Cafe Shelly ママになれるかな?
空は青く、そして遠くまで澄み渡っている。ほんの一ヶ月前まで見ていた空は、どことなくもやっとしていた。でも、あの都会のにぎやかさは私にとってはとても心地よかった。
生まれてからずっと東京にいた私。結婚して五年、まさかこんな土地にくることになるなんて思いもしなかった。初めて両親と離れて暮らす。いや、一ヶ月前までも建前としては離れて暮らしていた。といっても、歩いて三分ほどの距離に実家があったから、しょっちゅう顔を合わせていたので離れて暮らしていたというにはほど遠い。また地元ということもあって、ちょっと出歩くと知り合いに出会う。娘の香穂も人見知りすることなく、多くの人に抱っこをせがんで甘えていた。私に似て甘えん坊だ。でも、まさかこんなことになるなんて。
夫が突然の転勤。正確に言うと、この不況で子会社の立て直しのために出向という形らしい。そもそも私は夫が東京の会社に勤めて、転勤とかの心配がないから結婚したのに。最初は単身赴任も考えてもらおうと思ったけれど、やはり子どもには父親の愛情も必要。ここは涙をのんで夫についていくことにした。でも今思えばこれが失敗。周りに頼れる人もおらず、私は完全に孤立した。
「ママぁ~、おしっこ…」
まただ。香穂がこう言ってきたときは時すでに遅し。ほとんどの場合、今からおしっこではなくすでにおしっこが出てしまっている。香穂はもう三歳。一人でトイレに行けない年齢ではない。引っ越してくる前まではこんなことはなかったのだが。
「おしっこのときには早く言いなさいっていつも言ってるでしょっ」
叱ってはいけないと頭ではわかっていながらも、言葉の方がつい先に出てしまう。そしてパンツを取り替えるときに軽くお尻を叩いてしまう。手を挙げてはいけない。それもわかっているのだが。
夫は転勤前までは育児にも協力的だった。しかし今は会社の建て直しで必死。残業はあたりまえ、出張もわずか一ヶ月の間にすでに二度も行っている。そして今、三度目の出張中。しかも今度はちょっと長くなるということ。もう気が滅入るばかりだ。
今住んでいるのは、三十年ほど前につくられた新興住宅地。一軒家の多いところだ。そしてそこには昔からここに住んでいる人ばかり。私たちが住んでいるのは賃貸の一軒家。若い人はあまりいない。おかげで古くから住んでいる人達になじめずにいる。どうせなら新しい住宅街でアパートにしてくれればよかったのに。
今日も一通りの家事をこなし、といっても子どもと二人なので掃除も洗濯もそれほど手間はかからない。ボーっとしても仕方がないので、子どもを連れて公園へ。前に住んでいたところだったら公園に行けば同じくらいの年齢の子どもとそのお母さんが必ずいた。が、このあたりにはその年代のお母さんがいないのか。いつも私と香穂の二人っきり。隣の広場ではグランドゴルフをしているお年寄りの姿が見えるだけ。ふぅ、とため息。この土地でいつになったら友達ができるのだろう。なんだかもうイヤだ…。
結局この日も何があるわけではなく、一日が終わろうとしていた。また明日もこんな日が続くのかな。香穂をお風呂に入れて寝かせようとしたとき、様子がおかしいことに気づいた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
香穂の息が荒い。額に手を当てると、すごい熱。
「うそっ、ど、どうしよう…」
熱冷ましのシートは…あ、いけない、こっちに来てから買えばいいと思ってまだ買ってなかった。氷水にタオルを浸して香穂の額に乗せる。そして熱を測る。うそっ、三十九度もある…ど、どうしよう。病院に連れて行かなきゃ。でも、夜間の救急病院なんてどこにあるか知らないし。誰に聞けばいいのよぉ? 引っ越してきたばかりで電話帳もない。近所に聞きに行こうにも夜遅くだし。困ったあげく、とりあえずタクシーを呼んで運転手に聞くことにした。
「すいません、夜間の救急病院に連れて行ってもらえますか?」
「夜間の救急病院って…私も最近ドライバーになったばかりでよく知らないんですよ」
「そ、そんなぁ…」
急に不安が襲ってきた。もしかしたら香穂はこのまま病状が悪化して…頭の中では最悪のシナリオが展開されていた。
「ちょっと待ってて、無線で聞いてみるから」
そしてしばらくしてタクシーは走り出した。私は香穂を抱きしめ、ただただ祈るだけ。
「つきましたよ」
たぶん十分も走ってはいないと思うが、ここまでの時間がとてつもなく長く感じられた。運転手にお金を渡し、お礼もそこそこに病院に駆け込んだ。
「お願いします。娘が急に熱を出して…」
病院に飛び込むなり、目についた看護士に涙ながらに訴えた。
