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 グラミスの一言によって、場の空気が張り詰める。リアは自分の耳を疑った。父は今、なんと言ったのだろうか。しかし、リアの想いなど知る由もなく、グラミスは叫んだ。

「その男を殺せ!!奴はもう、王族でもなんでもない、ただの平民だ!」

 しかしグラミスの秘書も護衛も使用人も、誰一人として動けずにいた。皆一様に顔色を伺っている。

「何を躊躇うことがあるのだっ!!〜〜っ!もうよい、貸せっ!!」

 それでも動こうとしない彼らに苛立ったグラミスは、護衛の一人から剣をひったくるとアレクシスにその剣先を向けた。アレクシスは素早くリアを自分の後ろへとかばう。当然これには彼の護衛も黙っておらず、一斉にグラミスを取り囲んだ。

 アレクシスの背後からリアは顔を覗かせる。目の前の光景に、全てが真っ白になった。リアは父の目に、燃え続ける炎を見た気がした。きっと父は剣を捨てない。自分が斬られることになっても、絶対に。その瞬間、リアは父の元へと飛び出していた。アレクシスの制止も聞かず、兵の隙間を縫って、父の前へと。遮るものがなくなって、リアはとても久しぶりに正面から父の目を真っ直ぐに見た。

「退け、コーディリア」

「……聞けません」

「コーディリアっ!!」

 グラミスから激しい叱責が飛ぶ。いつものリアなら、そこで何も言えなくなっていた。だけどそれでは駄目なんだと、本当はわかっていたのだ。

 リアは一歩も引かなかった。グラミスの向けた剣先をリアは白いその素手で握った。鋭い痛みと共に、鮮血が滴り落ちる。これは罰なのだ。何もかも見て見ぬ振りをして、自分だけが被害者のように振る舞ったことへの。

「……コーディリア」

 覚悟を決めた娘を前に、グラミスは息を飲んだ。

「もうやめてください。お父様。私は、お父様が間違った方へと進んでいるのが分かっていたのに、止められなかった……。お母様を喪ったことが、どれほどの苦しみなのかも分かっていたのに、私は何もできなかった」

 母を喪ったあの日のことを、リアは鮮明に覚えている。大きかった父の背は丸まって、小さくみえた。かつての自分達は、貧困に喘ぎながらも温かな家庭だった。だけど父は、その優しかった時間さえ、間違いにしてしまった。力こそが全てであると、それこそが善であると。父が今まで踏み台にしてきた人々は、かつての私達だ。私達の姿だった。

「変わってしまったお父様に諦めて、見て見ぬ振りをしてきた。でも、それじゃあ駄目なんです。お父様が犯した罪は、私の罪でもある。だって、私たちは家族だから……」

グラミスの目が大きく見開かれた。

「だからもうこれ以上、私の大切な人を傷付けないでください。自分を、傷付けないでください。私も一緒に背負うから……」

 グラミスの手から剣が滑り落ちる。そして放心したように、目の前で涙を流す娘を見つめた。

 それまで二人を見守っていたアレクシスが、赤く染まったリアの手から剣を取った。リアはアレクシスへと目を向ける。彼の目は、無茶をして、と困っているようにも、よく言った、と褒めているようにも見えた。

 グラミスはそんな二人に背を向けると、ぽつりと呟いた。

「リア……。行きなさい」

 リアの耳に、昔聞いた父の声が蘇った。まだリアという愛称で呼んでくれていた頃の優しい声が。

「っ、お父様……」

 リアの瞳から止めどなく涙がこぼれ落ちる。想いはきっと、父の胸に伝わったのだ。ずっと目を逸らして逃げ続けていたけれど、今確かに心が繋がった気がした。大切な家族である父と。

