雪ん子と修行 2
拓巳が巨大化した雪ん子に押しつぶされてから半時ほどが経っただろうか。目を覚ました拓巳は自分の手のひらを握りしめながらつぶやく。
「ホントに怪力になってる」
周りには、拓巳によって押し倒された木々が転がっている。どれも直径が拓巳の腰ほどもあろうかと言う立派な木で、一人の人間の力でどうこう出来るレベルではなかったが、拓巳は腕力のみでその木々を押し倒すことに成功していた。
拓巳が雪ん子を使って修行したのはたった数時間だ。にもかかわらず、拓巳は普通ではありえないような怪力を手にしていた。
「すごいな……しかし、こんなに簡単に強くなれるものなのか?」
拓巳がなぎ倒した木々をつつきながら、エリスが感慨深そうにつぶやく。その呟きに、ワタユキが横に首を振りながら答える。
「いえ、拓巳さんが普通に鍛えても、こんなに怪力にはなりません。拓巳さんには、雪ん子による正式な手順を踏んでいただきましたから、こんなふうに怪力になれたんです。」
「手順?」
近くにあった大岩を上下させながら遊んでいた拓巳がワタユキの方に振り返る。するとワタユキは、顎に手を当てて考え込むようなそぶりをした後、エリスと拓巳に説明するようにして言った。
「そうですねぇ、なんと言ったらよいか……今の拓巳さんのその怪力は、いわば『雪女の加護』のようなものです」
「……加護?」
「わたしたち妖怪の中には、独自の決まり事を持つ者がいます。それらの決まり事は、あらゆるものより優先されます。たとえ世界の法則であっても、わたしたちの決まり事はそれを捻じ曲げるんです。
今回の場合は、『雪ん子の重さに耐え抜いた者には、人外の怪力が与えられる』という雪女の決まり事が、拓巳さんに作用した形ですね。」
「決まり事…」
いまいち納得していない様子のエリス。
しかし拓巳はなんとなくだが、ワタユキの言っていることが理解できた。
分かりやすく言えば「前の世界では伝説とされていたことがそのまま現実になる」ということだろう。ワタユキの言う通り、雪ん子に関する言い伝えには『雪ん子の重さに耐え抜いた者には、人外の怪力が与えられる』と言うものがある。この世界ではその言い伝えが雪ん子の能力として顕現しているのだろう。
いまだ疑問顔のエリスに、ワタユキが説明を重ねる。
「例えば、ぬらりひょんという妖怪がいます。ぬらりひょんは勝手に家にあがりこんでは勝手にくつろいで帰っていく、と言う妖怪なのですが、この妖怪に気付くことは非常に困難です。ぬらりひょんには、『誰にも気づかれずに好き勝手する』という特性がありますから、家の中にこの妖怪がいても、もともと家に住んでいる者たちには認識しづらくなってしまうんです。」
「ああ、それならなんとなく分かるぞ。バジリスクの眼を見れば死ぬし、ゴルゴンの眼を見れば石になる。どうしてそうなるのかは分からないが、『そう決まって』いるからそうなるんだ。」
「『そう決まって』いるから?」
拓巳が疑問の声を上げると、エリスは自分の頭を片手で持ち上げながら言う。
「わたしの頭だってそうだ。デュラハンは首がとれても死なない。頭と体は別々に存在しているのに、このふたつは確かに連動している。これは明らかに自然に反しているものだが、デュラハンの『決まり事』だからこそ成り立っているんだ。」
「なるほど、ね…」
デュラハンや雪女が持つ、不可思議なルール。
それは拓巳が前にいた世界では架空の伝説だった。しかし、この世界ではルールの一つとして根付いている。これらの普通ではありえないようなルールを現実にする、前の世界には無かったそんな『何かしらの力』がこの世界には存在しているのだ。
拓巳の知っている言葉で表現するなら、『魔法』といったところか。前の世界では想像上の生き物だとされていて、この世界で生きているすべての生き物は、例外なくこの『魔法』の力を持っているのだろう。
拓巳がそうやって考えにふけりつつ、ふと顔を上げると、口を開けて唖然とした様子のワタユキの姿が目に入った。その視線の先には自分の頭を小脇に抱えたエリスがいる。