「お母さん、大丈夫ですよ。とりあえずお熱をはかりましょうね」
看護士の言葉に私もようやく辺りを見回す余裕が出てきた。待合室のソファに座ると、私の他にも二組ほどいた。一組は赤ちゃんを抱いているお母さんとお父さん。たぶん突発性湿疹じゃないかな。香穂もその経験がある。あのときは私の母が来てくれていろいろと面倒を見てくれたし、赤ちゃんなら一度はこうなると教えてくれたから安心できた。
それよりも気になるのはもう一組。頭に熱冷ましのシートを貼っている中年の男性。そしてそれに寄り添っている若い女性。年の差はあるけれど、ご夫婦かしら? 女性の年齢は私と同じくらいかな。とてもきれいな人。そして具合の悪そうな男性にとても献身的につくしている。
その姿を見て、逆の経験があったことを思い出した。結婚前の時。私が寝込んでいると、今の夫が私を訪ねてきていろいろとやってくれた。あのとき、こうやって病院にも付き添ってくれたな。その優しさに惹かれて結婚を決めたんだった。あのとき、とても幸せだったな。この人とだったら一緒にいられる。そう思ったけれど、その夫は今はここにはいない。仕事が大事なのはわかる。けれど、けれどどうしてこんなに私を不安にさせるの…。そう思うと涙が出てきてしまった。
「大丈夫ですか?」
ふと顔を上げると、さきほど目にした女性が私のところへ来てくれていた。
「お子さんが病気になって不安になっているんですね。大丈夫ですよ」
そう言ってにっこり笑ってくれた。
「旦那さん、大丈夫なんですか?」
私はおそるおそる聞いてみた。まだ二人が夫婦だという確証がとれなかったから。しかし女性は笑いながらこう答えてくれた。
「うちなんか大人になってもつきそってやらないといけないくらい子どもなんですから。ちょっと熱が出たからって大騒ぎして。仕方ないからお医者さんに怒られにきたんですよ。あなたの症状は夜間の救急病院に来るほどのことじゃないって言ってもらおうと思って」
そう言って笑ってあの中年の男性を指さした。どうやらご夫婦のようだ。
「でも…旦那さん本当に大丈夫なんですか?」
「健康だけが取り柄の人だし、頑丈にはできているのよ。でも、だからこそこういった症状が出ると神経質になっちゃって。今日は昼間、めずらしくお店が忙しくてずっと働きっぱなしだったから、その分の熱が夜出ただけでしょ」
そんな会話をしていると、その旦那さんが呼ばれたようだ。
「じゃぁちょっと先生に怒られに行ってきますね」
そう言って女性は席を立った。あぁ、いいなぁ。口ではああ言っているけれど、言葉の中から旦那さんに対しての愛情がにじみ出ているのがわかるもん。
香穂の顔をのぞき込む。息は少し荒いが眠っているようだ。私もさっきの会話でだいぶ落ち着いた。そういえば今日の昼間にちょっと歩きすぎたかな。公園で遊ぶだけじゃつまらないから、町を探索しようと思って。その散歩に香穂をつきあわせたのがいけなかった。さっきの旦那さんも、昼間に動きすぎたのが原因で夜熱が出たって言ってたし。
そんなことを考えていたら、先ほどの夫婦が診察室から出てきた。旦那さんは医者に対してペコペコ頭を下げている。奥さんは深々とていねいにお辞儀。そして待合室にやってきた。今度呼ばれたのは赤ちゃんを抱いた夫婦。私は次か。
またボーっとしていたら、先ほどの女性がまた私のところにやってきた。
「お医者さんからしっかり叱ってもらいましたよ。あなたの場合、家で栄養をとってゆっくり休めば大丈夫だって。念のため熱冷ましの薬はもらいましたけどね」
「よかったですね」
「ところで失礼ですけど、今日はご主人は一緒じゃないんですか?」
私に突然そう質問してきた彼女。
「夫は今出張中で。私、この街に引っ越してきてまだ日が浅くて。今日もタクシーの運転手さんに聞いてここまでやってきたんです」
「あ、そうなんですか。それはお一人で心細かったでしょう」
この人と話しているとなんだか癒されるな。
「上条さ~ん」
「あ、呼ばれたので行ってきます。いろいろとありがとうございます」
私は女性にお礼を言って診察室へと向かった。
「おそらく単なる疲れでしょう。安静にしておけば熱も冷めますよ。念のため熱冷ましを出しておきましょう」
お医者さんの言葉にホッと一安心。お礼を言って待合室に出ると、先ほどの女性が駆け寄ってきた。
「いかがでしたか?」
「えぇ、うちも単なる疲れでしょうって。ご心配をおかけしました」
「いえいえ。でも子どもが突然熱を出したらびっくりしますよね。ところで家はどちらなんですか? よかったら車でお送りしますよ」
その女性の言葉にびっくり。初めて病院で会ったばかりの人にそんなに親切にしてもらえるなんて。
