第二王子と恋を知らない公爵令嬢
「すまない、我がロイエール公爵家は第二王子派に与することになった」
父の執務室に呼ばれた私は、死刑宣告にも近い言葉を告げられた。
第一王子の婚約者として選ばれた私は、間もなく学園を卒業し王太子妃になるはずだった。
ずっと第一王子派を貫いていた我が公爵家の離反。それは、私の人生を大きく変えてしまうに違いない。
それどころか、もうすぐ立太子を控えていた第一王子から第二王子へと勢力図が大きく変わる可能性が高い。
貴族社会をそれどころか国全体を大きく揺るがすかもしれない大事件だ。
「それでは私は」
「アデライト第一王子とは婚約を……解消することになるだろう。できなければ我が家は、いや王国中がおそらく」
父の言うことが良くわからない。たしかに、第二王子派に属するならば私が王太子殿下の婚約者でいるというわけにはいかないだろう。
でも、できなければ私を切り捨てればいいだけなのだ。きっと、領民を抱え、貴族社会でも絶大な影響力を持つ父ならばそれをするだろう。私への愛情は別として。
「お父様……すでに私は、王族になるべく教育をほぼ終えております。覚悟ももちろんできております。いっそ、王太子殿下側から婚約破棄を受け、私が矢面に立つことだって……」
「アリアナ……もちろん私にも娘に対する愛情がないわけではない。だが、それでも必要ならその決断をするだろう。お前に教えてきたように……だが、今回は事情が違う」
よくわからない。王妃となるべく幼少のころから育てられてきた。
それがあと少しで叶う直前の我が家の王太子派からの離反。
父の政治的手腕は誰もが認めるものだ。よほど大きな理由があるに違いない。
「どちらにしても、お前に頼るしかないんだ。すまない。王国と国民の平和のためだ。許してくれ」
「私は公爵家の長女として生きていくことしかできません。お父様、王国と国民のためとおっしゃるのであればどうか如何様にもお使いくださいませ」
「……すまない。だが、お前の幸せも願っているよ」
父親の顔をして笑うのを見るのはいつぶりのことだろうか。
私も、この時だけは娘の顔をして父に笑いかけた。
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そしてまったく説明を受けないまま、次の日私は王宮へと呼び出された。
幼少のころからともに過ごしたアデライト王子。
私たちの間に愛情はなかったかもしれないが、ともにその治世を支えていこうという覚悟はあった。
それに、幼い頃からともに過ごせばそれなりに情もある。
すでに、ロイエール公爵家が第一王子派から離脱したという噂は広まっているようだ。
王宮の正門をくぐると、第三王女であり私の級友でもあるリーディア王女に出迎えられた。
「大丈夫?とりあえずうちの兄が申し訳ないわ……」
「アデライト殿下は何か大きな問題でも起こされたのですか?」
「いいえ、そちらの方の兄ではないの。たしかにアデライト兄様は、良くも悪くも優秀で真っすぐだった。もちろん大きな問題も起こさないけれど、それでは王になる器としては不十分だった」
「――――おっしゃる意味が分からないのですが」
たしかにアデライト王子は優秀であっても、駆け引きのようなものは苦手な部分がある。それについては、王太子妃としてフォローできればいいと思っていたのだが。
「二番目の兄様……。イーリス兄様のたった一つの願い。ごめんなさい、私も知っていたのにあなたに伝えていなかった。こんなことになるなんて」
その名前を聞いたとたん、心臓が飛び跳ねるのを感じた。
アデライト王子の婚約者として過ごす中、時々会うだけのイーリス第二王子。
いつも押し殺していた気持ちは、もしかしたら……。でも、そのことに私は気づかないようにしていた。
それに一年前からイーリス第二王子は、他国へと留学していたのではなかったか。
「本当に、何があったのですかリーディア王女殿下」
「私、あなたのこと友人だと思っているの。だから私は貴方の味方よ。……アリアナ、実は」
