世界はこんなにも広いのですね、お兄様
「もう7年くらい前になるか……俺たちは、山脈を越えて山向こうまで行ったんだよ」
ライオット様が指さす方向──雲と雲の切れ間から見えるのは、深い緑色。それが、途切れることなく、ずっと続いている。わたしたちが暮らしている方も同じように山脈の裾野は緑色になっているものの、向こう側ほど緑が続いている様子はない。
「ずっと森? が続いているのですか?」
「ああ。かなり広いみたいだな。あんまり広いもんだから、開発の手はほとんど入っていないらしい。それに、深魔の森と呼ばれているだけあって、魔物も多いそうだ」
開発が進んでいないのは、そういった事情もあるらしい、とライオット様。
山脈を越えた後は、深魔の森を流れている川を下り、山向こうの国をいくつか回ってきたのだそうだ。川を下っていると、森の中で暮らしている、いくつかの少数民族と出会うこともあったらしく、
「いやあ、驚いたぜ。なんせ、山向こうには、獣人も魔族もいないって言うじゃねえか」
「えっ?! いないんですか!?」
数の差はあれ、獣人や魔族がいない国があるなんて、ちょっと信じられない。でも、
「いねえんだよ。何代か前に獣人の血が混じってやがんな、っていうヤツはたまに見かけたけどな、それだけ。俺みてえな耳付き尻尾有りは1人もいなかった」
より正確に言うと、深魔の森を抜けた先の国々には、獣人がいなかったということらしい。森の中で暮らす少数民族の中には、獣人もいたそうだ。
「それだけじゃなくて、実際に国の生活も驚きの連続だった。法具も法術も、大分遅れてるんだ。そのせいで、かなり不自由な思いをしたが──今となっちゃ、それも良い思い出だな」
「……山脈を越えたなんて、一言も手紙には書いてありませんでしたけど?」
つい、ジトっとした目で見上げると、拗ねるなと言われてしまった。
「山を越えたとなると、世界中が大騒ぎになる。いや、魔族以外の──か? これは、向こうの国に行って分かったことなんだが、魔族はたまに向こうへ行くヤツがいるらしい」
「まぁ!」
「こっちに戻って来てるかどうかは知らないが、シャクーヤ灯台ってのを設計したみたいだな。設計者の額には、目玉があったっていう話だからな、まず間違いなく魔族だろ」
「灯台……あ! もしかして……半島の先端に建つ、白い塔のような建物が灯台だったりしますか?」
「ん? 屋根がちょっと丸っこくて、窓がいっぱいついてるヤツか?」
「はい! そんな感じでした」
だったら、多分そうだとライオット様はうなずいた。山を越えたことは秘密のまま、シール兄様は、わたしに山向こうの景色を教えてくれていたのね。それにしても──
「よく手紙が届きましたね?」
シール兄様からの手紙しかり。わたしからの手紙しかり。シール兄様あての手紙は、いつもレオン・バッハの王都拠点に配達を依頼していた。でも、山向こうに行っていたのなら、途切れることなく手紙のやり取りをするなんて、出来そうにない。
「そりゃあ、手紙は俺たちが届けていたからなあ?」
「っえ?!」
突然聞こえて来た第三者の声に驚き、振り向けば、灰銀色の髪を持つ男性が立って──いえ、浮いていた。紳士然とした恰好をしているものの、ジャケットはバイオレット。アクセントカラーはターコイズという……びっくりするような配色。でも、不思議と似合っていて違和感は全くない。コスプレかっ! と思わなくもないけど、似合っているから良し。
それにしても、この方はどなた? 浮いてますけど?
「ステラ、アヒル口になってる」
ケラケラと笑うコスプレ紳士。わたしの名前を知っているということは、シール兄様の関係者? 疑問を口にすることができずに、ただまばたきをしていると、
「俺はヘルメス。シールと契約をしている大気の精霊だ」
「はぁ……大気の精霊……」
彼が自己紹介をしてくれた。大気の精霊という存在が今一つ理解できないでいるわたしへ、ライオット様が「風の上位精霊だ」と教えて下さった。
「は!? 上位精霊?! というより、精霊と契約ってできるんですか!?」
「できるとも。ただし、契約を持ちかけられる人間は本当に少ない」
ぱっかーんと口を台形にするわたしの額をぺしっと叩き、ヘルメスは「はしたない」とたしなめる。慌てて、開いた口を元に戻したものの、わたしは、精霊の実在をこの目で確認できたことにも驚いていた。精霊って、特別な目がないと見えないものだと思っていたわ。
「ちなみにだけど、君たちがそんな薄っぺらな恰好でここに立っていられるのも俺のお蔭だということを忘れないように」
得意げに胸を張るコスプレ紳士殿。シール兄様と同じくらいの年代、背丈でそんな風に胸を張られても……萌えるだけじゃないか。ギャップ萌え!




