ハミンギャと旅立ちの讃歌 3
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本名エリスティア・トワイライト。
エリスはデュラハン族の王の娘だった。
「彼女は族長の血筋か……驚いたなぁ」
カラシンはこの事実を知って驚きこそしたものの、協力の申し出を取り下げることは無かった。エリスがただのデュラハンならまだしも、『死神』の直系となれば流石に忌避されてしまうのではと思っていた拓巳は拍子抜けする。
疑問に思った拓巳が理由を聞くと、カラシンは「シャドーはシャドー、エリスさんはエリスさんだろう? 血がつながっていたとしても、別人に変わりはないよ」と言った。
「―――それに実はね、彼女が『死神』の子孫だと知ってワクワクしている自分もいるんだ。吟遊詩人の性なのかな? 知り合いが『死神』の子孫だなんて、歴史の一端を垣間見ている気がしてゾクゾクするよ」
そう言って、カラシンはいたずらっぽくニヤリと笑った。
そして彼は「そんなことより―――」と前置きして、話を続けた。
「彼女の行き先にも見当がついたよ。彼女が向かっている場所はおそらく『死者の谷』だろうね」
「知ってるんですか!?」
「うん。死者の谷はシャドーの故郷と言われている場所だ。おそらくエリスさんの故郷もここだろう?」
「はい。エリス本人から聞いたので間違いないです!」
「となると……」
カラシンは思案気に顎に手をあてると、何やら荷物を漁り一枚の紙をテーブルの上に広げた。
それは簡易な地図だった。
世界地図ではなく、載っているのは拓巳たちがいるマリーナ大陸のみのようだ。
「死者の谷は―――このあたりだ。正確な位置は分からないけれど、噂では『死者の谷』はルーシア教国とライオネル王国の国境の山脈中にあると聞く。北の国境は荒野だ。死者の谷が山脈付近にあるとすると、おそらく南寄りの国境沿いだろうね」
そう言いながら、カラシンは指でトントンと地図の一点を指す。
そしてその点と、拓巳たちがいるサクラシンを指で結びながら続ける。
「ここからちょうど北東方向、エリスさんが向かった方角とも一致している。北門から伸びている街道はライオネル王国に続いているんだ――――」
カラシンと共に食い入るように地図を見つめる拓巳。
ちょうどそのとき、背後から聞きなれた声がした。
「拓巳さーん! 何かわかりましたか……って、あれ?」
拓巳が振り向くと、そこには怪訝そうな顔をしたワタユキがいた。拓巳がワタユキと別れてからもうそれなりの時間が経っている。彼女の方も聞き込みを終えて戻ってきたのだろう。
返事をしようとした拓巳だったが、ふと彼女の視線が自分に向いていないことに気付く。
彼女の視線は拓巳の前に座っているカラシンの方へと向いていた。
「誰です? その人?」
「俺の知り合い、吟遊詩人のカラシンさん……って、カラシンさん?」
そこでふと、拓巳はもう一つの異変に気づいた。カラシンがワタユキを見たまま固まってしまっているのだ。カラシンはしばしの間目を瞬かせたのち、拓巳とワタユキを交互に見て言った。
「拓巳くん……いくらエリスさんに逃げられたからって、浮気はよくないよ」
「へ?」
素っ頓狂な声を上げる拓巳に、カラシンが眉を寄せながら言う。
「拓巳くんはエリスさんと恋人同士なんだろう? それなのに他の女の子と一緒にいるのは感心しないって話さ」
「はぁぁあぁああ!?!?」
どうやらカラシンはエリスと拓巳が恋人同士だと思っていたらしい。以前会った時はエリスと二人でパーティを組んでいたのだから、そう思われるのも自然だろう。
ワタユキを見ながら顔を険しくしているところをみると、おそらくワタユキを拓巳の愛人か何かだと勘違いしているようだ。
カラシンの勘違いを悟った拓巳は、弁明しようと口を開く。
「違いますよ! 誤解です! 彼女は―――」
「……………拓巳さん?」
不意に背後から。
低く鋭い絶対零度の声が、拓巳へと突き刺さった。
