ハミンギャと旅立ちの讃歌 1
朝靄がかかる街道を、白銀の鎧を身に着けた少女がひとりぼっちで歩いていた。
少女は時折足を止めてはうしろを振り返り、遠くに見える王都サクラシンをぼーっと眺める。
本心を言えば、自分はもっとあの場所にいたかった。
拓巳やワタユキと一緒に笑って一緒に泣いて冒険を続けたかった。
でもそれは無理な話だ。
自分は死神。デュラハンなのだから。
「………」
湧き出る嗚咽をぐっと飲み込み、孤独な騎士は前を向く。
苦難の多かった旅路の果てに、ようやく出来た仲間たち。何を犠牲にしても彼らを守ると、孤独な少女は誓ったのだ。
「今回のことで身に沁みただろう? わたしがいると仲間たちを不幸にする。そんなこと始めから分かっていたはずなんだ」
なのにどうしてだろう。
頭では分かっているはずなのに。
「うぁ……あぁぁ……!!」
―――どうして涙が出るんだろう。
誰もいない、朝の霧につつまれた道の上で。
少女はひとり泣き崩れた。
***
エリスが姿を消した。
そのことは拓巳に少なくない動揺を与えた。
「なんでだ? エリス……」
呆然と、拓巳が呟く。確かに昨日のエリスの様子は尋常ではなかった。だがそれでも、まさかショックのあまり失踪してしまうなんて誰が予想できただろうか。昨日エリスが負った傷の深さを、拓巳は改めて実感していた。
「どどどどうしましょう拓巳さんっ! エリスさんがっ! エリスさんがぁっ!」
「……分かってるから、一旦落ち着け」
人は、自分より動揺をしている他人を見ると不思議と冷静になれるのだという。
その例に漏れず、ワタユキの動揺ぶりを見て少しだけ平静さを取り戻した拓巳は再度手紙に目を落とす。
「……ワタユキ。どうしてエリスはいなくなったんだと思う?」
「それは、たぶん……昨日のことが原因だと思います」
拓巳が問うとワタユキが深刻そうな顔で答える。
「あのときのエリスさん、今までに見たこと無いような表情をしてました。まるで怖いものに怯える小さな子供みたいで……」
「……だよな」
拓巳は静かに同意して、エリスの置手紙を読み返す。
手紙の内容は、昔エリスと一緒に受けたカラシンという吟遊詩人からの依頼で目にした、ララベルの手紙を彷彿とさせた。
「くそっ!!」
拓巳の頭の中に、嫌な光景が蘇る。
カラシンの腕の中で光の粒子になって消えていくララベル。
もしかしたら、エリスもあのとき同じように……
そんなイメージを打ち消すようにぶんぶんと頭を振ると、拓巳はワタユキに向き直る。
「エリスを探しに行く。手伝ってくれ」
「でも、どこを探すんですか?」
「……ギルドに行こう」
冒険者登録した冒険者が拠点を移す際には、現在拠点としているギルドで申請を出す必要があったはずだ。
カンボクはそんなこと説明してはくれなかったが、のちのち別の受付嬢から聞いたことなので間違いない。拓巳が受付嬢に聞いた時にはエリスも一緒だったので、このことはもちろんエリスも知っているはず。ならばエリスがこの街を旅立つ前に冒険者ギルドに寄るのは道理だろう。
方針を固めた拓巳は困惑するワタユキを引っ張って冒険者ギルドへと向かった。
ギルドの中に入った拓巳がまず目にしたのは無残に砕け落ちたギルドの看板だった。
「なんだこれ……なにが起きたんだ?」
ギルドの中は、まるで台風に襲われたかのような有り様だった。
元は壁に貼り付けてあったのであろう依頼書は床に散乱し、酒場の方から吹き飛んできたらしい足の折れた椅子と机の残骸があちこちに見受けられる。それらを片付けるギルド職員たちは、皆一様に青ざめた顔をしていた。まるで『化け物』にでも遭遇したかのようだ。
ふと窓口の方に目を向けると、馴染みの受付嬢が壊れた看板の後片付けをしていた。何度か受注で世話になった受付嬢だ。拓巳が声をかけると向こうも拓巳の姿を見止めたらしく、拓巳の方を見てどこか安心したような笑みを浮かべた。
「これ!どうしたんですかっ!?」
拓巳が受付嬢に尋ねると、受付嬢は眉を寄せながら答える。
「デュラハンの仕業ですって。ほら、あなたのパーティメンバーの……心配したのよ? 貴方達二人はデュラハンに脅されてパーティを組まされてたって聞いたから」
「……え?」
拓巳には受付嬢の言っている言葉の意味が分からなかった。
これを、エリスがやった? というかなんで、この受付嬢はエリスがデュラハンであることを知っているんだ?
