ケルピーの肝臓は美味しいのだろうか 3
もはや動かなくなってしまったケルピー。
それを確認した拓巳は、落とし穴の中に降りてケルピーを回収するべく行動を開始した。
「エリス」
「嫌だ」
縄梯子を設置しながら拓巳はエリスに声をかける。しかしエリスはかぶせ気味に、拒絶の言葉を伝えてきた。
「どうせあの中に降りてケルピーを持ってこいと言うんだろう?」
「分かってるじゃん。じゃあ早速―――」
「できるか馬鹿!」
エリスは落とし穴の底を指さしながら拓巳にむかって大声を上げる。指さす先には、内臓を全身にまとわりつかせてビクンビクン震えているケルピーが横たわっている。
「お前にはあれが見えないのかっ! 内臓まみれの馬だぞっ! あれを取りに行ったらわたしも確実に内臓まみれになるじゃないかっ!」
「だって、あれを持ち上げるのはエリス以外無理だし。」
「それは分かってるが、しかし、あれはないだろう!」
拓巳がいくら頼み込んでもかたくなに拒絶するエリス。そんな様子のエリスに、ついに拓巳の方が折れる。
「はぁ、分かったよ。じゃあエリスはとどめだけ刺してくれ。内臓の処理とかは俺がするから。」
「それなら、まあ」
しぶしぶと言った様子でエリスが頷く。そして縄梯子を下り、背の大剣を引き抜くとケルピーの首に振り下ろす。いわゆる首チョンパ、というやつだ。拓巳もこの世界に来たばかりの頃ならその光景に耐えられなかったであろうが、コボルトの体で何度も見てきたのでもう耐性が出来てしまったのか、その光景に動揺することも無かった。
「これでいいか。」
「ああ、ついでにケルピーの後ろ脚だけ掴んで登ってきてくんない? ついでに血抜きもしときたいんだ。」
「えぇ…これを、か?」
ケルピーの後ろ脚にも、豚の内臓はしっかりとこびりついている。そんな後ろ脚をつまみ上げながら、エリスは顔を顰める。
と、その時。拓巳は背後にふいに寒気を感じた。振り返ると、ワタユキが服の裾を掴んできているようだ。服の裾を掴むということは、それだけ距離が近くなるということである。先ほど感じた寒気は雪女のワタユキと近づいたことが原因だろう、と拓巳はあたりを付ける。
「どうしたんだ、ワタユキ?」
拓巳が聞くと、ワタユキは上目遣いで拓巳を見上げながら、囁くようなちいさい声で伝えてくる。
「あの……周りに、何かいます。たぶん囲まれちゃってるんですけど……」
言われた拓巳はあたりを見回す。拓巳の目には、木々が生い茂っているだけの普通の平穏な森の中に見える。しかしワタユキの様子からして、何かいることは間違いないだろう。拓巳のような普通の人間と違って、ワタユキは雪女、妖怪である。拓巳には分からない何かを感じているんだろう。
「む…拓巳、この視線は、なんだ?」
ケルピーの頭と、後ろ足を結んだロープを持って縄梯子から登ってきたエリスも怪訝な声を上げて辺りを見回す。ワタユキと同じように何か違和感を感じているようだ。
しばらく周囲を警戒していたエリスだったが、ふと拓巳の方へ振り返って言う。
「拓巳、これはたぶん狼だ。」
「狼? 普通の? フェンリルとかじゃなくて?」
「ああ。普通の、魔力を持たないただの獣の方の狼だな。たぶんこいつの血の匂いに誘われて死骸をたかりにきたのだろう。」
そう言ってエリスは小脇に抱えたケルピーの首を小突く。
確かに先ほどから、ケルピーの血の匂いや豚の内臓の生臭い臭いが辺りに充満している。その死臭にさそわれて狼たちもやってきたのだろう。
「拓巳、このままだとわたしたちも狼に襲われる。ケルピーは始末したし、はやく街に戻ろう。」
「ケルピーの討伐証明部位は鬣だったか」と言いながらナイフで手際よくケルピーの鬣を切り取っていくエリス。
ワタユキもいつの間にか拓巳から離れて帰り支度を始めていた。
既に、ワタユキもエリスもさっさと帰る心づもりらしい。
しかし、拓巳だけは違った。
「肝臓…」
どうやら拓巳はまだケルピーの肝臓を食べるのをあきらめきれないらしい。
未練がましくケルピーの死体を見つめる拓巳に、エリスから叱咤が飛ぶ。
