茨の魔女は人間が否か 3
拓巳と緑髪の少女の間を、しばしの沈黙が支配する。
先に口を開いたのはシンディだった。
彼女は警戒するように扉の隙間から顔を出し、不機嫌そうに眉根を寄せて言った。
「……森の周りには茨でバリケードを作っておいたはずなの。森の中に人間が入ってくるはずないの」
「ああ。あれなら乗り越えてきたぞ」
「乗り越えたって……無茶するの」
拓巳が言うと、シンディは呆れたような顔をした。
しかしそんなシンディと反対に、拓巳の顔は険しくなる。
シンディの言葉を信じるなら、森の境界に茨を張ったのは目の前で呆れた表情を見せているこの少女だ。
ということは、魔女の正体は―――緊張しつつ、拓巳が尋ねる。
「お前が魔女なのか?」
声はすこし震えていた。
拓巳の問いを聞いたシンディは、目の色を変える。
「……そうなの、って言ったらどうするの?」
挑発するような、どこか嘲るような声音。
拓巳をキッと睨みつけながら、シンディは言葉を重ねる。
「そう……シンディは魔女なの」
拓巳が小さく息をのむ。
その反応をどうとらえたのか、シンディは語気を弱めて言う。
「貴方も……シンディを殺しに来たの?」
彼女の目は本気だった。
自分が魔女だとバレれば躊躇なく殺される。それを少しも疑っていない。
こんな幼い少女が、諦めて、自分が殺されることを受け入れてしまっている。死を受け入れてしまっているのだ。
拓巳はそのことに少なくない衝撃を受けつつも、慌てて彼女の言葉を否定する。
「違う! そうじゃなくて、俺は―――」
そして拓巳はシンディに神殿騎士が近づいてきている事を語って聞かせた。
話を聞くにつれ、シンディの顔は悔し気に歪んでいった。無理もないだろう。自分を殺しに騎士団が近くまでやってきているという話を聞いて表情が変わらないわけがない。
「そう、なの……神殿騎士が」
話を聞き終えたシンディは小さく嘆息する。
彼女の口元には笑みが浮かんでいたが、それはひどく自虐的なものにも見えた。
「だったら、もうお終い……これ以上は逃げられないの」
諦めたように俯いて、ぽつりと呟く。絶望の滲んだ声だった。
なぜそんな簡単に、生きることを諦めてしまうのか。
我慢できなくなった拓巳は、思わず声を荒げる。
「なんでだよ!今から逃げたって十分間に合う―――」
「間に合わないの。こんな小娘が一人で、馬に騎乗した神殿騎士たちから逃げ切れるわけないの」
確かに、シンディの言葉は的を射ていた。
少女の足で、騎乗した騎士から逃げ切るのは至難の業だろう。
咄嗟に答えられないでいる拓巳を一瞥して、シンディは続ける。
「それに仮にここから逃げ出すとして、一体どこへ逃げろというの? 背後には連なる山脈、正面には迫る神殿騎士たち。唯一、ライオネル王国へと通り抜けられそうな谷にも化け物が住み着いている……」
そこで言葉を止めると、シンディは俯き気味だった顔を上げた。
「仕方なかったの……これも、運命なの」
悟ったような顔だった。
何もかも諦めてしまった、その末に漏れ出た微かな笑み。
そんな彼女の表情は不思議と誰かさんに重なり、拓巳の胸にズキリと鈍い痛みが走る。
「わたしは魔女。魔女は人間じゃないもの。だから、これは仕方がないことなの……」
―――魔女は人間じゃない。
その言葉を聞いたとき、拓巳の中に激情が渦巻いた。言い知れぬ怒りと悲しみが、拓巳を支配した。
「別に、人間じゃなくてもいいだろ」
震えた声で拓巳は囁いた。
不意に目頭が熱くなる。
人間じゃないからなんだというのだ。
人間じゃないから殺されるのも当然? 迫害されるのも当然? 怖がられるのも当然?
違う。そんなのは間違っている。
それなのになんで、お前たちはそれを受け入れてしまうんだ?
受け入れたうえで、そんな悟ったような顔をするんだ?
