デュラハンは鎧にうるさい 4
結局、拓巳が自分の装備を選び終えるまでに二時間もの時間を費やした。その原因は装備に詳しくない拓巳よりむしろ、装備に詳しすぎるエリスにあった。
デュラハンは、鎧のこととなるとうるさい。
いや、デュラハンと言うよりはエリス個人の問題なのかもしれないが、拓巳が鎧を手に取るたびに蘊蓄を垂れるのだ。その勢いはもはやオタクやマニアと言ってもいい。
もちろん、いろいろな意見を言ってもらえるのは拓巳としてもありがたいのだが、それでも話を聞き続けるとだんだんと疲れてくる。
好きなことを語りだすと止まらなくなる、というのは人の性だが、それを聞かされる方はたまったものではない。終盤はもうへとへとになり、拓巳も半ば投げやりな気持ちで自分の装備を選んだ。
拓巳の装備を選び終え、拓巳とエリスは冒険者ギルドへと向かう。日も落ちかけているが、今日中に登録だけでも済ませておこうという算段だ。
「今日の宿も探さないといけないしな。冒険者ギルドで紹介してもらった方が手っ取り早いだろう」
道なりに大通りを進み、突き当りに見えてきたのは巨大な石づくりの建物だった。小規模な要塞にも似たそれは、どうやら冒険者ギルドで間違いない様だ。拓巳の目にも、表に掲げられている看板に冒険者ギルドとしっかり書かれているのが見える。不思議なことに、看板に書かれている文字は日本語だった。
出入りの激しい入り口付近で人込みをかき分けながら、あけ放たれた重厚な扉をくぐり、冒険者ギルドの中へと入る拓巳とエリス。
冒険者ギルドに入って真っ先に目に飛びこんできたのは、受付の奥に掲げられた看板だった。
『右眼には過去を映し、左眼で未来を見よ。
右手には剣を掲げ、左手で書物をめくれ。
右足で大地を踏みしめ、左足で一歩を踏み出せ。
その全身に情熱を宿し、いざゆかん冒険の旅路へ。』
看板に書かれた文言の下にはこの言葉を残した冒険者ギルド創設者の理念と人物紹介が小さな字で書かれている。要約すると、冒険者たるもの常に勇敢で挑戦者たれ、というような願いが上の文言には込められているらしい。
「ここが冒険者ギルドか…」
「ああ。私も来るのは初めてだが、すごいな…」
その場の雰囲気に圧倒されてしまう拓巳とエリス。
それも無理はないだろう。冒険者ギルドの中は依頼を終えた冒険者たちであふれかえっていた。入り口から入って正面には受付があり、左が受注、右が依頼達成の手続きの業務が行われているようだ。
左の壁には依頼板だったであろうボードからはみ出して、壁中に所狭しと依頼書が張ってある。何人かの冒険者たちはスライド式の梯子を使って目当ての依頼書を剥がしにかかっていた。
右側には酒場が併設されているようで、依頼の達成報酬を受け取った冒険者たちが酒場に直行している。酒場の方からは吟遊詩人の歌声と、冒険者たちのバカ騒ぎと、店員の怒鳴り声とが入れかわり立ち代わり響いてくる。
「登録の受付はどこだ?」
「とりあえず適当な窓口に行って教えてもらおう」
拓巳とエリスは、比較的すいている受注窓口の方に並ぶ。冒険者もやはり日中に仕事をして日が沈むと仕事から帰ってくるのか、日没の時間に近い今は右側の窓口が非常に混んでいた。
拓巳は列に並びながら、ほかの冒険者たちを見回す。耳がとがっているエルフと思われる弓使いや、重厚な黒い鎧を着た騎士然とした男、鉄の甲冑をつけた背丈一メートルほどの爺さんはドワーフだろうか。そのように比較的人間に近しい姿をした人もいれば、人間からかけ離れた姿をした者もいる。腰に短剣をさげた二本足で歩く大きめの猫の姿をしたケットシ―、下半身が蛇のラミアはいわゆるビキニアーマーを着ている。依頼板の方ではハーピーと思われるギルド職員がせっせと依頼書を壁に貼り付けている。
ギルドの中には実に多種多様な種族が混在していた。まさに人種のるつぼだ。町の中を歩いたときよりも人間の割合が少ないような気がするので、やはり冒険者は人間以外の種族が多いのだろう。
