ジャックフロストと雪の森 4
「いいか。これからお前らには巨大な『かまくら』を作ってもらう」
偵察から戻ってくるやいなや、拓巳はワタユキとジャックフロスト達に向けて言い放った。
「かまくらって……あのかまくらですか?」
言いながら、ワタユキが両腕で大きな半円を示す。拓巳は頷いた。
ここでワタユキと拓巳が言っている『かまくら』とは、雪国でよく見られるドーム状のアレのことだ。
もともとは秋田や新潟などのの降雪地域において、神事の際、水神を奉る祭壇として雪で作った「家」のことを「かまくら」と呼んだそうだ。よって一説には神さまを奉る場所である「神座」が転じて「かまくら」となったとも言われている。
「だが今回は、この「かまくら」を祭壇としてじゃなく、罠として運用する。巨大かまくらの中にジャックオランタンたちを誘い込むんだ。そしで完全に誘い込んだところで入り口を閉じれば、奴らは袋のネズミ。あとは「かまくら」を倒壊させれば、ジャックオランタンを一網打尽って寸法だ」
拓巳はこの作戦を『ジャックオランタン・ホイホイ』と名付けた。
「誘い込むって、どうやってですか? まさかノープランってわけじゃないですよね?」
ワタユキの疑問。
彼女がこうして疑うのも無理はない。なにせ拓巳にはケルピーのときの前科がある。
しかし拓巳は自信ありげに答えた。
「もちろん考えてあるさ」
ここで重要になってくるのはジャックオランタンの習性だ。
ジャックオランタンは死者の魂の成れの果てである。天国に行けなかった悪人の魂が地上をさまよっている姿がジャックオランタンであるという説もあり、旅人を迷わせる習性をもつ。
つまり有体に言えば「ジャックオランタンは生者に群がって来る」のだ。
拓巳が近くを通りかかれば、ジャックオランタンは拓巳を迷わせようと拓巳の近くにまとわりつく。
そのうえで拓巳自身が迷わず「かまくら」の中へと移動出来れば、ジャックオランタンを誘い込むことは可能なはずだ。
「それって大丈夫なんですか? 襲われたりとかしないんですかね?」
「所詮奴らは死者の魂だ。生きてる人間である俺にちょっかいなんて出せないよ」
実際、ジャックオランタンに直接危害を加えられたという伝承を聞いたことは無い。
「そういうものなんですか?」
「そういうもんなんだよ」
どこか納得いかないような顔のワタユキ。しかし拓巳は気負うことなく飄々と笑う。
そういうわけで作戦の決行が決まった。
「そういえば、今回はなんでかまくらなんですか? ケルピーのときみたいに落とし穴じゃダメなんでしょうか? 上から蓋をすれば閉じ込めることもできそうですし」
「あのときはエリスがいたからな………今の俺たちに特大の落とし穴を作る労働力なんてないよ」
「かまくらを作るのも結構重労働だと思いますけど」
「大丈夫。秘策があるんだ。ワタユキはとりあえず、かまくらの基礎になるでっかい雪山を作ってほしい……フロスティ! ちょっと来てくれ!」
ワタユキに指示した拓巳は、フロスティを呼び寄せる。そして二人でこそこそと話し合い始めた。
「……本当に大丈夫なんでしょうか?」
不安を抱きながらも、ワタユキは雪女の力を用いて雪山を作る作業に取り掛かった。
ここですこし、かまくらの一般的な作り方を説明しておこう。
1、かまくらの外郭となる雪山を作る
2、雪山をしっかりを固めたあと、中をくりぬいて人が入れる空間を作る
3、火鉢を持ち込んで完成
これが一般的なかまくらの作り方だ。
手順を話すだけなら意外と単純なのだが、実際に作るとなるとそうはいかない。雪をあつめて雪山を作る作業や中をくりぬく作業はかなりの重労働だ。今回は雪を集めて雪山を作り、固める作業まではワタユキのおかげで特に問題はない。雪女の操る雪は強度も自由自在なので、かなりしっかりと固まった雪山が出来上がることだろう。
問題は「雪山の内側をどうやってくりぬくか」だ。
ワタユキにも雪山の内側の雪だけ掻きだすというような器用な能力の使い方は出来ない。ならば人力で掘り進める必要があるが、これはなかなかに困難だ。単純にスコップで掘り進めると、相当の苦労を強いられる。ワタユキが固めた雪はかなりの強度をほこるのに加えて、今作っているかまくらが特大サイズであることを考えると、真っ当な方法では内側をくりぬくことなどできそうもない。
(私には無理ですけど……母上なら出来たんでしょうね……)
こうして力を行使してはいるが、ワタユキは雪女としてまだまだ未熟な部類である。その雪女としての力は、母親の足元にも及ばない。彼女の母親ならば雪山の内側をくりぬく作業も造作なくやってのけることだろう。
ふと母のことを思い出して、ワタユキは顔を顰めた。
それから一時間ほどが経った。
「拓巳さん、雪山完成しましたよ」
拓巳にそう報告するワタユキの背後には、巨大な雪山があった。
高さは30メートルほど、10階建てのビル程度ならすっぽりと覆ってしまうほどの大きさを持つ雪のドームだ。
「これがホントの『スノードーム』ってか……」
雪女にも負けない寒いセリフを吐きながら、拓巳は雪山を見上げる。
「あの、大きさはこれくらいで大丈夫ですか?」
「ああ。十分だよ。ありがとな」
