リャナンシーと吟遊詩人 3
小説書くのって大変ですね。
世の中の小説家さんはこのペースで読みやすくてかつ面白い話を書いているんですからホントにすごいです。
拓巳とエリスはカラシンの話を聞いた後、そのままの脚で王立図書館へと向かっていた。
拓巳がリャナンシーの情報を手に入れるためにはどうすればいい、と聞いたところ、カラシンが提案してくれたのだ。この街の図書館だったらリャナンシーについて書かれた本があるかもしれない、と。
拓巳が持っていた知識のおかげで、なぜララベルがいなくなったのかは分かったが、肝心のララベルがどこに行ったのかがまだ不明。それを解決するためにもカラシンの話を聞いたのだが、それでも居場所は分からなかった。
ならば、こちらの世界におけるリャナンシーについての記述を調べてみるしかない、と拓巳は考えたのだ。
カラシンは拓巳に話を終えると、一目散に駆け出して行ってしまった。恋人の危機をきいて居てもたってもいられなくなったらしい。3時間後に先ほどの酒場にいったん集合と決めていなければ、拓巳たちとは連絡すら取れなくなっていたかもしれない。
「それで図書館に向かうのはいいが、何を調べればいいんだ?」
ただ拓巳に言われるがままに図書館についてきたエリスが、拓巳に問いかける。
「リャナンシーの習性だよ。」
拓巳はこの図書館で、リャナンシーという種族につてできる限り調べるつもりだった。妖精というのは、一般的に土地に縛られるものが多い。ある特定の場所を死に場所としている妖精も少なくはないのだ。
なので、リャナンシーがどういう場所で死ぬのを好んでいるのか、それを本で調べようという算段だ。
「ここが、図書館か。」
それは塔のような建物だった。
壁には蔦が張り、石造りの隙間に根を張っている。
縦に長い建物だったが、立てかけられた看板には確かに『王立図書館』と書かれている。
図書館に足を踏み入れた拓巳は、その目を見開く。
図書館の中は、ファンタジーだった。
中にはらせん状に塔の上の方へと向かう階段があり、それに沿って本棚がずらりと並べられている。中心は吹き抜けになっており、上を見上げるとはるか高くに天井が見えた。
そして何より驚いたのが。
本が浮いているのだ。本が自分で勝手に、棚から棚へとふよふよ飛んでいく様子は、前の世界では絶対に見られないような光景だ。
しかし拓巳は、この光景を目の当たりにして平然としていた。
「ま、いまさらこんなことで驚かないけどね」
拓巳はここ数日、この世界で生活しているうちに、いくばくかのファンタジー耐性を身に着けている。この世界はなんでもありだ。今更空飛ぶ本を見せられたところで、拓巳は動揺なんてしないのだ。
受付にいた司書に使用料を払い、中へと足を進める。
「それじゃ、手分けしてリャナンシー関係の本を探そう」
そうエリスに言って、拓巳は早速目の前の本の山に向かっていくのだった
エリスは拓巳の後ろ姿を見る。拓巳としばらく行動を共にしてきたエリスだが、拓巳が故郷のことで思い悩む姿を一度としてみていない。エリスにはそれがどうにも不安だった。
だからと言ってエリスは別に、異世界から来たという拓巳の話を信じていない、というわけではない。ただ、拓巳にも前の世界での生活があったろう、つながりがあったろう。それについてあれこれ思い悩まない拓巳に疑問を持ったのだ。
もしかしたら拓巳は来るべきしてこの世界に来たのかもしれない。
エリスは、そんなふうに考えるときがたまにあった。
異世界から来たはずの拓巳だが、稀にこの世界の生物たちについてエリスですら知らないような知識を披露する。本人もこの世界の生物たちに対して多大な興味を抱いているし、意欲的に学んでいっている。前の世界への執着も薄い。
それならば、拓巳にとってこの世界はうってつけだ。
