ジズから学ぶ世界事情 2
やっと10万字到達!
と同時に初感想をいただいて作者は有頂天です。
感想でご指摘されていた「読みやすさ」について。推敲を真面目にやろうと思います。目標の十万字に到達したので、これからは過去分も書き直したりしていきます。
エリスにこの世界の地理事情を聞いてから数日。
町の中は更なる喧騒につつまれ始めていた。ジズの到来、つまり嵐の前の期間にお祭りがおこなわれるらしいのだが、サクラシンは王都ということもありその規模が大きく、各地から人が集まってきているようだった。既にジズ到来までのこり三日を切っているので、町はお祭りの期間に突入している。
「すごいにぎわってるなぁ…」
町の大通りを歩きながら、拓巳はきょろきょろとあたりを見回す。
出店はもちろん、劇場にはなにやら有名な劇団が来ていたり、大広場にはサーカスが来ていたりと見世物がジズ到来に近づくたびに増えていた。
「ほんとですね。美味しい食べ物のお店が増えてきて嬉しいです」
何やらチュロスのような食べ物にかぶりつきながら、隣を歩いていたワタユキが答える。
今日、拓巳はワタユキと二人で、祭りでにぎわう街の中へと出かけていた。エリスはというと「ジズ祭で各地から商人が集まってきていていろんなところで露店を開いている。わたしは掘り出し物の鎧を見に行くんだ!」と妙なテンションで騒いでいたので、今は一人で別行動をしている。
「そういや、こうやってワタユキと二人きりになるのは珍しいな」
「そうですねー。だいたい三人で行動してますからねー」
「宿の部屋も分かれてるしな」
「当たり前です! 一緒なわけないでしょう!」
そんな会話をしながら二人で歩いていると、ふとワタユキが口をひらく。
「そういえばこの前、エリスさんの故郷のことを聞いたじゃないですか」
「そうだな、確か『死者の谷』だったか? 物騒な名前だよな」
「それで疑問に思ったんですけど… 拓巳さんの故郷ってどこなんですか?」
「あれ? 話してなかったっけ?」
拓巳は記憶の糸をたどり、確かにまだワタユキには自分の身の上を話していなかったことを思い出す。べつに隠していたわけではなく、ただ単純に機会がなかっただけということもあり、拓巳は自分のことについてワタユキに話し始めた。
「俺はな、異世界の出身なんだ」
「……は?」
聞き返してくるワタユキの顔には「何言ってんの、この人」というような感情がありありと浮かんでいた。拓巳としてもそんなワタユキの反応は当たり前だとは思っていたので、特に気にすることも無く話を続ける。
「だから。俺はこの世界とは別の、違う世界から来たんだよ」
「違う世界というと……冥界とか?」
「違うわ。もっと普通の、言葉を話す存在が人間だけの世界だ」
そして拓巳は、元の世界とこちらの世界の違いを語って聞かせた。文化や文明の違いなど、簡単な説明ではあったがその具体的な説明に最初は半信半疑だった様子のワタユキも次第に拓巳の言葉を信じはじめる。
「―――で、この世界にきたってわけだ」
「へー、不思議な話ですね」
「思ったより驚いてないな」
「拓巳さんの世界と違って、この世界には不思議なことがあふれてますから。そんなことも起こるのかなー、くらいのものですよ」
それもそうか、と思わずワタユキの言葉に納得してしまう拓巳。現に雪女やデュラハンと言った不可思議の塊が身近に存在しているのだ。この世界の生き物だったら、違う世界への行き来なんて余裕でこなしてしまいそうではある。
そんなことを考えて苦笑いしていた拓巳だったが、次のワタユキの質問を聞いて雷が落ちたような衝撃を受ける。
「でも違う世界から迷い込んで帰り方も分からないってことは、ご家族にも会えないんですよね? さみしくはないんですか?」
