快適ですわ、お兄様
「ん……」
わたしが、シール兄様のお屋敷で暮らすようになって、早一週間。実家では、考えられないほど、快適な毎日を過ごしている。使用人たちが、ちゃんと仕事をしてくれるのだ。
ホーネスト伯爵家では、使用人からもぞんざいな扱いを受けていた身としては、これほど嬉しいことはなかった。感激のあまり「何てすごいの!」とはしゃげば、
「お嬢様……っ……!」何故か泣かれてしまった。
わたしの身の周りの世話は、レベッカという犬の獣人女性が中心になって引き受けてくれている。彼女、めちゃくちゃグラマーなのよ。側に立って面倒を見てもらっている時、目の近くに彼女の胸があってね……たゆんって、揺れるの。揺れるのよ! 初めて見た時は、凝視してしまったわ。胸って、揺れるんだって……あんなの、2次元だけだと思ってた。
「は~……今日も良く寝た……」
上半身を起こし、ベッドの上でぐっと腕を伸ばす。上半身だけ軽くストレッチしてから、ベッドを下りて、隣の洗面所へ。この部屋、トイレと洗面所がくっついているのよ。
用を足し、洗面を済ませて部屋に戻ると、ドアをノックする音が。
「起きているわ。どうぞ」
返事をするとドアが開いて、レベッカが入ってくる。
「おはようございます、お嬢様。今日も良い天気ですよ」
「おはよう。それは良かったわ。朝食は、お庭で取っても良いかしら?」
「もちろんです。そのつもりで準備していますよ。では、本日のお召し物と髪型はどのようにいたしましょう」
わたしと話をしながら、レベッカは部屋のカーテンを開け、窓を開ける。
彼女の言う通り、今日も良い天気みたい。日の光が部屋の中に入って来て、明るさが増す。耳をすませば、チチチという小鳥の鳴き声も聞こえてくる。シール兄様の趣味なのか、このお屋敷のお庭は、花ばかりではなく木も多いので、生き物たちがたくさん集まるのだ。
開けた窓から風が入ってきて、カーテンを揺らす。同時に、お庭に生えている草花の香りも部屋に入ってきて、何とも言えない贅沢な気分にさせてくれる。
「日中は、だいぶ温かくなるそうですよ」
彼女は、窓に続いてクローゼットの扉を開けた。クローゼットの中には、ホーネストの家にあるはずのものから、シール兄様が用意して下さったものまで──ハンガーにずらりとかかっている。
「そう……。だったら、ストールを羽織っておこうかしら?」
カーディガンでも良いけれど……と思いながら、目についたものをクローゼットから出してもらい、見比べていく。着る服を選べることのなんと贅沢なことか。
結局、わたしが選んだのは、オリーブグリーンのスカートだ。一部にティアードレースをあしらっているのと、裾がアシンメトリーになっていることが特徴的。このレース部分を後ろに持ってくるか、前に持ってくるか。それともサイドにするか。
悩みに悩んで、今日は前に持ってくることにした。
トップスは、生成りのブラウスとオリーブグリーンのストール。深緑色で刺繍された、蔦模様が、ちょっぴり大人っぽい。色味が少ないからと、レベッカがイチゴとハートのコサージュをつけてくれた。
「髪はサイドを編み込んで、ハーフアップになさいませんか? リボンは、大きめの赤と細めの緑。それとレースの物と3本使いです」
「髪にもイチゴを飾るのね。いいわ、それでお願い」
ドレッサーの前に座ったわたしは、鏡に映るドヤ顔のレベッカへ笑いかけた。侍女に髪をセットしてもらうのは、貴族女性なら当たり前のことなのだけど……以前はこの当たり前のことが、当たり前ではなかったから、とても嬉しい。
それだけじゃなくて、鏡の隅に映る、レベッカの揺れる尻尾を見るのも楽しかったりする。言っちゃうと、尻尾を動かさないようにされそうなので──尻尾を感情のままに揺らすのは、子供みたいで恥ずかしいことらしい──この楽しみは内緒にしておく。
朝の身支度を整え、部屋を出ると、大福と栗と黒ゴマの猫饅頭……ではなく、トールシァールが3匹揃って、ナァゴナゴと鳴いて挨拶をしてくれた。この子たち、わたしやシール兄様、グロリアさんとも契約していないのに、すっかり我が物顔で家の中を歩き回っている。
兄様いわく「僕たちに迷惑をかけなければ、別に構わない」とのことで、この3匹はすっかり、家に馴染んでしまった。人間側の注意点は、名前を付けないこと。正規の手順を踏まなくても、名づけという行為によって、契約が結ばれてしまうことがあるから、らしい。
「おはよう。あなたたち」
3匹の頭を順番に撫でてから、朝食を取りに庭へ向かう。3匹たちは、わたしを守るように取り囲み、階段をとんとんと軽やかにおりていく。朝から表情筋が緩みまくっているわ。
「おはよう、スー」
「おはようございます、シール兄様」
庭に出ると、もう兄様がテーブルについていて新聞を広げていた。グロリアさんがいないのは、体調がすぐれないので大事を取って、眠っているからだそうだ。




