リャナンシーと吟遊詩人 2
ララベルと出会ったのは、一昨年の秋だった。紅葉も終わりかけた晩秋だったか。
僕の実家はなかなかに大きな商家でね。僕の故郷はテルダムという小さな町なのだけれど、実家はその町で一番の商家だった。
僕はその家の一人息子で、昔から実家を継ぐように言いつけられて育ってきた。父のそばで、商人になるべくいろいろな教育を受けながら育ってきたんだ。
だけどそんな生活を続けていて、ふと疑問に思うことがあった。
父の言うように商売して、父の言う人と友人になって、父の言う人と結婚して。
そんな生活のどこに、『僕』がいるんだろうって。
そんな時だった。
得意先の酒場にいつもようにの葡萄酒を納品しに行ったとき、一人の吟遊詩人に出会った。
彼は酒場の隅で、各地を旅して集めた伝承や歌を謳っていた。酒場の中には、彼の言葉に耳を傾ける者はそう多くなかったけど、僕には彼の語る話がキラキラとした宝石のように思えた。
僕は家に帰って、父にこのことを話した。そして吟遊詩人になりたい、と告白した。
当然、僕に家を継いでもらうことを望んでいた父は激怒した。しこたま怒られたよ。父に殴られたのは、後にも先にもあの時だけだったかもしれない。
でも僕は諦めきれなかった。
酒場に葡萄酒を納品しに行くたびに、僕は吟遊詩人の語りを聞いた。彼らは一か所に留まらないから、顔ぶれはどんどん変わっていったけど、彼らの話でつまらないものはひとつとしてなかったよ。
そしてある日、いつものように葡萄酒を納品しに酒場に行く。初めて見る吟遊詩人がいた。その頃の僕はかなりたくさんの吟遊詩人の話を聞いていたからね、彼らの話す伝承にもかなり詳しくなっていた。だから、また聞いたことのある話かな、と思いながらもその吟遊詩人の語りに耳を傾けた。
だけど、それは僕が初めて聞く話だった。
僕の住んでいたテルダムという町の近くには、「新緑の丘」と呼ばれる場所がある。なんの変哲もない場所で、街道が通っているから名が付いているだけの普通の丘だ。
でも、その吟遊詩人が語ることには、その丘に化け物が出るというのだ。その化け物は、丘の上に立ち、街道を通る旅人を襲うという。
そんな話は地元の人間の僕でも聞いたことがなかった。
この吟遊詩人は嘘を付いているのだ。そう思った僕は、吟遊詩人に詰め寄った。
「多少の話の誇張は吟遊詩人の十八番さ。でも、俺らは嘘だけはつかない。」
彼はそう言うと、僕に本当のことを話し出した。
なんでもここ最近、新緑の丘を通る旅人が何人か行方不明になっているらしい。しかもその行方不明者のすべてが吟遊詩人だという。耳の早い商人の僕が知らなかったのは、単純に被害者が吟遊詩人だけだからだろう、と彼は言った。
「旅芸人の一座や商人、冒険者。あの街道を利用する者は多い。にも拘わらず、吟遊詩人だけが忽然と姿を消しているんだ。おかしな話だろ?」
「そうですね。確かに変だ」
そして、その夜。
僕は「新緑の丘」に向かった。
ほんの出来心だった。
その頃の僕はもう、吟遊詩人になることは半ばあきらめていてね。だからせめて、僕自身も彼らの語る物語の一部になりたかったのかもしれない。
僕が噂の場所に行って真実を確かめれば、その話を吟遊詩人たちが語り次いでくれるんじゃないか、そんな馬鹿なことを考えたんだ。
空には、大きな満月が浮かんでいた。
そのおかげか、とても明るい月夜だった。
晩秋だったからか、肌寒い夜でね。外套で口元まで覆って、ブーツを履いて行ったんだが、それでも夜の冷たい空気が僕の肌を撫でた。
しばらくして新緑の丘に着いたんだが、そこには化け物らしきものは見当たらなかった。ただぽつんと、丘の上に楓の木があるだけだった。晩秋だったから、葉もすっかり落ちて、地面が紅葉で赤く染まっていた。さしずめ『新緑の丘』ならぬ、『紅葉の丘』ってところかな。
僕は丘の上に上った。すると、楓の木の陰になにかがいるのが分かった。
化け物か!? そう思って構えた僕だったけど、その心配は杞憂だった。
楓の木の陰からスッと音もなく現れたのは、藍色の髪をした美しい女性だった。月明かりに照らされた彼女はとても、それはもうとても美しかった。
「君は、だれ?」
かすれる声で尋ねる。すると彼女はこう答えた。
「わたしはララベル。初めまして、ちいさな吟遊詩人さん」
それが、僕とララベルの出会いだった。
ちいさな吟遊詩人? 僕が?