初めて目にする異邦人たちに拓巳が目を奪われていると、いつの間にか列はすすみ、拓巳とエリスの番になっていた。
「ようこそ冒険者ギルドへ。ではさっそく、依頼書と冒険者証の提示をお願いします」
受付に座っていたのは、20歳くらいの若い美人の受付嬢だった。人生経験の浅い拓巳に営業スマイルを見分ける術はないが、受付嬢は笑顔で拓巳たちを応対してくれている。
「いや、私たちは冒険者ギルドは初めてなんだ。冒険者登録をしたいのだが、どうすればいい?」
エリスがそういうと、受付嬢は笑顔を崩さないまま答えてくれた。
「新規登録の方でしたか。それでしたら私から見て右端の窓口が新規登録専用の窓口ですので、そちらの方で手続きをお願いします」
「分かりました。ありがとうございます」
拓巳たちは受付嬢にお礼を言って、新規登録専用の窓口へと向かう。
向かう先の窓口には、受付嬢というには少し無理がある女性が、はっきり言えば年老いた老婆がいた。拓巳たちが窓口に近づくと、老婆は人の好さそうな笑みで迎えてくれた。
「すみません。こちらで冒険者登録の手続きが行えると聞いてきたのですが…」
「あいよ。ご新規さんだね。そっちの鎧と二人分かい?」
「はい。二人ともお願いします」
「はいはい。登録料にひとり銀貨5枚かかるけどいいかい?」
登録料のことを考えていなかった拓巳はエリスを振り返る。
「そういうわけで申し訳ないんだけど………」
「わかっている」
「ごめん! 必ず返すから!」
エリスに金を借りてばかりの拓巳は罪悪感で胸が痛む。しかし、それ以外に方法がないことも事実なので、必ず返すことを心に誓って、エリスから登録料を借りる。今のところエリスへの借金は銀貨30枚。日本人である拓巳にはいまいちピンとこないが結構な額である。
「はいよ。二人分で確かに銀貨10枚、受け取ったよ。それじゃあこれからこの書類に記入してもらうんだが、冒険者の説明はいるかい?」
「はい、お願いします」
「うんうん。ここまで礼儀正しい坊やは初めてだよ。冒険者は荒くれ者が多いからねぇ。そういう礼儀は忘れるんじゃないよ」
こうやって素直に話をきく冒険者は珍しいのだろうか、受付の老婆は笑みを浮かべながら頷くと、冒険者の説明を始めた。ちなみにエリスの方はと言うと老婆の説明を聞く気はないのか、既に老婆から渡された書類に記入を始めている。
「じゃあ、まずは仕事の内容さね。基本的にはあの依頼板から依頼を探して、受注して、依頼をこなして、依頼主の印もしくは依頼品を手に入れて、それをまた窓口まで持ってきてもらう。この作業のルーチンだ。報酬は依頼達成時に支払われるからね」
と、そこまで言って口を閉ざしてしまう老婆。続きを待つ拓巳だったが老婆の方はこれで終わりとばかりに何やら机の上に山積みにされていた書類をガサゴソと漁り始める
「…えっと、それだけですか?」
「だいたいはこんなもんさね。あと、これから渡す冒険者証ってのが、冒険者の証だから失くすんじゃないよ。依頼を受注するときに同時に提示してもらう必要がある。冒険者証は身分証の代わりにもなるから、大概の町はフリーパスではいれるようになる。ただ、国家間の行き来となるとまた別の手続きが必要になるがね」
どうやら本当にこれだけで説明は終わりのようだ。
拓巳は説明内容の少なさに驚く。前の世界で読んだ異世界召喚ものの小説では、冒険者ギルドにはランクなどの制度が有ったり、殺しは厳禁などの決まりがあった。
「なんかもっとないんですか? 殺しはダメとか?」
「殺し? そんなのは衛兵が取り締まればいいじゃないか。冒険者だって市民には違いない。殺人をした冒険者は衛兵が取り押さえてくれるよ。いちいち冒険者ギルドで指図することでもないさ」
「ランクとかはないんですか?」
「ランク? ランクって何だい?」
「初心者が難易度の高すぎる依頼を受けないように、受注できる依頼の難易度に制限をかけるような制度なんですけど…」