覚悟を決めたような表情で何かを伝えようとしたリーディア王女。だが、次の瞬間その瞳が見開かれ、唇が震える。
リーディア王女が凝視する先には、人影があった。その人影は足早にこちらへと近づいてくる。
「イーリス殿下……」
「アリアナ、時間切れだわ。私はこれで失礼します」
リーディア王女は、少しだけイーリス王子を睨んでから去って行った。
「久しぶりだね。アリアナはまた美しくなったね?その空のような瞳や日差しのようなブロンドは変わらないけれど」
イーリス王子は、しばらく見ないうちに印象が変わっていた。
優しげだった瞳はすべてを知っているかのように深淵な印象を与えながら相手を見つめ、いつも楽しそうだった笑顔は、微笑んでいるのに感情が読めない。
イーリス王子が放つ覇気に震えながら私は理解した。
王になる器を持つのは、イーリス王子だったのだと。
でも、こんなに短期間に人は変わることができるのだろうか。
イーリス王子とアデライト王子は、母親が違う。
第二王妃を母に持つイーリス王子よりも正妃を母に持ち、しかも第一王子として生まれたアデライト王子が王太子になるというのが、貴族たちの共通認識だったのだが。
それにイーリス王子には、ずっと王位を狙う野心のようなものは見受けられなかった。
だが、最大派閥であるロイエール公爵家が後ろ盾となれば、確実に王太子は第二王子だという情勢へと傾くだろう。
それともすでに情勢は傾いているがゆえに、公爵家も第二王子派に変わるしか道が無かったのだろうか。
そして、恐らくアデライト王子とイーリス王子が並び立てば、誰が王の器を持っているか誰の目にもはっきりわかってしまう。
「やっとここまで来た。約束覚えている?アリアナ」
微笑むイーリス王子は、私を焦がしてしまいそうなほどの視線で見つめる。
私がイーリス王子から貰った約束なんて、たった一つしかない。
それは決して叶うはずのない願いだった。
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婚約発表のパーティーだというのに、第一王子は、貴族令嬢たちに囲まれている。私はその輪にいることに疲労感を覚え、少しだけ夜会を抜け出してバルコニーへと出た。
いつもは抜け出したカップルが多いはずのバルコニーは、なぜか閑散としている。
そこにはイーリス王子が一人で夜空を見上げていた。
婚約者のいる淑女が、ほかに人のいない場所で男性と二人きりになるなんてあってはならない。
それでも、私は縫い留められてしまったようにこの場所から動くことができなかった。
イーリス王子は、こちらを振り返るとその美しい深紅の瞳を見開いた。
そして、うれしそうに微笑む。月の光が銀の髪を輝かせ、私は思わず見惚れてしまう。
「まさか、最後の夜にアリアナに会えるなんて思いませんでした」
「最後の……夜?」
「ええ、明日から他国に留学するので……」
「それは寂しくなりますね」
イーリス王子は、少し困ったように微笑んだ。
その表情に私は耳が熱くなるのを感じる。どうしてだろう。そんなはずないのに。
「寂しいと思ってくださいますか?」
「もちろんですわ?イーリス殿下」
それは社交辞令に近い言葉の交換。でも、私の心からの気持ちでもあった。
「一つだけ確認したいことがあるんです。アリアナは王妃になる。それは変わらないですよね?」
「――――そうですね。そのように育ってきました。私は王妃になるのでしょう」
「王がアデライト兄上ではなかったとしてもアリアナは王妃になるのですか?それとも兄上の妃になりたいですか?」
「私は……国民のために王の治世を支える王妃になりたいですわ。だから」
その言葉のあとには、アデライト王子を支えていきたいという言葉が続くはずだった。
アデライト王子の妃に何としてもなりたいという答えを言えなかったのは、公爵令嬢としての教育がそうさせたのだろう。
それとも、私の心の奥底にはイーリス王子への……。
「それなら、あなたの望む通りの王になりますよ。それまで待っていてください」
