自由をかけた鬼ごっこ①(大根)
活動報告においてあった『空舞う金糸雀の行方』をこちらに移しました♪
バケツをひっくり返したような雨が降る。
打ち付けるような雨が、地面に倒れる果竪から容赦なく熱を奪う。
どうして私はこんな所にいるのだろう
果竪はぼんやりと自分の身に起きた事を思い出した。
幽閉されてからどれだけ経ったのか。
それでも、今日は珍しく外に連れ出された。
けれど、萩波の機嫌を損ね、後宮に連れ込まれ無理矢理襲われた。
気絶しても許されず、ただただ嵐が過ぎるのを待つしかなかった。
そうしてようやく嵐が過ぎ去った後、身を清められ、再び塔に戻される事になった。
またあの部屋に戻されるのか。
今度はいつ外に出られるだろう。
そんな時にその報せは入った。
舌打ちをしながら萩波は自分から離れた。
何か問題が起きたらしく、すぐさま行かなければならないようだった。
だが、他の者に自分を任せる事はしたくないのか、萩波は自分を部屋に残していった。
後で迎えに来るから、大人しく待っているように
待つも何も動けない。
散々無理をされた体は指一本動かせず、気を抜けばすぐにでも眠ってしまいそうだった。
しかも、外には当然の如く見張りが居るだろう。
「……外……出たいな」
いつまでこの生活が続くのだろう。
自分の意思とは裏腹に体を奪われる日々に果竪は疲れていた。
でも……この厳重な警備を前に、逃げ出す事は無理だった。
幾重にも張り巡らせられた結界を潜り抜ける事なんて、自分の力では不可能だ。
瞼が重い。
強烈に襲ってくる睡魔に身を委ね、いつしか果竪は眠りについた。
それからどれだけ時間が経ったのだろうか。
突然、身の毛もよだつような凄まじい憎悪に果竪は意識を取り戻した。
目の前には、今にも振り下ろされようとする短刀が見えた。
自分の上に馬乗りになった美しい女が、憎悪に歪んだ顔で短刀を振り下ろす。
それを、頭をずらす事で避けた。
「おのれぇ!!忌々しい女が!!」
「なっ?!」
一体貴方は誰なのか?
何故こんな事になっているのだろう?
「忌々しい女!!あの方に愛された跡を色濃く残して見せびらかすなど!!」
「あ、貴方は誰なんですか?!」
「煩い!!お前に名乗る名などないわ!!」
そう言うと、再び短刀を振り下ろそうとする。
だが、それより早く果竪は女の腹部を拳で殴る。
痛みに呻く女を蹴飛ばし、部屋の隅まで逃れる。
「なんと野蛮な……ああ、どうしてあの方はお前のような醜い女を正妃とするのか!!」
恨み積もった声は地獄から這いずってきた悪鬼のように禍々しい。
果竪は震えながら聞いた。
「貴方は……侍女ですか?」
「侍女?!この私を侍女と言うのか?!あの方の妃である私を!!」
「妃……」
そこで、果竪はハッと気付く。
ここは後宮。そして妃と言う女。
つまり、あの女は……
「後宮の側室の一人ですか?」
後宮に多数収められた側室達。
今ではもう正確な数は分からないが、以前と変わらず、かなりの人数が後宮に咲き誇る華として妍を競いあっていると聞く。
「側室……そう、側室じゃ。本来なら正妃である筈の私が、お前がいるせいでこのような不遇の身に堕とされているのじゃ!!」
「私の……せい?」
「そうじゃ!!お前がいるせいで、私はあの方に見て貰えない!!お前のせいで……お前など死んでしまうがいい!!」
そう言うと、女が再び果竪に襲いかかってくる。
それを避けながら、果竪は混乱していた。
そもそも、どうしてこの女はこの部屋に入って来れたのか。
「貴方は……どうやってこの部屋に入って来たの?!」
「ふっ。そんなもの、侍女に手引きさせたのじゃ」
侍女達を使い、見張りを遠ざけその間に侵入したという。
この、萩波を除けばごく一部の者しか入れない場所に。
果竪はゾッとした。
萩波は自分を連れ戻して以来、蓮璋達に再び奪われるのが恐いのか、自分達以外しか入れない塔へと幽閉した。