前の世界に生まれ落ちたのが間違いだったとすら思える。
もし神がいるとすれば。
この世界に拓巳を連れてきたのは、もしかしたら。
「………いや、まさかな。」
魔獣神獣が跋扈するこの世界にも、明確に神と呼ばれる生き物は存在しない。それに近いものは存在するが、別の世界と交信するような能力は持っていない。
「わたしの考えすぎか」
エリスは気持ちを切り替える。いまやるべきことは、リャナンシーについて調べることだ。心の中に沸き上がった疑惑はとりあえず放置して、エリスは有用な情報を得るべく手近な本棚へと向かって行った。
「見つけたぞエリス! これだ!」
拓巳がリャナンシーについて書かれている本を見つけたのは、探し始めてから3時間ほどたってからだった。本のタイトルは「謳う妖精たち」。リャナンシーについて書かれているのは、この本の中の数ページだ。
「見つけたのか拓巳。で、なんて書いてあるんだ?」
「そんなに記述は多くないな……やっぱり数が少ない妖精なんだろうな」
拓巳がリャナンシーについて書かれている部分に目を走らせていく。
「えーと、『リャナンシーは詩の妖精とも呼ばれる、人間の女性の姿をした妖精の一種である。気に入った人間の男性に憑りつき、その生気を奪う代わりに宿主に詩や歌の才能を与える。憑りつかれた男性は詩や歌の才能を得る代わりに短命となる。野生のリャナンシーは小高い丘を住み家にしており、一本のみ木が生えた丘の頂上はリャナンシーが住み着いていることが多く、旅人は注意が必要である。』って」
「……ふーむ。…特に新しい情報は得られなかったな」
エリスが渋い顔をする。しかし拓巳は違った。
「いや、これでララベルさんの居場所が分かったよ」
「そうなのか!?」
「ああ。野生のリャナンシーは小高い丘を住み家にするって書いてあったろ?妖精は基本的に土地に縛られるし、おそらく死ぬ場所も小高い丘だ。つまり、リャナンシーが好きそうな小高い丘をここらへんで探せば、きっとララベルさんは見つかる。ここに書いてあった通り、できれば一本だけ木が生えた丘がいいな」
「むぅ、そうか……私はこの辺の地理にはあまり詳しくないんだ……力にはなれそうにないな」
エリスがうつむく。そんなエリスに、拓巳が声をかける。
「カラシンさんと合流しよう。彼なら吟遊詩人だし、地理に明るいかもしれない。」
この図書館の場所を教えてくれたのも彼だ。彼ならサクラシンの周りに丘があるのかも知っているだろう。
拓巳とエリスは、カラシンと合流すべく、先ほどの酒場へと走った。
「このサクラシンの西側は丘陵地になっています!」
カラシンと合流してすぐ、拓巳とエリスが事情を話すと、カラシンは息を荒げて返事を返す。これまで町中を走り回ってララベルのことを探していたのだろう。髪は乱れ、額には汗がにじんでいた。
「すぐに行きましょう!」
その言葉が言い終わらないうちに、カラシンが西門の方へ駆け出す。拓巳とエリスはあわててカラシンのあとに続いた。
サクラシンの西門に到着した拓巳たちは、衛兵に手続きをして門を出る。
サクラシンの西側は、本当に丘陵地になっていた。見渡す限りだと、数本の木が見えるので目星はつけやすい。
「カラシンさん!木です!一本だけ木が生えた見晴らしの良い小高い丘を探してください!」
既に駆け出してしまっているカラシンに向かって、拓巳が叫ぶ。その声を聞いたカラシンは、ララベルの名を叫びながら手近な丘に登っていく。
「拓巳。私たちはどうする? 手分けして探すか?」
「いや。候補はそんなに多くない。俺たちはカラシンさんの後を追おう。あんな状態の人を一人にするのは、ちょっと不安だ」
恋人が死ぬかもしれないという恐怖と、その恋人にもう少しで会えるかもしれないという期待。二つの大きな感情に支配されたカラシンは、傍から見ても危うい状態に見えた。
