堕とされた果実 後日談(茨戯編)①
萩波がつれて来た子を初めて見た時の感想?
そんなもんただ一つ
みすぼらしい餓鬼よ
髪も肌もなっちゃいない
あちこちぼろぼろのぼっさぼさ
そのうえ顔が十人並みだから余計に凄かったわ
同い年の明燐とは正に雲泥の差
容姿も教養も能力も全てが平均以下で、本当に普通の餓鬼
萩波が助けなければそのまま村の焼け跡で死んでいたでしょうね
でもこの軍に来たからといって幸せになれる筈もない
だってみんなどっかこっか欠けた化け物達だから
そのうち完全に壊れるか、その前に何処かに預けられるか
そう考えていたのよ、アタシは
でもね――その考えが甘かったと思い知らされるのは、それから間もない事だったわ
「いい?果竪」
「うん?」
「これをこうやって、これをこうしてやるとはい完成!」
「凄い!ちゃんと釣り竿になってる!!」
果竪は朱詩の作った釣り竿に目を輝かせた。
「これでお魚釣り出来るね!!」
「そうだね~~でも、きちんと釣れるか確かめてみないとね」
「確かめる?」
ま~たあの二人は
何やらごそごそとしている果竪と朱詩に茨戯は溜息をついた。
木の上できゃっきゃっと楽しげに笑う果竪を微笑ましく思うものの、落ちたらどうするんだというハラハラさが勝る。
ここは街の領主館の敷地内にある小さな森の中。
もう少し行けば離宮など別の施設に繋がっている。
並木道を構成する木々は立派なものが多く、天へと空高く聳えていた。
その木の一つの枝で作業している朱詩と果竪。
と言うより主に作業しているのは朱詩だろう。
彼らが居る枝から地面までの高さは訓練されている者であれば、まあ問題なく地面に着地出来る高さだ。
しかし――果竪は自分達とは違い何の訓練もされていない普通の少女である。
あの高さから落ちたら唯では済まないだろう。
「茨戯、どうするんだ?」
「まあ、朱詩がいるから大丈夫だとは思うけど」
仲間の質問にそう返しながらも視線は外さない。
「何釣るの?!」
「へへ、見てなよ~~」
その時である。
向こうから萩波達がやって来たのは。
「いやぁ!流石は萩波殿っ」
萩波の隣でしきりに汗を拭きながら大声で話す小太りの中年男は、この街の領主である。
卑屈さ満点、欲に滾った瞳で萩波へとすり寄っている。
「この街が敵の手から守られたのも全ては萩波殿のおかげです!!いやあ、流石は精鋭揃いの軍をお持ちで!!わたしの所の軍を出すまでもありませんでしたね!!」
その言葉に思わず反吐が出た。
馬鹿らしい……軍を出すも何も最初から出すつもりなどなかったんでしょう?
街を守る筈の警備隊まで自分の屋敷に集めて自分だけを守らせていた
そのおかげで街は完全に無防備となった
人口数千人の命をあんたはそっくりそのまま見捨てたのよ――自分の家族以外はね
おかげでこっちがどれだけ大変だったか
既に自分達の軍は万に近い人数を抱えているけれど、その多くは各地へと情報収集に飛び回り、他の友軍や萩波が仕える中央軍を率いるあの方達の元へ行かせている為に現在残っている者達は千人弱ほどしか居ない。
敵は五倍の五千人。
そこに領主の持つ四千人の兵士が居れば十分に楽な戦いになっただろう。
けれど、領主は決して兵士を出そうとはしなかった。
なのに、まるで助けようとしていたかのような言い草に腹が立つを通り越して呆れを覚えてしまう。
そればかりか、萩波に胡麻擂りまでしている様は酷く滑稽だった。
そういえばあの領主には年頃の娘が居たんだっけ。
茨戯の予想は当たった
「流石は萩波殿ですぞ!!いやはや、貴方の様な方を婿にもてる娘は幸せでしょう!」
「いえ、私もまだまだ若輩者ですから」
「謙遜を!どうです?うちには娘が数人いまして、萩波殿と年齢の釣り合う娘もおります。これからの支援もかねて一人差し上げましょう」
まるで娘を物扱い。
それどころか、その隙のない目は断ったら支援を絶つぞと脅していた。
「父親のわたしが言うのも何ですが、娘は皆美女揃いできっとお気に召すはず」
「今だ!!」
木の上から降ってきた声にハッと見上げれば、朱詩が大きく釣り竿を振っていた。
その糸の先が一直線にそれへと向かう。
そして
釣り針は見事に領主の髪に引っかかった。