「えっ、でも…旦那さんが…」
「大丈夫ですよ。マスターもそうしろって言ってくれましたし」
「えっ、マスター?」
「あ、つい呼び慣れた言い方になっちゃった。私たちね、夫婦で喫茶店をやってるの。だから人前ではついマスターって呼んじゃうのよね」
マスターと呼ばれた旦那さんの方を見ると、先ほどよりも顔色が幾分良くなっている。軽く手を挙げて笑顔で私の視線に応えてくれた。
「じゃぁ…甘えさせてもらってもいいですか?」
その後、車に乗せてもらうことになった。なんだか恐縮しちゃうけれど、こんなに親切にしてもらってとてもうれしい。
「私マイっていうの。さっきも言ったけど、旦那と二人で小さな喫茶店をやっているの」
マイさんは気さくに私に話しかけてくれる。私も自分の自己紹介を。夫と香穂の三人で暮らしていること。東京に住んでいたけれど、夫の仕事で一ヶ月前に引っ越してきたこと。そしてまだこっちで友達がいないこと。
「そうなんだ。じゃぁ一度香穂ちゃんをつれてお店に遊びにおいでよ」
ちょうど家の前についたときにマイさんはそう言ってくれた。そしてお店の地図が入った名刺を渡してくれた。
「香穂ちゃん、早く良くなるといいね。じゃ、今度はお店で待ってますね」
マイさんってなんだかとてもさわやかな人。また会って話をしたいな。私はすっかり眠っている香穂を抱きかかえて、真っ暗な家へと帰った。家で横になって眠ろうと思っても眠れない。なんだか自分が情けなくて。香穂一人満足に守ってあげられないなんて。それどころか、私が連れ回したことが原因でこうなってしまっただなんて。ママ失格だな。香穂の寝顔を見ながら、心の中で何度もごめんねを言っている自分がいた。
翌朝、目が覚めると香穂は先に起きて一人遊びをしていた。いけない、いつの間に寝ちゃってたんだろう。
「香穂、気分はどう?」
「うん、げんきだよ」
その笑顔に救われるな。けれど気持ちは落ち込んだまま。結局私って、一人じゃ何もできないのかな。今まで東京でそれなりにママをしてきたつもりだった。けれど、思い出したら私は何一つママらしいことをしていなかった。すぐに自分の母親に頼っていたし。近所のママ友から情報を聞くばかりで、私が何か情報を与えるなんてこともやっていなかった。そして育児は夫が手伝ってくれていたから安心しきっていた。
でも今は一人。何もできない私が一人で香穂を守っていなければいけない。そんなことが頭の中をぐるぐる回っていた。そんなときにふと思い出したのが、夜中に出会ったマイさんの顔。マイさんにだったら今の不安を話せるかもしれない。でも、お仕事中にそんな話を聞いてもらえるかしら? そう思うとまた頭の中がぐるぐる。家事もなかなか手につかず、気づいたらもうお昼を過ぎていた。香穂の「おなかすいたー」の声でやっと気づいたくらいだから。あわててお昼を準備。このくらいもできないなんて、やっぱりママ失格だわ。
お昼を食べながら考えてみた。このままじゃいけないよね。でもどうしたら…。よし、思い切って。
「香穂、お昼からちょっとおでかけしようか」
香穂は素直に「うん」と返事。昨日あれだけ私が連れ回して、疲れさせて、そのあげくに熱まで出してしまったというのに。やっぱりずっと私と二人っきりじゃつまんないんだろうな。私は昨日マイさんから渡された地図を頼りに、初めて街に繰り出した。夫に連れてこられて街に出たことはある。けれどあのときは右も左もわからない状態で、さらに行ったのは大きなデパートだけ。実質街に繰り出すのは初めてと言っていい。
「えっと、どこかな…」
私はキョロキョロしながらマイさんのいる喫茶店、カフェ・シェリーを探した。地図に描かれてある通りは私のイメージとは異なり、かなり道幅が狭い。車が一台通るくらいじゃないかしら。けれどその両端にはレンガでつくられた花壇が並んでいる。そしてその横が歩道になっている。しかし昼の時間は車が入らないようになっていて、自由に人が行き来している。
「わーっ」
突然香穂が喜びの声を上げ、私の手を放れて走っていった。
「あ、こら、待ちなさいっ」
私はあわてて香穂を追いかけた。香穂が向かった先、そこではウサギのぬいぐるみが風船を配っていた。どうやら今日はこの通りでちょっとしたイベントをやっているようだ。どおりで人が多いと思った。
「ねぇ、ままー、ほらー」
香穂はウサギから受け取ったピンク色の風船を私に見せた。その表情は喜びに満ちあふれている。その顔を見たとき、急に胸がきゅんと苦しくなった。今の私では見せることのできない表情。私だって前はあんなふうに笑えていたはずなのに。どうして今は笑えないのだろう。苦しい、本当に苦しい。
