転生と転生
最初の転生はなんとも希望に満ち溢れたものだったに違いない。二個目の人生は予期していなかったからこれもまだ芯の冒険心をくすぐられた。三個目は苦悩した。二十個目は遂に一歩も踏み出すのをやめた。
十七の春休み、期末テストを終わらせた無力感で全く動く気がなくなっていた僕はその日も一日を惰眠に費やすつもりでいた。しかし、友人の牧村から映画に行く約束をしていたことをすんでに思い出して朝早くに家を出た。紺色のダウンジャケットで身を包んで足早に駅へ向かった。
今回の約束は牧村の出席日数が足りずに危うく留年かと思われていた所をぎりぎりに回避したことを祝うためにで僕から申し付けたものだったから、流石にこれをすっぽかすのは気が引けた。
しかし、大通りのアスファルトの舗装が甘い道の窪みが急ぐ僕の足を引っ張って、離さんとした。僕は大きく体勢を崩して道の上に横たわった。どうにか体を起こそうと顔を上げる。しかし右折してきた観光バスが視界の大半を占めた。運転手はうずくまっている僕の小さな体を視認できなかったんだろう。僕の体はその巨大な車体の下に吸い込まれた。そうして薄れていく意識の中で脚や腕という僕の体が潰される気持ち悪い感覚を味わった。ここからの意識はもうほぼ語れない。僕の視界というようなものは消えた。何も聞こえない匂いもしない世界に放り込まれた。でもどこか怖いような感情だけが残り続けて、声にならない声を叫び続けた
大分時間が経ってからいよいよ意識がはっきりしてきた。そうだ。僕は転生した。遠くに見えた光をどうにか掴もうとない腕を伸ばした。そうしていつしか視界がはっきりして元々いた体よりも少しばかり大きい体に移った。僕はまた大通りの真ん中に立っていた。そうして周りを通り過ぎていく老若男女の姿や、異様な街の風景を眺めて愕然とした。それは僕がいたあの時あの場所よりも遥か昔の遥か遠い場所であることが推測された。転生したのだ。タイムトラベルなどではない。僕は大きくなった土汚れた手を握りしめてそれを確信した。
しかし転生と言っても赤ん坊ではないことにはなはだ違和感があった。僕は十七の青二才にも関わらず手から推測されるこの肉体は前世より遥かな大漢であろう。大男の器をこの時代の中で果たして演じていけるのだろうかと不安になった。
「ああ、でかいなやっぱり。しかしなんだこの街ハハハ」
わざと声を出して生を実感する。思い切り空気を吸って長く吐いた。思わず笑いがこぼれ落ちた。側から見れば大男が通りで突っ立って笑っているのだからきっとおかしいものなのだろうが、僕から見れば通り過ぎていく珍しい格好をした彼らの方がおかしかった。そうしてまた自分の前世があっけなく終わりそうして新たな人生がこうもあっさり始まったことにも、一種のおかしさを感じていた。僕は膝に手をついて、俯いた。足元にあった水溜まりに顔のでかい髭が異常に伸びた男が写った。この前に読んだバイキングの話に出てくる盗賊の長のような貫禄がある顔だ。僕はさらに声を上げて笑った。
「おい、お前何やってるんだよ。店番さぼってんのか」
聴き馴染んだ言語が耳に飛び込んだ。思わず振り向いた先には小柄な男が腕を組んでたっていた。いやこの男は決して小柄ではなく、僕の器が他よりいくらか大きいのだ。僕の顔を見上げてその男は怒りを露わにした。
「初日からすっぽかす新人があるか。なんで雇ってやったんだと思ってるんだ馬鹿野郎」
「あ、えっと」
異世界人との初対話に何を喋っていいのか分からない僕は思わず吃った。
「店番頼んだだろう。昨日あんたが雇ってくれっていうから任せたんだろ。せっかく用事があって店開けないといけないから助かったと思ったのに、様子を見に戻ったらこれだよ。全く」
「す、すみません」
「すみませんじゃないよ。どうしてくれるんだよ」
「頭を打ったみたいでちょっと記憶が飛んでいるんですが、あの、店というのは」
「はぁ〜!?今朝君にちゃんと伝えただろう。はいはいと返事したじゃないか」
「だから頭を打ったんですって」
実際に本当に頭が痛む。前世の時に強く道に打ちつけたところとは違う場所に腫れるような痛みがあった。しかしとにかく僕はこの世界におけるこの大男の役を理解しなければ生活していけないのだから、ここで聞き出さないといけない。ふむなるほどどうやら昨日雇われて今日初めて一人で店を任されたらしい。きっとあまり大きな店ではないのだろう。