「なんで、そんな顔をするんだよ……ッ。別に人間じゃなくたっていいだろッ……」
気づけば拓巳の目から、ぽろぽろと涙が溢れていた。
「なんでそんなことにこだわるんだよ……俺が、お前と一緒にいたいからって理由じゃ、だめなのかよ……」
拓巳の慟哭は、もはやシンディに向けられたものではなくなっていた。
それは目の前の少女と同じ顔をした、首無の少女に向けられた彼の本音だった。
突然涙を流し始めた拓巳に、シンディがオロオロと困惑する。
彼女も、拓巳の言葉が自分に向けられたものではないことをなんとなく悟っていた。
しかし、不思議なことに。
拓巳の言葉はシンディの奥深く。とっくの昔に捨てたはずの心に、温かく沁みわたっていた。
「なんなのっ……今さら、そんなこと言わないでっ……もう諦めてたのに……覚悟してたのに……」
シンディの口から嗚咽が漏れる。
拓巳が誰のために泣いているのか、シンディには分からなかった。
けれども、彼が言いたいことは痛いほどに伝わってきていた。
だからこそ、辛かった。悲しかった。胸がぎゅっと締め付けられるような思いになった。
そしてシンディは声を上げて泣いた。
そうすることで今までの痛みが、苦悩が、苦痛が、押し流されていくような気がしたから。
彼女はしばらくの間、拓巳の前でわんわんと声をあげて泣き続けた。
しばらくして正気に戻った拓巳たちはちょっとした自己嫌悪に陥っていた。
「はぁ……なんで出会い頭に泣いてんだ、俺たち?」
「……分からないの。ただなんとなく泣きたくなったの」
「なんだそれ? 変な奴だな」
「先に泣きだしたのはそっちなの」
言い合う拓巳とシンディであったが、この件に関してはお互いに嗚咽をもらして泣いていたのでお相子である。
二人はすぐに言葉を止めると、気恥ずかしさからかお互いに顔を逸らす。
「もうちょっとだけ。頑張ってみるの」
不意に、シンディが言った。
頑張るって何を、と聞こうとした拓巳だったが、すぐに察して口を噤む。
「神殿騎士は厄介なの。正面から戦えばまず勝てない……だけど、だからって素直に殺されてやるつもりもないの」
シンディの顔にはもう、諦めの色は浮かんでいなかった。
そこにあったのは、生きることへの執着。神殿騎士への敵対心。
それが何となく嬉しくて、拓巳は唇を噛みしめた。
「……なら、命がけで逃げないとな」
にかっと笑う拓巳に、シンディが頷く。
そしてゴシゴシと目元を拭ったのち、明るい声で言った。
「にしても、貴方、えーと?」
「拓巳だ」
「拓巳はすこぶる変な奴なの。普通の人間なら、魔女に遭遇した途端裸足で逃げ出すものなの」
「へっ、魔女だかなんだか知らんが……所詮は幼女。怖がる理由が見つからないね」
「むきー! さっきから幼女幼女うるさいの!」
気づけば、二人の間には明るいやり取りが飛び交っていた。
魔女は人間に畏怖される存在だ。
実際、この世界には人に害をなす魔女だっているし、彼女たちが普通の人間よりもはるかに強大な力を持っていることも確かだ。
しかし、シンディと会って、シンディ個人と話して、拓巳はそんなことどうでも良くなっていた。
シンディはシンディだ。目の前で顔を真っ赤にしながら「幼女じゃないのっ!」と叫んでいるこの幼女は、持っている力がどうであれ普通の女の子に変わりはないのだ。
シンディと笑い合いながら、拓巳はそんなことを思った。
それからしばらくして。
それなりに打ち解けた二人は、初対面とは思えないほど仲良くなっていた。
拓巳は現在、「せっかくのお客さんだし、おもてなしするの!」と張り切ったシンディに小屋の中に招かれ、小さな木製の椅子に座って出されたローズティーをすすっている。
「それにしても……すごいな。どうなってんだ、こりゃ?」
言いながら、拓巳は小屋の中を見回す。
もとは樵小屋であっただろう小屋の中には、所狭しと茨が生い茂っていた。
シンディ曰く「こっちの方が落ち着くの。どうせ誰も使ってないんだし、問題ないはずなの」ということらしいが、拓巳の目には魔改造が過ぎるように見える。
壁一面、天井一面に張った茨。床までは流石に覆っていないが、ぱっと見渡した限りでは茨から逃れることが出来たのは暖炉にくべられた真鍮の大鍋くらいのものだろうか。
その大鍋の前では、シンディが上機嫌そうに鼻歌を歌いながら、杖で中身をかき混ぜている。その杖をよく見てみると、こちらにも茨が絡みついており、先の方にはシンディの頭にあるのと同じく真っ白いバラが輝くように咲いていた。
「そういえば、シンディ。さっきから、なに作ってんだ?」
シンディは拓巳を椅子に座らせてからというもの、彼女の身長ほどもありそうな巨大な大鍋を背伸びしながらかき混ぜていた。拓巳のことをもてなしたい、というシンディの言だったが大鍋から立ち上っているのは沼のような匂い。拓巳はなんとなく嫌な予感がしていた。
拓巳の疑問をうけたシンディは鍋をかき回す手を止め、腰に手を当てて自慢げに答える。
「特製泥水スープなのっ!」
「泥、水?」
シンディの答えに、ハトが豆鉄砲を食らったような顔になる拓巳。
確かに先ほどから、いやに茶色いなぁ、とは思っていた。
しかしまさか中身が泥水だったとは。衝撃である。
「三大栄養素『窒素』『リン酸』『カリウム』の全部が入ってるの。とっても美味しいの」
「待て待て!それは植物の三大栄養素だろうが!」
拓巳の記憶が正しければ、人間にとっての三大栄養素は『炭水化物』・『タンパク質』・『脂質』の三つのはずだ。
しかしシンディは「そんな些細なことはどうでもいい」とでもいうように、カップに『泥水スープ』を注いで拓巳に押し付けてくる。
「さぁ。お友達の証なの」
「ま、待て! それは人間に飲める代物じゃない!」
「つべこべ言わずに飲むの! これはわたしたちの友好の証なの! 断るなんて許さないの」
「はぁ!? 魔女は仲良くなると泥水を飲ませあうのか!?」
「魔女とかじゃなくて、これはシンディの種族の問題なの!」
「どういう意味―――」
尋ねようと開かれた口に、カップが押し込まれる。
そのままどくどくと拓巳の口内に泥水が流れ込む。
じゃりじゃりとした食感。ほのかに塩辛く、苦みが目立つ味。口の中で転がしてみると、拓巳の意思とは無関係にうねうねと動く、細長い、まるでミミズのような―――
「おえぇええええぇええ」
次の瞬間、拓巳がテーブルの上に盛大に吐いたのは言うまでもない。