背筋をなでる謎の冷気に、拓巳はぶるぶると体を震わせる。
「エリスさんが、恋人……? 他の女って……?」
震えを帯びた冷たい声音は、静かな怒りを灯していた。
―――下手なことを言えば首が飛ぶ。
声を聞きながら、拓巳は瞬時にそれを悟った。
「拓巳さん。もちろん説明してもらえるんですよね?」
拓巳は壊れた機械のように首をこくこくと縦に振る。そして目の前で暢気に首をかしげている吟遊詩人を心の中で呪った。
「なんだ、僕の勘違いだったのか。僕はてっきり、拓巳くんとエリスさんは付き合っているのかと思っていたよ」
拓巳とカラシンが座っていたテーブルにワタユキがやってきてからしばらくが経ったころ、ワタユキと互いに自己紹介を終えたカラシンは朗らかに笑いながら言った。
「誤解がとけて本当に良かったです。おかげで死にかけましたよ」
深くため息をつきながら拓巳が言う。
ワタユキへの弁明は壮絶を極めたが、拓巳はなんとか一命をとりとめていた。
ワタユキも初めは鬼の形相で拓巳を見下ろしていたが、勘違いだと分かると一転して態度が軟化し、今ではすっかりいつものワタユキに戻っている。
「勘違いでよかったです。危うく拓巳さんを殺しちゃうところでしたよ」
「「あはははは!!」」
ワタユキとカラシンが声をそろえて笑うが、拓巳からすればまったく笑えない話である。
「笑い事じゃないだろ……くそっ、指先の感覚が無い……」
言い訳の間、ずっとワタユキの冷気にあてられていた拓巳は、もはや指先や足先の感覚が麻痺してしまっていた。例えるなら、極寒の海に裸で放り込まれたようなものだろうか。
それほどまでにワタユキの怒気……もとい冷気は凄まじく、誤解を解くのがあと数分遅れていれば拓巳は凍え死んでいたかもしれない。
「まあまあ拓巳さん。落ち着いて」
「そうだよ拓巳くん。さっき死にかけたことを憂うより、今生きていることを喜ぼうじゃないか」
「てめぇらのせいでこうなったんだろうが!!」
拓巳は思わず声を荒げる。死にかけたのだから無理もない。
しかしワタユキは拓巳の怒気を意にも介さず、真剣な目をして問いかけてきた。
「そんなことより拓巳さん、エリスさんの行き先が分かったって――――」
「そうなんだよ!!」
先ほどまでの怒りも忘れ、興奮したように目をキラキラさせる拓巳。
再度地図に目を落としながら、死者の谷があるであろう場所に指を立てる。
「エリスの行き先はおそらくこのあたりだ。俺はカラシンさんにもう少し詳しい話を聞いた後、エリスの後を追う。ワタユキ、お前も―――」
拓巳はそこで不意に口を噤む。
拓巳の頭に浮かんできたのは、ワタユキがこの街にいる理由だ。
ワタユキはもともと、姥ヶ火のカンボクが帰ってくるまでの即席パーティメンバーに過ぎない。カンボクがこの街に帰ってくるまで面倒を見る、そういう約束だった。ここでワタユキに「お前も一緒にくるだろ?」と誘っても、カンボクが帰ってきていない今、ワタユキは拓巳に着いて行くことが出来ないのだ。
「どうしたんですか? 拓巳さん?」
キョトンとした顔で首をかしげるワタユキ。拓巳はそんな彼女を直視できず、視線を逸らす。
「……カラシンさん。この地図を写させてもらっていいですか?」
拓巳はもやもやとしたものを胸の中に抱えながら、エリスの後を追うべく行動を開始した。
旅立ちの準備にそう時間はかからなかった。
必要な食料、道具は旅慣れているカラシンとワタユキがアドバイスしてくれたし、冒険者ギルドへの手続きも済ませた。今は宿の中で買い揃えた物をカバンの中に詰め込んでいる最中である。
「はぁ……大丈夫かな」
拓巳の胸の中には漠然とした不安がこみあげてきていた。
なにせ初めての一人旅である。この世界に来てからはずっとエリスやワタユキと一緒だった。しかしこの旅にワタユキを巻き込むわけにはいかない。ワタユキはこの街でカンボクを待つ必要があるのだ。エリスを探す旅に連れ出すわけにはいかないのだ。
「……よし、こんなもんか」
