…………お兄様?
レベッカの名前を呼ぶ、聞き覚えのある声に振り返れば、やっぱりライオット様だった。彼は軽快な足取りで、通りの反対側からこちら側へ向かってくる。
「貴方、メイドと護衛の人選をするため、屋敷に帰ったのでは?」
「それはお袋に任せてきた。シールから、お前たちを迎えに行ってくれって頼まれたんだよ。ジェラルド殿下から呼び出しがあったらしい」
なるほど。それは、お断りできないわね。街へ出かけるくらいならともかく、お城へ行くのなら、箱馬車じゃないと恰好がつかないもの。
「で、貴方は我々に歩いて帰ろうと──?」
「ンな、おっかねえ顔すんなよ。ウチの馭者にここに来るよう言ってあるから、その内来るはずだ。手配してんのも、箱馬車だから問題ねえよ」
グロリアさんの責めるような物言いにも、ライオット様は動じず、肩をすくめるだけだ。
「あのぉ……生意気な口をきくようですがアゲート閣下は馬車をお持ちなので?」
小さく手をあげたレベッカが、不敬だとは分かっているのだけれども、聞かずはいられないといった風に、恐る恐る口を開いた。
「そういうことは、思ってても言わねえもんだろ、普通」
ライオット様は呆れたように笑いながら、
「俺のじゃなくて、ウチの。デカイ傭兵団には、そういう馬車も用意してあるんだよ。体面とか作戦に必要とか、そういう理由でな」
なるほど。そういう細やかな気遣いが信用とか次の取引に繋がるのかと感心していると、
「あっ、あの……失礼ですが、もしかして、あの……スカー・クロスではありませんか?」
「あぁ……。何か用か?」
遠慮がちに声をかけてきたのは、箒を握りしめた10歳くらいの少年だった。頬はうっすらと赤くなっているし、表情は少し強張っていて、緊張しているのがよく分かる。
「オレッ……じゃない、ボクは、あの……新聞であなたのことを見て……ファンになったって言うかッ……えっと……その……あ、あの……ッあっ、握手! 握手してください!」
ズボンのお尻のところで、ゴシゴシと手を拭き、少年は体を90度に折り曲げ、ライオット様に向かって手を伸ばした。
一瞬、きょとんと眼を丸くしたライオット様は、ぷっとふき出して、大笑い。
「いい度胸してんなぁ、坊主。顔を上げな」
少年の頭をぐりぐり撫でまわした。毎日大変だろうが、頑張れよ、と彼に声をかけ、差し出されたままになっていた手を握り返してあげていた。
「あ、ありがとうございます! がんばりますっ!」
一度は顔を上げたものの、少年は再び90度に体を折り曲げる。微笑ましい光景だわ~。顔を上げた彼は、わたしたちの方を見ると「お邪魔しました。失礼します」お詫びの言葉を口にし、頭を下げた。そのまま、ダッシュで去って行ったわけだけど──
「よっぽど嬉しかったんでしょうねえ。スキップしてますよ」
少年の後姿を見送るレベッカが、ふふふと笑う。かわいいなあ。
「あんなに喜ばれると、何だか尻がむずむずするぜ。──っと、来たぞ。あれだ」
照れくさそうに頬を指でかいていたライオット様が指さしたのは、少年とすれ違うようにしてこちらに向かってくる馬車だった。傭兵団で使っている物だと聞いたから、古い物を想像していたのだけれど──
「きちんと磨かれて、整備されているようですね。驚きました」
「グロリア、お前な……。使えない馬車なんざ、邪魔なだけだろうが」
人前じゃなかったら、グロリアさんの頬を抓るぐらいはしていたかも。チッと舌打ちをしてから、ライオット様は律儀に答えてくれた。
わたしたちの前で馬車が停まると、御者台から下りようとした馭者をライオット様が制し、さっさと馬車のドアと開けた。
彼の手を借りて馬車に乗り込むと、すぐに馬車は出発する。
「それにしても、あの坊やはよく、こんなおっかない顔の男に声をかけましたね」
「お前な……」
グロリアさん……そんな、しみじみ言わなくても。ただ、彼女の気持ちも分からなくはない。身分の問題もあるけれど、何より見た目。ライオット様の笑顔は、わたしも大好きなのだけれど──真顔で立っていられると、精悍なお顔立ちに凄みが加わって、ちょっと怖い。
さらに、顔の右半分にある十字の傷跡が、ちょっと怖そうな雰囲気をより演出していると思うの。スカー・クロスという呼び名は、この十字の傷跡に由来するものだということは、説明されなくても分かっちゃうわね。
「…………ライオット様が『スカー・クロス』と呼ばれる理由は分かるのですが、シール兄様が『シール・エスクロ』なのは何故なのですか?」
エスクロは、詐欺師という意味がある。何故、兄が詐欺師呼ばわりされなければならないのか。多少の不満も込めて、ライオット様を見やれば「あー」とか「うー」とか言いながら、言葉を探して、顎を撫でていた。