「それで……どうやって中をくりぬくんですか? この大きさのかまくらを作るってことで、雪の強度を目いっぱい強くしちゃいましたから、下手したらスコップが通らないなんてこともあり得ますよ」
しかし拓巳は心配するなとばかりに手をひらひらと振る。
「フロスティ、頼む」
「言われた通りにやればいいんだよね」
「おう」
フロスティは、各々くつろいでいたジャックフロストたちに号令をかけた。
「それじゃあみんな、頑張ろうか」
「「おー」」
(ジャックフロストたちに掘削させるつもりなんでしょうか?……でも、あの雪は生半可な力では削れないと思うんですけど)
不安に思いつつ、雪山へと向かって行くジャックフロストたちを眺めるワタユキ。
しかし程なくして、ワタユキの顔が驚愕に染まった。
「これは……」
「な? いい作戦だろ?」
唖然とするワタユキに、拓巳がいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
目の前には、先ほどワタユキが建設した雪山が悠然と鎮座している。
しかしその麓にはもぞもぞと動く影があった。
「よいしょ」
「よいしょ」
動く影とは、雪だるまの姿をとったジャックフロストたちである。
しかし彼らは雪山を掘っているわけではない。
雪山の内側から外側へと一列になって行進していた。
「首尾はどうだ、フロスティ?」
「結構大変かも。この雪、とっても固くて重たいんだ。お姉ちゃんの雪ってすごいんだね」
拓巳がとった方法は極めて単純。
雪山の内側の雪に、ジャックフロストを憑りつかせたのだ。
拓巳がジャックフロストたちに襲われたときのことを覚えているだろうか。
あのとき、彼らは巨大な雪だるまの形をとっていた。それはすなわち、彼らに「雪に憑りつく」能力があるということだ。
ならば彼らに雪山の中で体(雪だるま)を作ってもらって、それを彼ら自身に外に運び出してもらえば掘削は完了。
こうして超巨大かまくらは無事完成した。
その日の夜。
計画は実行段階に移った。
拓巳はジャックオランタンがたむろしている広場のすぐ近くにある茂みの中に身を隠していた。
目の前ではジャックオランタンの灯りがゆらゆらと揺れている。その美しい橙色の灯火は、拓巳の不安をかきたてた。
しかしここまで来ておめおめと逃げ帰るわけにもいかない。
「っし。やるか」
小声でつぶやき気合を入れると、拓巳は一歩を踏み出す。
するとジャックオランタンたちも拓巳の姿に気付いたいのだろう、ゆっくりと拓巳の周囲を徘徊し始める。
腐ったカブに彫り込まれた顔は不気味な笑みを浮かべ、その瞳の奥の炎の塊は小さいながらも煌々と燃え盛っている。黒いボロボロの外套を引きずって、迷い子のように動き回りながら、彼らは拓巳の視界を埋め尽くした。
ともすれば美しい炎の揺らめきを、拓巳はただぼーっと眺める。
彼らを眺めながら拓巳が思い出していたのは、昔聞いたジャックオランタンについての言い伝えだった。
***
以前、「ジャックオランタンとは死者の魂のなれのはてである」というような説明をしたが、より正確に説明するならば、ジャックオランタンとは「死んだ悪人の魂」である。
通常、人が死んだらその魂は天国か地獄に向かうのが普通だ。
しかし好きこのんで地獄に行きたがるような人間はいない。それは悪人も同じことだ。
昔、男がいた。
彼は誠実で気骨のある男だった。
だがそれ故、彼は罪を犯してしまったのだろう。
その男には将来を誓い合った恋人がいた。
彼女は素朴だが、器量のよい娘だった。
結婚式を間近に控えたある日、男のもとに一通の手紙が届いた。
曰く、遠く離れた故郷にいる彼の母親が危篤で、もう長くは持たないだろう。だから息子である彼に帰ってきてほしい、と言うような内容だった。
「済まない。急に故郷に帰らなきゃいけなくなった」
「いいのよ。お義母さまが危篤なんですもの。早く帰ってあげて。わたしはいつまでも、ここで待っているから」
恋人に一時の別れを告げ、男は故郷へと帰った。
しかし故郷で待っていたのは、昔と変わらず穏やかな笑みを浮かべた、健康そのものの母の姿だった。
「危篤との知らせを受けて帰ったのに、これはどういうことですか?」
男は母に尋ねたが、母はそんなもの送ってはいないと言って首を振る。
それを聞いた男は、ぞわりと背筋に寒気が走った。
馬を走らせ、大急ぎで恋人のもとへと向かう。
男が恋人と暮らしていた土地と、男の故郷は馬を目いっぱい走らせても一ヵ月はかかる距離にある。
それでも男は足を止めずに、愛する恋人のもとへと走った。
しかし、もう手遅れだった。
家の中に、恋人の姿は無かった。
近所の者に話を聞くと、驚愕の事実が明らかになる。
曰く、男がこの街を出てすぐ、街の市長が強引に彼女を連れて行ってしまったのだという。
「そのすぐあと、市長の息子と彼女の結婚式が執り行われたのよ。街を上げて大々的にね。わたしもちらりと覗いてみたけれど……花嫁は酷い顔をしていたわ。唇は青ざめて、目は虚ろげで……あれでは結婚式というより、お葬式よ」
男は膝から崩れおちそうになった。
だが、話はそこでは終わらなかった。
「実際、彼女は結婚から一週間と立たずに死んでしまったわ。聞いた話では、結婚式をあげてからずっと何も口にせず、ただ虚ろな目で空を見上げていたそうよ」
彼女が、死んだ?
