お久しぶりです、お兄様
拙作「助けてください、お兄様~あの……でも、ほどほどで結構ですので……~」を改訂いたしました。
「えっと……この角を曲がった先のはずなのだけど……」
数年前に祖母から貰った絵葉書の住所を頼りに、わたしは祖母のタウンハウス──今は兄が住んでいる──を訪ねようとしている。ただ、年頃の娘1人で歩いているせいか、通りを歩く人たちからの、なんだコイツと言いたげな視線がちょっと痛い。
それもそのはず。このあたりは貴族街だから、それなりに裕福に見える年頃の娘は、供をつけて歩くのが普通。1人歩きなんて、はしたないと思われるような場所なのである。
わたしだって本当はこんなこと、したくない。でも、そうせざるを得ない事情があるのだ。
ステラ=フロル・エデア・ホーネスト。それが、わたしの名前。これでも、ホーネスト伯爵家の令嬢なのだけど……お察しの通り、訳アリである。
どこのマンガよ!? と叫びたくなるような、そんな訳。
あ、わたし、これでも前世の記憶持ちです。どんな生活をしていたのか、あやふやな部分も多いけれど、はっきり覚えていることも沢山ある。──と言っても、記憶を思い出したのは、つい最近。1カ月ほど前のことである。
きっかけは、通っている学院で、階段の上の方から突き落とされて、見事な階段落ちを披露したことだ。犯人は今も不明だし、自作自演じゃないか、なんて噂も流れていると聞く。
はいっ。ワタクシ、いじめられておりますっ!
その経緯を話す前に……
「着いた。ここだわ」
祖母の、今は次兄のタウンハウス。ダンジェ邸と呼ばれている館の前にたどり着いた。緑青が浮いた門扉の向こうに、レンガ造りの3階建ての館がある。
わたしの兄にして、この館の主の名は、シルベスター・ヴァレンタイン・ダンジェ伯爵。
わたしの父も伯爵だけど、兄も伯爵なのだ。
これがまたちょっとややこしい話になるのだが、簡単に説明すると、後継ぎがいなくなったダンジェ伯爵家──母の実家に、次男のシルベスターが養子として入り、後を継ぐことになったのである。ホーネスト伯爵家には、長男のヴィンセント・ヤーン・ホーネストという跡取りがいることと、王家から養子入りの指示があったので実現した特例である。
それはともかく。アポイントメントもなく、お屋敷を訪ねて来たので、シール兄様──兄シルベスターを、わたしはこう呼んでいる──が留守にしてなければいいのだけど。
胸に手を当て、服の下にあるお守りを意識し、深呼吸をする。何度かそれを繰り返し、門扉の上に取り付けられたベルを鳴らす。カロンカロンとベルが、軽やかな音を立てた。
シール兄様の館で働く使用人とは、全く面識がないから物凄く緊張する。不審人物と思われたりしないかしら? ドキドキしながら館のドアが開き、使用人が出て来るのを待つ。
時間にしたら、ほんの僅かなもの。でも、わたしにしてみれば、とても長い時間だ。短い呼吸をハフハフ繰り返していると、カッカッという馬のひづめの音が聞こえてきた。それに合わせて、車輪の音もする。
どこかの家の馬車が近づいて来たらしい。通り過ぎるだろうから、別に気にしなくても良いのだけど、何となしにそちらへ目をやれば
「スー! あなた、スーじゃないの!」
馬車の窓から身を乗り出しているのは──
「エル義姉様!?」
長兄ヴィンセントのお嫁さん、エイプリルことエル義姉様だった。
「あぁ、スー! 良かった、ここで会えるとは思っていなかったよ」
わたしの前で停まった馬車から、ヴィンス兄様──ヴィンスは長兄の愛称だ──が慌ただしくおりてくる。ちなみに、スーはわたしの愛称だ。
「若い娘が供もつけず1人で歩いているなんて! と言いたいところだけど、今日は不問にしてさしあげます」
「あ、ありがとうございます。エル義姉様」
ヴィンス兄様に続いて馬車からおりてきた義姉は不満を隠そうともせずに、唇をへの字に曲げている。うまい言い訳なんて思いつかないし、何より義姉は怒らせると、とっても怖いのだ。余計なことは言わずに、素直に従うのが吉だろう。
でも、まさか、こんなところで兄夫婦と会うことになるとは思ってもみなかった。
「こんなところで会ったんだ。戸惑うのも無理はないね。でも、心配はいらないよ。私たちもシールに会いに来たんだ。お前のことで確認と相談があってね」
「え? わ、わたしのことですか?」
「そうよ。あなた、私たちに隠していることがあるでしょう?」
ぎっくーっ! 義姉の言う通り、わたしは兄夫婦やシール兄様に隠していることがある。
ズバリ、いじめのことだ。わたしは、学院だけではなく家でもいじめを受けている。アポイントメントなしの突撃訪問を決行したのも、通常の手段で兄の館を訪問しようとしても、阻止されると思ったからだ。
ヴィンス兄様夫婦のところへ駆けこむことも考えたのだけど、そうしなかったのは、こちらには、もうすぐ3か月になる、赤ちゃんがいるからである。いくら乳母がいるとは言え、まだまだ手がかかる乳児がいる家に、厄介事を持ち込むのは気が引けたからだ。