「そんなものないよ。どんな依頼を受けるかはすべて自己責任だ。難易度の高い依頼だって十分に知恵を絞れば初心者でも達成できるし、難易度の低い依頼でも油断すれば熟練の冒険者が命を落とすことだってある」
「でも……」
あまりの説明の少なさに、裸一貫で放り出されたような感覚になったのだろうか、不安げな表情で食い下がる拓巳に、老婆は諭すように言う。
「大事なのは気の持ちようなのさ。冒険者たるもの、臨機応変に対応できなきゃいけない。お前さんは、ゴブリンの巣にいきなりドラゴンが現れる可能性を否定できるかい?自分で調べて、吟味して、判断して依頼を受けな。目の前の依頼を自分に達成できるか、見極める力も冒険者には必要な力だよ」
「…分かりました」
拓巳は、正直冒険者を甘く見ていた、と反省する。初心者救済なんてない。冒険者は登録した瞬間から冒険者だ、自分で責任を持たなくてはならない。
「ま、不安なことがあったら何でも相談しに来な。それもあたしらギルド職員の仕事だよ」
拓巳が意気消沈しているのに気づいたのか、老婆が笑顔でそうフォローしてくれる。拓巳にはその気遣いがありがたかった。
「…ありがとうございます。なにかあったら遠慮なく相談させてもらいますね――」
「おーい、記入は終わったぞ」
さっきから用紙に記入をしていて終始無言だったエリスだが、やっと記入を終えたようだ。エリスは老婆に用紙を渡しながら、拓巳に尋ねかける。
「説明は聞き終わったか?」
「ああ。いま終わったとこ」
「それじゃあ、さっさと記入してしまえ。今日の宿も探さないといけないしな」
「そっか。そうだな」
拓巳は登録用紙に記入を始める。名前、種族、住所、年齢、得意武器、特技、犯罪歴など記入項目は多岐にわたった。ちらりと老婆の手元にあるエリスの記入用紙を盗み見ると、どうやら記入は日本語でいいらしいので、安心しつつ記入を進める。
拓巳が用紙への記入を済ませて老婆に渡すと、老婆は受付の机の下からごそごそと何かを取り出し始めた。
「さて、それじゃあこの水晶玉に手を触れながら、さっきの書類に嘘偽りがないと誓ってく
れるかい?」
取り出されたのはこぶし大の水晶玉だった。しかし水晶玉とはいっても、色は透明というわけではない。黒みがかった靄のようなものが中でうごめいていて、どこか不気味にも見えた。
「これは…?」
エリスがそう聞くと、老婆が答える。
「これは『ゴルゴンの眼』だ。ゴルゴンというと石化効果のある瞳が有名だけどね、その眼に石化の効果が宿るのはゴルゴンが生きている間だけだ。死んだゴルゴンの眼球は、こんな風に水晶化するんだよ」
「へぇ…」
ゴルゴンという魔物の存在は拓巳もなんとなく知ってはいたが、そんな話は聞いたことがない。拓巳が感心しながら聞いている間にも、老婆は話を続ける。
「結晶化したゴルゴンの眼は、真実を映す瞳となる。この水晶は『真実の瞳』とも言われていてね、この水晶に触れながら嘘を付くと、水晶全体が真っ黒に染まるんだよ」
老婆の言葉が真実なら、この水晶はうそ発見器のような役割を果たす、ということなのだろう。しかし、拓巳には、既に水晶の中で渦巻いている不気味な黒い靄が気になって仕方がなかった。
「すでに黒い靄が漂ってませんか…?」
「嘘にも、真実を交えた嘘、まったくのでたらめで真っ赤な嘘、本人が事実と思っている嘘。いろいろな嘘があり、その大小も様々だ。逆に、完全な真実というのも稀だ。言葉は完全ではないからね。話し手と聞き手で受け取り方は違うし、その誤差が言葉を真実にも嘘にもする」
「はあ……」
拓巳が気の抜けた相槌を打つ。なんだか曖昧な話で拓巳にはよく理解できなかったのだ。しかし、隣にいるエリスは真剣な面持ちで(顔はフルフェイスで隠れているが、そんな雰囲気で)老婆の話に耳を傾けている。
「『真実の瞳』はそれすらも考慮に入れる。つまり、嘘の程度を色の濃さで示してくれるわけだわな。ま、よっぽど色が濃くならない限り大丈夫だから安心しな」