「そうだな。私もそれに賛成だ」
拓巳の提案はエリスにも受け入れられ、二人はカラシンを追うべく走り出した。
「あれは…?」
前方で走っていたはずのカラシンが足を止めている。それに気づいた拓巳は、横で走っていたエリスを手で制して止める。
カラシンの視線の先を見ると、一本の木があった。その木の根元には、一人の女性が横たわっている。
「あれは銀杏の木か?」
拓巳のとなりにいたエリスが、静かに呟く。小高い丘の上に一本だけ生えているその巨大な銀杏の木は、季節など気にしないとでも言うように真っ黄色に色づいていた。
「銀杏の木、か」
「どうしたんだ拓巳。」
拓巳のちょっとした様子の変化に気付いたのか、エリスが心配そうな声をあげる。
「いや、ちょっと、前の世界での銀杏の木の言い伝えについて思い出したんだ」
銀杏の花言葉は「鎮魂」。
ララベルがどうして死に場所にここを選んだのかは分からないが、拓巳はこのことに何か運命じみたものを感じるとともに、この花言葉がララベルの将来を暗示しているようにも思えた。
拓巳とエリスが銀杏の木に近づいていくと、ララベルとカラシンが何か話しているのが聞こえた。
(水を差さない方がいいよな?)
(同感だ。少し離れた場所から護衛しよう)
拓巳とエリスはそう小声で確認しあうと、遠くからカラシンたちの様子を見守った。
「ララベル! どうして僕の前から姿を消したんだ! あんなに愛し合っていたじゃないか!」
「カラシン……」
銀杏の木の下で、ララベルはカラシンに抱きかかえられていた。
白くやつれたその姿は、彼女の死期がそう遠くないことを示していた。妖精としての力がほとんど失われてしまったのであろう、彼女は立つことすらままならないようだ。
ララベルは泣きそうな顔をしながらカラシンを見つめる。そして蚊が泣くようなか細い声で、カラシンに話しかける。
「リャナンシーは愛する者に詩と歌の才能を与える。それは知ってるわよね、カラシン」
「ああ。君の祝福のおかげで、僕は吟遊詩人として生きてこられた」
「祝福、ね」
そこで、カラシンの言葉を聞いたララベルの顔が苦悶にゆがむ。そして自嘲気味に笑うと、罪を告白するように小さな声で囁く。
「実は、あなたには話していなかったけれど。リャナンシーは愛する者に詩と歌の才能を与える代わりに、代償として生気を吸い取るの」
ララベルの頬を涙が伝う。
「今までは余剰分をもらっていたから、あなたの命には影響がなかったの……。でも! これ以上あなたから生気を吸い取ったら! あなたの寿命にまで影響が出てしまう!」
「………」
カラシンは黙って、彼女の懺悔に耳を傾けていた。彼女の声を一言一句聞き漏らすまいと、沸き上がる嗚咽を必死でこらえている。
「ごめんなさい……黙っていて。今まで黙って生気を吸っていた私が言えた話ではないのだけれど、私はあなたの命を吸ってまで生きたくないの!」
「気にするもんか。僕と一緒にいてくれララベル! 君が生きていてくれれば、寿命なんていらない!」
そう訴えるカラシンにララベルが微笑みかける。そして手をそっと、まるで宝物にでも触れるように、カラシンの頬に添える。
「それは私も一緒なのよ、カラシン。あなたが生きていてくれれば、命なんていらないの。」
ララベルは目をつぶって、懺悔する。
「わたしたちが初めて会った時のこと、覚えてる?」
ララベルが囁くように言う。
「初めて会ったとき、わたしはあなたから生気を搾り取るつもりだった。吟遊詩人の才能にあふれたあなたがとっても美味しそうだったの。…でも、できなかった。わたしに歌を披露するたびに嬉しそうにはにかむあなたを見て、わたしは思ったの。あなたと一緒にいたい。そのためなら死んでもかまわないって」
