世界はこんなにも広いのですね、お兄様 2
「えぇと……あなたのお蔭、というのは?」
新しいイケメンの登場に表情筋が緩んでニヤニヤしてしまいそうなのを何とかこらえつつ、わたしはライオット様がヘルメスと呼んだ彼に問いかける。すると彼は呆れ顔を浮かべ、
「あのね、これだけ高い所にいるんだよ? 空気がとんでもなく薄いわけ」
「ぁ! 高山病……」
「その通り。ライオットくらい鍛えているならともかく、君みたいなお嬢様、すぐにへばっちゃうよ。普通はね。それだけじゃない。俺が風をコントロールしてなきゃ、今ごろ君は、逆さまにした箒みたいになってるよ」
「あ~……なってるだろうな」
気まずげにライオット様が言う。風が強くてスカートがめくれ上がっちゃうってことね。
「わたしがここに平気な顔で立っていられるのは、あなたのお蔭なのね。ありがとう」
「ん。分かればいいんだ、分かれば。それより、そろそろ場所を移動しないかい? 雲の流れを見ているのも時間を忘れられていいものだけど、リラックスとは程遠い環境だ」
ヘルメスが言い終わると同時に、彼の側に透明どこでもドアが出現したようだ。黒の四角が浮かんでいる。思わずライオット様を見れば、
「大丈夫だ。ヘルメス、手を貸してやってくれないか?」
「構わないよ。さあ、どうぞ」
イケメンに恭しく手を差し出され、ちょっと緊張。彼の手を取り、黒の四角にえいやっと飛び移る。
地面の感触。ピーチチチという鳥の鳴き声。濃い緑の匂いに瞬きすれば──
「お花畑?! うそ、何てきれいなの?!」
見渡す限り、青紫の花。木漏れ日が花の絨毯を照らし、何とも幻想的な風景が広がっている。青紫と緑のコントラストは、まるでおとぎ話の世界のようだ。
「こういう所、女の子は好きだろう?」
「ええ。雲海を見下ろすのも素敵だけど、お花畑も素敵だわ! ねえ、このお花、少し摘んで行ってもいいかしら?」
「いいよ。……いいよね?」
許可した後で、ヘルメスは後ろを見て、ライオット様に確認をとる。ライオット様は、
「部屋に飾る程度の量なら問題ねえだろ」
花の付き方はスズランに似ている。スズランは丸っこい白い花だけど、この花は青紫色で少し長細い。強めの甘い香りが森全体を包んでいるようだ。
早速その場にしゃがみ込んで、花を摘む。自然と鼻歌を口ずさんでしまっていて、そのことに気付いた時は、ちょっと恥ずかしかった。
だって、ライオット様とヘルメスが、微笑まし気な顔でわたしを見ているのだもの。
「……ぁ! そ、そう言えば、ヘルメス。手紙を届けていたって言っていたけれど、あなたが配達員をしてくれていたの?」
「俺の指示を受けた風の精霊が、だけどな。それぞれの精霊には、属性とは別に権能というものがあるんだ。風の精霊の権能は、コミュニケーションや情報の伝達、発信──」
なるほど。文通もコミュニケーションの一種だもの。風の精霊の司る分野に入っているというわけね。
「具体的な話は無粋だからしないけど、シールと君ら家族の手紙は、俺らが郵便事故に遭わないように気を配っていたし、間違って届けられたり、途中で止められたりすることのないように、見張っていたんだ」
「それで、シール兄様やライオット様からの贈り物はきちんとわたしに届けられていたの!?」
常々不思議に思っていたのである。
遠方からの荷物や手紙は、まとめて送るのが一般的だ。分ければ、その分だけ郵送料がかかるのだから当然である。兄様たちが出した手紙や荷物は、レオン・バッハの王都拠点に届き、そこから我が家へ配達されていた。わたしやヴィンス兄様が手紙を出す場合は、この逆。
なので、わたし宛の届け物は、ホーネスト伯爵宛の届け物の中に入っているはず──なのだ。ということは、最初にそれを開けるのは、父か執事なので、中身もチェックされる。
チェックされたが最後、それはカサンドラにも知らされるだろう。そうなれば、彼女の気持ち1つで、取り上げられてしまう可能性が高い。
現に、おばあ様から贈られた品のいくつかは「必要ないでしょう?」とか「好みじゃないわよね?」なんて言われて、取り上げられてしまった。そのことを言うと、
「おいおい。マジかよ? とんでもねえな、その女」
「信じられないな。どんな神経をしているんだか」
呆れたように言い「これからは、そいつが何か言ってきても、相手にするなよ」と言われてしまった。
「シール兄様の娘になる予定ですし、学院も転校しますから、次に会う時は社交界で、ということになるでしょうか? 当分、関わることもないでしょう」
わたしの答えは2人のお気に召さなかったようで「油断するな」と注意された。