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ハミンギャと旅立ちの讃歌 4


 シーナの家から宿へと帰ってきた拓巳は、旅行に必要なものが入ったカバンを背負って部屋を出た。向かうのはすぐ隣の部屋。今はワタユキが一人で借りている部屋だ。

 拓巳はこれからエリスを追って旅に出る。もうワタユキには会えないかもしれない。それでも、いやだからこそ、別れの挨拶はしっかりしなければ、と拓巳は考えていた。


 コンコン


「はーい」


 ドアをノックすると間延びした返事が返って来る。程なくしてドアが開き、奥からワタユキが顔をのぞかせた。


「どうしたんですか?」

「悪い。ワタユキ」

「……どうして謝るんです?」


 拓巳が頭を下げると、ワタユキは不思議そうに首をかしげた。それを見て拓巳は顔をゆがめながらも話を続ける。


「カンボクさんが帰ってくるまで面倒みるって約束だったけど、その約束は守れそうにない。今から俺は、エリスを追うから」


 俯いてそう言う拓巳に、ワタユキが言葉を返す。


「拓巳さん……ひとりでエリスさんを探しに行くつもりですか?」


 ワタユキの声音は不満げだった。まるで拓巳がエリスを追うのが気に入らないとでも言っているようだ。

 まるで想像していなかったワタユキの反応に、拓巳は少しだけ苛立つ。


「なんだよ。文句でもあるのかよ。俺がエリスを追っちゃいけないってのか?」

「違います。そうじゃないですよ。わたしが文句を言いたいのはそこじゃないです」


 そう言うと、ワタユキはキッと拓巳を睨みながら力強く宣言した。


「わたしも行きます」

「へ?」

「だからっ! エリスさんを追うんでしょう? その旅にわたしも同行するって言ってるんです!」


 拓巳はワタユキの言葉に面食らう。


「は、はぁ? お前はこの街でカンボクさんを待ってないといけないだろ?」

「それがですね―――」


 拓巳がカンボクのことを持ち出すと、ワタユキは食い気味に話し出した。


 ワタユキの言い分はこうだ。


 自分は確かに、カンボクに会うためにこの街に来た。しかし自分の目的はあくまで『カンボクを梓野あずさの、つまりワタユキの故郷に呼び戻す』こと。それを果たしたのだから自分がこの街でカンボクを待つ必要はない。

 そもそも元々はカンボクと共に梓野へ戻るつもりでこの街まで旅してきたのであり、この街に留まる予定は無かったのだから、梓野まで戻るついでにエリスを追う旅に同行しても問題は無い。


 なるほど。確かに説得力はある。


 だが、このワタユキの言葉は嘘だ。

 拓巳にはそれがすぐに分かった。


 これはワタユキが拓巳に着いて来るための方便だ。カンボクは「わたしが戻るまでワタユキを頼む」と拓巳に依頼した。つまりカンボクは、『自分がサクラシンに戻るまでワタユキはサクラシンにいる』と思っている。

 それが分からないワタユキではあるまい。


「ワタユキ―――」

「拓巳さんがなんと言おうと、わたしは着いて行きますよ」


 そう言うワタユキの瞳には強い意志が宿っていた。こうなったらもうテコでも自分の意思を曲げないことを、拓巳は今までの付き合いから学んでいる。

 はぁ、とあきらめたようにため息をつきながらも、まだどこか納得できていない様子の拓巳。そんな拓巳に、ワタユキが追い打ちのように言葉を重ねる。


「拓巳さん、忘れてませんか?」

「……何を?」

「わたしは倭国から『一人で旅して』ここまで来たんですよ? 東の帝国を迂回して北からこの国に入りましたから、途中までは『道が』分かります」

「……確かに、それは助かるな」


 拓巳が同意すると、ワタユキは我が意を得たりと言わんばかりに胸を張る。


「でしょう! だからわたしも行きます。言っておきますけど、拓巳さんに拒否権はありませんから」


 そう告げて、ワタユキは楽しそうに笑った。




「とりあえず、ライオネル王国方面へ向かう乗合馬車を探しましょうか」

「乗合馬車?」

「まさか歩いて行くつもりだったんですか?」


 荷造りを終えて宿をチェックアウトした拓巳たちは、町の大通りを歩きながらこれからの方針について話し合っていた。


「……そういえば、どうやってエリスを追うか考えてなかった」

「えぇ……わたしが同行しなかったら一体どうするつもりだったんですか……」


 あまりに能天気な拓巳の言葉に呆れたような表情をするワタユキ。

 そんなワタユキを見ながら、拓巳がふっと笑った。それを見てワタユキが不思議をそうに眉を寄せる。


「どうしたんです?」


 ワタユキに尋ねられた拓巳は口元を少し緩めながら言った。


「よく考えたら俺、冒険者なのにずっと王都にいたなって思ってさ。まともな旅なんてこれが初めてだよ」


 この世界に来てからというもの、拓巳はずっとエリスと共にこのサクラシンの街を拠点に冒険者として活動してきた。『冒険者』などと言いながら、サクラシン以外の街には言ったこともなかったのだ。


