ジズから学ぶ世界事情 1
前回の更新から間が空いてしまった…
「おっちゃん、串焼きひとつ。」
「お、まいどありぃ」
王都の大通りを歩きながら、拓巳は出店で串焼きを買っていた。
「ちょっとひとつってなんですか!? わたしたちと一緒にいるのに自分の分だけ買わないでくださいよ。」
「ん、ワタユキも食うの?」
「もちろんです。拓巳さんだけ食べるのはずるいですよ……あ、代金は拓巳さん持ちで。」
「自分で出せや。」
隣にいたワタユキは拓巳とそんな会話をしながら、自分も店の店主に勝手に追加の注文をしている。
「エリスさんも食べますか?」
「いや、わたしはいいよ。」
「そうですか? じゃあおじさん、串焼き一本追加で。」
バイコーンの討伐を終えてから二週間ほどがたった。
先日のバイコーン討伐では苦渋を舐めた拓巳だったが、バイコーンたちにいたぶられたのが余程我慢ならなかったのか、進んで魔物討伐を行うようになっていた。
拓巳はエリスの修行によって剣術もある程度使えるようになっていたので、最近ではゴブリンやコボルトなどの低級の魔物ならば問題なく戦えるようになった。「バイコーン…糞野郎が…」と呟きながら戦う拓巳の姿には鬼気迫るものがあり、ワタユキもエリスも引き気味でそんな拓巳を見ていた。
冒険者に成り立ての頃はクロスボウばかりを使っていた拓巳だったが、今は剣術も使えるようになったために良く言えば距離を選ばない、悪く言えば器用貧乏な戦闘スタイルとなっている。
「うま。ここの串焼きってうまいよな。」
受け取った串焼きをもぐもぐと頬張りながら、拓巳はエリスたちと並んで大通りを歩く。
「うがっ。くっ。 ……この串焼き固すぎません?」
「お前が凍らせたからだよ。」
自分の冷気で凍らせた串焼きにかぶりつく雪女に冷静なツッコミを入れながら、拓巳はあたりを見回してふと違和感に気付いた。
「……なんか大通りの出店が増えてないか?」
この王都・サクラシンに来てから、宿からギルドへと通じるこの大通りを歩くことが多かった拓巳。最近になって道端の出店が増えているように感じたのだ。
「ああ、そのことか。」
「知ってるのか、エリス?」
拓巳が聞くと、エリスが通りの店を覗きながら答える。
「わたしも気になってギルドで聞いたんだ。なんだか最近町中が騒がしくなってきたと思ってな。」
「ふごふご?」
「食い終わってからしゃべってくれワタユキ。」
凍った串焼きをかじることをあきらめたらしく、肉一切れを丸ごと口に入れたワタユキが何やら話そうとしているが、エリスが静かにツッコむ。
ごりごり ごくん
「…えと、そうですよね。なんか人自体が増えてきてますよね?」
「ああ。どうやら近々祭りがあるらしいんだ。」
「祭り?」
「そうだ。いわゆる収穫祭らしい。ジズの到来と共に町中がお祭りムードになるらしくて、その期間は出店も増えて観光客も増えるんだそうだ。」
「へぇ…って、ジズ?」
ジズ。
リヴァイアサン、ベヒモスと並ぶ三頭一対の怪物と言われる、巨大な怪鳥である。ジズが大地に立ったとき、その頭は天にまで届き、翼を広げると太陽を覆い隠すとも言われるほど巨大な体躯をもっている。
レヴィアタンが海、ベヒモスが陸を象徴しているのに対して、ジズは空を象徴する怪物とされるが、リヴァイアサンやベヒモスと違って旧約聖書にその記述がないため、拓巳がいた世界ではほかの二体に比べて知名度は低かった。
「ジズの到来って……騒いでる場合じゃないんじゃないか? ジズってとてつもなくデカい鳥なんだろ? 人間なんて食べられちまいそうだけど。」
なにしろ言い伝えでは、大地に立つだけで頭が空に届くほど巨大なのだ。拓巳は少しだけ顔を青ざめさせるが、エリスはのんきな様子で拓巳の言葉に答える。
「ジズは人を食べたりしないさ。ジズが大地に降り立ったりなどすれば、たちまちベヒモスに襲われてしまうだろうからな。」
「ベヒモスに襲われる?」
「リヴァイアサン、ベヒモス、ジズ。この三体は『王獣』と呼ばれていて、それぞれが大海の王者、大地の王者、天空の王者の二つ名を持っている。王獣には、縄張りを侵したほかの王獣を襲う習性があってな。海、大地、空をそれぞれの縄張りにしているわけなのだが、自分の縄張りにおいて王獣は最強の生き物だから、滅多なことではほかの王獣は縄張りを侵そうとしない。」
「…って、どういうことですか?」
なんとなくの雰囲気で話を聞いていたらしいワタユキが疑問顔で首をかしげる。
「例えば、空を縄張りとするジズが大地に降り立ったとする。しかし大地はベヒモスの縄張りだから、ジズはベヒモスに襲われるわけだな。その場合、戦う場所は当然地上となる。地上戦においてジズがベヒモスに勝てる道理はないから、ジズはベヒモスに縄張りを侵したがらないということだ。」
「なるほど。」
つまり。海上戦ではリヴァイアサンが。空中戦ではジズが。地上戦ではベヒモスが。それぞれ最強の存在だということなのだろう。
いわゆる『三竦み』というやつに近いかもしれない。
ジズが人間を食べない理由についてはなんとなく理解した拓巳だったが、ひとつ疑問が残ったのでエリスに質問する。
「じゃあ、ジズに巣ってないのか?」
地上に降りられないということは、当然巣も地上にないということになる。
しかしそうなると、巣が存在しそうな場所がない。
拓巳が串焼きをかじりながら悩んでいると、エリスがあっさりとその疑問に答える。
「ああ。なんでもジズは空を飛び続けているらしい。」
もはやなんでもアリだな、と思いながら拓巳は立て続けに質問する。
「子育ては?」
「しない。ジズはほぼ不死らしいからな。」
「エサはどうしてるんだ?」
「父に聞いた話だが、ジズは空を食べるらしい。」
空を、食べる?