男は絶望に飲み込まれた。
その日の夜、男は墓地にいた。
彼は恋人の墓を掘り起こすと、彼女の遺体の薬指にはまっていた結婚指輪を外して、変形するほどにぎりぎりと握り潰す。
「仇は、とるぞ……」
小さく呟くと、彼は彼女の額に優しく口づけをした。
ほどなくして、復讐は遂げられた。
彼は市長とその息子を、考え得る限りでもっとも凄惨かつ残忍な方法で殺した。
だが、どんな理由があろうとも人殺しは大罪だ。その男が死後、地獄に行くであろうことは誰の目にも明らかだった。
しかし、男は地獄に行くわけにはいかなかった。
天国に行ってしまったであろう、愛する女にどうしても会いたかったから。
そこで彼、悪魔を騙すことにした。
悪魔とは地獄の番人である。
彼らに「死んでも地獄には落ちない」という契約をさせれば、彼が地獄に落ちることはなくなる。
そして彼は口八丁の末、見事悪魔を騙して契約を勝ち取った。
「これでやっと彼女のもとへ行ける……」
そう呟いて、彼は自らの胸に短剣を差した。
***
「だけど彼は恋人のもとへは行けなかった」
拓巳は静かに呟く。
「彼は悪魔との契約通り地獄には落ちなかった。でもそれは、彼が天国に行ける理由にはならない」
そう。
彼は天国へ行けなかったのだ。
罪を犯してしまった魂が天国へ行けるはずもない。
生前にその償いをしていればまだ救いようはあったのかもしれないが、彼は復讐を遂げるや否や、自らの命を絶ってしまった。
「だから、彼の魂は地獄にも天国にも行けず。永遠に地上に留まることになった。―――ジャックオランタンとして」
この話が真実かどうかは拓巳にも分からない。
目の前を漂っているジャックオランタンは一体ではないし、そもそも元の世界の話なので、この世界のジャックオランタンにはまったく関係がない話なのかもしれない。
しかし拓巳には、どうしても無関係には思えなかった。
拓巳を覆っているこの灯りの一つ一つに、恋人を失って復讐に狂った彼と同じような悲嘆が込められているのではないか。
そんな思いが拓巳の胸中に飛来した。
「でも悪いな……ここは生きている者の場所だ。死者はお呼びじゃないんだよ」
同情はある。
しかし、だからこそ、拓巳は歩いた。
ジャックオランタンたちはそんな拓巳を迷わせようと、彼の周りをうごめく。
ひとたび目を奪われれば、ふらふらと彼らに着いて行ってしまうような、妖しい魅力がそこにはあった。
けれども拓巳は道しるべとなるように地面に描いた印を頼りに、迷いなく歩いた。
そして。
「やれっ! ワタユキっ!」
拓巳が叫んだ次の瞬間。
「合点です!」
声と共に雪崩が降ってきた。
言葉で表現するなら、雪の塊の雨。
その雪の塊の一つ一つにはジャックフロストたちが宿り、質量をもってジャックオランタンたちを押しつぶす。
いかに熱を持った炎と言えど、雪に覆われてしまえばひとたまりもなかった。
「すごいね……炎が、押しつぶされていく……」
いつの間にか、拓巳の傍らに立っていたフロスティがぽつりとつぶやく。
降ってくる雪の塊から拓巳を守るためにここにいるのだが、フロスティはそんなことも忘れて眼前の凄まじい光景にただただ圧倒されていた。
ほどなくして、雪崩の雨が終わり。
辺りが静けさを取り戻すと、ワタユキが拓巳のもとへと駆け寄って来る。
「大丈夫ですか?」
「ああ。でも少し気分が悪い」
拓巳がそう答えると、ワタユキは心配そうな目を向けた。
しかし拓巳がはその視線に答えることなく、ただ積み重なった雪の残骸を見つめている。
消えていく灯火。
死に損なったジャックオランタンの灯りが雪を透かしてぼんやりと見える。
それは幻想的でうっとりとするような情景だったが、拓巳はその景色に悲しいものを感じずにはいられなかった。




