インキュバスと神父 3
「ルーシア教会に行ってきたんだろう? どうだった?」
「んー……特に収穫なしだったな」
宿の食堂で夕食を食べながら、拓巳はエリスたちと情報のすり合わせをしていた。
「そっちは? シルビアさんを狙ってそうな怪しい奴とかいなかったか?」
「ああ。特に見当たらなかったな。ワタユキは?」
「シルビアさん、もともと美人さんですからねー。下心のこもった視線とかは結構ありましたけど、害意のこもった視線はなかったですよ」
ゴリゴリと凍ったスープをスプーンで一生懸命削りながらワタユキが答える。
そうか。シルビアさんの方にもインキュバスは現れなかったか…
これでまったくの手がかり無し。どうやってインキュバスを探したらいいのかも分からない拓巳は小さくため息をつく。
「拓巳。今日お前が言った教会というのは、ルーシア教の教会だったんだろ?」
「よく分からんけど、教会のなかに三体の女神像が祀られてたぞ?」
「それなら間違いなくルーシア教だな。ニーナ、イーシア、ルリアナ。この三神の像が置かれていたんだろう?」
「あー… そういえばそんな名前が書かれてたような気がするな」
拓巳がなんとなく思い出しながら曖昧な返事を返すと、エリスが微笑みながらルーシア教について語りだした。
「お前が見た三体の女神像はルーシア教が信仰する女神たちの像だ。空の女神ニーナ、大地の女神イーシア、海の女神ルリアナ。そもそもルーシア教はだな―――」
説明好きなきらいがあるのか、エリスはこういうときいつも率先して嬉しそうに拓巳にいろいろな情報をくれる。話が長いのが玉に瑕だが。
案の定、今回のエリスの話も長かった。要約するとこうだ。
ルーシア教。
空の神ニーナ、大地の神イーシア、海の神ルリアナ。ルーシア教はこれら三柱を神として崇める教えである。宗教国家である『ルーシア教国』を中心に、世界各地で人間を中心に信仰されているらしい。
このように規模の大きな宗派ではあるが、後ろ暗い噂も多いそうだ。ルーシア教の教えを記した教典には人間至上主義を示唆するような文言もあるらしく、人間以外の種族が信仰することは稀であるらしい。
ルーシア教についてエリスから聞いた拓巳は、ふと素朴な疑問が浮かぶ。
「ならなんで、エルフのシルビアさんはルーシア教を信仰してんだ?」
「もともとは、ルーシア教は全種族の平等を謳う平和的な宗教だったんだ。しかし最近、教国が教典を書き換えてな。あからさまではないにしろ、人間至上主義を推進し始めたんだ。いきなりだったせいもあってもともとルーシア教を信仰していた人は改宗することも出来ず、今でもルーシア教の教会に通っている、と言うわけさ。」
「ふーん…」
なんともきな臭い話だな、と拓巳はため息をつく。
もともとが平等主義だったのなら、人間至上主義という考え方は信徒たちにも受け入れられないはずだ。にもかかわらず、強引に教典を書き換えたのならば明らかに不自然な話である。
(ん……人間至上主義?)
エリスの話を聞いて、拓巳の中で一つの違和感が生まれた。
さっき聞いたことも踏まえて、拓巳は昼間のことを思い出す。
庭で遊んでいるらしい子供たちは、すべて人間の子供たちだった。亜人の方が冒険者などの危険な職に就いていることが多いこの街で、保護された孤児が人間だけ、と言うのはどうにもおかしな話だ。思えば神父も修道女も人間。あの教会には、町中にいるはずの亜人の類の姿が見当たらなかった。
そして…………襲われたシルビアさんは、エルフ。つまり亜人だ。
(信じたくない話だ……でも、確かめないと……)
言い知れぬ不安と焦燥が胸中を渦巻く。
エールビールをぐいっと煽り、拓巳は再度教会を調べることに決めた。
夜。
廊下でエリス、ワタユキと別れて宿の自室に戻った拓巳は、彼女たちが部屋に戻るのを見計らって宿を出て教会へと向かった。
理由はもちろん、先ほどの湧いた疑念を払拭するためだ。
夜の教会は、昼間とは違った様相を見せていた。
昼間は真っ白に輝いていた白亜の外壁は月明かりに照らされて、宵闇の中で幽鬼のようにぼうっと浮かび上がっている。扉から漏れ出るオレンジ色の燭台の灯りは、ゆらゆらと揺れては拓巳を誘うように鎌首をもたげる。