「あ」
自分が言ったのか、隣に居た仲間が言ったのか分からない。
だが、それはあっと言う間の出来事だった。
朱詩が釣り竿を振り上げる動作に伴い吹っ飛ぶ領主の
ヅラ
それは見事なまでの弧を描き、朱詩の手の中へと収っていった。
「いよっしゃぁぁ!!ヅラゲット!!」
「しゅ、朱詩?」
果竪の声が震えている。青ざめているのが手にとるように分かった。
隣では必死に笑いを堪えている仲間が一人。
たぶん自分も頬が引きつってるんだろう。
唯一人萩波だけはにこやかに微笑んでいた。
「ん?あれ?なんか頭が」
空高く飛んだヅラに全く気付く事のない領主だったが、何やら頭の違和感には気付いたらしい。
風が髪のなくなった部分に容赦なく吹き付ける。
「素晴らしいですね、領主殿」
「へ?」
「私も驚く変化ぷっりを披露して下さるとは」
萩波の一見して皮肉とは思えない言葉に、領主は自分の体を見る。
そして手で色々と探り異変がない事を確かめ、その手が自分の頭の上に触れた時だった。
この世の終わりとも思える悲鳴が響き渡った
「あっははははははは!!」
「ぎゃはははははは最高!!」
「駄目、笑い死ぬ!!」
領主のヅラ飛び――もとい朱詩のヅラ釣り事件の一部始終を聞いた仲間達が大爆笑する。
それを成し遂げた朱詩は正にヒーロー扱いだった。
「ふふ、もっと褒めてくれて構わないよ~」
「いや、お前こそ男の中の男だ!!」
仲間の一人が朱詩を抱き寄せその頭をぐりぐりと撫でる。
嬉しそうな朱詩の笑顔は何時もとは違う少年らしい笑顔だった。
「私も見たかった~」
「ってかもう一回やってよ!!」
「良いけど領主寝込んじゃったから無理かな~」
あの後、領主は寝込んだ。
よほど自分の頭にコンプレックスを抱いていたのだろう。
その場で倒れ、萩波の連絡を受けた配下の者達に寝台に寝かされるまで、そしてその後もずっと「頭が……髪が……」と呟いていた。
同情はしたくないが、それでも領主を嫌いな相手にさえ不憫という感情をわき上がらせるほどの衰弱っぷりに暫くは立ち直れないだろう。
「いい気味だわ!あの領主には本当に頭にきてたからスッとしたわ」
「俺達はお前のお抱えじゃねぇ~っての!」
「なのにあ~だこ~だと命令してきやがって!!しかも肝心な時には逃げるし」
「ねえ!茨戯は間近で見てたんでしょう?!」
「ええ……見たくもなかったんだけどね」
それはもう見事なまでに生で見てしまった。
「私も傍で見たかったな~」
小太りハゲ領主のヅラ飛び瞬間を間近で?
それなら街でやってるお笑い大会でも見てた方がましだと思うのはアタシだけかしら?
「あ、果竪」
朱詩の言葉に皆が入り口を振り返れば、そこには果竪が立っていた。
「果竪、果竪もみんなに教えてあげて?今日の昼間凄かったよね!!」
「朱詩……」
「どうしたの?」
「領主様から獲ったヅラある?」
「あるけど……」
「それ返してあげようよ」
その言葉に場が静まりかえる。
「果竪?」
「それ、領主様の大切なものだって言ってた。流石にそれはやりすぎだよ」
果竪が懸命に訴える。
「やだよ」
「朱詩」
「ぜ~~ったいに嫌だね!!腐るほどお金があるんだからまた作ればいいじゃん!!」
「朱詩、そんな事言わないで」
「僕が獲ったものなんだから僕が決めるんだっ!!」
「朱詩………」
ふんっと果竪から顔を逸らした朱詩に周囲に戸惑いの空気が流れる。
「朱詩、どうしても返してくれないの?」
「返して欲しかったら力ずくで奪えば?欲しい物があれば自分の手で掴むのがうちの軍のモットーなんだし」
「…………………わかった」
その言葉に、周囲が騒然となる。
まさか果竪が朱詩ととっくみあいでもするのかと。
前に明燐の件で明睡と三日三晩拳による語り合いをした果竪を見た経験を持つ仲間達がごくりと唾を飲む。
もし本当にそんな事になったらすぐに止めなければ。
仲間同士での争いは許可がなければ御法度だし、それ以前に朱詩と戦って果竪が怪我をしないとも限らない。
「やるの?」
朱詩がぶっきらぼうに言う。
「やらないよ」
あっけないほどの果竪の言葉に皆が目を丸くする。
「仕方ないよね」
そう言うと果竪は溜息をつき、くるりと踵を返す。