足の方から、ララベルの姿が薄くなって消えていく。それを見たカラシンは頬に添えられた手をぎゅっと握る。二度と離さない、とでも言うように力強く。
「…もう生気の貯蓄もないみたい。ごめんね、一緒に世界中を旅するって約束したのに。」
「ララベル、ララベル!」
カラシンの腕のなかにララベルが顔をうずめる。その顔は実に幸せそうで、カラシンの涙で濡れたぐちゃぐちゃの顔とはまるで正反対だった。
「ララベル! 僕の生気を吸え! 早く!」
「…あなたの腕の中で死ねるなんて、夢みたい。」
「やめろ! やめてくれっ! そんなことを言うんじゃない!」
年端もいかぬ子供がいやいやとするように、カラシンは首を振る。
しかしそんなカラシンの願いとは裏腹に、止まることなく徐々にララベルの姿は薄れてゆく。ついには、カラシンがぎゅっと握った手までもが、だんだんと透けていった。
「……カラシン」
「……なんだい、ララベル」
もはや嗚咽を隠せなくなったカラシン。そんなカラシンを愛おしそうに見つめて、ララベルは言った。
「愛してるわ」
「……僕もだよ。ララベル」
そしてララベルは、愛するカラシンに抱きしめられながら消えていった。
カラシンは天に向かって慟哭する。
それは恋人の死を嘆く、そんな普通の青年の姿だった。
あれからずっとその場で独り泣き続けていたカラシンだったが、しばらくして泣き疲れたのだろうか、急に倒れて意識を失ってしまった。連日ララベルのことを探し回って疲れもたまっていたのだろう、と拓巳とエリスはカラシンを担いで彼の泊まっている宿屋へと送った。
「ありがとう。君たちには世話になった」
すると翌日。目を覚ましたカラシンに会うと、開口一番にこんなことを言われた。まだララベルのことでショックを受けているのではないか、と半ば報酬は諦めていた拓巳は面食らってしまう。
「ララベルの最後に立ち会えたのも君たちのおかげだよ。たしかにララベルはいなくなってしまった。しかし君たちがいなければ、僕はその死に際にも立ち会えなかっただろうから」
そう言って報酬を手渡してくるカラシンは酷くやつれた顔をしていた。きっと宿でも泣いたのだろう。頬には涙の跡が見える。
「正直、まだララベルのことは受け入れられない。でも、立ち止まったりはしないつもりだよ。僕は、彼女が愛した僕であり続けると決めたんだ」
憔悴した様子のカラシンだったが、目にはたしかに力強い光がともっている。
「彼女がどうして僕を生かしたのか。どうして僕に詩歌の才能を与えたのか。きっと彼女は、僕の歌が好きだったんだ。だから僕は、これからも歌い続けるよ。それが僕から彼女への鎮魂歌だ」
最後にカラシンはそんなことを言っていた。
「なあ、これで良かったのかなぁ」
冒険者ギルドで依頼達成手続きをおえ、宿に戻る途中で拓巳はぽつりとこぼす。
「仕方ないさ。わたしたちは出来ることをやった。あれ以上はわたしたちが立ち入っていい領域じゃない。カラシンとララベルの問題だ。わたしたちがどんなに早くララベルを見つけていても、あの結果は変わらなかっただろう」
「そう、なのかな……俺、冒険者になってこんなにしんみりした気持ちになるとは思わなかったよ。」
なおも納得いかない様子の拓巳に、エリスは思いついたように言う。
「よしっ! 拓巳! 今日は飲もうっ! 辛いことは飲んで忘れるに限る!」
「いや、俺未成年だし」
「別に酒じゃなくてもいいさ。おいしいものをお腹いっぱい食べるだけでも幸せな気持ちになれる。今日は宴にしよう、な?」
「……そうだな。そうしようか。」
心配そうな声音のエリスに、拓巳も折れる。自分がうじうじ悩んでエリスの脚を引っ張るのは拓巳だって本意ではないのだ。なにせ今ですらほぼ、エリスにおんぶにだっこなのだから。
張りきったように先を歩くエリスを見つめながら、拓巳は薄く微笑むのだった。