拓巳が泊まっている宿に面した大通りは夜を楽しむ人の群れでにぎわっていたが、この辺りは住宅街のド真ん中のせいか、気味が悪いほどに静かだ。
そんな、どこか不気味とも取れるような教会の姿に生唾を飲み込みつつ、拓巳は忍び足で教会へと近づく。
おそるおそる扉から聖堂の中に入る。
すると聖堂の一番奥。
女神像の前に、膝をついて祈りをささげている人影があった。
その人影は拓巳の足音に気が付いたのか、立ち上がってこちらに振り返る。
「おや……拓巳くん、でしたか? このような夜更けにいかがされましたか?」
人影の正体は神父だった。昼間と変わらずにこやかな笑みを浮かべている。
「こんな夜遅くに申し訳ありません」
「いえいえ、いいのですよ。ここは教会。必要としている者に開け放たれる場所なのですから」
そこで神父が言葉を止める。神父の問うような視線を受けた拓巳は、こんな時間にここに来た理由を話し出す。
「…ひとつだけ、昼に聞きそびれたことがありまして」
「そうですか。ですがこんな夜更けでなくとも―――」
「いえ。今すぐに聞きたいんです」
拓巳の真剣さを感じ取ったのか、神父は口を噤む。そして数瞬だけ思案気な表情を浮かべたあと、言った。
「………分かりました。食事でもしながら、話をお聞きましょうか」
子供たちの寝静まった孤児院。
神父の部屋は、そんな孤児院の中にあった。
決して広いとは言えない部屋の中を、一本のろうそくが照らしている。家具もほとんどなく、テーブルと一組の椅子があるのみだ。
拓巳は神父に連れられて彼の部屋へと来ていた。落ち着いて話せるようにと神父が気遣ってくれたらしく、テーブルの上には夜食が並べられている。
「すみませんね。こんなものしかご用意できなくて」
「そんなこと……」
葡萄酒と、パンと、塩味のスープ。
それらがそれぞれ二つづつ、テーブルの上に置かれていた。
ルーシア教の教義では、飲酒は禁止されていないらしく、神父もこうして一日の終りに一杯の酒を飲むのが何よりの娯楽だと語っていた。
質素な食事だが、しかしこれが精いっぱいなのだという。自身の財産のほとんどを孤児院の運営につぎ込んでいる神父は、自分の食事に回すお金もないらしい。
「ではいただきましょうか……神の恵みに感謝を」
手を組み、祈るように目を閉じた神父が静かに言う。
拓巳もそれにならって、見よう見まねで祈りをささげ、パンに手を伸ばした。口に入れてみるとやけに固かったが、拓巳にはそのパンが不味いとは思えなかった。
「それで拓巳くん、話とは……」
「あぁ、そうでしたね。話と言うのは、ひとつ、聞きたいことがありまして」
拓巳はそこで言葉を止めると、緊張で乾いた口を潤すために葡萄酒に口をつける。
そして一息ついたのち、重々しく口を開く。
「……孤児院に人間以外の種族がいないのは、なぜですか?」
聞いた瞬間、神父の浮かべていた笑顔が固まった気がした。
「……ッ!」
そこで拓巳は異変に気付く。手に力が入らない。持っていたゴブレットは手から零れ落ち、床に葡萄酒をぶちまける。
意識もだんだんと混濁してきて、目の前にいる神父の姿が徐々にぼやけてくる。
(もしかして、毒か…!)
そう思った時にはもう手遅れだった。
薄れゆく意識を繋ぎとめることは出来そうにない。
残ったなけなしの意識を振り絞り、ぐわんぐわんと揺れる視界で、拓巳は神父を睨む。
「………きみは勘がいいね。鬱陶しいほどに」
そんな神父のつぶやきを耳にしながら、拓巳は意識を手放した。
気が付くと、拓巳は冷たい床の上に横たわっていた。
辺りは真っ暗で、何も見えない。手足は縄で縛られているようで身動きが取れなかった。
床は石でできているのだろうか、無機質な冷たさが全身に伝わる。
はっきりしない意識に鞭を打ち、拓巳は直前までのことを思い出す。
(確か俺は…神父さんに聞きたいことがあって…教会に行って、神父さんと食事して…ッ、そうだッ!!)
しばらく思考を巡らせて、ようやく自分の身に起きたことを思い出した拓巳。おそらくあの葡萄酒になんらかの仕込みがしてあったのだろう。睡眠薬か麻痺毒か。なにが仕込んであったのかは分からないが、そのせいで拓巳は意識を失ったのだ。
(ここは…どこだ? 地下か?)
