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雪ん子と修行 1


 青森県のある地方には、こんな言い伝えがある。



 ある吹雪の晩。

 彦兵衛と言う若い武士が、ひとり弘前を目指して山道を歩いていた。平地の街道をゆけばわざわざ山道を歩く必要はなかったのだが、彦兵衛には病気の母親がいて、その母を見舞うために彦兵衛は一時でも早く弘前に行きたかったのだ。

 前から吹き付けてくる雪を、俯き気味で被った笠で防ぎつつ、ざくりざくりと雪をかき分け前へと進む。吹雪の中を前に進むのは大変だったが、彦兵衛は母親のことを思い、疲れを忘れて前へ前へとずんずん進む。

 そんなときだった。


「ちょいと、そこのお人。」


 不思議と透き通った、どこか浮世離れした声が彦兵衛の耳に届いた。

 彦兵衛が顔を上げると、そこには白い着物を着たぞっとするほど美しい女が立っていた。肌も帯もぞっとするほど白く、積もった雪の中に溶け込んでいるようにも見える。吹雪の中に立っているのに、なぜだかその女は防寒具のひとつも身に着けていなかった。それにも関わらず、その女には雪が積もった様子がない。


 彦兵衛は不思議に思ったが、こんな夜中に、こんな吹雪の中、こんな山奥にいるなんて何か困っているのかも知れないと思い、その女に話しかけることにした。

 その女に近づくと、なぜだかその女の周りだけ吹雪が止んでいた。彦兵衛は奇妙に思ったが、偶然吹雪が止んだだけだろう、と特に気にすることなく、女に話しかける。


「どうかなされたか。」

「ああ、お侍様。子供が、わたしの子が、ひどく冷たくなってしまっているのです。このままでは、この子は凍えて死んでしまいます。どうかお侍様、この子を抱いて、暖めてやってはいただけませんか。」


 よくみると、女は白い布に包まれた赤子ほど大きさのナニカを抱えていた。女曰く、その何かを彦兵衛に抱いてほしい、ということらしい。

 本来なら、武士である彦兵衛にこんなことを頼むのは無礼極まりない。この女の身分は分からないが、武士である彦兵衛より身分が高いことは無いだろう。当時の武士と言うのは、いわゆる特権階級だ。こんなことを不躾に頼んだりすれば、女は切り捨てられてもおかしくないのだが、彦兵衛は元来のお人よしだった。


「よし分かった。はやくその赤子を貸せ。」


 赤子の命がかかっているということもあり、彦兵衛が女の頼みを聞こうと決めるのに時間はかからなかった。


「ああ、お侍様っ!ありがとうございますっ!」


 感動したような、それでいて何の感情もこもっていないような、どこか違和感のある冷たい声音で女はお礼を述べる。そしてそのまま、彦兵衛に抱えたそれを手渡してきた。

 彦兵衛はそれを受け取ると、両手でそっと懐に抱く。確かに、さきほど女が言ったとおり、布に包まれた赤子は驚くほどに冷たくなってしまっている。


「おお。かわいそうに。どれ、俺が暖めて……ん?」


 そこで彦兵衛は違和感に気が付いた。心なしか、腕の中に抱えた赤子が少しだけ重くなったような気がしたのだ。


「おい女。この赤子、なにかおかしいのではないか。重さが変わった気が……」


 そう言って、彦兵衛が顔を上げる。

 そして、彦兵衛は驚愕した。


「なっ!!」


 女は、笑っていた。

 口が耳のあたりまで裂け、おおよそ人間のものとは思えない笑みを浮かべている。

 目はいつの間にか赤く染まり、黒い髪がゆらゆらと不自然に舞う。


「雪ん子抱いた、雪ん子抱いた」


 女は呟くように言う。

 次の瞬間、今度ははっきりと、彦兵衛の抱いている赤子がズシリと重くなる。


「ぐっ!!」


 余りの重さに、彦兵衛はたまらず膝をつく。これはまずい、そう思った彦兵衛は慌てて赤子を放りだそうとするが、なぜだか赤子は彦兵衛の腕にくっついて離れない。

 どうしようどうしよう、と彦兵衛が混乱している間にも、腕の中の赤子、女が雪ん子を呼んでいるものはどんどん重たくなる。

 うつ伏せに倒れこみそうになるのをこらえながら、彦兵衛は死に物狂いで腰に差した刀を片手で抜いた。


「このっ! 化け物めっ!」


 そう叫んでは、女に向かって刀を振り下ろす彦兵衛。しかし女はケタケタと笑うばかりで一向に堪えた様子がない。彦兵衛が、女を斬りつけた切り口を見てみると、そこからは血が流れておらず白い雪がこぼれ出ているのみだった。

