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短編

春色のまなざし

作者: 桜 詩

 今日もみんな走ってるなぁ~


香田(こうだ) 莉子(りこ)は渡り廊下から、クラブ活動に励む運動部の様子を見ていた。


 300mトラックを、莉子の憧れの篠崎(しのさき) 櫂斗(かいと)先輩が走っている。

中学に入学して、すぐに櫂斗先輩のカッコ良さに気がつくと同じように思っている女子があちこちにいることに気づかされた。


 陸上部の彼は、もちろん一人で走っている訳じゃなくて、陸上部の部員ももちろん走ってるし、他のバレー部やらサッカー部も走っている。なのに、その中でもくっきりと櫂斗先輩だけは浮かび上がるみたいにして見えるのだ。


莉子はこれが俗に言う一目惚れだと、そう思った。だけど、もちろん櫂斗先輩は莉子の事なんて存在すら知らないに違いない。学年も違えばクラブも違う。


莉子たちの通う中学は、生徒数が多く、そしてそのほとんどの学生が運動部に所属していた。

それゆえにか、文化部はいずれも目立たずなんとなく運動部に挫折して、転部してきた生徒たちが目立ち、やる気に欠けている。

それはもちろん顧問の先生にも言えた。


莉子はと言えば、その、のんびりとした文化部の一つに入る美術部で今は部室となっている美術室へと向かっている所だった。


(なんか、こう~一生懸命っていう感じでキラキラっていうか、青春してる感じあるよね)


グラウンドの生徒たちに、そんな風な感想を抱きつつ、眠気をもよおしそうな美術部に足を踏み入れた。


その日の先生の指導は、古い石膏を中心にぐるりと椅子を並べて、クロッキー帳にデッサンをする。莉子は正直言ってこの作業が好きじゃない。だけど、今日もひたすら白い男性の胸像を眺めてひたすらに鉛筆を動かした。


莉子は絵が書くのが好きだから、美術部を選択した。だけど、毎日毎日、石膏を書くのは本当につまらない。絵が好きな莉子でさえそうなのだから、やる気の無い部員は幽霊部員と成り果てていた。


部活の終了の基本時間までデッサンをし続けて、まばらにいた生徒たちと同じくクロッキー帳を閉じて帰る支度をした。一階の渡り廊下を通り、教室のある棟へ向かおうとすると、再びグラウンドが眩しく目を奪って来た。


運動部は、かけ声も大きくグラウンドはエネルギッシュな喧騒に満ちている。莉子が無いものを持っているみたいで、同じ中学生なのになんだか少しその世界は隔絶されているような、奇妙な感じがさせられてしまう。


その輝いて見える生徒たちの中でもやはり陸上部の櫂斗先輩は、見とれるフォームでまるで風みたいに走っていて、またしてもぼんやりと眺めてしまった。


そのままゆっくりと、歩みを進めるとグラウンドと渡り廊下の間に、水道が並んでいて、そこに同じクラスのサッカー部に所属している黒川(くろかわ) 海翔 (かいと)が膝と肘を洗っているのが見えた。