 アレクシスとリアは、グラミスの背に深々と頭を下げた。


 静まり返った執務室で、グラミスは独り言ちる。

「いつから、大切なものを見失っていたのだろうな。決して優しくはないこの世界から、あの子を守ろうと心に決めていたというのに。なあ、エルサ……」

 グラミスは机の上に長い間伏せられていた写真立てを手に取った。ずっと見ないようにしてきた写真には、セピア色の世界で幸せそうに笑う家族三人が写っていた。


*****


 王都の端にある、質素な家でリアとアレクシスは暮らしている。そんなに大きさはないけれど、二人で花を育てたいという理由で、庭のある家を選んだ。

 チリンチリン、と可愛らしい鐘の音がする。玄関に下げられている呼び鈴が鳴る音だ。リアは小走りで、玄関へと向かった。そろそろ彼が帰ってくる頃だ。扉を開けると、そこには配達員が立っていた。少しだけがっかりしながらも、リアは赤い封蝋で綴じられた手紙を受け取った。蝋には剣を咥えた鷹のマークが付いている。王室からの手紙のようだった。すると間を置かずして、再び呼び鈴が鳴る。リアはすぐさま戸を開けた。

 リアは微笑みと共に出迎える。そこに立っていたのは、今度こそ待ち人だった。

「ただいま、リア。なにか変わったことはなかった?」

「お帰りなさい、アレク」

 王族の席から抜け平民となったアレクシスは、これまでに学んだ知識を活かして街で医者として働いている。次期国王して英才教育を受けた多才な彼だ。他にも多くの職に就けたが、人を助ける仕事がしたいと言って医者を選んだ。さすがは王宮医師団から学んだこともあって、街での彼の評判は上々であった。

「あの、王室から手紙が届いてる」

 リアはつい先ほど届いたばかりの手紙をアレクシスに手渡した。アレクシスは、医療器具の入った荷物をテーブルの横に立て掛けると、リアと二人、ソファに座って手紙の封を開けた。差出人の欄にはエルバートと書かれている。

「陛下直々にお手紙なんて、なにかあったのかな?」

「うーん、あいつのことだから世間話かもしれない。忙しいだろうに」

 アレクシスは困った風に言ったけれど、リアから見た彼の横顔は嬉しそうだった。


 リアがアレクシスと共に屋敷を出て夫婦になってから、もう三年になる。リアは最初、自分を選んだことで、アレクシスに王族という身分を捨てさせたことを

悩んでいた。しかし当人はといえば、全く気にした様子もなく言った。

 なにかあっても自分は国よりリアを優先してしまう。そんな人間に統治者は務まらない。優秀な弟がいるから大丈夫。気にするな、と。

 実際にこの三年は国王陛下の崩御、自然災害など国難が相次いだが、即位した第二王子エルバートがこれらを見事に対処した。もともと仲の良い兄弟だったのだろう。アレクシスが一国民となりお互いの立場が変わった後も、こうして近況を綴ったものが遣り取りされている。

「リア、今回の内容は君にも関係のあるものだよ」

「?何が書いてあるんですか?」

 リアが顔を寄せると、アレクシスは目尻を下げた。

「グラミス侯爵が、土壌改善システムと作物の品種改良技術の無償提供を表明したそうだ」

「本当ですか!?」

 リアは文面を食い入るように眺めた。そこには確かに協力を得られたことが書かれている。

「他にも病院の建設や、救貧院などの支援も申し出てくれているそうだよ。君の言葉がグラミス侯爵にも届いていたんだ。……リア、泣かないで。身体に障るよ」

「これは、嬉し涙だから大丈夫」

 リアは鼻をすすると、指先で目元を拭った。

「今度この子が生まれたら、もう一度会いに行こう。三人で」

 アレクシスはほのかに膨らんだリアのお腹に手を当てた。そこには新たな命が育まれている。

 リアはアレクシスに寄りかかった。目を閉じれば様々なことが思い起こされる。いろんなことがあったけれど、これだけはきっと永遠に変わらない。

「アレク、愛してる」



 大切だったものは、時を経るごとに形を変えて、私の心に影を落としていった。熟した果実が腐るように。あるいは、星一つ見えない雲に覆われた夜空のように。それでも、たった一つでも光を見つけ出せたのなら、変えてゆくことができるのだと私は知った。

 やがて種から新たな命が芽吹くように。明けない夜などないように。変わることを恐れてはいけない。何故なら全ては、より良い未来へと繋がる過程でしかないのだから。


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