるもんか……絶対に会わせるもんか!!」
怒りの咆哮が空気を振るわす。
そうして憤死しそうなほどに憤怒しながら、朱詩は指笛を鳴らして炎狼達へと指示を与えた。
朱詩編でした~♪
で、次も半分が朱詩編で、その後は萩波編へと変わります。
さて、朱詩が怒り狂う原因となった不快なもの
皆様なら分かりますよね♪