お久しぶりです、お兄様 3
「まずは、スーに謝らないといけないな」
運ばれて来たお茶に口をつけて、ほっと一息ついた直後のヴィンス兄様の言葉だ。
「え? あ、あの……別に謝っていただくようなことは何も……」ない。
だって、ヴィンス兄様とわたしは、14歳も年が離れている。わたしが4つになる頃には、家を出てお城で働き始め、お会いする機会はほとんどなかったと言って良い。
「スー……それでも、だよ。私は母のせいで、お前が家で肩身の狭い思いをしているのを知っている。何とか助けてやりたかったんだが……私の力不足で、そうすることができなかった。辛い思いをさせて、本当にすまなかった」
「私からもお詫びするわ、スー。ごめんなさいね」
「いえ……いいえ、そんな……そんなこと! わたしっ、わたしが……知られたくなかったんです。心配させるだろうし、迷惑をかけてしまうかも知れないって……! だから……っ」
心配させたくなくて、家でどんな暮らしをしているか、ヴィンス兄様たちには話さなかった。お会いする時は、いつも笑顔でいることを心がけていたのだ。
でも、結局、空回りというか、心配させていたなんて──
「わたしの方こそ、ごめんなさい。心配させたくなくて、黙っていたから……余計に心配させてしまったみたいで──」
ボロボロと涙がこぼれ落ちる。
家でも学院でも、肩身の狭い思いをしていること、それを隠すことにしたのは自分の意思だ。わたしが、自分でそうすることに決めた。だから、弱音なんて言っちゃだめだと思っていた。
でも、辛くて苦しくて……。
このままだと、どうにかなってしまいそうだと、感情のままに行動して、取り返しのつかないことをしてしまうんじゃないかと恐れていた矢先、わたしは、前世の記憶を蘇らせた。
蘇った記憶は、わたしにある1つの可能性を示したのである。
それは、ここが『カーネーションを花束に』という、剣と魔法のファンタジー世界を舞台にした、少女漫画の世界と良く似た世界ではないかということ。
『カネ花』と略されたこの漫画の登場人物と同じ名前、同じ姿の人を何人も知っている。彼や彼女たちの立ち位置も同じ。その一方で、漫画には一切出て来ない人もいるし、立ち位置が全く違う人もいる。
例えば、シール兄様。彼は、漫画に登場していない。
そしてわたし。漫画では、ヒロインをいじめる悪役の立場にいた。でも、ここにいるわたしは、いじめる側ではなく、いじめられる側。
わたしをいじめているのは、本来ステラ=フロル・エデアがいじめるはずのヒロイン、カサンドラ・リュクス。義理の妹である。
彼女、カサンドラが我が家にやって来たのは9年前。この1年前、つまり10年前に、シール兄様は、グランドツアーに出かけて不在だった。
カサンドラを連れて来たのは、母だ。母曰く「この子こそが、本当の私の娘」なんだそうだ。ちょっと意味が分からない。
父も最初こそ戸惑い、疑っていたものの、やがて「お前がそういうのなら、そうなんだろう」と母の主張を全面的に認め、カサンドラの養子縁組を了承してしまったのだ。
こちらも訳が分からない。これが、物語の強制力というものなのかも知れないけれど。
母の主張は、こうである。
「昔、ステラが迷子になった時、別人と入れ替わってしまった」
「今はカサンドラと名乗っているこの子が、本物のステラ。その証拠に、我が家に代々伝わるアミュレットを持っているわ。ヴィンセントさんが、ステラにあげたものだそうよ」
証拠とするには、あまりにも弱い根拠だと思う。
1度だけそのアミュレットとやらを見せてもらったが、一見すると琥珀のようだった。三角形の宝石のようなそれの中に、ホーネスト伯爵家の紋章がぼんやりと浮かんでいたのを覚えている。頂点の1つに穴があいていて、彼女は、そこに紐を通して首からかけていた。
泣きながら今の状況を訴えるわたしの背中を、エル義姉様が優しく撫でてくれる。
「使用人たちは、わたしを善良な主人夫婦を騙して伯爵家に入り込んだ極悪人のように言うのです。父と母の態度もあって、わたしの頼みを聞いてくれる使用人は1人もいません」
学院では、伯爵家の娘としての立場が危ういと、カサンドラをいじめている悪女だと冷ややかな目で見られ、記憶を蘇らせるきっかけになった事件のように、悪意ある嫌がらせまで受けているのが現状だ。
「わたしが一体、何をしたと言うのでしょう……反論したところで、嘘だと決めつけられ、恥知らずの嘘つき娘だと罵られてしまいます」
家でも学院でも、わたしがしたこと、言ったこと、全て悪いように取られてしまう。だから、反論することも希望を持って行動することも疲れてしまった。
まるで、底なし沼に捕らわれてしまったかのように、もがいても、もがいても、浮上するどころか、どんどんと沈んでいってしまう。
わたしは今、呼吸すらままならないところにいる──。