「俺の武具店だよ。デカブツ野郎。ここらは重要な街道沿いで冒険者が多いからとにかく武器が売れるんだ。特に朝はギルドから依頼をもらったやつらに売りこむんだよ。早く着いてこい」
男は僕の腕を叩いて、着いてくるように誘った。長い坂を上りながら話を続けた。
「最近は狼が山から降りてきたとか言って、経験の浅い若年のパーティーがこぞって依頼を受けるもんだからね、馬鹿みたいに新しい武器を新調しにうちに誘い込まれるのさハッハッ」
「ハハハ」
「お前が笑うな。この時期の太客をお前はこの間に数人逃したかもしれないんだぞ。損害を請求したいくらいだよ全く」
「はい」
「図体でかいくせに物腰は低くて気持ち悪い野郎だな。なんなんだよお前は」
「さあ」
店主の男は僕の腕をまた叩いて話すのをやめた。僕でさえもこの大男のことを知らないのだから。どうするのが自然なのかまるで分からない。身の丈にあったバイキングのような豪快な感じを押し出せば良いのだろうか。そう思案を巡らしているといつのまにか木造の平屋に大きく知らない言語がデカデカと書かれた看板のある武具店に着いた。
「ほら早速客がきてるじゃないか。対応しろよ。今度抜け出したらクビだ。クビ」
「はい!」
「うっせえ!」
「はい・・・・・・」
「夕方までちゃんとやってろよ」
今度は威勢良く声を上げたがこれも否定された。一体どうしろと。とにかく僕は見知らぬ武器が羅列される狭い店内を抜けて、「いらっしゃい」とだけ客に声をかけた。おそらく僕と同じくらいの年齢の若い冒険者の男女二人組は剣が立ち並ぶ棚の前で悩んでいた。
これでも前世で雑貨店のバイトを一年やった僕に店番など屁でもない。ここは新生活の第一歩としてさらっとこなしてしまおうではないか。僕は二人組に話しかけた。
「なにかお困りでしょうか。よければお探ししましょうか」
「実はこれよりももう少し剣身の短くて軽いものを探しててなかなかちょうどいいのが見つからなくて、長い時間ここで悩んでいるの」
「なるほど畏まりました」
意気揚々と話しかけたものの、前世での1年バイト経験などまるで話にならない。そうだ。ここは異世界で僕は転生した身なのだ。とてもこの時代の客の相談に乗るなど不可能な話だった。しまったと心の中で猛省した。
少し店の奥に入って店内を見回してみる。しかし、どこを見てもきっと前世でこんなものに精通していたら危険人物扱いされるであろうほど尖った刃渡りの長い刃物だらけで僕には何一つとして知識がない。困ったことになった。あの冒険に希望を抱く若い冒険者は心を躍らせて僕が戻るのを待っているはずだ。「すみません用意できませんでした」などと言えたものではない。彼らの絶望した顔が目に浮かんだ。僕は意を決して彼らのいる入り口付近に足をすすめた。手には自分にしっくりときたグリップの剣を携えていた。前世の非力な腕ではきっとこんな剣持てなかっただろうにと思いながら両の腕で大事そうに抱えた。
「お待たせしました。申し訳ないございませんが、このようなものしかご用意できませんでした」
「どうもありがとうございます」
デタラメだ。まるで長さなど考慮していない。中学剣道部の体験入部で若干に剣を握った程度のにわか者の僕の今の器がしっくりきた長さなのだから。当然彼らの要望に応えたものであるはずがない。目を細めて、静かな彼女の反応を恐る恐る確認した。
「ああ、うん。これはいいわ。さっきより剣身が長いけど持ちやすい。重さも丁度いいくらいです。要望とは違うけど、すごく気に入りました」
意外な反応が返ってきた。冒険者は目を輝かせて鞘から抜いたり刺したりを繰り返した。実際もしかしたらちょっとしたセンスが僕にはあったのかもしれない。喜ぶ様子に嬉しくなり、つい調子に乗った。
「ええそうですよね。まあ要望通りのものもあるにはあるのですが、お客様の体格や手先から判断しこの位のものが良いと思いました。すみません勝手なことをしてしまってハッハッハッ」
「いえいえとんでもない。想像以上です。買わせていただきます。おいくらでしょうか」
なんと礼儀正しい女性だろうか。彼女らにはぜひ大成してほしい。そう思った僕はさらに調子に乗ることにした。
「ありがとうございます。いやあねその剣は実は私のものなんですよ。もう振らないから店に残してて売れもしないから処分に困ってたんです。どうです今回は無料で差し上げましょう」
「ほんとですか!?」
「ええ、もちろん。若い冒険者が頑張ってくれるのは嬉しいことですよハッハッハッ」