拓巳は串焼きを食べる手を止め、エリスの方を見る。
「空を食べるってどういうことだ?」
「さぁ…? わたしもよくは知らないが…ジズは決まった縄張りをちょうど一年周期で周回しているんだ。父が言うには、『ジズは秋空を食べる』らしくて。わたしの住んでいたところもジズの縄張りだったから、農作物の収穫の時期になると上空をジズが飛んでいたものだ。」
「すごいなファンタジー……」
理解を超えた存在に、拓巳はしばし放心する。
デュラハンも雪女も十分にファンタジーな存在だが、ジズはその範疇を明らかに超えている。「空を食べる」などと言われても、そもそも意味が分からない。
「ジズの縄張りは広大だ。このクララシン王国があるマリーナ大陸だけではなく、ほかの二大陸の上空もすべて縄張りにしている。海の上も―――」
「ちょっと待って。マリーナ大陸? クララシン王国?」
拓巳の驚いた様子に気を良くしたのか、ジズの縄張りについて話し出したエリス。しかし途中で、拓巳は彼女の言葉をさえぎる。
拓巳はここにきて初めて、自分がこの世界の地理について何も知らないことに気付いた。自分がいるこの都市がサクラシンという名の都市であることは知っているのだが、国の名前や大陸の名前などは完全に初耳だ。
それをエリスに話すと、エリスは呆れたような表情を見せる。
「拓巳は異世界から来たから仕方ないのかもしれないが、せめて今わたしたちがいる国の名前くらいは知っていて欲しかったんだが……」
そんなことを言いながらも、エリスはこの世界の地理について解説を始めた。
この世界には、三つの大きな大陸が存在する。
西から順に、マリーナ大陸、ポセニアナ大陸、ネネコッカ大陸。拓巳たちが今いるのはマリーナ大陸の中央に位置するクララシン王国の王都、サクラシンである。
ワタユキの故郷である倭は、ポセニアナ大陸の北東側の海に浮かぶ島国らしい。
クララシン王国は中規模な国で、主に三つの大国に囲まれている。北側には宗教国家であるルーシア教国。東側にはマリーナ大陸随一の大国であるロマニア帝国。南側には国土のほとんどを砂漠が占めるというバキルジャン王国。西側には海が広がっている。
マリーナ大陸の主要な国家はこの四つなのだが、ジズはそのすべてを縄張りとしている。それどころか他の二大陸も含め、世界中の空すべてを縄張りとしているので、マリーナ大陸はもちろん世界中にに住まう者は皆、ジズの存在を知っているのだ。
「わたしの故郷、デュラハンたちが棲まう『死者の谷』にも年に一度、ジズが飛んできていたよ。」
エリスの故郷、『死者の谷』は、ルーシア教国の東側の国境の山脈の中にあるそうだ。
拓巳の隣を歩くエリスは故郷のことを思い出しているのか、懐かしそうに目を細めていた。
「しかしそう考えると、ワタユキはかなり遠いところから来たんだなぁ。大変だったろう?」
今のエリスの話が本当だとすると、ワタユキは大陸二つ分を旅してきたということだ。それは決して簡単なことではないだろう。拓巳は振りかえってワタユキの方に目をむける。
「ふごふご?」
「飲み込んでからしゃべってくれ、ワタユキ。」
どうやら当の本人は食事中だったらしい。ちょっと目を離した隙に串焼きを頬張っていた。
「しかしジズが来るとなると、すこし準備しないと」
拓巳がワタユキを見て苦笑いをこぼしていると、横でエリスがそう言ってすこしだけ面倒くさそうに顔を顰めた。
「準備? なんの?」
「ジズは雨雲と風を引き連れて飛ぶから、ジズが通った後は嵐になるんだよ。」
「え、嵐!?」
「ああ。だから農家はジズが来る前に作物の収穫を済ませるんだ。」
「なるほど。それで収穫祭ってわけだな。」
と、そこまで聞いたところで、ようやく食べていたものを飲み込んだ様子のワタユキが口を挟んできた。
「でも、なんで嵐に備えなきゃいけないんですか? わたしたち宿暮らしですしあんまり関係がないと思うんですけど。」
「ジズの嵐は三日続く。その間の食料を備蓄しておかないと、嵐の間ひもじい思いをすることになるぞ。宿もその分の食料を用意してくれるかは分からないからな。」
「うげ。三日ですか……それは勘弁です。」
そんな会話を交わしながら、拓巳たち三人は宿へと帰っていった。