愕然とする拓巳をよそに、受付嬢は話を続ける。
「わたしも直接見たわけじゃないからよく分からないんだけど……今朝早く、うちのギルドに白銀の鎧を着たデュラハンがやってきてね? 『この街には飽きた。人間を脅してパーティを組んでみたが……つまらない。冒険者ギルドとは、こうもくだらないものなのか』って言って、絡んでいった冒険者たちを斬り飛ばして暴れまわったらしくって……」
「なんだよ、それ……」
誰にも聞こえないような小さな声で、拓巳がつぶやく。
(エリスの馬鹿…… くだらないことしやがって……ッ!!)
エリスの行動の意味が分かった拓巳は唇を噛んだ。
エリスは自分とパーティを組んでいた拓巳とワタユキがデュラハンとパーティを組んでいたということでギルドで除け者にされないよう、わざとギルドで暴れまわったのだ。
拓巳とワタユキがエリスに脅されてパーティを組んでいたことにすれば、エリスが去った後でも拓巳達は特に問題なく冒険者を続けることができる。と、そんなことを考えたのだろう。
幸い拓巳達のパーティは他の冒険者たちとの交流が薄い。なので拓巳達ののパーティメンバーの関係性を知っているものはほぼいないと言っていい。
他の冒険者と関わるのをエリスが嫌がったのが主な理由だったのだが、今思えばエリスは最初からこうなることを見越していたのかもしれない。
「ふざけんな……ふざけんなよッ! 俺がいつ、そんなことして欲しいなん言った! 俺がいつ、そんなこと望んだんだよッ!」
拓巳は悔しさのあまり、受付の机に拳を叩きつけた。雪女の加護のおかげで常人よりも幾ばくか力の強い拓巳の拳に、バンッと机が大きな音を立てる。
そして拓巳はびくっと怯えたように縮こまる受付嬢を一瞥したのち、低い声で脅すように語りかけた。
「どこ行った?」
「え……?」
「エリスはここを荒らした後、どこに行ったかって聞いてんだよッ!」
「ちょ、拓巳さん! 落ち着いてください!」
怒りのせいか、受付に身を乗り出すようにして怒鳴り散らす拓巳。
頭に血が上っている拓巳を押しとどめるようにして、ワタユキが慌てて諭しながら彼の服を引っ張る。
「冷静になりましょう? あ、ほら。わたしたちまだ朝ご飯を食べてませんでしたよね? せっかくギルドに来たんですし、ついでに食べて行きましょうよ」
そんな、なんでもないようなワタユキの言葉。
だがその言葉は拓巳の逆鱗に掠った。
(朝ご飯!? エリスが、俺たちの仲間がこんなに辛い目にあってるって時にコイツは――――ッ!!)
怒鳴り散らそうと振り返った拓巳だったが、その先にいたのは、今にも泣きだしそうな表情をしたワタユキだった。それを見た拓巳は、一気に頭に上っていた熱が冷めていくのを感じた。
「……そうだな」
そうだ。
つらいのは自分だけじゃない。ワタユキだって泣きたいのを必死にこらえている。俺だけが感情に任せて激昂して、なんて情けないんだろう。
我に返った拓巳は俯いて、受付嬢に小さく頭を下げる。
「……すみません。取り乱しました」
そしてワタユキに引っ張られるがままに、拓巳は力なく酒場の方へと歩き出した。
「……どうすれば、いいんだろうなぁ」
普段は未成年だからと言って酒を飲まない拓巳だが、今日は珍しくアルコールを飲んでいる。いつもエリスが頼んでいた麦酒のような飲み物だ。拓巳は麦酒など飲んだことも無いいので元の世界のビールとの違いなど分からなかったが、麦酒のほのかな苦みは今の拓巳には心地よく感じられた。
虚空をぼーっと見つめながら時折呟かれる言葉は、どれもエリスの身を案じるものだった。どこか上の空の拓巳を激励するように、ワタユキは努めて明るい声を出す。
「とりあえずエリスさんがここに来ていたことは分かりました。もうすこしここで情報を集めれば、エリスさんがどこへ向かったのか分かるかもしれません」
「つっても……会ってどうするんだよ。エリスはたぶん、もう俺らと顔を合わせる気はないぞ」
そんな弱気なことを言う拓巳をワタユキがキッと睨みつけた。