「黒川くん、怪我したの?」

莉子は思わず声をかけてしまっていた。

赤い血の色がみえたからだった。


「香田か、ぶつかってこけた」


黒川くんは、何でもないという声でそう言った。


二年生になっての新学期、名簿の順で並ぶので黒川くんと莉子は隣の席だった。

普段、あまり男子と話したりする事はしないけれど、隣の席の時に黒川くんとは少し話しをすることもあった。


「あ、そういえば絆創膏持ってる」

制服のスカートの中には、ティッシュケースがあってそこに絆創膏を入れてあった。そこには大小の絆創膏が入っていてそこから一番大きなサイズを三枚取り出した。


黒川くんは、首にかけていたタオルで水で濡れた肌を拭くと、みるみるうちに血が滲む。

擦りむいた跡が赤い線になっていて痛々しい。


「貼っても大丈夫なら、貼るよ?」


「頼もっかな」

そう言って貼りにくい肘を莉子の方に向けてきた。

肘にペタリと絆創膏を貼り、もう二枚を黒川くんに、渡した。


「さんきゅ」

黒川くんは膝には自分で貼ると、

「……なんか、(ぬく)い」

そう言って、笑った。


「やだ」

しかも、スカートの中に入ってたから、そんな風に言われてしまうと恥ずかしい気がした。

莉子は軽く黒川くんの肩を叩いた。


「保健室行くの、面倒だったから助かった」

足を下ろすと、コンクリートとスパイクが当たって硬い音を立てた。


洗うために下ろしていたソックスをきちんと上げて、靴紐をしっかりと結び直すと、黒川くんは立ち上がった。


「帰んの?」

「うん。もう終わりだから」


遠くから、「かいとせんぱーい」と女の子の声が響き、思わず莉子も黒川くんも目を向ける。


グラウンドでストレッチをしていて呼ばれた櫂斗先輩は、数人の後輩の女の子たちを振り向き、それを見た女の子たちが「お先に失礼しまーす」と続けた。そしてその声に軽く会釈したのが見えた。その女の子たちは練習を終えて、グラウンドを引き上げるようだ。


「よりによって、同じ名前だからな……」

黒川くんは不満そうな顔をしている。櫂斗と海翔。確かに漢字は違っても同じ名前だ。

しかし、二人に限らず、かいと、やそれに似た名前はとても多い。


「確かに櫂斗先輩はカッコいいけど、黒川くんだって、サッカーしてる時はなかなかだよ」

一年生からすれば黒川くんだって海翔先輩だ。

思わず反応してしまうのも無理はない。そう思って、莉子は思わず慰めようとそう言った。


「してる時はってなんだよ」


「わたし特に球技とか敵だから、すごいなって」

同じクラスだから、黒川くんを含めて球技を出来るって凄いと素直に思ってる。


「確かに香田の運痴っぷりは凄いな。なんでああなる」

体育で、バスケがあればドリブルも満足に出来ない。バレーは普通に空振りする。

他のマット運動とかはまだましなのだけれど、とにかくボールとの相性がとてつもなく悪い。サッカーなんてもっての他。足で操れる訳がない。


「なんでって言われても。けっこう必死なんだけど、本人は」

そう言うと、黒川くんは可笑しそうに笑ってて、莉子は笑われても仕方ないと知ってても、むすっとしてしまった。


「絆創膏のお礼にアイス奢る。帰り待っとける?」

そんな事を本気に取るほどバカじゃない。


「やーよ。絶対、サッカー部の男子たち、からかうよ。その気持ちだけでいいから」

絆創膏のお礼にアイスを奢ってもらって、からかいのネタを提供したくなんて無い。


「わりぃ~」

どうやら、同じ意見だったらしい黒川くんは、莉子にそう言うと、走り去っていった。あっという間に遠ざかる背中を見ながら、


「黒川くんも、足早いなぁ~」

と呟いていた。


 小学生の頃は平均だったのに、中学に入ると、莉子の身長は伸び悩み背の順で並ぶと少しずつ前になってしまった。

入学当時は、莉子よりも小さかった男子たちもあれ?と思うといつの間にか抜かされていて、なんだか取り残された気がする。


黒川くんもさっきみたいに間近で見ると、なんだかすごく背が伸びて逞しくなったように思えた。

多分、頭半分は大きい。


去年の入学の時、カッコよく見えた櫂斗先輩も去年は二年生。今の莉子たちと同じ年だ。

女の子たちも、なんだか小学生の頃とも、去年とも違う。


上手くは表現出来ない。

だけど、秘めた部分、みたいな。なんだかどこかに存在してるモヤモヤする奥底が、それまでだって分かってたはずの、男子と女子っていうのをより別々な生き物だって認識させてしまう。


だから何となく、さっきみたいに絆創膏を貼ってあげる、なんてしてしまった事は、この微妙な年頃では、まずい事をやってしまった気がした。そのまま、通り過ぎれば良かったのに……。


同じクラスの男子なんて櫂斗先輩とは全然違うはずだったけど、走り去っていった姿は……なんだか近づいてる気がして、今さらながら恥ずかしくなったから。


もうすぐ夏休み、じんわりと汗が滲む季節で良かった。そうでないと、ほんのり赤い頬をしていたら変に思われてしまう。


(黒川くんも……なんだか男の子、っていうより男っぽい腕、してたなぁ~)


下駄箱で上靴を入れて、スニーカーに履き替える。そうして、下校する時に学校のフェンス沿いを歩けば、まだまだ練習に励む姿があった。その中にはグラウンド中央のコートで、ボールを蹴っている黒川くんの姿ももちろんあって、怪我の影響なんて何も無さそうな機敏な動きをしていた。


