ジャックフロストと雪の森 2
雪の積もった森の中を歩くこと約一時間。
後ろを振り返っても一面が雪景色。もとの緑の大地が見えないほど森の奥深くへと歩を進めた拓巳たちは、しばしの休息をとっていた。
「はぁ……はぁ……」
「拓巳さん、大丈夫ですか?」
程よい大きさの岩に腰掛けて荒い息を吐いている拓巳。ワタユキの方は息が上がった様子も無く、たき火を起こして湯を沸かしている。作業しながらも、彼女は心配げな表情で拓巳の方を見つめていた。
「この森ってどのくらいの大きさなんでしたっけ?」
「……確か、カラシンさんによると徒歩で抜けるのに3日はかかるって話だ」
「3日ですかー。……今の拓巳さんの様子だと1週間はかかりそうですね……」
「悪かったな。雪には慣れてないんだよ」
そう言いつつも、拓巳は申し訳なさそうに肩をすくめる。
雪女であるワタユキだけならば、この森を抜けるのに1日とかからないだろう。なにせ雪で足が止まることがないのだから。
しかし拓巳は普通の人間、いやそれどころか雪に慣れていないど素人だ。森の中では確実に拓巳がワタユキの足を引っ張っていた。
「……ワタユキ。ごめん」
「いいんですよ。拓巳さんには普段から迷惑かけられてるんですから。このくらい今更です」
「……その通りだけれども。もうちょっとオブラートに包んでくれない?」
ワタユキに毒を吐かれて苦笑いしながら、拓巳は温かなコーヒーをすする。このコーヒーは旅の道中でカラシンに分けてもらったものだ。カラシンの行商の品には、塩や胡椒、ワインなど食料品や、マンドラゴラの根、ユニコーンの血などの不思議素材もあって、拓巳が約半月の旅を退屈せずに過ごす手助けになっていた。
拓巳はたき火に手をかざして暖をとりながら、心地よさそうに顔を歪ませる。
「あ~。あったか~。ワタユキはいいのか? たき火に当たらなくて?」
「嫌ですよ。火なんてわたしの天敵みたいなものじゃないですか。わたしからすれば、火は悪魔と同義ですよ」
火を避けるようにして立ち上がっていたワタユキに声をかけると、彼女は心底嫌そうな顔でたき火を睨みつけた。雪女からすれば、自信を溶かす火という存在は許しがたいものなのだろう。まるで親でも殺されたかのような形相に、拓巳は思わず笑いをこぼす。
「カンボクさんが泣くぞ?」
「いいんですよ。あの方は半分悪魔みたいな存在ですから」
なんでもないように言い放つと、ワタユキは火から更に距離をとった。そんなに火が嫌いなのか、と苦笑いをこぼす拓巳だったが、ほどなくしてそれが間違いだったことに気付く。ワタユキは何やら周囲を見回すと、いぶかしげに眉を寄せて呟いた。
「それにしても……この森に入ってから、生き物に会いませんね」
「カラシンさんから聞いたんだが、この森に魔物は生息していないらしいぞ。なんでも、寒くて住めないんだとか……寒い思いをする分、魔物に襲われる心配をしなくていいってのは楽だな」
「いえ。そうじゃなくて―――」
ワタユキは真剣な顔を拓巳に向けながら言う。
「―――この森に入ってから、動物の姿すら見てないんですよ。おかしくないですか? どんなに雪が降っていようが鹿の一頭くらい見かけてもいいはずなのに」
「……確かに」
ワタユキの言葉を聞いて考えこむ拓巳。
確かに、おかしい。年中雪が降っているからといって、動物が見当たらないのは不自然だ。いや、ただ見当たらないというだけならばまだいい。しかしワタユキの感覚をもってしても気配を感じないというのは明らかにおかしい。
そのときだった。
『この森から立ち去れ』
森の中に低く重い声が響き渡った。
「なんだっ!? 今どこから声がした?」
「分かりませんっ!」
跳ねるように立ち上がった拓巳は、ワタユキと背中合わせになりながら周囲を見回す。
だが、見回してみても声の主は見当たらない。
それはワタユキも同様のようで、鋭い目をしながら周囲を警戒していた。
『死霊の化身。悪魔の炎め。ここは貴様らの立ち入っていい場所ではない』
拓巳たちが警戒している間も、謎の声は途切れることなく怒気を含んだ声で拓巳たちを威圧する。
するとワタユキが何かに気付いたようで拓巳にだけ聞こえるようにひっそりと囁いた。
「拓巳さん。この声、妖力がのっています」
ワタユキの言う『妖力』とはいわゆる魔力のことだ。
声に魔力がのっているということは、つまり声の主は魔力を持つ生き物だということになる。しかし、カラシンの言葉を信じるならばこの森に魔物は生息していない。とすると、拓巳に思いつく存在はひとつだった。
「……ジャックフロストか」
カラシンは別れ際、『ジャックフロストに気をつけろ』と言っていた。
つまりこの森を通るとき、ジャックフロストに襲われる可能性があるということ。
(くそっ! 油断してたっ!)
