後の祭り
思い付きと勢いで書いたものですが、細かなところはご容赦いただければ幸いです。
ロレンツォ様、泣いて縋れば何でも許されると、そう思ってでもいらっしゃるのでしょうか?
確かに、私は貴方様のことを、今までいつだって許して来ましたわ。貴方様の尻拭いだって、気は進まなかったけれど、求められるままにして参りました。
でも、今となってはわかります。もっと早くに、貴方様には見切りを付けるべきでした。
ご自分が誰より一番大切で、ご自分のことを中心にしか考えられない貴方様のことを、まだそれも子供ゆえの幼さだと、そのような欠点を私に晒すのも、私への心を許した甘えがあるからだと、私も、自分に言い聞かせるように、長いこと苦しい言い訳をして参りました。でも、今日を限りに、貴方様という存在から解放されると思うと、心にのしかかっていた重しがようやく外れたような気もいたします。もう、お守りが必要な子供という歳でもなくなりましたしね。
私という婚約者がいることを知りながら貴方様に近付いて来た、隣国からやって来たと仰られていたあのご令嬢のこと、私も勿論調べておりました。
彼女、ぞっとするほどの美貌の持ち主でしたわね。……貴方様の破滅を予感させるような。あれほど、彼女には近付かないようにと釘を刺したにもかかわらず、貴方様があっという間に彼女の手中に落ちて、私には見向きもせずに彼女に入れ込む様子を見た時、私の中でも、今までどうにか堪えてきたものが、ついに堰を切って流れ出すのがわかりました。
王家主催の夜会で、婚約者である私を差し置いて、夜会に自ら招いた彼女にダンスを申し込む皇太子の貴方様のことを、苦虫を噛み潰したような表情で眺めていた国王様と王妃様。そして、貴方様を殺さんばかりの勢いで睨み付けていたお父様とお兄様の顔が、このような状態になっても、まだ忘れられませんわ。
彼女とのダンスの後、私のお父様とお兄様からの刺すような視線に気付かないふりをして、貴方様は給仕からワイングラスを2つ受け取ると、1つを彼女に渡し、もう1つをご自分のお手元に持っていらっしゃいましたね。けれど、その時一番神経を尖らせて貴方様のことを見つめていたのは、きっと私だったことでしょう。貴方様の側にぴたりと身体を沿わせながら、頬を寄せて「まあ、怖いわ」と、私を見やってくすりと笑んだ彼女に、貴方様は否定もせずに笑みを返すと、手にしたワイングラスに口を近付けましたが、私が必死の形相で走り寄るのを見た貴方様は、眉を顰めて動きを止めました。
私は、走るためにドレスをたくし上げていた手を離すと、その手をそのまま貴方様の手元に伸ばしました。
「彼女にはグラスを取って差し上げるのに、私には取ってはくださらないのね?
……もう、お別れですわ。ロレンツォ様」
まるで血のように濃い赤色のワインが並々と注がれているグラスを、私は貴方様の手からするりと抜き取ると、一気にその中身を呷りました。高位貴族の令嬢としては、いささか乱暴な行いだったことは承知しておりますが、私も自分を抑えることが出来なかったのです。
「待て、ミリー!
わかっているだろう、それは……」
お兄様の慌てたような叫び声が辺りに響きます。
ざわり、と華やかなドレスやタキシードに身を包んだ人並みが動き、その合間から武装した者たちが飛び出しました。
貴方様の腕に縋りつく彼女の表情が青ざめ、貴方様の背中に隠れるようにしたのを横目で見ながら、私はそのままその場に膝から崩れ落ちました。当然のように、場は騒然。かのご令嬢は取り押さえられ、そして、今に至るという訳です。
そう、あの美しいご令嬢は、隣国から貴方様に差し向けられた刺客でした。あまりに簡単に貴方様に取り入ることができて、きっと驚いたのではないかしら?