「………え?」
家族。
その言葉が、拓巳の脳にハンマーを振り下ろしたような衝撃を与えた。
「家族…そうだ、俺には家族がいた…はず、なんだ」
「? どうしたんですか拓巳さん?」
頭を押さえて立ち止まる拓巳をワタユキが心配そうにのぞきこむ。しかし拓巳は今それどころではなかった。
家族のことが、思い出せないのだ。
いや、それだけではない。友達や担任の先生、近所の人など、本来なら知っているはずのことが拓巳には思い出せなかった。家族がいたことは分かるのだが、顔や名前、どんな性格をしていたかとか、一緒にどこへ行ったとか、そういった記憶が頭から抜け落ちてしまっているのだ。
「記憶がない? うーん、それはまた、変な話ですね…」
拓巳がそのことをワタユキに話すと、ワタユキは眉を寄せて怪訝そうな顔をする。そしてしばらくの間目を閉じて考えにふけっていたかと思うと、おもむろに目を開けて口をひらく。
「………記憶を奪う生き物にひとつだけ心当たりがあります」
「ほんとか!」
「はい。獏という生き物なんですが、知ってますか?」
「獏? 獏ってあの、悪夢を食べるっていう?」
「はい、その獏です」
『獏』といえば、拓巳の世界にも実在する生き物バクがモデルになっている妖怪のことだ。
獏はもともと中国の妖怪なのだが、中国には獏が悪夢を食べるという言い伝えは存在しない。鼻はゾウ、目はサイ、尾はウシ、脚はトラにそれぞれ似ているとされ、その毛皮には邪気を払うと言い伝えられている。
この妖怪が日本に伝わってくる際、邪気を払うことが転じて、悪夢を食べるという言い伝えが生まれたらしい。
「でも獏が記憶を食べるって話は聞いたことがないぞ」
「獏が夢を食べる、というのはある意味では正しいのですが、正確には間違いなんです。獏という生き物は『人の頭の中』を食べるんですよ」
ワタユキが言うことには、獏は夢だけではなく人の記憶や思考、習慣や癖を食べてしまう生き物らしい。人が持つ曖昧なものを食べることで妖力を得て生きているそうだ。
「にわかには信じがたいな……」
「でも、獏はもっと東方に住んでいる生き物ですので、この辺で出くわすというのはあり得ません。なので獏の仕業であると言い切ることは出来ないんですけど……獏族の長に会えば、もしかしたら記憶を取り戻すことが出来るかもしれません」
「もし行くのであればわたしが案内しますよ」と言って拓巳を元気づけるように笑うワタユキだったが、ワタユキの予想とは違って拓巳の反応はいたって淡白なものだった。
「そうだなぁ…気が向いたら獏族とやらのところに行ってみるか」
「気が向いたらって…自分の記憶のことなんですよ!? いいんですか!?」
「別にいいよ。どーせ元の世界に帰る方法が分からない現状で記憶を取り戻したところでホームシックになって落ち込むだけだろ。それならむしろ、記憶はない方がいい」
「そんなむちゃくちゃな…」
「それでいいんだよ。俺が今生きてるのはあの世界じゃなくてこっちの世界なんだから。こっちの世界の記憶があればそれでいいさ。」
能天気な拓巳に心底呆れた顔をみせるワタユキ。
しかし拓巳はそんなワタユキを気にした様子もなく、この話はこれで終わりとばかりに話題を変える。
「ワタユキの故郷はどんなところなんだ? 倭っていう国出身なのは知ってるけど、それ以外はなんも聞いたことなかったよな?」
「確かに話したことなかったかもしれませんね」
「カンボクさんとはどういう関係なんだ?」
カンボクとは、ワタユキがこの街にくる原因になった姥ヶ火の老婆のことだ。
そういえばカンボクがこの街を立ってからもう一ヵ月が経とうとしているが、いまだ帰って来る気配はない。
「姥ヶ火様ですか? あの方はわたしが住んでいた村の長の奥方様なんですよ」