私はその言葉に呼吸も心臓までも止まってしまったかのような衝撃を受けた。
それは、平穏に決まりかけていた王位継承権を根底から覆す言葉だったから。
はっきり言って、第一王子が王太子としてほぼ内定している状況から、イーリス王子が王太子になるなんて不可能に近いだろう。私はそう思った。
どんな気持ちでイーリス王子がその言葉を私に言ったのか、私にはわからない。
そしてその夜から今日まで、イーリス王子に会うことは一度もなかった。
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私をエスコートするためにイーリス王子から手が差し伸べられる。
第一王子の婚約者である私が、護衛騎士や家族以外にエスコートを受けるなどあってはならないことだ。
それでも私はその手を迷わずにとった。
『第二王子に逆らってはいけない』
王宮へ向かう直前に、父に言われている。それはたぶん第二王子派としての立場を示せということなのだと理解した。
エスコートされたまま、国王陛下やアデライト王子が待つ謁見室へと向かう。
婚約破棄は、まだなされていない。
それなのに……これはいったいどういう状況なのだろうか。
謁見室に入ると、アデライト王子が信じられないものを見たかのように私たちのつながれた手を見つめる。
私だって、どうしてこうなったのか良くわからない。裏切り者と罵られても仕方ない状況だ。
それなのに、エスコートしている手をさらに強く握りしめ、追い打ちをかけるようにイーリス王子が私の手に口づけを落とす。
手がようやく離されたので、私は国王陛下に優雅に礼をする。
動揺を表に出したりはしない。それは私が王妃教育や公爵令嬢として体の芯まで染み込ませてきた処世術だから。
「アリアナ。面を上げ普段のようにしてもらえるか?」
「はい。陛下の仰せのままに」
その言葉受けて顔をあげると、陛下がこちらをじっと見つめていた。
いつの間にか、イーリス王子も陛下の隣に並んでいる。
陛下にすら負けないほどの威厳をその姿からは感じる。
「ふむ……。このような姿を見せられれば、イーリスの願いを聞かないわけにもいかないだろうな」
「……陛下?」
「其方の父、ロイエールにはすでに伝えているのだが……王家の洞窟は妃教育で学んだな?」
「……帰ってくるものはほとんどいないけれど、その最深部に到達した者が、我が国と盟約を結ぶ古の竜から王として認められると習いました」
え?イーリス王子はなぜそんな風に笑っているんですか。
その笑顔、まるで……。
「イーリスはその洞窟の最深部にたどり着いた。そして、ここに立っている」
それは、だれにも覆すことができない王国の不文律。
王家の洞窟の最深部に到達した王族は、誰よりも強い力と知恵を得る。そう王宮の図書室で禁書には書かれていた。
それは王家の一部しか知らない事実のはずだった。
それなら、あの日イーリス王子が他国に留学すると言ったのは……。
どうして、そんな風に命を懸けて。
幼いあの日から、あなたは王位には全く興味がないと言っていたではないですか。
「イーリスが王太子になることはすでに決定事項だ。そしてアリアナ。妃教育を受けたものを、他国や他家に嫁がせることも叶わぬ」
「……如何様な処遇も覚悟しております」
王位争いに敗れた王子の婚約者が、すでに妃教育を終えていた場合の末路など決まり切っている。
悪女として歴史に名を遺す令嬢が、実際に悪女であったなどごく少数なのだから。
「――――すまないが、アデライトとの婚約は解消する」
そこまでは、想定の範囲内だった。私は次に私に告げられる処遇を待つ。
しかし、国王陛下が告げたのは意外な内容だった。
「アリアナを王太子イーリスの婚約者とする」
「え……?」
信じられない言葉に、思わずイーリス王子の顔を見る。
私の瞳だけに視線を合わせたイーリス王子が、どこか暗い印象を与える深紅の瞳で微笑んだ。
