回想 蛇の系譜 2(三人称)
結論から言おう。ウルリカは、悪魔の誘惑に負けた。
ウヴェルテュールを飲んでも効果はすぐに表れるわけではない。変化は、自然に少しずつ。
ウルリカは考えた。
毎回、お茶にウヴェルテュールを混ぜるのは難しい。飲ませる相手が相手である。誰かに見咎められたら……それで終わりだ。リスクは少ない方がいいに決まっている。
そこで思いついたのが、ランデル商会でブレンドしてもらった茶葉に仕込む方法だった。
ウヴェルテュールのこともあって、幼い頃から、錬金術には親しんできたウルリカである。まずは、オリジナルブレンドの茶葉からバニラの香を分離させた。その後、ウヴェルテュールを使った特製のバニラエッセンスで新たに香りづけをしたのである。
ウルリカは、この特製バニラエッセンスをエトワール、茶葉の方はエトワールティーと名付けた。このエトワールには、カサンドラの涙も入れているため、エトワールティーを飲んだ人は少しずつ彼女に好意を持つようになるのである。
当然、このお茶を飲めばウルリカも彼女に好意を持つようになるだろう。自分だけではなく、フランシスもだ。それは絶対に嫌だったから、薬効を無効化する、爪くらいの小さな方陣をソーサーの高台裏にはりつけたのである。これも錬金術の知識によるものだ。
フランシスに飲ませたのは、ウヴェルテュールのほう。これは、人目を盗んでお茶に入れるしか方法がなかった。なんせ彼の好みは、ストレート。おまけに無糖派。カサンドラたちの物とは別のポットを用意するわけにもいかず、この方法しか選べなかったのである。
「……お母様、恋と愛の違いは何かしら?」
「まあ、どうしたの? 難しい質問ね。わたしにもよく分からないわ。ただ、恋は押すもの、愛は与え、受けるもの、って聞いたことがあるわね。なあに、ウルリカ。獲物を見つけたの?」
「……分からないの。あの人がわたしの獲物なのかどうか……。お母様が、獲物に気づいたきっかけを教えてもらいたいわ」
分からないことは、ラミアの先輩であり、人生の師である母に聞いてみればいい。
ウルリカは、実は……と自分の思いと行いをだいぶぼかして母に伝えてみた。娘の話を聞いた母は、
「あのね、ウルリカ。ラミアはね、愛の狩人だけど、狩りはへたくそなのよ」
「は?」
蛇の系譜は、恋愛下手が多いらしい。愛が重すぎて逃げられる。あるいは、相手に想いを伝えられずに失恋が続く、気に入られようとアピールしても空回りばかり、など。
ウヴェルテュールを使うことにうしろめたさを感じていた母は、ウヴェルテュールを使わずに獲物を捕らえようとして、そのような経験を何度もしたらしい。
「結果は失敗続きよ。何度枕を濡らし、消えてしまいたいと思ったことか。結局、うしろめたさを感じつつも、ウヴェルテュールの世話になることになったわ。だからね、ウルリカ。気になる人が現れたなら、とりあえずウヴェルテュールを使ってみて。そのうち、使うことが嫌になってくるから。嫌になったら、使うのをやめればいいのよ」
父ともそうやって、薬で距離を縮めるところから始めたらしい。
何度か薬を使って、距離を縮めたものの、だんだんと薬を使うことがむなしくなってきたそうだ。そこで、薬を使うのをやめ、父と距離をおこうとしたらしい。しかし、父は「何故逃げる?」とぐいぐい迫ってきてくれたそうだ。
「あの時のお父様の真剣なお顔……今でもはっきり思い出せるわぁ……」
目を潤ませ、頬を紅潮させた母は、恋をする乙女そのもの。惚気られてはたまらないと、
「ちょ……迷ったら使うなって言ってたのに……なんなのそれ!? 酷くない?!」
ウルリカは母に苦情を言った。すると母は、けろっとした顔で、
「効果が効果だから、迷わなくちゃいけないのよ。迷って、悩んでそれでもっていう葛藤が必要なの。その上で、むなしいって思うことも大事なのよ。人を好きになるって、素敵なことだけど、それだけじゃないの。今のあなたなら分かるでしょう?」
ウルリカはうなずいた。
このままだと、ウルリカの恋は実らない。ほぼ失恋決定である。
でも、もしかしたら、フランシスの方から距離を縮めようと働きかけてくれるかも知れないという希望を持った。お願いと、祈るような気持ちで薬を使うのをやめてみたのだが……ウルリカの恋は愛へと育つことはなかった。
残念だったが、やっぱりね、と納得している自分もいる。だって、ウヴェルテュールを使ったわりに、距離が縮まった気がしなかったからだ。だから、これでいいのだろう。
こうして、フランシスへの気持ちは彼に伝えることなく、消えてしまった。
そうなると、カサンドラの側にいるのは苦痛の方が勝ってしまう。
では、どうやって彼女から離れようかと考えていたら、事件が起きた。
身分差を背景にした、学院のいじめ問題である。王族も通う名門校のスキャンダルに、世間は大騒ぎ。学院内では、ステラ=フロル・エデアへのいじめが大問題となった。
この問題では、ウルリカも加害者側にいる。一方で、自分に対するカサンドラの仕打ちも知られていた。つまり、ウルリカは加害者と被害者、両方の立場を得えたのである。
このチャンスは、逃がせない。こうして、ウルリカは彼女から離れることに成功したのだ。
ウヴェルテュールの効果は、本当に微々たるものです。惚れ薬や媚薬とまでは言えない。気づいたら見てるんだけど、ってレベルまでしか持っていけない、しょぼめの薬。
ただ、破滅のラミアと呼ばれていた女性は、自分で改良して薬の効果をもっと強くしていました。




