インキュバスと神父 1
タイトルを変えました。
ただいま迷走中です。
ジズが王都の頭上を飛び去って三日が経った。
ジズがもたらした嵐もようやく鳴りを潜め、王都の街は元の喧騒を取り戻しつつあった。
「はぁ…やっと依頼が受けられる」
「お金には余裕がありますけど、嵐の間はずっと宿の中でしたからね…体がなまって仕方ないですよ」
拓巳たちも冒険者としての活動を再開していた。今日も朝からいつものように依頼掲示板の前に張り付いて、良さそうな依頼を探している。
「戦闘系の依頼は嫌だな……ここ数日寝てばっかりだったから、若干筋肉痛なんだよなぁ……」
「何をやってるんだお前は……わたしが誘ったとき、一緒に素振りをしていればよかったのに」
「いや、エリスさんもエリスさんですからね。部屋の中で素振りなんかしないでください。特に夜中。うるさくて碌に眠れませんでしたよ……」
そんな会話を交わしながら、壁に貼られた依頼書に目を通していく拓巳たち。とそこでふと、一枚の依頼書が拓巳の目に留まる。
『娘がインキュバスに襲われかけたので、インキュバスに襲われないように護衛、およびインキュバスの撃退を依頼したい。報酬・銀貨40枚。』
インキュバスとは、男性の夢魔のことである。女性の夢魔であるサキュバスと対になる存在で、睡眠中の女性を襲い悪魔の子を妊娠させるという。
「なぁ。この依頼はどうだ?」
拓巳が依頼書を剥がしてエリスとワタユキに見せると、エリスは眉を寄せ、ワタユキは首をかしげる。ワタユキが首をかしげるのはおそらくインキュバスが何なのか知らないからだろう。しかしエリスはこの依頼書に何か思うところがあるようで、眉をよせながら依頼書を睨んでいる。
「どうしたんだエリス?」
拓巳が尋ねると、エリスが重々しく口を開く。
「インキュバスは嫌いなんだ……わたしも一応、女だしな。……というか、拓巳はわたしが女だということを忘れてないか?」
「あー……いや、忘れてない忘れてない!」
思わず納得しかけたところでエリスにジト目で睨まれ、とっさに否定する拓巳。
拓巳だってエリスが女であることを忘れたことは無い。なにしろ見た目は美少女だ。むしろ異性として意識することは多々ある。
しかしインキュバスの件に関しては勝手に大丈夫だろうと決めつけてしまっていた。なにせエリスはそこらの男の冒険者よりはるかに強いのだ。インキュバスに負けるところなど想像もできない。
「ごめん。やっぱ別の依頼にしようか?」
「いや、この依頼を受けよう」
気を遣って依頼を変えようと提案する拓巳だったが、それに待ったをかけたのは他ならぬエリスだった。
「インキュバスが嫌いだからこそ、襲われてる人を放ってはおけない」
「そっか…まあ、エリスがそれでいいならいいか。………でもワタユキは大丈夫か?インキュバスが嫌だったら断ってもいいぞ」
先ほどのエリスのことで学習したのか、拓巳は一応女性扱いしたうえでワタユキに確認する。しかしインキュバスがどんな存在なのかを説明しても、ワタユキは特に嫌がる様子も無かった。
「大丈夫ですよ」
「ほんとか? 下手したら貞操の危機に陥る可能性もあるぞ?」
拓巳が再度確認するように問うと、ワタユキは不敵な笑みを浮かべながら言う。
「わたしは雪女ですよ?触った時点で氷漬けですから、えっちなことなんて出来ませんよ。むしろ、できるものならやってみてほしいですね」
そのときは綺麗な氷像にしてあげますよ、とワタユキが微笑む。
「もちろん、拓巳さんがわたしにえっちなことしようしても氷漬けですからね?」
そう付け加えるワタユキに、拓巳は苦笑いをこぼすのだった。
結局、このインキュバスの依頼を受けることに決めた拓巳たちは、ギルドの受付で受注を済ませたのち、受付で聞いた依頼人のもとへ向かった。
依頼人は、王都の住宅地に住むシーナという名の老齢のエルフの女性だった。急な訪問だったにも関わらず、シーナは安堵したような笑みを浮かべながら、拓巳たち三人を居間へと通すと、早速依頼の内容について話し始めた。
「わたしのかわいい一人娘が、先日夜道でインキュバスに襲われかけまして。夫は他界していしまって、頼る者もなく…どうか娘を狙うインキュバスを退治してくださいませんか?」
「分かりました。…それで、娘さんはどちらに?」
「今は買い物に行かせてまして。じきに戻っとてくると思いますので、もう少しここで――」
ガチャ。
不意に玄関の方でドアが開く音がした。おそらくシーナの娘が帰ってきたのだろう。
「あなた方が、依頼を受けてくださった冒険者さんですか?」
ほどなくして、帰ってきたエルフの少女が居間へとやってきた。名前はシルビアというらしい。エルフと言うこともあって、例に洩れず見目麗しい容姿をしている。
しかし気が弱いのか、拓巳たちと話すときは終始おどおどとした様子だった。
エリスが、インキュバスに襲われた時の様子をシルビアに聞くと、ぽつぽつとだがその時のことを話し始めた。