 そこで彦兵衛は、この女が雪女であることを悟った。


「くそっ!」


 しかし、時すでに遅し。

 もはや腕も上げられないほどに腕の中の雪ん子は重たくなり、雪女は斬りつけることもかなわない。

万事休すか、そう思った彦兵衛の頭によぎったのは、弘前で待っているであろう母の姿であった。そこでぱっと、彦兵衛の頭に妙案が浮かぶ。


「おい化け物っ!」


 そう叫んだ彦兵衛は、手に持った刀を雪女ではなく、腕の中の雪ん子に向けた。


「お前も母親だろうっ! この子の命が惜しければ、こんなことはやめろっ!」


 彦兵衛は雪ん子を人質に取ったのだ。

 自分のことを必死で守りながら大切に育てくれた母のことを思いながら、彦兵衛は雪女を睨みつける。

 母とは、子供のためならばどんなことでもする生き物なのだという。

 もし雪女に母としての情があるのならば。

 彦兵衛はその可能性に賭けた。


「――っ!!」


 そこで、雪女の顔色が変わった。

 先ほどまでのケタケタという笑い声は止み、もとの美しい女の姿に戻って無表情に彦兵衛を見つめる。


「…その子を、こちらへ。」


 しばらく黙り込んでしまっていた雪女だったが、不意にそんなことをつぶやく。

 彦兵衛が言われた通りに雪ん子を雪女に返すと、雪女は愛おしそうに雪ん子を抱き上げる。微笑みながら雪ん子をのぞき込む雪女の顔は、まさしく母の顔であった。そこで彦兵衛は、自分が賭けに勝ったことを悟った。


「お侍様」


 雪女が顔を上げ、彦兵衛の方を見ながら言う。


「我が子を抱いてくださり、ありがとうございました。この子も大変喜んでおりました。」


 そう言って、雪女はゆっくりと頭を下げる。


「お侍様は、なにやらお急ぎのご様子。此度のお礼に、この吹雪を止めて差し上げましょう。」

 

 頭をあげた雪女がそう言って腕を振るうと、さきほどまであんなにも吹き荒れていた吹雪がピタリと止んでしまった。

 呆然としている彦兵衛に、雪女は言う。


「また機会があれば、この子を抱いてやってくださいな」


 そして彦兵衛に微笑んだかと思うと、雪女はぼろぼろと崩れていった。まるで雪像が崩れていくように。

 正気に戻った彦兵衛が慌てて駆け寄ると、雪女がいた場所には、女一人ほどの量の雪が積もっているばかりだった。



・・・



「なんて話を聞いたことがあったけか」

「拓巳さんっ! 集中してくださいっ!」


 ケルピー狩りの翌日。

 拓巳はワタユキに連れ出されて、サクラシン郊外の森に来ていた。

 森の中の、少しひらけた広場のような場所に着くや否や、拓巳はワタユキから手渡された白いナニカを背負わされている。白いナニカは、顔がない雪だるまのような見た目をしていて、拓巳が受け取った瞬間から徐々に大きくなってきていた。


「なに、これ」

「雪ん子です。拓巳さんは聞いたことありませんか?」


 顔を引きつらせながら拓巳がワタユキに尋ねると、ワタユキが満面の笑みで答える。

 そんなワタユキの言葉で、拓巳は冒頭の話を思い出していたのだ。


 雪ん子は、一般に雪女とセットで扱われることの多い妖怪の一種である。

 冒頭の話でも述べられている通り、雪女のこともとして知られ、雪女と共に現れては人を襲うと言われている。

 そんな雪ん子が自分の背中に乗っかっているのだから、拓巳も気が気ではない。拓巳が不安げな表情でワタユキを見ると、ワタユキは言う。


「この前コボルトを狩りに行ったとき、言っていたでしょう? 帰ったら拓巳さんを鍛えるって。」

「…へ?」

「とりあえず拓巳さんには体力をつけてもらわないといけませんからね。さ、雪ん子を背負ってください。」


 笑顔を浮かべるワタユキ。しかし明らかに、その目は笑っていない。

 雪ん子を使っての特訓。

 ワタユキはそう言っているが、拓巳からすればただのハードな筋トレでしかない。どんどん加重していく雪ん子に潰されないよう、必死で頑張らされるということだ。明るい未来がまるで見えない。

 拓巳は助けを求めるようにエリスの方に視線を送るが、彼女から返ってきたのは苦笑いだけだった。どうやらワタユキは、既にエリスも抱き込んでしまっているらしい。


「さぁ、拓巳さん?」


 ワタユキの顔を見て、冷汗を流す拓巳。

 先日のケルピーの肝臓事件で、どうやら相当ワタユキを怒らせてしまったらしい。今回ワタユキがこんなことを始めたのは、もちろん弱い拓巳の強化という意図もあるのだろうが、拓巳への報復が理由の8割を占めているのではなかろうか。