そういえばワタユキにはエリスがデュラハンであることを教えていなかった。エリスもそのことに気が付いたのか、すこしバツの悪そうな表情を浮かべている。いや、それだけではない。エリスの顔には不安のほかに、なぜか怯えの色が見えた。
そんななか、ワタユキが口をひらく。
「エリスさんは抜け首だったんですか!?」
「抜け首?」
抜け首とは、『飛頭蛮』『ろくろ首』とも呼ばれる妖怪である。
ろくろ首と言われれば、一般に首が伸びる女の姿を連想する人が多い。しかしそのほかにも、首だけが飛び回るタイプのろくろ首も存在するのだ。こちらは首が伸びるタイプのろくろ首と差別化するために『抜け首』と呼ばれている。
抜け首は夜間に人間などを襲い血を吸うなどの悪さをするとされているが、たしかに外見上の特徴はデュラハンに近いのかもしれない。
「あれ…でも、エリスさんは寝てないですよね……」
「??」
疑問顔のエリスをよそに、拓巳は一人なるほど、とうなづく。
抜け首は、体が寝ている間に首だけを飛ばすという特性がある。それ故に、首が飛んでいる間に体を動かしてしまえば、抜け首は戻るべき体がどこにあるか分からなくなり死ぬ、とも言われている。
ワタユキにとっては、こうして起きている状態で首を外しているエリスに違和感を感じるのであろう。
「違うよワタユキ。エリスは抜け首じゃなくて、デュラハンっていう別の種族なんだ。」
エリスもワタユキも現状に困惑しているようなので、拓巳が説明するために口を開く。その後もデュラハンという種族についてワタユキに説明しようとしたが、それをさえぎるようにしてなぜだかエリスが口を開いた
「そうだ…わたしは…デュラハンなんだ……いままで黙っていて、すまなかった」
まるで犯した大罪を神に懺悔するように。エリスはワタユキに向かって深々と頭を下げる。拓巳には、なぜエリスがそんな態度をとるのか見当もつかなかったが、その悲痛な面持ちにエリスの真剣さを感じ、口を噤む。
エリスは悔恨していた。人殺しの種族とさえいわれるデュラハンが自分のパーティにいたなどとワタユキが知れば、恐怖してもう自分と一緒には居てくれないかもしれないと、そう思っていたのだ。
「別に隠していたわけではないんだ。ただ、これを言ってしまえばワタユキがこのパーティを抜けてしまうかもしれないと思って―――」
「あの! なんだか深刻な顔でお話しされているところ申し訳ないんですけど」
深刻な顔で言葉を紡ぐエリスをさえぎり、不意にワタユキが声を上げる。
「デュラハンってなんですか?」
「へ?」
予期していたものと違ったのであろう、ワタユキの言葉にエリスが素っ頓狂な声をあげる。
遠い地の出身であるワタユキは、純粋にデュラハンの存在をを知らないのだろう。つまり、エリスの心配は全くの杞憂だったわけである。拓巳がワタユキにデュラハンという妖精のことを説明すると、ワタユキは驚いたような表情を浮かべる。
「へぇ…そんな種族の方がいるんですねぇ…」
「ワタユキは、デュラハンが怖くないのか?」
エリスは表情に怯えを滲ませながら、ワタユキに問う。それは以前、拓巳に対して聞いた時と同じで、「デュラハンであることを怖がられる」ことを恐怖しているような表情だった。
しかしワタユキは特に気負った様子もなく答える。
「はい。デュラハンという名に聞き覚えがなくて…だから怖いとか、そういうのは全然ないですけど」
「そうか…」
それを聞いたエリスは、どこかほっとしたような笑みを浮かべるのだった。
拓巳はそんなエリスを見ながら、ここまでエリスが恐怖する『デュラハンへの偏見』というものについて、一人思いを馳せた。
エリスの懺悔が終わり。デュラハンについての話も終わって。
拓巳は、新たに手に入れた怪力に興奮しているのだろう、子供のようにはしゃいでいた。
「それにしても、ほんと一気に強くなった感じだなぁ。これならケルピーだって倒せちまうかもしれないな。」
拓巳は嬉しそうにエリスから借りた大剣をぶんぶんと振り回す。
前にも一度、エリスの大剣を持たせてもらった時があったが、その時は重くてとてもじゃないが持ち上げることが出来なかった。しかし雪ん子の修業を終えた今ではもう、棒切れを振り回すのと同じように大剣を振り回すことが出来ている。