じめじめとした感じから、地下だろうと当たりを付ける拓巳。
しばらく目を凝らしていると、徐々に目が慣れてきたのか、周囲の様子がなんとなくだが見えてくる。
そこは、地下牢のような場所だった。
拓巳が今いるのは、六畳ほどの小さな個室だ。天井は拓巳の身長ほどの高さで、決して高くはない。七面を石の壁で囲まれ、正面には鉄格子でできた扉のようなものがある。
(まるで檻の中だな……くそっ、まんまと捕まっちまったってことか)
拓巳は必死に脳みそを回転させて、ここから出る方法を考える。
武器はない。持ってきていたクロスボウは、いつの間にか取り上げられてしまっている。それどころかここに持ってきていた荷物はほとんどが没収されてしまっていた。
雪女の加護で得た怪力で鉄格子を壊せないか試してみたが、それもどうやら無理そうだった。どうやらこの鉄格子は普通の鉄ではないようで。拓巳の力ではビクともしない。
(まずいな……どうにも脱出できそうにない)
拓巳が一人焦っていると、鉄格子の向こう。地下牢の奥の方から何やら物音が聞こえてきた。
カツン カツン
石段を叩いているような音が響く。おそらく誰かの足音だろう。
拓巳が考えを巡らせているあいだにも、その足音はだんだんと大きくなっていく。
足音の主は燭台を持っているようだった。なにせ暗い暗い地下牢の中だ。遠目からでも、ろうそくの炎が分かる。だんだんと拓巳の方へと近づいてくる足音。足音の主の正体が分かるのに、そう時間はかからなかった。
「気分はどうだね? 拓巳くん」
「……最悪だよ。吐き気がする」
拓巳の目の前。鉄格子を挟んで向こう側に、足音の主が立つ。
足音の主は、ほかならぬ神父だった。
縛られて牢の床に転がっている拓巳を見下ろす神父は拓巳が目を覚ましていることに気が付いたのだろう、無機質な瞳で拓巳に問いかけてきた。
それに拓巳が吐き捨てるように答えると、神父は困ったような顔をする。
「わたしとしてもね、本意ではないんだよ。出来れば君を無傷で返してあげたかった」
「どうして俺をこんな地下牢なんかに……?」
「おや? 君はもう真相に気が付いているんじゃないかい?」
「……」
拓巳の沈黙を肯定と受け取ったのか、神父が興奮したように語りだす。
おそらく神父が言っているのは、インキュバスの正体の話だ。神父の言う通り、拓巳にはだいたいの検討が付いていた。
「困るんだよ。君たちにインキュバスを嗅ぎまわられては。わたしの『断罪』に支障が出てしまうじゃないか!」
「断罪、だと?」
拓巳が怪訝そうに眉を寄せると、神父はいらいらしたように頭をかきむしる。まるで察しの悪い子どもに何度も言い聞かせる父親のように。
「君も気付いているだろうけどね……インキュバスの正体はわたしだよ、拓巳くん」
「やっぱアンタだったか!シルビアさんを襲ったのは。…なんでそんなことをしたんだよ!」
拓巳が問うと、神父が心底不思議そうに首をかしげる。
「彼女は人間ではない。なら何をしてもいいだろう?」
「…は?」
一瞬、拓巳の思考が停止した。神父が何を言っているのか理解できなかったからだ。
(人間じゃない? 何をしてもいい? ……こいつはいったい、何を言ってるんだ?)
拓巳だってある程度の予想はしてきていた。
ルーシア教。
エリスから聞いた話では、人間以外の種族への差別が生まれているであろうことは容易に想像できた。だから目の前のルーシア教の神父も人間以外の種族に何らかの偏見があるであろうことは推測していたし、インキュバスを騙ってエルフのシルビアを襲ったことも想定の範囲内だった。
しかしそれを踏まえても、この神父の目はおかしかった。
彼は信じて疑っていないのだ。人間がもっとも尊い種族であることを。
亜人と呼ばれる種族のものたちは、例外なく何らかの言葉を操る。つまり人間と意思疎通が可能であるからこそ、『亜人』と呼ばれているのだ。
にもかかわらず、神父は亜人をまるで虫けらのように語る。意思疎通できる相手なのに。言葉を交わせる相手なのに。分かりあえる相手なのに。
それが、拓巳には信じられなかった。
そんな、衝撃に固まる拓巳の目の前で、神父はさらに持論を展開していく。
「亜人の類はすべてわれわれ人間から生まれたのだよ? ならば彼らがオリジナルである我々に劣っているのは自明ではないかね?」
「何を、言って…」
「わたしはルーシア教国の大聖堂でルーシア教を学んだのだがね。そこにある神々の像は、すべて人間の姿をしていた。これは人間こそが、神々の正当な後継者であることの証左であるとは思わないかい。」
拓巳が呆然と聞いているのをいいことに、神父はさらに捲し立てる。
「教皇もそうお考えだ。だからこそ教典の書き換えを行い、亜人の排斥についに腰を上げたのだ。これは聖戦だよ、拓巳くん」
そこで、はた、と拓巳は気付く。
エリスは最近教典が書き換わったと言っていたが。
もともとルーシア教には根付いていたのだ、人間以外の種族を差別する感情が。
きっとルーシア教国本国ではもう、人間至上主義が根付いてしまっている。地理的にはここクララシン 王国はルーシア教国から遠いため、昔のままのルーシア教が信仰されているが、教国の方ではずっと昔から、もう教義などありはしなかったのだ。
(……エリスの話では、ルーシア教はこの世界最大の宗教って……おいおい、まずいだろ!)
