ご教授ください、お兄様 2
コンコン。キャビネのドアを、誰かがノックする。立ち上がろうとしたグロリアさんを手で制して、ライオット様が立ち上がり、ドアを開けた。2、3言葉を交わして戻って来る。
「ライ?」
「学院から使いの者が来たんだと。よくもまあ、顔を出せたもんだよな」
「全くだ。お使いは、お帰りいただけるのかな?」
「ああ。来客中だから、帰ってもらえと指示は出した。後、追加のお茶もな」
席に戻ったライオット様は「しかし、学院がお前に何の用だ?」と首をひねる。
「来年度の客寄せも兼ねて、シールへ特別授業の依頼だろう。魔物や法術はもちろん、どんな旅をしてきたのかとか。生徒たちはもちろん、大人でも聞いてみたいという人間は多いだろうから」
「ぜひ、聞いてみたいです……っ!」
「私も聞かせていただきたいわ」
ヴィンス兄様の言葉尻に乗っかるような形で、わたしとエル義姉様も力いっぱい頷いた。身内専用のお話として、グロリアさんとのロマンスもお聞かせ願いたいところである。
「──魔物の話は本物を見ながら、ということにしましょう。エル義姉さんと契約をしてくれるコがいるかも知れませんし」
「え? 本物?」どういうこと?
「牧場──僕の研究所兼商会の商品開発室兼工場へご案内しますよ」
悪戯っぽく笑いながら、シール兄様が席を立つ。
今から、牧場? 研究所件商品開発室兼工場ということは、郊外にあるのでは? クエスチョンマークを頭の上にたくさん浮かべながら、とりあえず、シール兄様について行く。
階段をおりて、1階へ。途中、厨房を覗いて「ライが頼んだ追加のお茶は、牧場へ持って来てくれるかい?」とキッチンメイドへ伝言。
厨房の向かい側にある部屋に、シール兄様は入っていく。
それに続いて入室すれば、そこは狭くて不思議な部屋だった。調度品は何もない。それでいて、窮屈だと思えるくらいに狭い部屋である。
特徴的なのは、4つの壁全てにドアがあること。ドアにはそれぞれ、飾りが付けられていた。真正面にあるドアには、羊。右のドアには魚。左のドアは葉っぱで、後ろのドアは鍵。
それぞれに意味があるのだろうけど……。
「さあ、どうぞ」
シール兄様が開けたのは、羊の飾りがついたドアだった。中は真っ暗。明かり1つない。まるで、長いトンネルのよう。思わず怖々と覗き込んでしまう。
ここ、本当に入って大丈夫なの? 思わず隣の様子を伺えば、エル義姉様とばっちり目が合いました。考えることは、同じなのですね。
そんなわたしたちに気付いているのかいないのか、ライオット様が先頭に立って、部屋の中へ入っていく。
「暗いのは一瞬だけですから、大丈夫ですよ」
と、このようにグロリアさんに促され、ヴィンス兄様とエル義姉様もライオット様を追いかけて部屋へ入り、その後にわたしも続いた。
「へぁ? えっ?! えっ!? ええっ!? ちょ、ど、どうなって?!」
トンネル──ではないけれど──を抜けると、そこは雪国ではなく、緑の絨毯でした。ハイジー! 絶対、ハイジがいる! って思えるような景色に、言葉を失う。
空は柔らかいペールブルー。そこにパステルで描いたような薄い雲が、いくつか浮かんでいる。遠くには雪を被った山脈が見えていて……
「シール……あの山は?」
「シュパインですね。その隣がシュピナドゥル。あぁ、今日はイェシュピーナドゥルがよく見える」
ちょっ……ちょっ、ちょっ……!? さらっと、さらっと、何を言ってくれちゃってるんですかっ!? どれも、縦断山脈のっ──!
よ、よし。まずは落ち着こう。深呼吸をして、息を整え、冷静に、冷静になるのよ。
吸ってー、吐いて―。吸って―、吐いてー。よし、大丈夫。
今、シール兄様が口にした、シュパイン、シュピナドゥル、イェシュピーナドゥル。これは、どれも山の名前だ。この大陸を南北に走る長い山脈にある山の名前──
「王都サンケテルから、ナドゥールまで馬車で10日ほどかかる距離ではなかったかしら?」
ナドゥールというのは、高原の避暑地として有名な街だ。今あげた3つの山を登る時の入り口の街としても知られている。3つの山の名前が出たので、ナドゥールの名前をエル義姉様は口にしたのだと思う。
「ここは、ナドゥールの郊外ですね。空間系の法術の応用でここと屋敷を繋いだんです」
しれ~っと! しれ~っと、言ってくれていますけどもっ?! それって、とんでもないことですよね?! この距離を一瞬で行き来できるなんてっ! ご自分がどんな恐ろしいことをやっているのか、分かっていらっしゃるんですかっ!? と叫びたい。叫びたいけど、ライオット様に「諦めろ?」と肩ポンされてしまった、わたしである。