「まま、どうしたの?」
香穂が心配そうに私をのぞき込むのがわかった。
「大丈夫、大丈夫よ」
そこでふと顔を見上げると、一つの看板が目に入った。黒板の立て看板で、そこにコーヒーカップの絵が描かれている。そしてよく見ると私が探していた文字がそこにある。CafeShelly…カフェ・シェリーだ。今度は私の方が駆けだしてしまった。
「ままーっ」
私の後ろから香穂が走り寄ってくる。そのとき、香穂がこけてしまった。と同時に、手にしていた風船が天高く舞い上がる。
「香穂、だいじょうぶ?」
香穂は今にも泣き出しそうな顔。こけた痛みと風船がなくなった悲しさからだろう。私は香穂のことを考えずに走り出した自分を悔やんだ。どうしてそうなの、やっぱりママ失格だわ…。
泣き出す寸前の香穂。私が抱きしめようとしたその瞬間、ぬいぐるみのウサギが黄色の風船を香穂に差し出した。無言で見つめ合う香穂とウサギ。そして香穂はウサギの差し出した風船にそっと手を伸ばす。風船を手にした香穂はニカッと笑い、私のところに駆け寄ってきた。
「あのね、うさぎさんからふうせんをもらったの」
言いながらウサギを指さす香穂。ウサギは香穂に手を振ってくれている。私はお辞儀をしてお礼をした。そして香穂を抱きかかえて、カフェ・シェリーへと上がる階段を踏みしめた。
カラン、コロン、カラン
「いらっしゃいませ」
その扉を開けると、心地よいカウベルの音。それと同時に聞こえてくる声。昨日の夜聞いたあの声だ。
「あ、昨日の…」
「こんにちは」
「お嬢さん、もう大丈夫なんですか?」
「えぇ、一晩寝たらすっかりよくなって。それでお礼もかねて早速来てみました」
「そう、それはよかったわ。窓際の席が空いているから、あちらにどうぞ」
そのお店はホントに小さな喫茶店。カウンターは四席、三人掛けの丸テーブルと窓際が四人掛けの半円のテーブル。
「はい、どうぞ。今日は外、暑かったでしょう」
マイさんがお冷やを持ってきてくれた。まだ夏になっていないというのに今日は汗ばむ陽気。グラスの中の氷がとても涼しげで、私のノドをいっそう渇かせた。香穂は待ちきれないのか、お冷やをごくごくとのどに流し込んでいる。
「あはっ、よほどのどが渇いてたのね。何になさいます?」
「そうですね…なにかお勧めはありますか?」
「そうねぇ、香穂ちゃんには絞り立てグレープフルーツジュースがいいかも。そして…あ、ごめんなさい。昨日お名前聞いてたと思ったけど…」
「あ、上条です。上条千紗」
「千紗さんね。千紗さんにはやっぱりこれかな」
マイさんが指さしたのはシェリー・ブレンド。私はコーヒーというのはそんなに好んで飲んでいるわけではない。だからどのコーヒーを飲んでも違いがよくわからない。正直、どのコーヒーでもよかった。
「じゃぁそれにしますね」
「はい、少々お待ちください」
そして私は窓の外をボーっと眺める。私、なにやってるんだろう。そして何がしたいんだろう。今まで何も考えず、ただ毎日を過ごしてきた。引っ越す前もそう。毎日の家事をこなし、香穂を育て、近所づきあいをして過ごしてきた。
「何もできてないじゃないの、わたし…」
ふとそんな言葉が口から出てきた。そのとき、目線が通りの方へと向く。すると、さきほど香穂に風船をくれたウサギが目に入った。あの中にいる人、暑くて大変だろうな。でも、ああやって集まった人たち、特に小さな子どもたちを喜ばせてくれる。おかげで香穂も上機嫌だったし。どんなことでもいいから、あんなふうに人を喜ばせられたら。そしたら私も喜べるかもしれないな。ふとそんなことが頭をよぎった。
「はい、お待たせしました」
その声に振り向くと、マイさんがコーヒーとジュースを手にした姿が目に入った。
「香穂ちゃん、どうぞ」
「わぁ、ありがとう」
香穂はマイさんから渡されたグレープフルーツジュースを早速口にしている。とてもおいしそうな表情。
「うふっ、よかった。香穂ちゃんのお口に合うように、少し甘めにしておいたの。
千紗さんはこっちね。このコーヒー、ちょっと特別なの。よかったらどんな味がしたのかを教えてね」
マイさんはそう言って、空いているイスに腰掛け私を見つめた。
味オンチの私にとって、コーヒーの味なんてどれも同じ。そう思ってカップを口に付ける。その瞬間、私は今までにない体験をした。一瞬、体がフワッと浮いた感じがした。そして目の前には流星が降り注ぐような光が次々と現れてくる。その光がどんどん強くなり、そのたびに私はなんだか癒されたような気持ちを覚える。と同時に、得も知れぬワクワク感が心の奥から湧いてくる。
「さぁ、みんなおいで」