最後にカラシンから模写させてもらった地図をカバンの中に押し込み、準備を終えた拓巳は最後の用事を済ませるために宿を出た。
向かったのはシーナとシルビアの家。インキュバス討伐の依頼を出してきた親子の家だ。ギルドの方では依頼不達成として手続きを済ませ、既に違約金も払ってあるが、拓巳にはあの親子に真実を伝え、頭を下げる義務があると思っていた。
親子の家につき、扉をノックすると程なくして「はいはい」という声と共に扉が開かれる。そこに立っていたのはシーナ、母親の方だった。
「あら……! 拓巳さんね!? ギルドから依頼が不達成になったって聞いてからずっと心配してたんですよ!」
「お久しぶりです、シーナさん」
拓巳の姿をみて破顔するシーナに苦笑いをこぼしながら、拓巳は頭を下げる。
「……今日は依頼の報告と、不達成になってしまったお詫びに参りました」
拓巳のただならぬ様子を感じ取ったのか、シーナも真剣な顔で答える。
「中で聞かせていただけますか? 娘が帰ってくる前に」
そう言って、シーナは拓巳を家の中へと招き入れた。
拓巳はシーナに教会で起こったことを話して聞かせた。
ただしエリスがデュラハンであることは暈して、ではあったが。
シーナならエリスがデュラハンであることも知っても偏見なく聞いてくれる可能性はある。しかし、インキュバスの問題が片付いていないのにシーナに余計な心労をかけさせたくはなかった。
「そう……ルーシア教の神父が、娘を襲ったんですね」
黙って拓巳の話に耳を傾けていたシーナは、拓巳が話を終えると目をつぶって噛みしめるように呟いた。
「あの子が……やっぱり……」
「やっぱり?」
シーナの呟きの中に聞き捨てならない単語を発見した拓巳は、思わず聞き返す。するとシーナは目を開いて拓巳をじっと見つめたあと、口を開いた。
「ルーシア教会の神父――アイゼン・バルバドはわたしの知人なんですよ」
「知人!?」
「ええ。あの子が乳飲み子の頃から知っています。アイゼンはもともと教会の孤児院出身ですから、あの子が幼いころはよく遊び相手になってあげていたものです」
衝撃の事実に、開いた口がふさがらない拓巳。
そんな呆然としたままの拓巳を置いて、シーナは話を続ける。
「アイゼンが神父になると言ってこの国を出てルーシア教国へと修行に行ったのは、今からちょうど30年前になります。当時まだ幼かったアイゼンを旅立たせるのは不安ではありましたが……あの子の意思を尊重しようと、断腸の思いで送り出しました」
シーナはエルフだ。人間とは寿命が違う。
教会の神父は見た感じ40代半ばといった感じだったが、エルフからすれば40年など大した年月ではないのだろう。
「教国から帰ってきたあの子は変わってしまいました。わたしとは目も合わさず、口も利かず………やはりあの時から、あの子は人間主義の教国の考え方に心奪われてしまっていたのでしょう」
シーナの話を聞いて、拓巳は黙り込む。
もし彼女の言うことが本当ならば、彼女は神父が人間至上主義者である可能性を踏まえたうえで、娘を神父のもとへと送り出していたということになる。
(一体なぜ……?)
そんな拓巳の疑問に気が付いたのだろう、シーナは口を開いた。
「……わたしは、信じたくなかったんですよ。あの子が悪い方に変わってしまったことを認めたくなかった。だから、娘をあの子の教会に通わせ、自分は何もしなかった。自分があの子のもとを尋ねて、拒絶されるのが怖かったんです。なにせ、自分の息子のようなものですから」
幼いころの神父を知っているシーナからすれば、神父は息子のようなものだった。だからこそ踏ん切りがつかなかったのだ、と彼女は言った。
「でも娘がインキュバスに襲われて……そのインキュバスの正体があの子だと判明したからには、もう逃げるわけにはいきませんね」
そう言って、シーナはまっすぐに拓巳の目を見て続ける。
「近いうちにあの子に会いに行きます。そしてたとえ拒絶されようとも、あの子の考えを変えてみせます。それがわたしの……あの子の親代わりだったわたしの責任だと思いますから」