「村長の奥さん? そんな人がなんでこの街に?」
「なんでも昔、村長とひどい夫婦喧嘩をしたそうで。姥ヶ火様が家を飛び出して一人旅にでてしまったんです」
「はぁ? 夫婦喧嘩ぁ?」
そんなことで大陸ふたつ分も離れて別居するとは。拓巳は内心で呆れながら苦笑する。
「それで、なんでワタユキは夫婦喧嘩中のカンボクさんを呼びに来たんだ?」
「それは……その、いろいろと込み入った事情がありまして……」
ワタユキは一瞬だけ目を彷徨わせて逡巡した後、ごくりと生唾を飲み込んで口を開いた。そのワタユキの反応に何かまずいことでもあるのかと拓巳は思わず身構える。
「わたしが住んでいた村は、山の中にあるいわゆる隠れ里というもので、世俗から離れた妖怪たちが集まって暮らしているのですが……最近村のまわりの情勢が悪くなってきまして…下手したら戦に巻き込まれかねない一触即発の状況になり始めてるんです」
俯き気味で暗い顔をしながらワタユキがぽつぽつと話す。
「もともと山籠もりしていた村長と違って、姥ヶ火様は諸国に顔のきくお方ですので、戦乱の火種をおさめられるとしたら姥ヶ火様しかいないんです…」
「へぇ…あのおばあさん、そんなすげぇ人だったのか」
「なんでも若いころは各地を回って人助けやら戦の助太刀やらをしていたそうで、倭の国では有名な方なんです。実力も相当で、小規模な戦ならあの方一人で制圧できてしまうほどなんですよ」
そう言って笑うワタユキだったが、どうにも笑顔がぎこちない。拓巳がそのことを指摘すると、ワタユキが「ばれちゃいましたか」と笑って話を続ける。
「…その戦の火種になっている人物というのが、わたしの母上なんです。わたしの父上は人間なんですが、母上はわたしと同じ雪女なんです。だけど、あの女は………」
そこまで言ってワタユキはぎりりと歯を食いしばって拳をぎゅっと握りしめる。俯いた顔にははっきりと怒りがにじみ、その顔は般若を彷彿とさせた。そんな今までに見たことがないようなワタユキの表情に、拓巳は言葉に詰まる。
「…………ごめんなさい。この話はやめましょう。 …あ! ほら、広場に楽団が来てますよ! 見に行きましょう拓巳さん!」
しかし、ワタユキが怒りの形相を見せたのは一瞬だった。
先ほどまでとは一転して笑顔になると、歩く先の広場に楽団を見つけたらしく、そちらへと駆け出してしまった
エリスといいワタユキといい、拓巳の周りにいる人間は何かしらの闇を抱えているらしい。拓巳には自分の記憶がなくなっていることよりも、彼女らの抱えている問題の方が気にかかっていた。
記憶がなくなっているというのは確かに驚きの事実であるが、拓巳はたいして気にしていなかった。前世の記憶がないからと言って、不安になる人間はいない。こっちの世界に元の世界での拓巳を知っている人間はいないので、記憶のない拓巳にとっての元の世界は前世のようなものだ。「なら大した問題じゃなくね?」というのが楽観的な拓巳の結論だった。むしろ記憶がなくなっているおかげで未練も少なくなっているわけで、この世界で生きていく上で記憶がないことはプラスと言ってもいい。
「そうだ。記憶がないことはこの際どうだっていい。それよりも……」
拓巳は無邪気に笑いながら前を走っているワタユキの背中を、目を細めて見つめる。
所詮人間の自分には力もなにもなく、出来ることはないとは分かってはいるのだが、それでもあのワタユキが見せた鬼の形相を思い出すと、胸がぎゅっとしめつけられるのを感じた。
感想に「拓巳が元の世界への未練がないのはなぜか」というご指摘があったので後付けで理由っぽいものを強引にねじこみました。
作者としては『早く異世界を書きたかったのでその辺の理由付けをしなかった』という言い訳があったりします。すみません。