私がそう言ってふりむくと、後ろからたくさんの人たちがついてくる。その先頭には香穂がいる。私は後ろからついてくる人たちに微笑みをもって迎え入れている。あぁ、そうか、私はこうなりたいんだ。そう思った瞬間
「お味、いかがでした?」
マイさんの言葉でハッと我に返った。
「あ、あの、私、今…」
一瞬、何が現実なのかわからなかった。そうか、今はカフェ・シェリーに来てコーヒーを飲んでいるんだった。けれどさっき見たもの、それは空想の世界ではなく実際に目の前で起きている世界のようにも思えた。とまどっている私に、マイさんはにっこり笑ってこう言ってくれた。
「シェリー・ブレンドが千紗さんに何かを教えてくれたみたいね」
「えっ、シェリー・ブレンドが?」
「そうなの。このシェリー・ブレンドは、今その人が欲しいと思っているものの味がするの。人によってはそれを映像化してくれるみたい」
まさか、そんな魔法のようなことが…でもさっき見たのは現実だし。
「私もね、最初にマスターが入れたこのシェリー・ブレンドを飲んだときは衝撃的だったわ。まだ喫茶店を始める前に飲ませてもらったんだけど。その時の味を一言で言うと笑顔だったな。多くの人を笑顔にしたい。それが私のやりたいことだし、使命だって感じたの」
「あ、今私が見たのと似てる…」
私は思わずそう口にした。マイさんの話を聞くまでは、先ほど見たことを口にするのを躊躇していた。けれど、舞衣さんの言葉が私の心を軽くしてくれた。
「このコーヒーを飲んだとき、私が先導をしてたくさんの人が笑顔になっていたの。そしてその先頭にいたのがこの香穂なの」
そう言って私は香穂の頭をなでた。
「千紗さんは香穂ちゃんを、そして周りの人を笑顔にさせたいんだね」
「でも、どうしたらそうなれるのかしら? 私、今はとても笑顔なんて出せない…」
そう言ってうつむいた私。そのときだった。
「あー、うさぎさん!」
カウベルの音と共に姿を現したのは、さきほど風船を配っていたウサギ。そして驚いたのはウサギの方であった。マイさんはあわててウサギの方へと駆け寄っていった。一体どうしたのかしら?
ぬいぐるみのウサギはマイさんとなにやらこそこそ会話をした後、はしゃぐ香穂に手を振って店の外に出て行った。
「あのウサギ、どうしたんですか?」
私は訳がわからずマイさんに小声でそう質問した。
「うん、香穂ちゃんの夢を壊したくなくてね」
まだ訳がわからない。するとすぐに汗だくになり、頭にタオルを巻いた女の子がお店に入ってきた。
「ゆうちゃん、おつかれさま。さっきはごめんね」
「いや、いいですよ。それよりそっちは大丈夫でした?」
「えぇ、こっちは心配しないで。アイスコーヒーでいいよね」
マイさんとゆうちゃんと呼ばれた女の子はそんな会話を交わしている。そこで納得。さっきのウサギに入っていたのはこの女の子なんだ。そして休憩にきたときに香穂の顔を見てびっくりしたんだ。まさかこんなところに子どもがいるとは、という気持ちだったのだろう。だからウサギの正体を明かすわけにはいかない。マイさんもそれに素早く気づいて対応してくれたのか。その事情を察知した私は、カウンターに座ったゆうちゃんに一言お礼を言いに向かった。
「あの…さきほどは気を遣っていただきありがとうございます」
ゆうちゃんは汗を拭きながら笑顔でこう応えてくれた。
「しーっ、あの子にはナイショだからね。でも、すっごくよろこんでくれてホントうれしいっ」
ゆうちゃんの笑顔は周りの人を楽しい気持ちにさせるものがある。
「うふふっ、ゆうちゃんの願いがまた一つかなったね」
マイさんはゆうちゃんにアイスコーヒーを差し出してそう言った。
「願い?」
私はその言葉にとても興味を持った。さっき、シェリー・ブレンドで自分の願いを目にすることができたから。私の疑問にゆうちゃんは笑顔でこんなふうに答えてくれた。
「私ね、実は一年前までひきこもりだったの。人が嫌いって感じで」
「とてもそんな風には見えないけど…」
「でね、うちのお母さんがなんとかしたいと思ってたどり着いたのがこのカフェ・シェリーだったのよ」
「このカフェ・シェリーが…?」
「そう。最初はマスターが入れてくれたシェリー・ブレンドを家で飲まされて。そのときに不思議なものを見たの。私が先頭で多くの人が後ろからついてくるの。その人たちはみんな笑顔でね」
私が見たのと同じだ。
「そのときコーヒーを持ってきてくれたマイさんはこう言ってくれたわ。今感じたもの、それがあなたが本当に欲しかった世界だって。それで思い出したの。私のやりたかったこと」
「やりたかったこと?」