 *・*・*


 そんな事があっても、黒川くんとはクラスでは用事とか、席が隣じゃなくなれば話すこともなく、莉子たちは夏休みに入った。美術部の夏休み制作は、かなり大型の作品を勧められ、莉子は初めての油絵に挑戦することになったのだ。


何でも好きな物を書いて良いと言われて、夏前にスケッチして水彩で描いていた紫陽花を描くことにしたのだ。


油絵の技法を先生に聞きながら、莉子の制作は始まった。水彩しか経験の無い莉子にははじめは難しく感じられたけれど、重ね塗りで生まれる深い色の表現にすぐに引き込まれ、莉子は最後まで美術室に残るようになっていた。


「香田さん、そろそろ帰りなさい」

先生にそう言われて、はじめて外がすっかり薄暗くなっている事に気づいた。


納得の行くまで描いて描いて、仕上げたい。

そんな気持ちをこめて、絵を描くのは楽しい事だった。


白は、白であって、それだけじゃない。

青は、青であって、それだけじゃない。

緑も、緑であって、それだけじゃない。

目に映る全ての色が、絵を描くことで複雑な物に思えてきた。


葉を描くのに気がつけば、何時間も費やしていた。翌日になれば、乾いたそこにまた色を重ねると、深みのある色が生まれていた。


そんな日が続いて、運動部もすでに帰ったあとの静かな校舎を、莉子は帰ろうとしていた。


「あれ?黒川くん。どうしたの?」

靴を履こうとして、入口の方から入ってきた黒川くんに気がついた。


「靴、忘れた」

見れば下駄箱にはスニーカーが一足残されていた。どうやらスパイクのまま帰ろうとしてしまったみたいだ。


「意外と抜けてるね」

いつかの、運痴呼ばわりの仕返しに莉子はにっこりと笑って言った。

「最近、遅いな。帰るの」


「そうだけど、なんで知ってるの?」

「靴、残ってるから」

帰るときに、靴があるかないか、それで誰がまだ学校にいるのか分かるのだ。


「あ、そっか」

「そうだよ」

スパイクをシューズケースに入れて、スニーカーに履き替えた黒川くんと、自然と30センチほど開けて並んで歩き出した。


「なんかね、今夏休み制作してるんだけど、なかなか進まないの」


「大変だな」

「うん、だけど楽しくって。いつまでも描き続けたいくらい。でもあともう少しで仕上がりそう」


「へぇー。俺は棒人間しか描けないから凄いと思う」

「そんな事ないでしょ」

「いや、何時間も座って描いてるんだろ?それだけでスゴい」


授業で見る黒川くんの絵は、わりと大胆で、でも決して下手じゃない。

線が細い繊細な雰囲気の莉子の絵は迫力に欠けて見える。それでも、そうやってスゴいって言われると、何となく嬉しくもある。


「ありがと、文化部って何となくこの学校だと落ちこぼれみたいな雰囲気あるから。素直に嬉しいかも」


「運動部なんて汗かいて走ってたら、頑張って見えるだけだって」


その言葉に思わず笑わせてもらう。


夏の夜は、やって来るのが遅くて、明るい時間がながい。

なのに、この日も傾き出した夕日は一気に夕闇を連れて来た。


「黒川くんたちは、いつもこんな時間に帰ってるんだね」

影の無くなった道を、なんだかとてもゆっくりとした足取りで歩いてる。

本当なら、暗くなったら急いで帰りたいのに。


一緒に歩いてる相手がいるからかな?


「なんか、やらないと駄目だっていう強迫観念かな。サボると負けるっていう。もちろん必死にやっても負けるけど」

「でも、頑張ったらそれだけ上手くなるって知ってるからだよね。今、油絵してて楽しいのは、下の色は重ねるともちろん見えなくなるんだけど、それがあるから深みが出るの。それがすごくほんとに楽しいの」


「へぇー、楽しいっていいな」

黒川くんはわりあい聞き上手らしい。

こんなにたくさん喋ったのははじめてだ。


そんな事を話ながら歩いていると、莉子の家が近づいてきた。

そう言えば、と。

黒川くんの家はどこだった?と首を傾げた。


「あれ……何となく歩いて来ちゃったけど、黒川くんの家ってこっちだった?」


「あ~………。なんかうっかり、間違えたらしい」

話してるうちに、曲がる所を忘れたのだろうか?