「果竪?」
「もし気が変わってヅラを返したくなったら……私の部屋に置いといて、私が返しとくから」
そう言うと、果竪はそのまま部屋を出て行った。
「朱詩」
「何だよ」
仲間達が次々と口を開く。
「返してやってもいいんじゃないか?」
「そうだよ。領主寝込んだんだし」
「確かに気にくわない領主だけどさ」
「お仕置きもした事だし」
「嫌だね!!」
朱詩の強い口調に仲間達も言葉を詰まらせる。
「朱詩、アンタどうしたのよ?」
それまで黙って見ていた自分も声を掛ける。
「別に」
「別にじゃないでしょう?アンタそこまで聞き分け良くない子供じゃないでしょうが」
「煩いな」
「何かあったの?」
「…………………」
「黙ってたら分からないじゃない」
茨戯は溜息をつく。
「それとも、果竪を傷つけたかったの?」
「違うよ!!」
「じゃあどうして?それにどうしてそこまでヅラを返したくないのよ」
「……………つが……」
「ん?」
「あいつが……あの領主が果竪の事を馬鹿にしたんだ」
ああ、と茨戯は納得したように頷く。
「そう……でも、それなら何時ものことじゃない」
「それだけじゃないんだよっ!!あいつ、萩波の傍に居る果竪が気にくわなくて戦闘中に果竪を戦いの場に放り出したんだっ」
その言葉に息を呑んだのは自分だけではない筈だ。
果竪を戦いの場に放り出した?
あの満足に戦えない子を?
なに……それ?
「萩波を自分の娘の婿にって煩く騒いでて、だから隣に居る果竪が邪魔だったんだ。そしたらあいつ、果竪を部下に攫わせて戦いの真っ最中の街の外に連れ出してそこに放置した」
「どうして……」
「明燐が果竪が居ないって気付いたんだよ。ほら、明燐は今回の戦いは参加しなかっただろう?で、僕も今回は後方支援で色々な場所を行き来してたから丁度明燐とばったり会って……で、探したら街の外で見つけてさ……しかも、敵兵に殺される寸前」
もし間に合わなかったら果竪は死んでいたかもしれない
そう告げる朱詩にその場が静まりかえる。
「果竪は絶対にそれを言うなって言うし……なら、せめてあの領主に一泡吹かせてやろうと思って」
「今回の事をやらかしたって事ね、アンタは」
「そうだよ」
「なのに果竪は喜ぶどころか返せって騒ぎ出したと」
「……そうだよ」
「馬鹿ね~~アンタは」
「なっ?!」
「あの果竪が人を陥れて喜ぶはずがないじゃない」
今までも危険な目に遭ってきた事は星の数ほどある。
そしてその殆どが萩波の隣に居る果竪を邪魔に思ったり、嫉妬したりした者達の暴走がゆえに起きた事だった。
「あの子は今までにも色々な危険な目に遭ってきた。でも、それで人を恨んだり妬んだり、ましてや傷つけたりはしなかった。それどころか、どんなに相手がムカツク相手でも、相手が危険な目に遭っていたら助けに行くぐらいの愚直なんだから」
一見すれば酷く愚かしく滑稽。
けれど果竪は真剣に相手を助けようとする。
勿論、それで改正するほど相手も生易しくはないが。
大抵はよりいっそう罵倒され貶されて終る。
でも、それでも果竪は助ける事を止めない。
「そんな事ぐらい……分かってるよ……でも、許せないんだ」
「朱詩」
「だってだって!!」
朱詩が強い眼差しで茨戯を見る。
「酷い事言われて危険な目に遭わされてそれでも怒らないで許して、挙句の果てには自分を危険に晒して助けに行って!!それじゃああんまりにも果竪が可哀想じゃないかっ!!」
「朱詩……」
「それじゃああんまりにも割に合わないじゃん!!果竪ばかり酷い目にあって」
「そりゃそうだけど……でも、それでも笑えるのが果竪なのよ」
「そんなの関係ないよ。果竪が怒らないなら僕が怒る!!果竪がやり返さないなら僕がやり返す!!果竪がどう思おうと、僕は果竪を馬鹿にする奴らが許せないんだからっ!!」
「アンタ……」
「いいんじゃねぇ?」
仲間の一人がポツリと呟いた。
「俺はそれでいいと思うぞ」
「うん、俺も」
「私も」
「果竪はね~~、絶対に苦しくても苦しいって言わないから私達が見ててあげないとね」
「そうそう、きちんと見てないといっつも無茶するし」
前みたいにね
その言葉に、茨戯の脳裏に数年前の事が思い出された。
次は後編です