僕は少しだけ腹を立てた。当時の僕はもう成人していたし、吟遊詩人でもない。彼女の物言いに苛立ちを覚えたんだ。
「僕はカラシンだ。ちいさくないし、吟遊詩人でもない」
僕がそう言うと、ララベルは目を丸くして驚いたように言った。
「そうなの? でもあなたの魂はそうは言ってないわよ。歌が歌いたくて仕方がないって叫んでるみたい。」
ララベルの言葉に、僕は口を噤む。
そんな僕をみて、ララベルは優しく微笑んで言った。
「ねぇ、なにか歌って見せてくれない?」
「でも僕は―――」
「あなたの歌が聞きたいの。」
そう真剣な声で言われて、僕はため息を吐く。
でも内心ではうれしくて仕方がなかった。僕の周りに、僕の歌を聞きたいなんて言ってくれる人はいない。彼女が初めてだったのだ。
「じゃあ少しだけ、聞いてくれるかい?」
そして僕は初めて、人前で歌った。
初めて見た吟遊詩人が歌っていた歌だ。
初めて見た時からずっと、密かに練習していた歌だ。
もちろん上手には歌えなかった。僕は僕の歌を聞けないから分からないけれど、そのときの歌は自分でも分かるほど調子はずれの酷い歌だったと思う。
でもララベルはそんな拙い歌を文句も言わず、目をつぶって最後まで聞いてくれた。
「―――いい歌ね。あなたの気持ちがこもってる」
「そんなことないよ。結局僕は吟遊詩人にはなれなかったから。」
「いいえ、あなたは吟遊詩人よ。だってわたしが引き寄せられたんだもの」
そう言うと、彼女は胸の前に手を当てる。すると、彼女の手が光り出した。
「これはリャナンシーの祝福。詩歌の妖精の祝福。あなたの歌が、人の心を震わせるように」
彼女はその光輝く手で、僕の頬を撫でる。
「―――あなたの歌は、光の歌。すべてを照らす、光の歌よ。」
次の瞬間、僕の体は淡い光に包まれる。
決して不快ではなく、優しい温かさを持った光だった。
しばらくして光がおさまると、僕は不思議な感覚がした。詩のアイデアが、歌のメロディーが、湯水のように頭の中にあふれてくるのだ。
そんな混乱した様子の僕をララベルは目を細めて見つめる。
「カラシン。明日もあなたの歌を聞かせて?」
彼女は薄く笑ってそう言った。
それから、僕は毎晩新緑の丘へと通った。
そして今まで聞いた歌をひとつひとつララベルに歌って聞かせた。ララベルはいつも、僕の拙い歌に聞き入ってくれた。
「こんな下らない歌を聞いていて楽しいのかい?」
「あら。わたしはあなたの歌、好きよ。今まで聞いたどんな歌より、心がこもっているもの。」
僕が聞くと、彼女は決まってそう答えた。
僕はそれで幸せだった。毎晩彼女に歌を聞いてもらうことこそが、僕の幸せだったんだ。
そんなある日。
僕が今日もララベルのもとへ向かおうとしていると、背中越しに父が言った。
「お前の結婚相手が決まった。うちと親交のあるダリア商会のお嬢さんだ。式はひと月後になるからお前も準備しておきなさい。」
目の前が真っ暗になった。
ララベルのことが好きになっていた僕には、彼女以外の女性と結婚するなんて言語道断だった。
それに父にも腹が立った。
まるで父は、そうするのが当然と言うような口調だった。僕のことを道具としてしか扱っていない、そんな感じがして堪らなく嫌だった。
だからその夜。ララベルに会うと僕は開口一番に言った。
「君が好きだ。僕と一緒に来てくれないか。」
僕の言葉に、ララベルは困惑したような表情を見せた。
「どうしたの? なんだか、あなたらしくないわ。」
僕は事情を話した。
無理やり結婚させられようとしていること。それがひと月後に迫っていること。父親が気に食わないこと。そして、ララベルを愛していること。
ララベルはただ静かに、僕の話を聞いていた。
「だから、君に一緒に来てほしい」
「でも、わたしは―――」
「妖精なんだろう? 知ってるよ、あんなの見せられて分からないはずがない。でも、それでも僕は君と一緒にいたいんだ」
僕がそう言うと、彼女は「もう、困った人ね」と笑いながら、僕の提案を了承してくれた。
それから、僕とララベルは二人で旅を始めた。
二年という短い間だったけど、僕らはいろんなところに行った。いろんなことをした。
海に行った。海沿いの漁村では面白い伝承がいくつも会った。二人でそれを歌にして、一緒に歌った。
小さな農村に行った。面白い話はなかったけど、二人で黄金色に染まる小麦畑をみて感嘆のため息を吐いた。
平原で遊牧民族に出会った。彼らには独特の文化、風習があって、それを見聞きするのは楽しかった。
森の中で遺跡を見つけた。そこには古い文字で書かれた石板があったんだけど、僕には読めなかった。でもララベルには読めたらしくて、彼女が僕に語って聞かせてくれた。
そして流れ流れて、ここ、王都サクラシンにやってきた。
王国で一番大きい都市と言うだけあって、いろいろな話聞けて楽しかった。
その日は街の酒場で他の吟遊詩人の歌を聞いた。こうやって酒場で客として歌を聞くのは久しぶりだったから、感傷的になったからかもしれない。いつもより酒が進んだ。
「ララベルはこうやって酒場で歌を聞いたことあるのか?」
僕はそう、ララベルに話をふる。
しかし、そのときの彼女はどこか様子がおかしかった。
「……え? あぁ、そうね。あるとも言えるしないとも言えるわ。」
曖昧な返事をすると、また考え込むように俯いてグラスを手に取るララベル
このとき、僕が彼女の異変に気が付いていればこんなことにはならなかったのだろうが、その時の僕は酔っていてそんな些細なことには気が付かなかったんだ。
僕はそのまま酒を飲み続けた。そこから先はよく覚えていない。
目を覚ましたら宿の中だった。
ララベルが運んでくれたのかな、僕はそう思ったが、肝心のララベルの姿がどこにも見当たらない。僕は二日酔いでがんがんと響く頭を押さえながら体を起こす。
「ん? なんだこれ?」
ふと、机の上に紙が置いてあるのを見つける。ララベルからの置手紙のようだったので、何でもないような気持ちでその手紙に目を通す。
「なっ!!」
そこには間違いなくララベルの字で、間違いだと叫びたくなるような文章が書かれていた。冷や水を浴びせられたような感覚になって、二日酔いもすべて吹き飛ぶ。
ララベルの失踪。
絶望が、僕の心を襲った。