「馬鹿か! 今はまだ狼だけだが、そのうち血の匂いにつられてもっと不味い獣が来る可能性もあるんだ。ケルピーを解体している暇はないぞ!」
「だってさ、密かに楽しみにしてたんだよ、ケルピーの肝臓……」
「ああもう! そんな目でわたしを見るな!」
うるんだ目でエリスを見つめる拓巳。エリスは気まずそうに目を反らす。
「…今回だけだからな。さっさとケルピーの肝臓だけ解体して来い。」
「ちょっ! エリスさん!?」
ワタユキから悲鳴のような叫びが上がるが、拓巳は満面の笑みを浮かべてエリスに「ありがとうっ」と言うと、縄梯子を下りてケルピーの死体の方へと向かってしまった。
「なんで許可しちゃうんですかエリスさん!」
「あきらめろワタユキ。言い出した拓巳はテコでも動かない。冒険者になると言い出したときもそうだったからな。」
「もうっ! エリスさんは拓巳さんに甘いんですからっ!」
言い合うワタユキとエリスをしり目に、落とし穴の底へと降りた拓巳はケルピーの死体に近づくと、手持ちのナイフを使って腹を切り開いていく。
もしかしたら肝臓を切り取るのにも適切な処置が必要なのかもしれないが、素人の拓巳はとりあえずお目当ての肝臓だけを切り取ることだけを考えてナイフを走らせていく。
「ほらぁ! 狼が襲ってきたじゃないですかっ! どうするんですかこれ!」
地上ではなにやらワタユキが騒いでいるが、集中している拓巳の耳には入ってこない。出来るだけ傷つけないように、慎重に腹を切り開いていく。
「…とりあえず、拓巳が上がってくるまで戦ってしのごう。」
「わたし狼みたいに動きの速い生き物と戦うのは苦手なんですよ!」
「じゃあ、その冷気とやらを適当に乱射して狼たちを牽制してくれ。撃退はわたしがやろう。」
額の汗をぬぐいながら、拓巳は刃を進めていく。するとようやく、肝臓らしき臓器が見えてきた。今度は慎重に、繋がっている血管などを切りながら肝臓のみを死体から切り離していく。
「はぁ…なんでこんな、めんどくさいことを。まったく、こうなったのも全部拓巳さんのせいですよ。帰ったら地獄を見てもらわないといけませんね。」
「…ワタユキ?」
「大丈夫ですよ、エリスさん。ただ拓巳さんを死にかけるまで鍛えてあげようって決意を固めただけですから。殺しはしません。」
「…ほどほどにな。」
地上ではワタユキの拓巳に対するヘイトがどんどんたまってきているのだが、拓巳はそれに露程も気が付かず、黙々と作業を続けていく。そしてやっとのことで、肝臓の切り離しに成功した。切り離した肝臓を適当な革袋にいれた拓巳は地上に向けて叫ぶ。
「おーい、終わったぞー」
「そうですか。なら早く上がってきてください今すぐに。」
やけに平坦な声でワタユキから返事が返ってくる。拓巳はそれに首をかしげながらも、縄梯子を登る。登った先では、なぜか辺り一面に狼の死体が散乱していた。
「…? なんでこんな地獄絵図が広がってるんだ?」
「安心してください。今度拓巳さんも地獄に連れて行ってあげますから。」
「いや、質問の答えになってないんだけど…」
つんとそっぽを向くワタユキに、心底不思議そうに首をかしげる拓巳。エリスはそんな二人をみて苦笑いをこぼしながら、血に染まった大剣を抱え直すのだった。
あの後、急いで落とし穴を埋めた拓巳たちはサクラシンへと戻ってきていた。
「すごいですっ! ホントにケルピーを討伐してきてくださったんですね。」
報酬を受け取りに拓巳たちが冒険者ギルドの受付にいくと、受付嬢が開口一番に言った。エリスがケルピーの鬣を取り出すと、受付嬢の目がさらに大きく見開かれる。
「これはっ! ただいま鑑定をしてまいりますので、しばらくお待ちいただけますかっ!」
興奮した様子でエリスから鬣を受け取る受付嬢。彼女は上機嫌で鼻歌を歌いながら受付の奥の方へとひっこんでしまった。
そんな受付嬢の様子は注目を集めるのか、ギルド中の視線が拓巳たちのパーティに集まる。そのせいで拓巳は、少し気恥ずかしい気分になって、苦笑いしながら頬をポリポリと掻く。