カラシンの助言を忘れていたわけではない。しかしあまりにも生物の気配のない森の様子にすっかり油断してしまっていた。
拓巳は少し唇を噛みながら、油断なく周囲に目を走らせる。
「拓巳さん!」
不意に背後で、ワタユキが焦ったような声を上げた。
声につられて、拓巳はワタユキのいる背後を振り返る。
「なっ……!!」
そこには視線の先には巨大な人形の雪像がいた。三等身の歪な形をした、体長3メートルほどの雪像だ。雪だるまから短い手足が生えたような姿をしている。頭には顔がなく、表情はうかがい知れなかった。
『炎は去れ! この森の秩序のため!』
先ほどから聞こえていた謎の声は雪像が発しているようだった。
言いながら、雪像は振り上げた手を拓巳とワタユキの方へと振り下ろす。
「うわっ!」
「ちっ!」
ワタユキと拓巳はそれぞれ左右に横っ跳びをして、雪像の一撃をかわす。
直後、雪像の一撃は先ほどまで拓巳とワタユキがいた場所を大きくえぐり、焚き火と雪を吹き飛ばした。
「やるしかないか……」
飛び散る雪から顔をかばいつつ武器を構える拓巳。
エリスのいない今、前衛は拓巳の仕事だ。正体不明の雪像に勝てる見込みなど一ミリもないが、立ち向かえるのは拓巳しかいないのだ。
ならば自分がやるしかあるまい。いきごみつつ前に飛び出す。
しかしそんな拓巳を手で制す者がいた。
「ワタユキ?」
「ここは私に任せてください」
疑問顔の拓巳にワタユキはそう言って笑いかけると、雪像をキッと睨む。
雪像は悠然と構えながら、その巨大な腕を再び振り上げた。しかしワタユキは避けようともせず、ただ笑みを浮かべながら立ちつくすのみだ。
(このままじゃまずい!)
焦った拓巳がワタユキを押しのけようと動き出す直前、ワタユキが口を開いた。
「ふふふ……。この場所で、わたしと戦おうだなんて、良い度胸じゃないですか」
ワタユキが腕をふりあげ、着物の袖がひらひらと舞う。
瞬間。
雪が舞い始めた。
「雪女の本領発揮ですっ!」
積もっていた雪が宙に舞い、ワタユキを中心にして渦を巻きはじめる。拓巳の視界を白く染め、しかしその勢いは止まらない。まるで雪そのものが一つの生き物のように、ワタユキの指揮に従って躍動する。
「すげぇ……」
「当たり前じゃないですか。わたしを誰だと思ってるんです?」
思わずそうこぼした拓巳に、ワタユキが振り返って得意げに笑う。
吹き荒れる雪の嵐は次第にその激しさを増し、雪像を飲み込んでいった。
雪の嵐は、雪像を飲み込んでからも五分ほど、その猛威を振るい続けた。
嵐がおさまった後、そこにもう雪像の姿はなく、残骸であろう雪の塊が小山のように積もっているのみであった。
「助かったよ、ワタユキ」
「いえいえ。雪の積もった場所で活躍できないようでは、雪女は名乗れませんから」
服についた雪を払いながら拓巳が言うと、ワタユキがほんのりと笑う。
あれほどの現象を引き起こしたにもかかわらず、彼女はまだまだ余裕そうだ。息一つ上がった様子は見られない。
(……ワタユキを怒らせないようにしよう。少なくとも、この森を抜けるまでは)
先ほどはワタユキ自身が拓巳が巻き込まれないよう気を付けてくれていたようだが、あの雪嵐が直撃すれば拓巳などひとたまりもない。
拓巳が内心で震えていると、倒したはずの雪像の方から、幼げな声が聞こえてきた。
「あのひと、つよいー」
「つよいねー」
底抜けに明るく、甲高い。まるで幼子のような声だった。
「ワタユキ? なんか言ったか?」
「……いえ、わたしじゃないですよ?」
顔を見合わせる拓巳とワタユキ。
拓巳がおそるおそる声のした方を見ると、雪でできた小山の上に真っ白い小人のような生き物が二匹立っていた。
「なんだ、これ?」
「さぁ……?」
するとそのとき、雪像の残骸の様子に変化が見られた。
ぽこっ。ぽこっ。
そんな擬音が聞こえてきそうな調子で雪が盛り上がる。そしてそこから、新たな小人が生まれてきたのだ。
「「……」」
唖然とする拓巳とワタユキをよそに、ぽこりぽこり、次々と小人が生まれてくる。
気がつけば既に雪像の残骸である雪の山は無く、拓巳たちの周囲には無数の真っ白な小人がこちらの様子を窺うようにして立っていた。
「なんなんですか? この子たち?」
「これは……やっぱりジャックフロストみたいだな」
「じゃっくふろすと?」
「あー……冬の妖精、といえば分かるか?」
説明しながら、拓巳は困ったように頬をかく。
「冬の妖精」のひとことで片付けてしまうと、雪女とジャックフロストの差別化が出来ないと思ったからだ。
「冬の妖精、ですか?」
「ああ」
「よく分からないですけど、かわいいですねー」
小人たちは体長15センチほど。いわゆる手乗りサイズほどだ。
ワタユキは小人たちの中から一人を手のひらに乗せて、興味深そうな顔をしながらツンツンと指でつついている。
「つよいひとー」
「ゆきのおねいさんー」
小人たちもワタユキに懐いているようで、彼女の足元にわらわらと寄り集まってきていた。
(まぁ、どっちも雪の化身みたいな生き物だしな。なにか親近感を感じるんだろう)
そんなことを考えつつ、ふと拓巳が辺りに目を向ける。
すると森の方に、なにかいることに気付いた。
それは真っ白い10歳ほどの少年だった。木の陰から顔をのぞかせ、こちらを窺うようにちらちらと視線を向けてきている。
拓巳が見ていることに気付くと、真っ白な少年はおそるおそると言った様子で木の陰から出て、拓巳たちの方へと近づいてきた。
少年は小人たちの中央に立つと、上目遣いでこちらをみあげる。
「こんにちは。強いお姉さんたち」
他の小人たちよりも一回りほど大きい、小人と言うより人間の子供のようだ。つららの垂れた真っ白な衣装を着て、髪も肌も雪のように白い。
「君は、誰だ?」
「僕はフロスティ。この子たち、ジャックフロスティの長だよ」
少年ははにかむように笑った。