「うん。私ね、小学校の頃は人を笑わせたり喜ばせたりするのが好きだったの。でもそれがエスカレートしちゃって、周りの子がうざったく感じちゃったみたい。それでだんだん孤立するようになって。でもどうしてなのか気づかずにいて、結局周りから無視されるようになって。それで引きこもりになったの」
状況は違うけれど、なんだか今の自分がだぶって見えた。東京にいた頃は周りのことなんか考えたこともなかった。近所づきあいとか友達づきあいもほとんど無意識にできていた。けれどこっちに来てから孤立した気持ちになって。ゆうちゃんと違って私の場合は周りが相手にしてくれない。いや、相手にしてくれる人を探そうとしていないのか。
「でもね、シェリー・ブレンドが教えてくれた。本当は人を喜ばせたい、笑わせたいんだって。それからマイさんにいろいろとアドバイスをもらって、気がついたら今の姿になってた。今は一人でも多くの人を喜ばせることに生き甲斐を感じてるの」
「ゆうちゃんってえらいなぁ。それに比べて私はまだダメ。子育てだって満足にできてないのに…」
元気なゆうちゃんと暗い自分を比較して自己嫌悪に陥ってしまった。
「あらぁ、そんなことはないですよ。だって千紗さんは香穂ちゃんを笑わせているじゃないですか」
マイさんがそう言ってくれた。けれど私にはそんな自覚はない。
「笑わせているどころか…香穂には申し訳ないって思っているんです。こっちにきて一ヶ月、お友達もいないし毎日私と二人っきり。こんなんじゃ私、香穂のママだって胸を張って言うことができない…」
「でも、さっきあの子はとびっきりの笑顔で私の風船を受け取ってくれましたよ。その機会を与えてくれたのはお母さんじゃないですか」
「それは…それはゆうちゃんのウサギのぬいぐるみと風船で笑ったんですよね。私が笑わせたわけじゃないし…」
今の私にはどんな言葉を与えてくれてもダメ。どうしても否定的に考えてしまう。悪い癖だとは思うけれど、みんなが言ってくれるような良い方向には考えられない。
「千紗さんって、こちらに引っ越してからずっと一人でがんばってきたんだね」
突然そう言ってきたのはマスターだった。カウンター越しにずっと私たちの会話を聴いていたようだ。
「人はね、一人で考え込むと、つい悪い方に悪い方に考えてしまうものなんだよ。千紗さんは今、そんな状態に陥っているように見えるな」
「一人で…考え込むと?」
「そうなんだ。これはある人から聞いた話だけどね。人の心には重力の法則があるんだって。たとえばこのスプーン、手を離すとどうなるかな?」
マスターは一本のスプーンを手に取り私に見せた。
「下に落ちます、よね」
「じゃぁ下に落ちないようにするにはどうすればいい?」
「今マスターがやっているみたいに、手に持っておくしかないですよね」
「そのとおり。これは心も同じこと。周りに支えてくれる人がいないと、気持ちは重力が働いて勝手に落ちる方向、つまり悪いほうへ悪いほうへといっちゃうんだよ。けれど、支えてくれる人、友達だったり両親だったりがいると落ちることはない。それどころか…」
マスターは手にしたスプーンを上にあげた。
「このように高く上がることもできるんだ。これが心の重力の法則なんだよ」
「そっか、だから千紗さんは悪いほうへ、悪いほうへとつい考えてしまっていたんだ。だから私もそうだったんだ」
「私もって?」
「引きこもってた頃は何考えてもマイナス思考だった。でもこのカフェ・シェリーに来るようになってから、考え方がすごく変わってきたの」
ゆうちゃんは私の肩をポンポンと叩いてにっこりと笑った。ゆうちゃんが言いたいことはすごく伝わってくる。もう大丈夫、私たちがいるから。一人なんかじゃないんだよ。
「でも…」
なのに今の私はそんなゆうちゃんの言葉をつい否定してしまった。
「でも?」
「でも、みんなママじゃないし…」
私は自分でも信じられないような言葉を口にしてしまった。ゆうちゃんのせっかくの行為を無駄にするような言葉だ。言って、しまったという思いがこみ上げてきた。どうして私はそうなんだろう。もうこれで友達なんかできやしない。きっとゆうちゃんに嫌われたに違いない。マイさんもあきれているはず。
ゆうちゃんは立ち上がって私の前を通り過ぎた。きっと私の言葉に怒って出ていこうとしているのだろう。私は下を向いて自己嫌悪に陥った。もうイヤだ、私自身にうんざりだ。
「ね、これ見てて…ほらっ」
「わぁっ、すごいすごい!」
えっ、香穂の喜ぶ声? 振り向くと、ゆうちゃんが香穂の前で何かやってる。
「今度はこのコインが…ほらっ、二枚になっちゃった」
「えぇっ」
再び香穂の驚く声。一体何が?
「うふふっ、ゆうちゃんお得意のマジックショーをやってるな」
「マジックショー?」
マイさんが私にそう解説をしてくれた。でもどうしてそんなことを?