「だからこれが俺の初めての『冒険』なんだよ」

「そうですか……じゃあ『冒険』に関しては私の方が先輩ですねっ!」


 拓巳の言葉を聞いて、ワタユキが嬉しそうに笑う。

 確かにワタユキの言う通り、旅に関しては拓巳よりワタユキに一日の長がある。なにせワタユキは大陸二つ分を旅してこの街にやってきたのだ。


「ちゃんと先輩の言うことを聞くんですよ?」

「へーい……」


 人差し指を立てて急に先輩面し始めたワタユキを見て、拓巳は生返事とともに苦笑いをこぼした。




ライオネル王国方面へと行くために、乗合馬車乗り場へとやってきた拓巳たちは、思わぬ問題に直面していた。


「えー!! ライオネル王国行きの乗合馬車は無いんですか!?」

「悪いね。嬢ちゃん」


 係の人間に訊くと、どうやらライオネル王国方面行きの乗合馬車は二週間間隔で発車しているそうなのだが、つい昨日ここを立ったばかりなのだそうだ。


「つまり、ライオネル王国行きの乗合馬車に乗るにはあと二週間待たないといけない、と」

「そういうことになるな」

「そんな! 二週間も待ってられませんよ!!」


 ワタユキが必死に抗議するが、こればかりは決まっていることなので仕方ない。係のおじさんも困り顔だった。


「ただ北東方面に行くだけなら三日後のローレニア行きの馬車があるが……ライオネル王国に向かうつもりなら乗り換えの必要が出てくるし、逆に遠回りになるだろうな」

「そうですか……じゃあ二週間待つしかないか」

「拓巳さん!?」


 拓巳の言葉に、振り返って目を丸くするワタユキ。そんなワタユキに言い聞かせるように拓巳が言う。


「どうせ俺たちの足じゃエリスに追いつけやしないよ。相手は体力お化けのデュラハンだぞ? その気になれば馬車より早く走れる」

「でも……」

「目的地は分かってるんだから。時間はそんなに問題じゃない。気長に行こう」


 そんなことを言いながらも、拓巳は内心で焦っていた。

 頭では「早く追うことに意味はない」と分かっていても、ただじっと待っているというのは我慢ならない。追いつけないと分かっていても、拓巳は一刻も早くエリスに会いたかった。


 そうして拓巳が考えを巡らせていると、不意に後ろから声がかかった。


「やぁ。昨日ぶりだね?」

「カラシンさん?」


 振り返るとそこにはこの間別れたはずの吟遊詩人が、ニヒルな笑みを浮かべて立っていた。


「どうやらお困りのようだね?」

「それが……どうやらライオネル王国行きの乗合馬車に乗るには二週間待たないといけないみたいで……」


 拓巳が事情を話すと、カラシンは「ふーん……」と呟き、笑みを深めながら言った。


「その旅、途中まで僕も同行していいかい?」

「同行、ですか……?」


 話が見えず怪訝な顔をする拓巳に、カラシンは言葉を重ねる。


「もし僕を連れて行ってくれたら……僕の馬車を提供するよ?」

「え…!? 『僕の馬車』?」

「前に話したと思うけど、僕はもともと商家の出でね。吟遊詩人の傍ら、金儲けのために行商みたいなこともしているんだけど。その積み荷を運ぶために個人で馬車を持ってるんだ」


 そう言ってカラシンがしめした先には、一台の立派な幌馬車があった。


「ちょうど僕もこの街を立ってライオネル王国の王都に向かおうと思っていたし、せっかくだから一緒に行こうよ」

「いいんですか?」

「もちろん。昨日別れたはずなのに、ここでまた会ったのも何かの縁だ」

「ありがとうございます!」


 この話は拓巳にとってまさに渡りに船だった。お言葉に甘えて乗せてもらおう、とカラシンにお礼を言う拓巳だったが、ふと、先ほどから隣のワタユキが黙り込んでしまっていることにきづく。