「今日は疲れてるんじゃない?」

莉子は靴を忘れたり、道を間違えたり、そんなうっかりさんな黒川くんの顔を下から覗きこんだ。


「家、そっち?」

黒川くんは、ばつが悪いのか眉を寄せると莉子にそう聞いた。

「うん。もうこの路地を入ったらすぐ」


「じゃあまたな」

「うん。またね」


なんて………普通にバイバイしたけれど………。


(もしかして、暗いから送ってくれたりした?)


運動部は遅いけど、その分一緒に帰る仲間も多い。だけど、莉子みたいに居残りの少ない文化部は今日みたいに一人で暗い道を帰らなくてはならない。


軽い足取りで走っていくのを、行きかけた道をやっぱり気になって戻って見てみると、当たり前だけど彼の家は全く違う方向なのだ。


街灯が黒川くんの影を作っては、そして消えて、作っては、消えて。そして曲がって見えなくなるまで見つめていた。


(やっぱり全然……方向違うじゃない)


「あつ……」


頬が熱い。


火照った頬は仰いでもなかなか冷めない。


「熱くなっちゃったよ……」


莉子は、残る道をつい綻んでしまう口元を戒めながら歩いた。



その次の日、同じようにサッカー部も夏休みの練習があり、美術部でも文化祭に向けての作品を作ったりしていた。それから莉子も、完成間近の紫陽花を仕上げにかかっていた。


花弁の、薄く透ける具合とか背景の柔らかな色合いとか、今感じる精一杯の物が出来たように思えた。


あとは乾かして、そして最後にもう一度見てサインを入れる。

サインは漢字で莉子と書くと決めていた。


昨日と同じような、夕闇の迫る時間まで……。

莉子は待っていた。


下駄箱の所で靴を見て、まだ残ってる靴を確かめた。そして黒川の名の所にスニーカーがあるのを見て、つい校舎の方へと戻る………。


(ちょっと、待ってみるだけ)


出入口の方から靴を履き替えに入ってきた黒川くんを見つけて、つい後から偶然を装って


「今日も遅いね」

「トンボかけたりボールとか片付けてたから」


一年生がしそうな事を二年生が?とつい聞いてしまいたくなる。


「そっか、そういうのもしないとダメだもんね」


そんな事を言いながら、今日も並んでき歩き出す30センチよりも気持ち近い。それだけの距離を開けて。


「絵、完成した?」


「あとは乾かしてそれで良いかもう一回見て、それで良いなら、サイン入れるの」

「サインってなんか、カッコいいな」

「でしょ?失敗したらどうしようか、ちょっとだけ緊張する」


ほんのちょっと前を歩く黒川くんは楽しそうに笑ってる。ほんの少し振り返ってみれば長く伸びた影が時々重なってて、実物よりも近くを歩いてる。

ちょっとだけ、手を動かしたりするとまるで繋いでるように影は動かしてみる事も容易い。


黒川くんは、昨日間違えたはずの道を今日も歩く。その事は………もしかして、っていう莉子の予測を裏付けてる。


昨日と同じ場所で、

「じゃあまたな」

「うん、ありがと。またね」


バイバイして、また少し歩いて、戻って走っていく後ろ姿をまた見送る。


黒川くんは、今まで見てきた彼と違う色に見える。櫂斗先輩とはまた違う。


これはもっと違う感じ………。


夏のキラキラとした日差しでも、秋の爽やかな空でも、冬のキンッとした冷たい空気でもなく………。


ぽかぽかとあったかい春色みたいな、優しい気持ち。


(明日も……一緒に帰れるかな……)