「笑顔、だな」
マスターがぽつりとそう口にした。
「笑顔?」
私はどういう意味かわからず、マスターに聞き直した。
「ほら見てごらん。香穂ちゃん、あんなに笑顔になってる。あれを見て千紗さんはどんな気持ちになるかな?」
そう言われて、私は香穂を見つめた。香穂は満面の笑みを浮かべて、目を輝かせてゆうちゃんのマジックを見つめている。それを見てなんとなく私もほんわかした気分になった。
「ゆうちゃんはね、きっとこう考えたんだと思うよ。今の千紗さんをどうにかして笑わせたい。けれど直接千紗さんを笑わせるのは難しい。だから香穂ちゃんを笑顔にすることで、その笑顔を見せてあげることで千紗さんも笑顔になるんじゃないかって」
私は再び香穂を見つめた。思えばこの一ヶ月、あんなふうに思いっきり笑っている香穂を見たことがなかった。私は私の力で周りの人を笑顔にしたい。さっきそれをシェリー・ブレンドが教えてくれたばかりなのに。
「自分ができることをやればいいんですよ」
マスターはゆうちゃんを見つめながらそう言った。
「自分でできることを?」
「そう、ゆうちゃんみたいにマジックをする必要もないし、ウサギのぬいぐるみを着る必要もないんです」
「でも…」
何をしたらいいのかわからない。そう言いかけたときに、香穂が私のところに飛んでやってきた。
「あのね、あのね、ママ、あのおねえちゃんすごいんだよ!」
目を丸くして、魔法を見てきたかのような顔で私にそう言って抱きついてきた。私はちょっととまどった。どう対応すればいいのかわからなくなったのだ。不安になりマスターの顔を見る。するとマスターはにこりと笑ってうん、うんとうなずいた。そのときわかった。私が何をするべきなのか。
「香穂、よかったね」
そう言って香穂をギュッと抱きしめた。香穂も私をギュッと抱きしめ返す。
「千紗さん、それでいいんですよ。今自分ができること。それで誰かを安心させ、笑わせ、そしてその輪を広げていく。それが今千紗さんがやるべきことなんですよ」
そうか、それでいいんだ。マスターのその言葉に私は気づかされた。今まで私は何か特別なことをしなければ、ここでは生きていけないと思っていた。意識がそちらに向きすぎて、ママとしてやるべきあたりまえのことをやらずにいた。そこに今初めて気づいた。
「香穂、よかったね、よかったね」
この言葉は香穂に向けてではなく自分に向けた言葉だと言うことは気づいていた。
「いろいろとありがとうございました。ゆうちゃんにもよろしくお伝えください」
あれからすぐにゆうちゃんは再びウサギのぬいぐるみを着て街に飛び出した。
私はしばらくマスターとおしゃべり。その間、マイさんが香穂と遊んでくれていた。お店もお客さんが増えてきたので、私たちはおいとますることにした。
「ばいばーい」
香穂は笑顔でマイさんに手を振っている。そんな香穂の顔を見て、私もうれしい気持ちになった。
カフェ・シェリーの階段を下りると、そこではピンクのウサギがダンスを踊っている姿が目に入った。香穂は一目散にウサギに駆け寄っていく。ウサギの中はもちろんゆうちゃん。ウサギは大勢のお客様が笑顔になっていくのを見て、さらに動きをコミカルに、そして激しくしていく。今度はお客さんに手拍子をアピール。徐々にその手拍子は大きくなり、それにつられて集まった子ども達もウサギと同じようなダンスを一緒に踊り出した。ウサギはいろんな人の顔を一人一人見ている。そのとき、私とウサギの目が合った。
「大丈夫、大丈夫だよ。今できることを思い切ってやっていこうよ」
そんなセリフが頭の中で浮かんできた。ゆうちゃんは私にそう言いたかったに違いない。私は「うん」と大きくうなずいた。そのとき、ウサギが微笑んでくれたような気がした。その微笑みに私は勇気をもらった。今自分ができること、それをやればいいんだって。
その日の帰り道、香穂と手をつないで歌を歌いながら歩いた。なんだかそうしたい気分だったんだ。家に帰り着く直前、ときどき顔を合わせる隣のおばさんが私にこんな声をかけてくれた。
「あらぁ、今日はお嬢さんとご機嫌ね。何かいいことあったの?」
今まであいさつくらいは交わす程度だったのに、こんなふうに話しかけられるなんて初めて。
「はい、幸せウサギさんに出会えたんですよ」
あれっ、私何言っているんだろう。幸せウサギだなんて、ひょっとしたら変な人だと思われたんじゃないかな。
「あらぁ、それはよかったわね。おばさんにも今度その幸せウサギさん、紹介してちょうだいよ」
おばさん、笑いながらそう言ってくれた。なんだか急に親近感わいてきちゃった。
軽くあいさつをして家に帰ると、宅配便の不在表が届いていた。早速連絡をして持ってきてもらうと、それは東京の実家から。缶詰とかレトルト食品とか日用雑貨とか、いろんなものが入っていた。その中に私の大好きなものが入っていた。
「わぁ、佃煮だ。おいしそー」