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まったく意味が分からないまま、私は公爵家へと帰ってきた。
エントランスホールに眉間の皺を深くした父が待っていた。
こんなところで待っているなんてよほど心配させてしまったようだ。
「お父様……なぜか、イーリス殿下の婚約者になりました」
「やはりそうか……。イーリス殿下のおっしゃった通りになったな」
「どういう、ことですか?」
父が語ってくれたのは、一年前の出来事だった。
イーリス殿下は父のもとを訪れ、王家の洞窟最深部にたどり着いた時にはロイエール公爵家に後ろ盾になって欲しいということと、私を妃にしたいということを伝えてきたのだと言う。
「止めなかったのですか……だって、帰って来た人は建国以来二人しかいないって」
古の竜と盟約を結んだという初代国王、そして伝説に語られる剣王。
「うーん……父親として、お前が欲しいからと蛮勇に出る若者を止めようとしたが、決意が固くてな?そして、ここまで来たら国の平和のためにはお前を差し出すほかにはない」
「国の平和のためなら私が妃でなくても?」
たしかに妃教育を終えて、公爵家の後ろ盾がある私は便利な駒かもしれない。
それでも、第一王子から第二王子に鞍替えしたとして醜聞も免れない。
「イーリス殿下はむしろ王位より……いや、ここまでか」
口をつぐんだ父の見つめる先を振り返ると、イーリス王子が立っていた。
「お待ちしておりました。イーリス王太子殿下」
「ああ。約束通り、アリアナは貰い受けるよ」
そのまま私は、イーリス王子に手を引かれる。父が止める様子はなかった。
「あの……イーリス殿下?」
早すぎる展開についていけない。
貰い受けるってどういうこと?
婚約したばかりなのに。
イーリス王子は、いつか約束をくれたバルコニーへと私を連れて行った。
「やっと手に入れた」
「あの……イーリス殿下」
「イーリスと呼んでほしい。それから、順番が狂ってしまったけれど」
私の前に跪くイーリス王子。王太子ともあろうものが、臣下に跪くなんてあってはならないのに。
止めようとしたのに、その深紅の瞳があまりに真剣だったから私は息を呑む。
「俺の婚約者として、そして王妃として生涯を共にして貰いたい」
「なぜ……私なのですか」
「俺がたった一つ手に入れたいものだから。受け入れて、くれないの?」
「私にそこまでの価値があるとは思えないのですが」
震える私の唇。声もきっと震えているに違いない。
「アリアナの価値なんて俺だけが知っていたらいい。君がアデライト兄上の婚約者になった一年前、絶望で死んでしまおうかと思った。諦めきれなくて、死んでも構わないと最後の希望に縋りついた」
そこまで思いつめていたなんて知らなかった。
あなたは私の前では、いつも幸せそうに笑っていたから。
「でも、王位が欲しかったわけじゃない。王国なんてアリアナのためにならどうなってもいい俺が、王になるなんて間違っているってわかっている」
「イーリス殿下……」
どうしてそんなふうに笑うの。
私は幸せそうに笑うあなたが、好きだった。
「それでも、アリアナだけが欲しい。君は王の妃になる人間だから俺は……」
「――――私などで良いのなら、あなたの治世をずっと隣で支えることを誓います」
その言葉の直後、イーリス王子は一年前までと同じ幸せそうな笑顔を私に向けた。
私の大好きな笑顔を……。
「良かった。アリアナが手に入らなければ、絶望のあまり王都が消滅してしまったかもしれない」
そしてその直後、イーリス王子の一言を聞いた私は、王都の平和のためにと嘆いていた父の言葉の意味をようやく理解したのだった。
最後までご覧いただきありがとうございました。
アリアナ「国民の幸せが私の幸せですわ!」
イーリス「全力を尽くすと誓う」
こんな終わり方ですが、アリアナさえいれば賢王イーリスにより国の平和は守られる……はず。
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他にも短編や連載書いてます。ぜひご覧ください♪