酒場の方からも注目されているようで、酒を飲んでいた冒険者のおっさんたちがこちらを見ながらなにやらひそひそと話している。自分たちのことを話しているのだろうか、と拓巳は誇らしくなり、なんとなく聞き耳を立ててみる。
「おい、見てみろよ。あの二人がケルピーを討伐したんだってよ。」
「はぁ~。あんな美人の二人組なんてこの冒険者ギルドにいたか?」
「なんでも、最近登録した新人らしいぜ。それでケルピーを討伐しちまうんだから大したもんだよな。」
「……」
予想とは違う会話の内容に、拓巳はうなだれる。どうやら彼らの中で拓巳の存在は省かれてしまっているようだった。
「ぷ、くく。エリスさん、どうやらわたしたちは『二人組』みたいですよ?」
「おい、ワタユキ。あまり拓巳をいじめてやるな。」
「…いーよ。どうせ俺は役立たず、パーティのお荷物だよ。」
「ほら見ろ。拓巳が拗ねてしまった。」
拓巳と同じように聞き耳を立てていたらしいワタユキが、抑えきれないと言った様子で吹き出し、肩を震わせている。エリスがそれを呆れた顔をしながら諌めていると、先ほどの受付嬢が、奥から戻ってきた。手には報酬と思われる革袋が握られている。
そういえば、今回の依頼は報酬を確認していなかったな、と拓巳は今更ながらに思い出す。なし崩し的に引き受けさせられた依頼のためか、依頼内容以外はろくに確認せずに出発してしまっていたのだ。
「はい、確かに、ケルピーの鬣であると認められました。」
受付嬢がそう言った瞬間、ギルド内のざわめきが一層大きくなる。今まで、拓巳たちが本当にケルピーを討伐したのか半信半疑だった人間も、ギルドが認めたことで信じざるを得なくなったからだ。
「こちらが今回の依頼の報酬になりますので、どうぞお受け取りください。」
受付嬢がにこりと笑って袋を差し出してくる。みるとパンパンに金が詰まっているようで、拓巳の頬も思わず緩む。受け取ってみると、今までに感じたことのないような重量感が腕に伝わってきた。
「それじゃあ飲みに行こう。今日はなんだか疲れたからな」
「そうですね。誰かさんのせいで、無駄に狼と戦わされましたから。」
「棘があるな、ワタユキ。」
「でも飲みに行くって、ギルドの酒場じゃないんですか?」
「今日は注目を集めそうだしな……どこかほかのところに行こう。」
そんなことを話しながら、さっさとギルドの出口へと向かうエリスとワタユキ。拓巳は急いで報酬が入った袋をリュックに詰め、慌てて二人のあとを追った。
よく「肉食動物は草食動物に比べて不味い」などと言われるが、それは間違いである。
ある地方では犬や猫が何よりのご馳走として食されていたし、わたしたち日本人が好んで食べるマグロは肉食動物である。中国では虎の肉を食べたりもするし、熊の手といえば有名な珍味として知られている。
もちろん、肉食動物の肉には独特の癖があることが多いが、それは個人の好き嫌いの範疇に収まる程度のものであるし、肉食動物の肉はまずいと言い切れるほどの決定的な要因は存在しない。
現代において、広く草食動物が食肉用として用いられているのは、単純に飼育の効率が肉食動物よりも良いからであり、肉の質の良し悪しは関係ないのである。
だから拓巳は、たとえ肉食動物になったとしてもケルピーの原型は馬に違いはないのだから、ケルピーも美味しく食べられるものと信じていたのだ。
拓巳たちが泊まっている宿屋の一室。
拓巳は宿に帰って来るや否や、ワタユキに冷凍保存してもらっていた肝臓を持って厨房へと向かった。そこで宿の主人にしばらくの間厨房を貸してくれるよう頼むと、早速ケルピーの肝臓を調理し始めたのだ。
一度冷凍してしまったためにレバ刺しは無理だろう、とあきらめた拓巳は、レバニラ炒めを作ることに決める。と言っても、市場ではニラが見つからなかったので、似たような見た目と風味の青葉野菜で代用する。
まず軽く洗った特大のレバーを一口大の大きさに切り、ワインに漬けて臭みをとる。10分ほど置いたら小麦粉をまぶす。この間に野菜も一口大の大きさに切り分けておく。
