エピソード2・お参りの理由
少年はお面の紐を杖にくくりつけていた。歩く度にじゃらじゃらという鈴の音が森に共鳴する。
もはや雨の気配はなかった。しばらく下っていたが、道を曲がるとやがて再び上りになり、さらにまた下り坂り、また上りへ――。アップダウンの激しい山道に愛稀はすっかりへばってしまった。腰を曲げて膝を手に着きながらよたよたと階段を上ってゆく。その一方で、少年の足腰はしっかりしていて、大したものだった。
道中には、さまざまな祠があって、都度入ってはお参りをしてゆく。少年は、ほんの小さな祠も見逃さず、隅々まで手を合わせていくのだ。神前で手を合わせている時の横顔も、真剣そのものだ。
「随分熱心にお祈りしているね」
愛稀は少年に言った。よっぽど信心深いのか、もしくはどうしても叶えて欲しい願いがあるのだろうか。
「お姉さんもね」
と、少年は返した。
「キミ……名前が分からないとやりづらいね。聞いていい?」
「いいけど。ユウだよ」
「私は愛稀。――ユウくんは、一体どんなお願いをしているの? あ、でも、お願い事って、人に話したらダメなんだっけ?」
「別に構わないよ。大したことじゃないし」
と、少年は話しはじめた。
「姉さんの結婚がなくなりますように……って」
「お姉さんの結婚?」
大したことじゃない、と言う割には大層な願いであることに、愛稀は驚く。
「姉さんといっても、見知らぬ女の人を呼ぶ時の呼び方じゃないよ。正真正銘、本当の姉さんさ」
「そうなんだね。どんな人なの?」
愛稀はユウに訊いてみた。
「優しい人だよ」
「お姉さんのこと、好きなんだね」
「まあね。ボクの家はお父さんもお母さんもいなくて、ずっとふたりで暮らしてきた。絆は誰よりも強いんだ」
「それなのに、どうして結婚して欲しくないの?」
「相手が姉さんに相応しくない奴だからさ。突然、親戚から一方的に縁談の話がもちかけられてね。姉さんも嫌々受けざるを得なくなった」
「断れないの?」
「本家が持ち込んだ話だったからね。あと、相手の男の家柄も僕たちより上だから、姉さんも断れなかったんだ」
愛稀にとっては、本家や家柄という言葉は、どうにも時代錯誤のように感じてしまう。今の世では、恋愛や婚姻相手の選択は、本人の自由であると思っていた。しかし、まだこのような封建的な風習が残っている一族もあるのだろう。
「だからこうやってお参りしてるんだね」
「そうだね。山の神様全員にお願いしたら、縁談をなくしてくれるよう、はたらきかけてくれるんじゃないかな、って」
「そうなんだね……」
愛稀にはユウの考えていることが他人事とは思えなかった。愛稀自身がお参りをしている理由にも近しいものがあった。どうしても離れ離れになりたくない人が居る。
ユウにとってそれは実の姉だというが、愛稀にとっては運命の恋人なのだった。