「その日は、教会でお祈りをささげていたんです。そのうちに何故だか寝入ってしまって、気が付くと神父様の姿をしたインキュバスがわたしに覆いかぶさっていたんです。なんとか押しのけて必死で逃げかえったのですが…あのまま眠っていたらと思うとぞっとしてしまいます。」
当時のことを思い出してか、静かに身を震わせるシルビア。余程怖かったのだろう、話している最中はずっと俯いてこちらを見ようともしなかった。
そこでふと、ワタユキが単純な疑問をシルビアに投げかける。
「神父の姿をしたインキュバス? それは神父本人じゃなかったんですか?」
「そ、そんなはずありません! 神父さんにも聞きましたが、わたしが襲われていた時はちょうど懺悔室にいたそうです。神父様の言うことには、それはインキュバスという悪魔の仕業だろうとのことで、こうしてあなた方に依頼を出させていただいたんです。」
「ふーん…」
シルビアの話を聞いて、考え込むそぶりをする拓巳。
しかし拓巳の中ではもう、犯人は神父で確定していた。
中世ヨーロッパにおいて、インキュバスと言うのは神父や父親の姿をしていることが多かったという。しかし向こうの世界にインキュバスなんてものは存在しないわけで、インキュバスと言う存在は淫行の罪を擦り付けるためにつくられた存在なのだ。娘に手を出した父親や、若い娘に手を出した神父の免罪符としてインキュバスという悪魔が都合よく使われていたのである。
非常に胸糞の悪くなる話ではあるが、おそらく今回も神父がインキュバスを語って目の前の少女に淫行を働こうとしたのであろう。
しかしまだこの憶測が当たっているとは限らない。もっと確かな、物的証拠がなければただの妄想だと切って捨てられるのがオチだろう。
それにまだ神父が犯人と決まったわけでもないのだ。もしかしたら本当に、この街のどこかにインキュバスが潜んでいる可能性も大いにある。
「…シルビアさんがインキュバスに襲われたという教会はどこですか?」
拓巳は事の真相を探るため、件の教会へと向かうことに決めた。
「それでは、娘のこと、どうかよろしくお願いします」
ぺこりとシーナに頭を下げられながらシーナの家を後にした拓巳たち三人とシルビア。シルビアはこれからレストランでウェイトレスの仕事があると言うので、拓巳たちが彼女を仕事場まで送り届けることになったのだ。
「エリス、ワタユキ。シルビアさんのことは任せちゃってもいいか? どうせ俺はいても戦力にはならないし」
「わたしは構わない」
「わたしもいいですけど……何か用事ですか?」
「ちょっと調べたいことがあってさ。インキュバスが現れたっていう教会に行ってみようと思う」
そう切り出す拓巳に、エリスが心配そうな目を向ける。
「……ひとりで大丈夫か?」
「大丈夫だよ、別に子供じゃないんだから。それに仮にインキュバスに遭遇したとしても、俺は男だぞ? 襲われるわけないって」
「………それは分からないぞ。昔聞いた噂だが、男色家のインキュバスに襲われたという話が―――」
「え、ちょっと待って……ホントに? それマジで言ってんの?」
予想外の情報に、拓巳は目を白黒させて動揺する。
(なんだよ、男色家のインキュバスって! あり得ないだろ!)
拓巳がこう思うのも無理はない。
夢魔の雌がサキュバス、雄がインキュバスと呼ばれるのは先ほど説明したが、一説にはインキュバスとサキュバスは同一の存在であり、自身に生殖能力が無いため、人間男性の精を奪って人間女性を妊娠させ、繁殖しているとされる。
つまり、男を襲うのならインキュバスはサキュバスの姿を取るはずなのである。生殖を行動原理とする夢魔にとってインキュバスの姿で男を襲うのは明らかに意味のない行為だ。
『男色家のインキュバス』というのは、人間でいう『女好きのホモ』と同義なのである。
ここまで聞けばわかると思うが、実は拓巳、サキュバスに襲われることを少しだけ、ほんの少しだけ期待していたりもした。その淡い期待が失われたのだから、拓巳に走った衝撃はかなりのものであった。
「……そんな、せっかくっ、童貞が捨てられるとっ……」
両手と両膝をついてうなだれる拓巳。
エリスとワタユキは、そんな拓巳を冷ややかな目で見つめる。状況がよく分かっていないのか、シルビアただ一人がその場でオロオロとあたりを見回す。
「……精々男色家のインキュバスに襲われないよう気をつけることだな」
「……拓巳さん、サイテーです」
拓巳の密かな思惑を知ったエリスとワタユキは同情の余地なしと判断したのか、シルビアを連れてさっさとシルビアの勤め先へと行ってしまった。
その後も道端で一人うなだれていた拓巳だったが、『神父がインキュバスをかたっている』という自らの予想を思い出して気を持ち直す。
「…ま、まぁ。俺の予想が正しければこの件にインキュバスは関わってないしな! 大丈夫だろ、きっと!」
努めて明るい声を出して自分を鼓舞する拓巳。しかし、もしもときのことが頭をよぎって小さく身を震わせる。
(でも…犯人がもし、本物のインキュバスだったら……)
反射的に自分がインキュバスに襲われているところを想像してしまった拓巳は思わずお尻をおさえたのだった。