油を引いたフライパンに、小麦粉をまぶした先ほどのレバーを投入。適度に炒めて火が通ったら、野菜を投入してさらに炒め、味付けを施す。
そこでふと、拓巳は違和感に気が付いた。
一向に、レバーの獣くさい臭いが消えていない。
慌てて臭い消しに酒を追加して蒸し焼きにするが、それでも臭いは無くならない。
レバーの匂いと言うのは消えないものなんだろうか、と首をかしげながらも、拓巳は出来上がった料理を皿へと盛り付け、エリス達が待っているであろう自分の部屋へと運ぶ。
「おーい出来たぞー。」
背中で扉を開けながら部屋に入る。ワタユキは左側のテーブル前の椅子に、エリスはベットの上に座っていた。なにやら話し込んでいた様子の二人だったが、拓巳の存在に気が付いたのか話を切り上げてこちらを見る。
「それが……あの馬の内臓、ですか……」
ワタユキは心底嫌そうな表情を浮かべながら拓巳の手にある皿を見つめる。
「なんだかもう既に変な臭いがしてるんですけど。これ本当に食べるんですか?」
直前の宴会の席で、拓巳はこの二人にケルピーの肝臓を食べてもらう約束を取り付けていた。二人も酔っていたせいか、多少判断力が鈍くなっていたのだろう、渋ってはいたが最後には一緒にケルピーの肝臓を食べることを了承してくれた。
一度食べてもらえれば後はこっちのものだ。レバーのおいしさに病みつきになることだろう。
そんな考えを持っていた拓巳は心の中でくくく、とほの暗い笑い声をあげる。
「さあ、どーぞ召し上がれ」
「……まあ、約束はしちゃいましたからね。食べるだけ食べてみます。」
「ほら、エリスも。」
「あ、ああ。いただこう。」
歌でも歌い出しそうなほど上機嫌な拓巳が、テーブルの上にレバニラ炒めもどきの入った大皿をおく。エリスとワタユキにフォークを手渡すと、二人は顔を引きつらせながらもそれを受け取った。
早速とばかりにフォークを手に取り、拓巳たち三人は一斉にレバーを口に含む。
すると、レバーを食べようと言い出したはずの拓巳が真っ先に顔を顰めた。
「おぇ……げろ不味……」
「これは、匂いだけでも相当きついな。」
拓巳の言葉に、エリスが同意するように頷く。
とにかく臭いが酷い。臭みを取るためのアルコールがまるで機能していないし、小麦粉で風味を閉じ込めたせいか噛んだ瞬間、口の中にレバーの生臭さが一気に広がる。
味も筆舌に尽くしがたいほど不味い。「まるで一口大の鉄の塊を食べているようだ」とはエリスの言だ。
「わたしは、もうダメかもしれません……うぷっ……」
「だめだワタユキ! ここで吐くな! トイレで吐いて来い!」
青い顔で口元を押さえているワタユキを、エリスが立たせてトイレへと誘導する。幸運なことに、この宿は各部屋にトイレが備え付けられているのでトイレまでの距離はそう遠くない。
エリスがワタユキをトイレまで送って戻ってくると、そこには先ほどまでの上機嫌はどこへやら、冷汗をだらだらと流している拓巳の姿があった。
「俺も…無理…」
「拓巳もか! ほら、トイレに着くまで我慢しろ。部屋の中で吐かれてはたまったもんじゃない。」
「ううっ……さっき酒場で食べた分、全部リバースしそう。」
「頼むから、わたしが肩を貸している間は吐くなよ。絶対だぞ。」
ワタユキと同じように青い顔をしながら口元を押さえている拓巳を介抱しながら、エリスははぁとため息をつく。部屋のトイレはワタユキが使っているから、拓巳に関しては下で宿の主人のもとへ共用のトイレを借りに行かなければならない。はたして、それまで拓巳はもつだろうか。
「うぷっ……」
「我慢だ拓巳っ! まだ駄目だ!」
エリスに肩をかいてもらいながら部屋を出る拓巳。
部屋を出る直前、トイレの方から
「×××……うぷっ………拓巳さん…覚えててくださいよ…×××…」
ワタユキの声でそんな怨嗟の叫びが聞こえてきたが、拓巳は正直それどころではない。必死に吐き気を我慢しながら、エリスに連れられて階段を下りてトイレへと向かっていった。