今までまともに戦うことも出来なかった拓巳には、この新たに手に入れた力に言い知れぬ万能感を感じていた。
「エリス! 俺と戦ってみないか?」
だから、そんな拓巳の口からこんな言葉が出るのも仕方がなかったのかもしれない。エリスの大剣を肩に担ぎながら、にやりと笑ってエリスを見る。
そんな明らかに調子に乗っている様子の拓巳に、エリスが怪しげな笑みを浮かべる。
「……わたしと戦う、拓巳がか?」
「ああ。今の俺はもうこれまでの俺とは違うぜ? もしかしたらエリスにも勝てちゃうかもしれないな。」
エリスの言葉に込められた不穏な気配に気づくことなく、拓巳はさらに笑みを深めてエリスを挑発する。一方でエリスの変化に気付いたワタユキは、呆れた顔で拓巳を見て深くため息ついた。
「……ほう。面白いじゃないか。」
肩をグルグルと回しながら、拓巳と同じように笑みを浮かべるエリス。その笑みはいつもの慈悲深い柔和な笑みではなく嗜虐的なものだったが、今の拓巳はその違いに気が付かない。
「その剣はお前が使っていいぞ拓巳。わたしは無手で構わない。」
「…それはちょっと舐めすぎなんじゃねぇの?」
「違うさ。お前が思い上がりすぎなんだ。」
飄々と言い放つエリスに、拓巳はすこしだけカチンとくる。
いくら今まで弱かったからと言って、それは俺のことを馬鹿にしすぎなんじゃないのか。
そんなセリフが、拓巳の脳裏に浮かぶ。
「…あのー、拓巳さん。やめた方がいいと思いますよー……」
小さな声でワタユキが囁くが、そんな言葉は拓巳の耳には入らない。
「後悔しても遅いぞ」
そう言うや否や、拓巳は地を蹴ってエリスの方へ。大剣を振り上げて、無手のエリスへと斬りかかった。
試合を始めてから30秒がたった。
「ちょ、もう、やめ…」
「ふむ……確かに強くなっている。良かったな、拓巳」
拓巳は地面の上にうつぶせに転がされ、その背をエリスに踏みつけられていた。
試合自体は開始3秒で決着がついた。剣を受け止めたエリスがそのまま剣を引っ張り、バランスを崩して倒れこむ拓巳を背中から踏みつけたのだ。その後は、ただぐりぐりと足で拓巳を踏みにじっては、手で大剣をもてあそんでいる。
「ううっ…勝てないにしろ、もうちょっと戦えるかと思ってたのに…」
エリスの下でごちる拓巳。雪ん子のおかげで力は強くなっているはずなのに、いざ戦ってみればこの有様だ。落ち込む拓巳に、エリスが上から声をかける。
「勝てないのは当たり前だ。お前は、ただ力が強くなっただけに過ぎない。いくら力が強くなっても、技術が伴わなければ意味はないんだ。今のお前はさしずめ、力が強いだけの赤子みたいなものだよ。」
倒れ伏したままの拓巳の背に腰を下ろして、エリスは拓巳を見下ろす。
「ちょうどいい。力も着いたことだし、わたしが剣術を叩き込んでやろう。」
「え、」
「体も幾分か丈夫になってるようだしな。以前はただの人間だったし、わたしが直に鍛えたら壊れてしまう可能性があったしな。」
ニコニコしながら恐ろしいことを言うエリス。
『壊れてしまう』ってなんだ。いったいどんな鍛え方をするつもりなんだ。
拓巳の額に冷汗が伝う。
「まずはここから起き上がって見ろ。わたしが上に座っているから、そう簡単にはいかないだろうが。」
「え、なんでですか?」
ワタユキが質問すると、エリスが笑いながら答える。
「わたしの鎧は特別な金属を使っていてな。重さが牛一頭程度はあるんだ。そのすべてで拓巳に負荷をかければ、ちょうどいい訓練になるだろう。」
「ちょっと待て、待ってください。」
今、俺の上に乗っかっている鎧女は何と言った? 牛一頭?
拓巳は必死に手足を動かして、エリスの下から抜け出そうともがく。しかしエリスはびくともしない。
「さぁ拓巳~。重心をお前に移すぞ~。頑張って耐えろよ~。」
「待て待て待てまぎゃぁぁぁぁあああああああぁぁぁあああぁあ!!!!」
ミシリ ボキッ
そんな、人の体からは聞こえてはいけないような音が森の中に響く。
ワタユキは一人、気を失っている拓巳に向けて合掌をした。