貴方様は、評判だけは一流でしたから。
……いえ、学力面という意味での頭脳と、身体能力、そして、その美麗な金髪碧眼のお顔は、確かに文句の付けようはありませんでしたわ。けれど、人としては、いかがなものかと思わせられる面も多々ありましたし、表面に現れそうになった綻びを繕うのは、いつだって私の役目でしたわね。
あの日、王家を陰に日向に支えて来た、お父様を筆頭とする私の家の面々も、彼女の動向を注意深く見守っていました。尻尾を出したところを押さえるために。
友好国を装いながら、この国の綻びを狙っていた隣国も、単なる情報収集のために派遣したであろう彼女に、結局あれほどの大役を押し付けることになるなんて、初めは予想もしていなかったのでしょうね。……貴方様が手にしていたワイングラスに彼女がそっと白い粉を入れた時、彼女の手はわかりやすいほどに震えていましたもの。だから、彼女は自分の始末を付けるのに間に合わず、周囲の者たちに捕らわれたのでしょう。
そんな素性も知れない女性を夜会に招き入れたせいで、婚約者が倒れたのですから、貴方様は父王様の信頼をすっかり失ったようですわね。私のお父様とお兄様とて、貴方様を斬り殺さんばかりに怒り狂っていますものね。
……でも、そんな愚かな貴方様でしたけれど、私、貴方様のこと、これでも、今までは心から愛していましたの。
なのに、貴方様が、私のことをちっとも愛しても、その瞳に映してもくださらないから、私、あのままだと、都合良く私を利用するだけの貴方様のことを憎んでしまいそうでした。可愛さ余って……とも言いますからね。そんな鬼のような顔になる自分を、貴方様には見せたくありませんでしたし、私自身も見たくはありませんでした。
ですから、私はあの時、貴方様へのお別れを告げた後、あのワイングラスの中身を飲み干したのです。もしも、あの場で私がワイングラスを貴方様の手から叩き落としでもすれば、貴方様はきっと私のことを冷えた目で見つめ、彼女を庇ってあの場を去ろうとしたことでしょう。その様子を見守るのに耐え得るほどの心の余裕は、もう私には残ってはおりませんでした。そうなってしまう前に、貴方様への執着をどうにか解けたらよかったのですけれど、それができなかった私が、一番愚かだったのかもしれません。
何かあれば、私が先回りして対応するか、あるいは尻拭いすることに甘え切っていた貴方様は、油断なさっていたようですね。
今更そのことに気付いても、もう遅いのですよ。
「ああ、ミリー、お願いだ。お願いだから、その目を開けてくれ。
こんな僕を庇うために、その身を差し出してくれたなんて。
どうか、僕のことを許してくれ……」
いくら貴方様の願いでも、貴方様がどれほど激しく肩を震わせて涙を流しても、残念ですが、それは叶えることは出来ませんわ。いつものように貴方様を許すことも、今回ばかりは叶いません。
だって、私はもう棺の中にいるのですから。
まさか、百合の花で埋まった棺に納められた自分の姿を、空から眺めることになるとは、私も思いもよりませんでしたわ。神様も、こんな様子を最後に見せてくださるとは、粋な図らいをしてくださるものですね。
貴方様は、もう八方塞がりですね。いつも貴方様の後始末をしていた私は、もう泣いても喚いても戻りません。貴方様の廃嫡は決まったようですし、要職に就いている公爵家のお父様とお兄様も、貴方様の廃嫡後であっても、決して貴方様を許しはしないでしょう。私、貴方様には今の今まで愛してはいただけませんでしたけれど、お父様とお兄様には、それは溺愛されていましたのよ。
でも、一つだけ安心してくださいましね?
私、貴方様のところに化けて出たりは致しませんわ。
最後に、貴方様の心からの悔恨の涙を見ることができて、私はもう、この世に思い残すことはありませんから。
読後感が悪かったら恐縮ですが、最後までお付き合いくださり、どうもありがとうございました!