おばさんの知り合いが佃煮屋をやっていて、小さい頃からそこの佃煮が大好きだった。こちらに引っ越してきてからはそれを口にすることがなかったので寂しい思いをしていたのだが。このとき、あるアイデアが頭にひらめいた。それを早速実行。佃煮の封を開け、タッパにそれを詰める。
「香穂、おいで」
遊んでいた香穂を連れて、訪れたのは隣のおばさんのところ。勢いで呼び鈴を鳴らしてみたが、とたんに緊張してしまった。あまり親しくもないのにこんなことしちゃっていいのだろうか。
「はぁい」
家の奥から声が聞こえる。それから玄関が開くまで、私は一瞬逃げ出そうかとも思ってしまった。しかしここは辛抱。
「はいはい、お待たせしました。あらぁ、上条さん」
意外だった。私の名前をちゃんと覚えていてくれたのだ。お隣同士だからあたりまえのことではあるのだろうが。しかし引っ越してきたときにあいさつをした程度だったので、ちゃんと名前を呼んでもらえるとは思いもしなかった。
「あの…これ、実家から送ってきたものです。佃煮なんですけど、お口に合えばぜひ…」
おそるおそる手にしたタッパを差し出した。
「わぁ、佃煮なの。私大好きなのよ」
大喜びで佃煮を受け取る隣のおばさん。それを見て私もなんだかうれしくなってきちゃった。
「あ、ちょっと待ってて」
そう言って奥へと引っ込むおばさん。香穂は私の手を引っ張り、私の顔を見てニッっと笑った。私のうれしさが香穂に伝染したのかな。
「これこれこれ、お口にあうかしら?」
そう言いながらおばさんが手にしてやってきたものはオレンジがあざやかなビワだった。
「これね、庭でなっているものなの。自家製だからちょっと酸っぱいかもしれないけど」
そう言っておばさんは香穂の手に三つほどビワを乗せてくれた。
「お庭で栽培しているんですか?」
「えぇ、うちの人の趣味で。夏にはスイカ、秋にはキウイもなるわよ」
「わぁっ!」
香穂は目をきらきら輝かせている。私も香穂と同じ気持ち。
「じゃぁ、いつか見せて下さいね」
「いつかなんて遠慮しなくていいわよ。お隣同士なんだから、いつでも遊びにいらっしゃい」
「ママ、あしたあそびにいこうよぉ」
香穂がめずらしくおねだり。
「じゃぁ、明日伺ってもよろしいですか?」
「えぇ、もちろん。おいしいクッキーを用意しておきますね」
この言葉に私は心救われた。東京にいた頃のあの感覚がよみがえってきた感じだ。翌日、早速おばさんのところに遊びに行かせてもらった。
「さぁ、どうぞ」
庭に通されると、そこには予想もしなかった光景が目に飛び込んできた。
「こんにちはー」
なんと、数名の主婦が待ちかまえてくれていたのだ。年齢はバラバラ。中には香穂と同じくらいの小さな子を連れた人もいる。私は驚きと感激で声が出なかった。
「みんな私のお友達なの。上条さんのことを話したら、みんな会いたいって集まってくれたのよ」
「か、上条です。よろしくお願いします」
最初は緊張したけれど、すぐに打ち解けて話ができるようになった。香穂もこっちに来て初めて同年代のお友達ができて、とてもうれしそう。そうか、こっちに来て気の合う人なんかいやしないと私自身が思いこんでいたんだ。ほんのちょっと踏み出せば、こんなにもたくさんのお友達がいるんだ。
その一歩が大事。それが笑顔をつくることにつながるんだ。それを教えてくれたのは、カフェ・シェリーで出会ったゆうちゃんであり、マイさんでありマスターであった。
ならばもう一歩踏み込んでみよう。
「あの…ぜひみなさんと一緒に行ってみたいお店があるんですけど」
勇気を持ってそう発言。
「なになに?」
「どんなお店?」
私の言葉にみんな興味津々。
「ちょっと変わった喫茶店なんですけど…」
それからカフェ・シェリーの事を話したら、もうみんな乗り気。特にシェリー・ブレンドについては誰も疑うことなく「飲んでみたいわー」の連発だった。結局明日一緒に行くことに。
「ここなんですよ」
この日は隣のおばさんと私を含め四人がカフェ・シェリーへと足を運んだ。私が先頭を切ってカフェ・シェリーへと向かう階段を上っていく。その後ろから香穂、そしてみんなが続いていく。カフェ・シェリーの扉を開く前に私は後ろを振り向いた。ここで信じられない光景を私は目にした。
香穂を始めみんなが笑顔で私の後ろをついてきている。これ、この前シェリー・ブレンドを飲んだときに見たあの光景そのものじゃない。みんな私に続いて笑顔になっている。そうか、これが私の目指していた姿だったんだ。こんなところに私が欲しかった世界が広がっていたんだ。
私ができること。それをやればみんな笑顔になれるんだ。うれしくなって、私はにこやかにカフェ・シェリーの扉を開いた。
「いらっしゃいませ」
私を待つ笑顔がそこには広がっていた。
うん、これで私はママになれる。自信を持って香穂のママになれるんだ。
<ママになれるかな? 完>