「では…」
拓巳が『真実の瞳』に触れながら告げる。この宣誓を言ったあと、水晶が黒く染まれば拓巳は嘘を付いていることになる。
「俺の登録用紙に、嘘偽りはありません」
そう拓巳が誓うと、水晶の中の黒い靄が少しだけ濃くなった。おそらく出身地について嘘を書いたのが、少し引っかかったのだろう。出身地に日本と書いてもこの世界では通用しないだろうと、事前にエリスに相談して適当な村の名前を書いたのだ。しかし後ろめたい嘘ではなかったために、この程度の水晶の濁りで済んだのだろう。
「…うん。お前さんは問題ないよ。小さな嘘が一つってとこだろう」
…ばれている。付いた嘘の数まで。
拓巳の額に冷汗が流れる。もし自分が犯罪などを侵していようものなら、この『真実の瞳』は即座にその嘘を見破り、自分は衛兵にしょっ引かれることになっていただろう。本当に恐ろしい道具だ、と拓巳は小さく身震いする。
しかし小さな嘘とはいえ、書類に嘘の記述があることがバレたのに、「問題ない」とはどういうことだろう。
「いいんですか? 嘘ついてるんですよ?」
「さっきも言っただろう? 人間誰だって隠し事の一つや二つあるもんさ。小さな嘘ひとつで登録をはじいたりしないよ」
拓巳の問いに、老婆がめんどくさそうに答える。本当にこの程度の嘘なら受け入れてくれるようだ。それもおそらくこの『真実の瞳』の精度がすさまじいからなんだろうな、と拓巳はごくりと生唾を飲み込む。
「次はそっちの鎧のお嬢さんだ」
老婆がエリスに次を促すと、エリスは少しためらったあと、水晶に手を触れ、宣誓を述べる。
すると水晶は、拓巳が触れた時よりも黒く染まった。真っ黒、とまではいかないまでも、それなりに黒い黒だ。
「ふーむ… まあ、このくらいなら許容範囲かね。大丈夫だよ」
エリスが安心したように息をつく。しかし拓巳にはもやもやとしたものが残った。
エリスはなにか嘘を付いている。それも結構大きな嘘を。
拓巳はそのことが少しだけ気がかりだったが、素直に聞くのもはばかられたため、その思いを飲み込んだ。
「よし、ちょっと待ってな」
老婆がそう言って席を立つ。そしてそのまま受付の奥の方に行って何やらごそごそしていたと思えば、2枚のプレートのようなものを手に携えていた。
「これがあんた達の冒険者証だ。さっきアンタらが書いたデータとかも入ってるから、失くすんじゃないよ。失くしたら再発行料にまた銀貨五枚もらうからね」
冒険者証は、免許証くらいの大きさの金属のプレートだった。細いチェーンのようなものがついており、首に下げられるようになっているようだ。
「依頼を受注するときは、受注受付の方に受けたい依頼の依頼書とその冒険者証を持っていけば受注できるよ。これで登録手続きは終了だ。仕事はやりながら覚えればいいさ。なにか分からないことがあったら、その都度聞きに来てくれたらええ」
「はい、ありがとうございました。」
そう言って拓巳はエリスと共に依頼板の方へ行こうとする。しかし、大事なことを聞き忘れていたのを思い出し、老婆に再び向き直って尋ねる。
「あの、お名前をうかがってなかったので、お聞きしてもいいですか? 僕は園田拓巳と言います。拓巳が名で、園田が姓です」
「あたしかい? あたしはカンボクだ。これからよろしく頼むよ、拓巳」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
老婆の名はカンボクというらしい。拓巳は前の世界に存在したカンボクという植物を連想して思わず笑ってしまいそうになる。
カンボクの花言葉は「年齢を感じる」だ。まさに目の前の老婆にピッタリではないか。
拓巳はひとり笑いをこらえながら、先に依頼板の方へ向かったエリスの後を追う。冒険者になった興奮からか、はたまた老婆の名前が面白かったからか。その足取りは、先ほどまでの不安な様子はみじんも感じさせない、軽快なものであった。