 気になった拓巳がワタユキに問うと、それまで黙っていたワタユキは逡巡しながらも口を開いた。


「……もしかしてカラシンさん、最初からわたしたちと一緒に行くつもりでした?」

「ははは。ばれちゃった?」

「もし昨日の時点でカラシンさんが私たちと一緒に旅するつもりがないのなら、貴方は拓巳さんに乗合馬車を紹介してくれているはずですからね」

「ワタユキちゃんは鋭いなぁ」


 どうやらカラシンは昨日の時点で乗合馬車が間に合わないことを知っていたらしい。そして最初から拓巳たちと共にライオネル王国へと行くつもりだったそうで、今朝からここで張り込んでいたらしい。

 拓巳が「どうしてそんな回りくどいことを?」と聞くと、カラシンは「旅立ちは少しでも劇的であった方が面白いから」と答えて笑った。


「まぁ、いいじゃないか。僕も吟遊詩人として気になったんだよ。君たちの『冒険』がね」


 こうして、拓巳たちの一行にカラシンという名の吟遊詩人が加わった。




 カラシンの幌馬車に乗り込んで城門をくぐる。

 御者は経験があるらしいワタユキが担当している。あとで拓巳にも御者の技術を叩き込むと活き込んでいたので、それなりに上手いのだろう。

 馬車の持ち主のカラシンはというと、荷台でリュートを取り出して曲を奏でながら、なにやら歌を歌いはじめていた。


「やはり旅立ちは賑やかでないとね」


 そう言ってカラシンが奏で始めたのはノリの良いアップテンポの陽気な音楽。聞いているだけで活力が沸いてくるような明るい曲だ。

 さすが詩歌の妖精、リャナンシーの祝福を受けているというだけあって、カラシンの唄はそれは見事なものだった。

 思わず聞き入る拓巳だったが、しばらくして異変に気付く。カラシンの方もそれに気づいたようで楽しそうに拓巳に語り掛けてきた。


「あはははは! ほら、拓巳くん聞こえるかい?」


 ガラガラという馬車の音に混じり、カラシンの歌に合わせてどこからか声が響いてくる。柔らかな女性の声だ。言葉は理解できなかったが、カラシンの奏でるメロディーに合わせて楽しそうに歌っている。


「これはハミンギャの歌声だよ!『幸運の妖精』とも呼ばれる、姿の見えない謎の妖精。バレないように気に入った人間に取り憑くなんて話を聞くけれど……もしかしたら拓巳くん、君に憑いているのかもしれないよ!」

「ハミンギャですか……」

「幸運の妖精……座敷童子?」


 なにやら勘違いしているらしい御者台のワタユキを放置して、拓巳はハミンギャについての知識を引っ張り出す。


 ハミンギャは北欧神話に登場する女性の守護天使の一種である。

 ハミンギャは人とともにおり、その人の幸運と幸せを決定すると信じられていた。 そのため、その名前は「幸せ」を意味する言葉としても用いられた。 現在のアイスランド語でも「hamingja」は「幸せ」を意味する言葉である。

 彼女らは「幸運の守護霊」とも呼ばれ、守っている人が死んだとき、その人の愛する親戚へとハミンギャは譲られる。そしてハミンギャは、数世代にわたってその家族とともにあり、彼らの幸運と幸せを決定するとされている。


 これが、拓巳が知っているハミンギャについての知識だ。

 しかしカラシンはハミンギャを『幸運の妖精』と言った。それは拓巳の知識とは矛盾する。リャナンシーについても拓巳の知識が正しかったことをかんがえると、今回もカラシンの知識が間違っているのだろう。


 カラシンは妖精だと思っているようだが、拓巳だけは真実を知っている。

 ハミンギャの正体は天使。幸運の天使であることを。


 つまり今聞こえているこの声は、まさに天使の歌声なのだ。


 彼女らの甘美な歌声に耳を傾けながら、拓巳は昔のことを思い出していた。

 それは初めて依頼を受けて、コボルト狩りをした後の酒場でのこと。

 あのとき、成果に見合わない報酬を頑として受け取ろうとしなかった拓巳に、エリスが言った言葉。


『そうだな……そんなに納得できないなら、これは貸しにしておく』

『貸し?』

『ああ。いつかわたしが困ったとき、拓巳がわたしを助けてくれないか?』


 宴の席での他愛もない約束。

 言った本人も大した意味は見出していなかったかもしれない。

 しかし、まさに今こそ。この約束を果たすときではないか。


「待ってろよエリス! 勝手にいなくなりやがって! 散々迷惑かけやがって! 覚悟しとけよ! 追いついたら一発殴ってやるからな!」


 ハミンギャの歌声に被せるようにして、拓巳は静かに決意する。その決意を祝福するように、辺りには天使の歌声が延々と響き渡っていた。


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