 *・*・*



 次の日、莉子の絵は完成した。

「よく頑張ったな」

美術部の顧問の田辺先生は、完成した絵をしみじみと眺めている。


人の評価がどうであっても、莉子はこの絵に真剣に立ち向かった。疲れが心地好いくらい打ち込んで納得の行く仕上がりだ。


「青っぽい色合いなのにふんわりして優しい色合いになったね。香田さんらしく一筆ずつ、丁寧で。それでいてのびのびと書けてる」

「油絵、楽しかったです」


「瑞瑞しい紫陽花に仕上がったね」

莉子は田辺先生のその言葉を聞いてから、莉子とサインを書き込んだ。


縦の大きさは小柄な莉子の背の半分くらい。

本当に大作だった。


他にも出展するための作品を作り、莉子はその日もギリギリまで粘った。

外を見れば、グラウンドを引き上げていく生徒たち。その中に、櫂斗先輩の姿があったけど、目で追っていたのは黒川くんの方だった。それを見て、梨子もまた帰る準備をする。


そして一階に降りて、目的地の下駄箱にはすでに靴を履き替えた黒川くんの姿があり少しだけ驚いた。

「黒川くんあれって、アイス奢ってくれるってまだ有効?」


「あれか。もちろん良いけど高くないやつな」

「うん、分かった。300円のにするね」


一瞬、変な顔をしたのは高くないやつを中学生にしては300円と高額アイスを指定したからだろう。


莉子は黒川くんが誤魔化しようもなく、きちんと待つ様子でいてくれた事に舞い上がってる。


学校のちょっとだけ離れた所にコンビニがあってそこで莉子は、ソーダ味のアイスを買ってもらった。

「これ、300円しないけど」

「うん。三枚分だからあと二本200円ね」

クスクスと莉子は笑った。


相変わらず、30センチよりもちょっと近くを歩いて、この日は公園に寄り道をした。

すべり台にカバンを置いてもたれ掛かりながらアイスを食べた。


「絵ね、完成したの。だから夏休みの部活終わり」

「そっか、俺らも後は試合が多くなるかな」


たったの数回。


一緒に帰った夏の夜は、もう終わり。


(なんか……ガッカリしちゃう)


ソーダ色のアイスをシャリッと食む音だけが二人の言葉だった。


「あのね……ちょっと、嬉しかったし楽しみだった」

シャリッが終わって、指先でプラプラと棒をさせながら莉子はそう言った。


「うん、だな」


黒川くんの返事は短すぎだ。


袋の中に棒を入れて、カバンのすみっこに押し込んで、黒川くんの手から同じのを取ろうと手を伸ばした。

「奢ってもらったから、わたし捨てるね」


ちょっとだけ、指が触れた。


黒川くんは思い切ったみたいに莉子の指先を握って、それから置いてあったカバンを持つと少しだけ強く手を引いた。黒川くんも、空いた手でごそごそとアイスの袋をカバンに入れると揃ってのろのろと歩き出した。


体の距離は変わってない。だけど今は、繋いだ分だけ近づいていた。


「あと二本、期限なし」

不意に黒川くんはそう言った。

「期限無しね、じゃあまた……奢ってもらわなきゃ」

莉子は半歩だけ一気に距離を詰めた。


「その前に、また絆創膏がいるかもな」

そんな事を聞いて、ドキドキした。


「かも。いつでも入ってるよ」


「あのさ~それ、他のヤツにはやらんで、って言ってもいい?」

さらにドキドキドキドキドキドキした。

それって、つまりは……、何て言うか。

莉子の絆創膏は彼専用って事で。


莉子は近づいた分だけ、二人の距離が近くなったのを感じた。


「うん……うん。わかったよ」

それで、意味も無く笑い合った。


ぎこちなく繋いだ手は、意外なほど大きくてしっかりしてる。


手を繋ぐ二人。


日焼けして、スポーツウェアの黒川くんと、白いままで夏を過ごして、夏物の白のセーラーカラーのブラウスの莉子。なんだか違和感があるような……無いような。


いつもの家の近くの路地の入り口でなんと無く向き合った。

「じゃあ、またな」

「うん、またね」


暗くてあまりはっきりとは見えない。でもそれが今はちょうど良い感じだ。はっきり見えるときっと直視できないから。


ゆっくりと離れて行く手が名残惜しくて、最後に指先だけが残ってた。


走って行く黒川くんを、帰った振りをせずに莉子は見送っていた。いつもの、街灯が影を作っては、消えてと

角を曲がる時に、一度振り返って互いに手を振り合った。


夏休みの終わりは、そろそろ近づいていた。


 