「エリスさんがどう思っているかなんて関係ないです。わたしにはエリスさんに面と向かって言いたいことが山ほどありますから。こんな馬鹿なことやって……文句のひとつでも言ってやらないと気が済みませんよ。拓巳さんもそうでしょう?」
「……そうだな。直接会って二、三発殴らないと気が済まないな」
「エリスさんは女の子ですよ? 殴るなら一発までです」
そうしてしばらく話し合った二人は、ギルドに残ってもう少しエリスの情報を集めてみることにした。幸いエリスがギルドを訪れたのは今朝、ギルドを離れたあとどこへ向かったのかを知ることが出来れば、追いつくことは十分に可能である。
エリスを捕まえた後の彼女の処遇については、結論をいったん保留する形となった。議論の途中からワタユキが溜まっていた鬱憤を爆発させて過激な罰を提案し始めたのが主な理由なのだが、拓巳も目立って反対はしていなかったため、エリスへの罰が厳しくなるのは避けられないだろう。
「それじゃ、俺は酒場で冒険者連中に聞き込みをしてくるから」
「わたしは職員さんの方に聞き込みですね」
簡単な役割分担をして席を立った二人はそれぞれ、酒場周辺、受付周辺へと向かった。
と言ったはいいものの、エリスとワタユキ以外の冒険者と交流のない拓巳に情報を集めるアテなどあるわけも無く。拓巳はふらふらと酒場の中を歩いて知り合いを探すようなそぶりをしながら、冒険者たちの会話を盗み聞きしてまわった。
しばらくの間、聞き耳を立てていた拓巳だったが、先ほど受付嬢から聞いた以上の情報は得られなかった。どの冒険者の間でもギルドを荒らしたデュラハンの話題が飛び交ってはいたが、そのデュラハンがギルドを荒らした後どこへ行ったのかを話している者はいなかった。
小さくため息をつき、拓巳は席に戻ろうと踵を返す。と、そのとき、不意に一組の冒険者の会話が耳に飛び込んできた。
「聞いたか? ギルドがボロボロにぶっ壊されてる理由?」
「ああ。なんでもデュラハンが出たらしいな」
「おっかねぇな、死神が現れるとは」
「ああ。化け物はお呼びじゃねぇってのに……んぁ? なんだテメェ?」
気づけば、拓巳はその二人の冒険者が座っているテーブルの前に立っていた。鎧を着た重戦士と二本の剣を佩いた軽戦士の二人組だ。彼らは怪訝そうな目で突然現れた拓巳を見上げる。
「なんか用か小僧?」
「―――失せろクズ」
「うおっ!? なんだっ!?」
次の瞬間。小さくドスの効いた声で呟きながら、拓巳は重戦士の胸倉をつかみ上げた。ガシャンと派手な金属音を立てて、拓巳よりも一回り程大きい重戦士の体が宙に浮く。
「いきなり何しやがるっ!」
慌てて軽戦士の方が拓巳に掴みかかるが、拓巳の手は重戦士の胸倉をつかみ上げて離さない。拓巳はそのままつかみ上げた男を殺気の籠った目で睨みつけながら、静かに告げる。
「エリスのことを化け物つったろ、テメェら」
「デュラハンのことか? 化け物を化け物っつって何が悪ぃんだよ!」
「……キース。ちょっと待て」
軽戦士の男が騒ぎ立てる中、何かに気付いたらしい重戦士の男が拓巳を見下ろしながら口元を歪ませた。
「知ってるぜ? テメェ、死神とパーティ組んでた奴だろ?」
拓巳がぴくりと反応したことで当たりだと判断したのか、重戦士は半笑いでさらに言葉を重ねる。
「俺ならデュラハンとパーティを組むなんざ死んでも御免だね。あいつらの味方をするくらいなら死んだほうがマシだ。だがテメェは脅されただけでほいほいパーティを組んだんだろ? 恥さらしもいいトコだぜ」
我慢の限界だった。
「その汚ねぇ口を閉じろ!!」
拓巳は咆哮すると、片手で重戦士を支えて拳を振り上げる。ここまでエリスのことを馬鹿にされて、黙っていることなど拓巳には出来なかった。ギルド内の酒場で乱闘騒ぎなど、下手したらギルドを除名される可能性だってあるが、それを承知の上で、拓巳は拳を振り下ろし―――
「やあ、拓巳くんじゃないか」
不意に、能天気な声が響いた。拓巳は拳を止め、声のした方に振り返る。
「久しぶりに会ったのに、暴力沙汰とは感心しないね。君はもっと理知的な人間だと思っていたけど」
「カラシンさん……」
そこには昔出会った吟遊詩人が立っていた。