「わたしはね…我慢ならないのだよ! 亜人が我が物顔で表を歩いている、この現状が!」
「腐ってやがる……ッ! 教会もッ! アンタもッ!」
拓巳が神父を睨みつけると、涼しい顔をした神父が悲しそうに眉を寄せる。
「……拓巳くん、君はさっきから、おかしなことを言っているね。まるで、亜人を擁護しているみたいだよ。それでは誤解を招いてしまう」
「……別に間違ってねぇよ。俺は亜人を擁護してんだよ」
怒りのこもった声で拓巳が答えると、それを聞いた神父は不思議そうな顔をして言う。
「……? 君は信徒だろう? 孤児院のためにぱっと財布を寄付するだなんて、早々できることじゃない。神への信仰があるこそできる善行じゃないか」
「俺は別にルーシア教徒じゃない。俺個人で考えて、正しいと思ったから孤児院に寄付したんだ。それを信仰にすり替えるんじゃねぇ」
「……分からない。理解できないな」
拓巳の返答を聞いた神父は顔をゆがめる。彼には本当に、拓巳の言っていることが理解できないのだろう。不快そうな顔で、神父は拓巳に問いかける。
「では、拓巳くんはルーシア教の教えに背くということでいいのかい? 背信者を待つのは死だ。それを知っていて、君は、亜人を擁護すると?」
「亜人に限った話じゃねぇ。人じゃない奴らに関してだってそうだ。もし彼らがお前らに排斥されるんなら、俺は全力でアイツらを擁護する。もっとも、向こうは俺みたいな非力な人間の助けなんて少しも必要としちゃいないだろうけど。だけど、あいつらは―――」
拓巳はエリス、ワタユキの顔を思い浮かべる。
二人とも人外で、出会った時は酷く驚いたものだ。エリスは初対面で首が落っこちるし、ワタユキはエリスの手を凍らすし。
しかしそれでも、彼女らと一緒に冒険してきて、彼女らを人間より劣った存在だと考えたことなど、拓巳には一度としてない。
「―――あいつらは、俺の友達だ」
「……残念だよ、本当に」
神父は目をつぶって静かに呟くと、腰から剣を抜いた。
おそらくは、儀礼用の細剣。柄の部分に豪奢な装飾を施されたそれは、儀礼用でありながらもよく手入れされているのか、暗い地下牢の中で鈍い光沢を放っている。
剣を胸の前に構えた神父は、祈るように剣を掲げる。
「……おお、神よ。わたしに彼を導くことをお許しください」
そして目を開き、神父は剣をこちらに構えた。きらりと光る剣先が、縛られた拓巳を貫かんと引き絞られる。
(くそッ…!)
きたる衝撃に備えてぎゅっと目をつぶる拓巳。
しかし剣が刺さる痛みの代わりに拓巳を襲ったのは、体中に伝わる振動だった。
「なっ! なんだっ!」
全身を突き抜ける爆発音。
神父の動揺した声につられて目を開けた拓巳が神父が降りてきた階段の方へと目を向ける。どうやらそちらが爆発音の源だったのか、土埃が舞っていた。
拓巳は土埃の先を見通そうと目を凝らす。すると土埃の中にぼんやりと浮かび上がる二つの影があった。
「拓巳っ! 大丈夫か!?」
「無事ですか拓巳さんっ!?」
拓巳の耳を打つ聞きなれた二つの声。
「エリスッ! ワタユキッ!」
土埃の先から現れたのは、拓巳の大切な友人たちだった。