  *・*・*


 新学期が始まり、すぐに文化祭の準備がはじまり、だけど体育祭に比べると当たり前だけどそれほど盛り上がらない。

美術部の莉子は、自分の作品を持って小ホールの展示する場所に紫陽花の絵を運んでいた。


教室での黒川くんと莉子は、表面上は夏休みの前と何も変わらない。でも、時々軽く視線があったり、盗み見したり、そんな事はしていた。


今日はクラス毎に学習発表もあるから、文化部以外の生徒たちは教室で準備をしていた。

莉子たちのクラスは、教室に戦国武将の立て看板をつくり、それぞれの紹介をするという物だった。


小ホールには、美術部だけじゃなく、手芸部や書道部が作品を展示している。


「大きいな、手伝おうか?」

「黒川くん」


返事を待たずに黒川くんは、ひょいと莉子からキャンバスを取り上げた。普通に並んで歩いていて、すごく内心驚いた。

だって、みんなまだまだ残ってるのに


「意外と重くなかった」

「うん。重くないよ」


「これか?夏休みに描いてたやつ」

「そう」

黒川くんはそのまま小ホールに持って入ると、飾るところまで手伝ってくれた。


「高さこのへん?」

「もう少し上かな?」


お陰で少し離れた所から位置を確認することが出来た。

美術部もだけれど、他の文化部も男子生徒は少なく正直な所ものすごく助かった。


「ありがとう、お礼にジュース奢るね」

「じゃあ早速、今日の帰りな」


てっきり、適当に濁すと思ったのにはっきりとした答えが返ってきて驚く。


「うん…」


(今日の、帰りって……!?)


今日なんて……。一緒に帰ったりしたらみんなにばれちゃう?


ダメ……じゃないのか。

悪いことをしてる訳じゃないし……。


(聞かれたら、普通に手伝ってくれたからお礼してるって言えば………。そもそもそんなに言い訳しなきゃいけないのかな……)


それほど梨子の事を気にしてる人なんていないはずだ。そう思うとなんてことないって思えて少しホッとした。


小ホールの準備を終えて、教室に戻るとほとんどの生徒は帰っていて、残ってるのは数人だった。

帰り支度をする梨子を見て、黒川くんも帰り支度をした。


少しだけ時間をずらして出るのに、黒川くんを教室に残して下駄箱で先に待っていた。


「一人で帰るって言ったら、誰と帰るんだってさ。ほっとけよ~って言って出てきた」

黒川くんは、教室に残っていた男子生徒とそんな話をしていたみたいだ。


「平気なの?」

やっぱりからかわれたりするのかな?


「平気にならないとさ、別に一緒に帰るくらいいいだろ?」


(て、いうことはこれからはそうするって、言ってるみたいだよ??)


「うん」


「三年生も、部活は引退したし」

「あ、なるほど。もう最上級生だ」


つまりは上に気にすることはないって事なのだ。


そこまで下駄箱で話してると


「海翔先輩、さようなら」

と声がかかった。

明らかに黒川くんに挨拶してるみたいなのに、目の前の黒川くんは反応せずに靴紐を結んでる。


「ん……?黒川くんの事みたいだよ」


「え?あ、そっか。サヨナラ」

お辞儀をして女子生徒たちは帰っていく。


「もしかして、黒川くんもモテてる?」


「運動部はだいたい下の名前だから。他の部の下の子達も名前+先輩だから」


まばらな生徒たちの、帰っていく流れの中で梨子と黒川くんは並んで歩いていた。


「あの絵。すごいと思った。色とかなんか何色って表現したら良いのか分からない感じでさ。あと、サインカッコ良かった」


「ほんと?」

褒められるとなんだかくすぐったい。


「うん。普通の道端の花があんな風に見えるって事はさ、香田って俺が見てるのと、違う色が見えてる気がした」


「違う色かぁ……」

そんな事を言われると、ついどういう風に見えるのか言いたくなってしまう。


 前にアイスを買ってもらったコンビニで、梨子は黒川くんの指定したレモンスカッシュを二本買った。

ちょっとだけ遠回りして、神社の境内の階段を上がっていく。


しんとしていて、とても静かだった。


「あのね、さっきの………色の話だけど」

梨子は小さな声で切り出した。


「うん」

二人してプシュッと音をたててペットボトルの蓋を開けて少しだけ口をつけた。


「今はね、黒川くんはわたしには春色に見えるよ」


「春色?」

黒川くんの目が梨子を見た。


「そう、春みたいな色」

ピンとは来ないかも知れない。そんな事を思ってると


「たぶん俺も、香田の事、そんな風に見えてる気がする」

かぁっと頬が熱くなる。


言った言葉にも、言われた言葉にも。


「そっか……」


梨子は笑った。

黒川くんも笑った。どちらもきっと照れ笑いだ。


今日の梨子たちの春色は、レモンスカッシュのレモンイエローみたい。少し瞳に鮮やかで、ちょっとだけ甘い、そんな色。



――fin――


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― 新着の感想 ―
[一言] 全てを言葉にしない感じがとても素敵だし、ときめきました…! この絶妙な距離感がリアルでエモすぎます。 この小説に出会えてよかったです!
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