東遷の嵐
言われるままに、章の前を退席した2人は、本家の中で、護に割り当てられている部屋へと向かった。
「失礼します」
「入れ」
部屋の中には、初老の老人が、座卓の前に不機嫌そうな厳しい顔をして座っていた。
「何の用だ」
これまた不機嫌そうな声で、応じられた。この人が、靖の叔父、勇の大叔父に当たる只見護である。与党議員であり、父の章の地盤をそのまま受け継いだため、その影響力は計り知れない。
「久しぶりに、本家まで顔を出したので、ご挨拶にと」
不機嫌さを完璧に無視して、靖は返答した。
「まあ、会うのは久しぶりだな。何か頼み事でもあるのか?検察にお世話にならない程度の話なら聞いてやる」
「いえ、本当に挨拶に来ただけなんですが…」
「どうせ小遣いの話だろう。勇、ちょっとこっちに来い。ほれ」
父が大叔父の軽口を聞き流していると、大叔父が悪ノリしてきた。勇が呼ばれた通り近づくと、渡されたものは、
「国防省の主な幹部の履歴だ。入学祝いだ。国防省に入ったようだし、いろいろと役に立つことになるだろう」
ここまでは、勇にとっても靖にとっても想定内のことだった。しかし、次の言葉は、2人を驚かせた。
「俺の姉貴の行方は分かったかな」
只見家の中でも触れられることはないことである。只見家最大の暗部であり、世界最悪の兵器を開発した張本人である。
「いや、行方不明になった時期が2036年で場所は対馬ですから、生きていたとしても、拉致された可能性があることもわかっているでしょう。国内にいることは考えられない。重要人物過ぎたのが運の尽きです。母親とはいえ、自業自得ですよ」
「ところで、一体全体何が理由でそんなに不機嫌になっているのですか」
「ここのところ、東亜共和国の活動が活発なのは知っているだろう。この休みが済んだら、通常国会が再開するわけだが…、この間の失言問題で、野党との調整が難航している。失言と言ってもマスコミには漏れてないがね。内輪だけだったからよかったがな。あいつが折れればいいのだが…」
ここで、勇が合いの手を入れた。
「あの人ですか?急進派と言われる…」
「そうだ。おかげで大変な目にあっているんだ。腐れ縁にもほどというのを知らんのか…まったく…」
「では、詳しい話はまたの機会に…。今日のところは失礼します」
靖が頃合いを見計らって席を立った。勇も続く。
「済まないな、引き留めたかな」
「いやそのようなことは」
ここで、社交辞令に終始しようとする靖の腰を折るように、勇が、護に頼むことにした。
「すみません。お願いがあります」
「おお、なんだ」
「首相周辺の履歴書もお願いします」
「具体的にはどこのが欲しいか?」
「官房と官邸の人の分を頼みます」
「わかった。一週間後に、届けさせよう」
「よろしくお願いします」
このような会話の後、やるべきことも終わり、2人は家路についた。帰りも、巨大な黒塗りの車に乗せられた。
その中で、国防省の履歴書を見ていた、勇は、いやなことに気が付いた。
(まあ、当面は問題になりそうにもないな)
そうして、いったんこの問題を忘れることにした。