そこから殆ど出さず、仮に出すとしても厳重な監視をつける。
また、自分達以外には決して会わせない。
だからこそ、萩波は果竪を別の者に預けず此処に置いて行ったのだ。
当然ながら、この部屋も部外者は立ち入り禁止である。
なのに、見張りをそそのかして部屋に入り込めばどんなお咎めがあるのか。
「今すぐ此処から出て行って!!」
果竪はその女を守る為に叫ぶ。
だが――
「なんと!!この私にそのような上からの物言い、許せぬ!!」
女が果竪に飛びかかる。
それを避けるが、刃が果竪の髪を一房切り落とした。
「っ!」
駄目だ。
完全に興奮している。
「死ね、死ね、死ね、死ねぇぇ!!」
もう自分ではどうにもならない。
果竪は部屋の外へと飛び出した。
「まあてぇぇぇぇ!!」
裸足のまま廊下を走る。
途中誰ともすれ違わなかった。
兵士もおらず、厳重な警備の欠片もない。
兵士はともかくとして、妃達は騒ぎに気付かないのか、それとも気付いていても関わりたくないのか、とにかく誰も出て来なかった。
階段を上り、長い廊下を走り、また階段を上る。
そうして扉を開ければ、そこは三階のテラスへと出た。
雨がザアザアと降っており、あっと言う間に果竪の全身をぬらした。
と、後ろから髪を鷲づかみにされ、柵に体を押しつけられる。
「くくく!今度こそ死んでしまえ!!」
狂気に歪んだ笑みで果竪へと短刀を振り下ろす。
それが、額を叩き割る寸前、果竪はその細い手首を掴む。
「離せ!!」
「くっ!」
とっくみあいが始まる。
そうして何とか短刀を取り上げた時だった。
雨で濡れた床でバランスを崩し、果竪の体が柵の外へと出る。
ガサガサ、バキバキという音を最後に視界は黒く染まった。
そうだ――私は落ちたんだ
果竪は今までの事思い出し、ぼんやりと思う。
視線をずらせば、自分が落下した後宮のテラスが見える。
あそこから落ちてよく無事だったな~と思えば、どうやら木や芝生がクッションになったらしい。
水を吸った衣服が重いが、怪我はないようだった。
体を起こした果竪は自分の体を一通り確認してホッと息を吐いた。
そうして立ち上がった果竪だったが、戻ろうと踵を返して立ち止まった。
戻る?何処に?
戻るとすれば、後宮のあの部屋だ。
だが、先程の一件からすれば危険極まりない。
わざわざ死にに行くようなものだ。
となれば、行く場所はただ一つ――祈りの塔。
自分が幽閉されている場所である。
しかし……よくよく考えて見ればそれはそれで滑稽ではないだろうか。
自ら幽閉場所に戻るなんて。
それに……果竪は気付いてしまった。
今の自分が、此処に連れて来られて以来最も自由である事を。
「見張りが……いない」
気配を探っても、いつもある監視の気配は全く感じ取れなかった。
つまり、今の自分は一人きり。
それは言い換えれば
「誰も……私の行動を束縛する人がいない」
自由
そう……自由なのだ。
先程の一件は思いも寄らない自由を果竪へともたらした。
今なら、自分は何でも出来るだろう。
そう――逃げる事だって
果竪の脳裏にこのまま逃げるという言葉が浮かんだ。
だが、すぐにそれを打ち消す。
そんな事は無理だ。
すぐに捕まってしまう。
そうなればもっと酷い目に遭わされるだろう。
だが……
逃げなくても、酷い目に遭わされる。
『子供、孕んで下さいね』
そう言って笑いながら、萩波は自分を好きなようにする。
泣いても拒んでも、決して離してはくれない。
このままではそう遠くないうちに、萩波は自分の思いを遂げるだろう。
そうすれば、もう二度と……
蓮璋達が助けに来ても、二度と逃げられない
でも、今ならばまだ間に合う
果竪はぐっと王宮の門の方向を見つめる。
逃げるなら今しかない
この絶好のチャンスをふいにすれば、もう二度と逃げられない
気付けば足は走り出していた。
逃げなければ。
逃げなければ、遠くに。
萩波達すらも手の届かない場所に、今度こそ逃げなければ。
そして果竪の大脱走劇は始まった。