あの店主の男には申し訳ないが、もうこの店はどうでもいい。そうだ。冒険者になろう。なんたってこの大きい肉体を生かさない手はない。それに彼らを見ていて、せっかく与えられた転生という機会で武具屋の手代で一生を終えるなど面白味がない。異世界を存分に楽しもうと決めて大きな拳を握った。
「あのもう少し他に防具などを見て行きたいのですが」
さっきから静かだった男の方が話しかけてきた。
「ええ、奥にありますので、どうぞごゆっくり」
先程剣を取りに行った時防具を並べてある場所を見つけたので彼らを案内してから、入り口付近の椅子に腰を下ろした。もう後は消化試合だ。明日にでもギルドとやらに行って冒険者を目指してやろうじゃないかと意気込んだ。
すぐ後に店のドアが開いて、鈴が鳴った。中年の少し凝った衣装を着た男が入ってきたと思うと、僕の顔をじっと見つめた。恥ずかしくなってすぐに顔を背けたが、男の視線は続いた。
「いらっしゃい。なにかお困りですか」
「・・・・・・」
男は黙っている。僕の顔を見つめ続けている。
「あの何か顔についてますかね」
「なああんた・・・・・・なんで・・・・・・生きてるんだ」
恐る恐る彼の口から発せられた言葉に僕は動揺し、椅子から飛び立った。この男は前世の知り合い?いやでも僕の肉体も顔も随分前と変わったはずだ。
「どういう意味ですかな?僕は一度も死んだことなんて———」
「いやまさかな。ハハハ。失礼勘違いだ」
「え、どういうことですか?」
「これは失礼。あんたがさっき坂下で馬車に轢き殺された男に似てたからつい見つめちまった。すまんすまん。いやねそいつもあんたぐらいの背丈で外人みたいな顔立ちだったから動転しちまった。ああ勘違いだ」
「坂ってこの店でてすぐの所の?」
「ああ、そうだよ。馬が脚崩して上からガッーって滑ってきて下歩いてた大男と激突したわけよ。もう男の方は頭が潰れて血がものすごい具合に出てたね。ありゃあもう助からねえと」
「え?」
「どうしたんだい?あんたじゃないんだろ?なあ」
「ええ、もちろん。ちなみにそれはいつのことですか」
「ついさっきだよ。俺は血生臭いのは見たくねえもんだから、通り過ぎて一回この店まで坂上がってきたんだ。だけんど店内に誰もいなくてそれで隣の本屋に寄ってたのさ。そしたら声が聞こえてきたもんで戻ってきたってわけ」
「はあそれはどうもすみません。さっきまで外に出ていたもんで」
「でも安心したよ。本当に似てるから亡霊でも出たのかと思ったさハッハッハッ」
男の笑い声を聞きながら冷や汗が脇を伝って落ちていくのを感じた。全身の毛穴から脂汗が滲み出るほどの緊張と恐怖が走った。
「ちょっと待ってくださいね。もう一度尋ねるんですけど、あなたは先程この店に来たけど店内に誰もいなかったんですよね」
「そうだよ。客の一人いやしない。みんな坂下の騒ぎに夢中だったのが知らんがね」
「本当に客はいませんでしたか?二人くらい冒険者が居たはずなんですが」
「いーや、俺は店内を一度ぐるって回ってみたから間違いないよ」
男が言い切るより先に僕は背中を気にし始めた。奥に行った二人の冒険者は「長い時間ここで悩んでいる」と言った。僕の魂が乗り移るまでこの器の男が一体どれだけの間店番をサボっていたのか知らないが、雇ってもらっている身がそこまで長い間抜けることは考えにくい。とすれば彼らの言った「長い時間」というのはそういう点でもまた、男の話との矛盾からしても異様に短い時間になるのではないか。
僕は脳をフル回転させて、その矛盾を考えていた。誇張して言ったという結論に収めようとしたその時、思考は肉体を離れた。
両手剣が高い位置を真横に切った。僕の首はその瞬間血飛沫を上げて、胴から離れていった。二の太刀がさらに腹に入り、倒れた末に引き抜かれた。狭い店の通路を二つになった肉塊が血の水溜まりを作って塞いだ。男の汚い悲鳴が僕の耳に強く残った。
次に意識が戻ったのはまた大通りだった。僕はすぐに自分の死んだことを蒸し返したから今度は最悪の目覚めだった。今なお吐き気を催すほどに、剣先が首の皮膚を裂き、肉に切り込んだ想像を絶する痛みを回想し、気持ち悪くなった。
2回目の転生はまた大通りだった。しかし、さっきとは一転して体が軽い。視点が低い。こっちをみる通行人はみんな僕を見降ろすように見た。また膝をつき水溜まりを探す。真っ先に飛び込んだのは細い足、そして視界に入るほど伸びた金の長髪だった。十七の僕は今度は麗かな乙女を演じることになったらしい。