 一人妖しく笑うワタユキの姿に、まさに雪女の本性を垣間見た拓巳は凍えるようにブルッと体を震わせる。

 こうして、拓巳の修業が始まった。




「…そう、いえば。雪ん子の重さに耐え抜いた者には人外の怪力が与えられる、なんて言い伝えも、聞いたことがあったなぁ」


 背中で徐々に重くなっていく雪ん子に耐えながら、拓巳がポツリとこぼす。まだ雪ん子の重さは2kgほどだ。2リットルペットボトルを背負っているような感じで、まだまだ余裕がある。だからこそ拓巳もこんな風に他のことを考える余裕もあったのだが、そんな拓巳をみて、ワタユキが目を細める。


「まだまだ余裕があるようですね。もう少し重くして見ましょうか。」

「え…?」

「雪ん子ちゃん、さらに倍でお願いします。」

「――うおっ!!」


 ワタユキの言葉に呼応するように、いきなり、背中の雪ん子がズシリと重くなる。突然の変化に驚いた拓巳だったが、倍の重さになったと言っても精々4kg。健全な青年の拓巳には全く苦にならない程度の重さでしかなった。


(なんだ、もしかして大したことないんじゃないのか? ビビッて損したかも。)


 内心でそんなことを考える拓巳だったが、まだまだ修行が始まったばかりだということを、この時の拓巳はまだ知らなかった。




「くっ!! お、おぉおお!!」

「ほら、頑張ってください。こんなのまだまだ序の口ですよ。


 修行を始めてから1時間ほどがたった。

 今や雪ん子の重さは90kgほど。重めの成人男性ひとりを背負っていることになる。拓巳の背の雪ん子もそれなりの大きさになっていて、もう拓巳の背には収まりきりそうにない。しかし、言い伝えにもあるように、雪ん子を手放すことは出来ない。どうやっているのかは分からないが、雪ん子は拓巳の背にくっついて離れないのだ。

 なので拓巳は必死に歯を食いしばって、雪ん子の重さにひたすら耐え続ける。そうして頑張る拓巳に、ワタユキからさらに無慈悲な言葉がかけられる。


「はい。それじゃ、また重くしましょうか」

「…あの、もうやめてワタユキさん……マジで死んじゃう…圧死しちゃう、圧死」

「問答無用です。」

「――っ!!」


 ずしり。

 拓巳の背の雪ん子がさらに一回り大きくなる。重さは100kgを超えているようだ。もはや拓巳には足を動かす余裕すらない。押しつぶされないようにするので精いっぱいだ。


「ワタユキっ! もう無理! 無理だって!」

「あら? まだしゃべる余裕がありますか。雪ん子ちゃん、もう少し重くなっちゃってください」

「ぐあっ!!!」


 拓巳の叫びもむなしく、雪ん子はまた重くなる。

 さらに加重された雪ん子に、拓巳は肺を押しつぶされたような感覚に陥る。背中からの圧力に肺が潰され、肺に入っていた空気が押し出されて声を発する余裕すらなくなっていく。

そんな様子を傍から眺めていたエリスも、流石に憐れに思ったのか、おそるおそるワタユキに話しかける。


「おいワタユキ? そろそろやめてやった方がいいんじゃないか? 拓巳が死にそう顔をしているんだが」

「なに言ってるんですか! だいたい誰のためにこんなことをしてると……」

「ワタユキ、落ち着け」


 興奮したように捲し立てるワタユキ。エリスもこんなにワタユキが騒ぎ出すとは思っていなかったため、おろおろと拓巳とワタユキを交互に見る。


「だいたい、昨日拓巳さんから受けた屈辱はこんなものじゃないですよ。この人のせいで何時間トイレの中で過ごす羽目になったと思ってるんですか。」

「いや、まぁ、確かにあのケルピーの味は酷かったが……」


 エリスは昨日のことを思い出しながら苦笑をもらす。ワタユキも拓巳もあのあと数時間ほど一人でトイレを占領していたため、宿の主人にも迷惑をかけた。

 エリスは何とか飲み込むことが出来たが、それでもエリス自身一時間ほど吐き気がおさまらなかったのだ。


「それに、出来るだけ重くしてあげたほうが拓巳さんにためになります。雪ん子ちゃんの重さに耐えれば耐えるほど、拓巳さんの力は強くなっていきますから。」

「強くなる?」

「はい。まぁ、終わってみたら分かりますよ。」


 たかだか数時間の訓練で「強くなる」と断言するワタユキに、エリスは疑問を感じたが、ワタユキに問いただしても彼女はただ笑うばかりで答えるつもりはない様だ。

 と、その時。エリスの背後でズドン、と鈍い音が響く。

 振り返ると、そこには巨大な雪ん子に押しつぶされて伸びている拓巳の姿があった。


「あ………ま、まぁ、大丈夫ですよ。死にはしないはずですから。」


 エリスがワタユキの方をジト目で見ると、ワタユキは乾いた笑いを上げながら少しだけ心配そうな目で拓巳をみつめて言うのだった。



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