ドキドキしていますわ、お兄様 4
前期生のころのわたしは、年頃の乙女らしく社交界へデビューすることに憧れていた。雑誌や新聞の社交欄は今でも丹念に読んでいるし──いつかわたしもここへ、という憧れは後期生になってから消えたけど、ヴィンス兄様たちから、社交界の話を聞くのは今も好きだ。
自分に縁のないところだからこそ、憧れるのよ。芸能人にはなれないと分かっていても、芸能界ってどんなところなんだろう? って想像するのと似ていると思う。
正直なところ、後期生になって同級生から遠巻きにされたり、いじめられたりするようになって、デビューしたくないって思うようになっていた。デビューしても、いじめが続くだけだから、しなくていいならしたくないって、そう思っていた。
でも、今は違うわ。ものすごく、楽しみになってきている。一緒にカドリルを踊る先輩たちからお祝いの言葉をいただいた。例えそれが、慣例に従った社交辞令だったとしても──わたしは歓迎されているんだって、その気にならない方がおかしいわ。
デビュー前の準備が大切、というのはこういうことを経験して、少しずつモチベーションをあげていくことも含まれているのね。もっと、女を磨かなきゃ! ってやる気もアップよ。
気力急上昇の中、カドリルが終り……セレモニーもラストを迎える。
……そう、ワルツ! ライオット様がわたしの手を取ってひざまずき、手の甲にキスをするふり。わたしは膝を折って礼を返せば、彼は立ち上がり、わたしの背中に手を添える。
ライオット様を見上げれば、笑顔でうなずいてくださる。わたしも笑顔を返した。
ワルツはステップが複雑になるけれど、大丈夫。今なら、楽しんで踊ることができそうよ。
テンポのいい3拍子の曲が奏でられる。1,2,3と心の中で拍子を取って、ライオット様のリードに合わせ、足を動かした。
音楽に合わせ、右足を後ろ、次は左足を横少し後ろ。足をそろえて、今度は左足を後ろ。頭の中でステップの手順を確認しなくても、自然に足が動いてくれる。ライオット様のリードがお上手なおかげね。まるで背中に羽が生えたみたいに、軽やかだわ。
「ライオット様は、ダンスがお上手なのですね」
わたし自身、ダンスが得意というわけではない。誘われたら、快く応じることはできるくらいの腕前よ。人並みには踊れます、って答えられるレベル。
だから、結構練習したのよ。人並みには踊れても、春の舞踏会は注目度が違うから。ライオット様やシール兄様に恥ずかしい思いをさせちゃいけないわ、って思ってね。
そう思う一方で、ライオット様もダンスはあまり得意そうじゃないわよね、って思っていたの。お仕事柄、体を動かすことは得意だろうけど、ダンスが得意かどうかは別の話だわって。
でも、それはとんでもなく失礼なことだったみたい。正直にそのことを打ち明けると、
「間違ってねえぞ。お前の言う通り、人前で恥をかかねえ程度には踊れるってレベルだったからな」
「とてもそうは思えませんが……?」
「ステラと舞踏会に行くことになって、恥をかかせるなって、スパルタで仕込まれた」
「まぁ! 傭兵団にはそんなにダンスのお上手な方がいらっしゃるのですか?」
多彩な人材がそろっているとは聞いていたけど、そんなに優秀なダンスの先生がいらっしゃるなんて。わたしが目を丸くすれば、違う、違うと否定された。
「シールが契約してる精霊に仕込まれたんだよ。ヘルメスじゃねえけどな」
「まあ! そういえば、他にもまだ契約している精霊がいると──っ?!」
聞いたような、と続けようとしたところで、刺すような視線を感じ、わたしは言葉を詰まらせてしまった。ライオット様も気づいたようで、一瞬、険しいお顔になる。
「誰だ?」
「……誰でしょう?」
常に移動しているせいもあって、鋭い視線の主が誰なのかは確認できなかった。
「ライオット様を狙っていたご令嬢かしら?」
それとも、子供をセールヴィに通わせている保護者からの、余計なことをしてくれやがってといった、恨みの視線? あるいは……カサンドラか。
「俺狙いの令嬢なんていねえし、保護者もないだろうよ。仮デビューできないのは、自業自得だからな。親にはたびたび、言われてたんじゃねえか? リーブス男爵夫人は義妹をかわいがってるみたいだから、仲良くしとけってな」
リーブス男爵夫人、つまりエル義姉様のことだ。社交界の女王と呼んでも差し支えのないアデラー子爵夫人の娘で、義姉様ご自身も社交界では強い発言権を持っていらっしゃる。
社交界の権力者のお気に入りと仲良くしておくのは、当然の処世術。
「それをしなかったんだから、逆に何やってたんだって、叱られたんじゃねえか?」
「なるほど……。ではやっぱり、ライオット様狙いのご令嬢かカサンドラですね」
「だから、俺を狙う令嬢なんていねえって」
「いーまーすぅ。ライオット様、ちゃんと鏡を見てこられましたか? 普段も素敵ですけれど、今はもっと素敵になっているんですよ!?」
自分から初めましてとあいさつにいくのははしたない、というマナーがなければ、ダンスが終ったとたん、ライオット様は砂糖になって、蟻のご令嬢に群がられていたに違いない。




